裁量労働制云々を経団連が旗を振ったというのが嫌らしい。国立大学法人教員はとっくの昔に裁量労働であるが、これは誠にもって的を得ていると思う。お役目として週40時間の仕事範囲に収まっているかと言えばそれは明らかに違うと叫びたくなるが、大略、束縛は会議と講義ということだから、週の労働時間が設定されて、それ以上に働けばという流れになる。この「それ以上に」というのが、一般民間人の方々にとっては間違いなくブラックになるだろうと想像する。
大学生時代のアルバイトを思い出すと、例えばビル一棟の蛍光灯を土曜日の午後に全部取り換えるとなれば、それがノルマであって、早かろうが遅かろうが賃金は一緒だ。家庭教師などは自給いくらになるから、時間に縛られてそれで賃金を頂ける。裁量労働はどちらでもない。後者で前者の条件になるのだろう。40時間分の給料はこれね、だけど労働は1000時間やれよなというのが、まぁ、経営者側の考えなんでしょうね。労働時間が少なくなるという物凄いデータを信じて話す人の頭の中を疑いたくなる。
体調不良の時もあれば絶好調の時もあろう。ノルマに縛られればゴールは遠かったり近かったりだが、仕事に長けている人に裁量労働を適用したら、みんな辞めちゃうんじゃないかな。同じ時間に人の3倍仕事をこなそうとも給与は同じねって、それはどうなんでしょう。法律提案が流れてしまっても無理はないかな。
みんな、何か良いことしたいに決まっているのだと思う。人が何故生まれたのかってなところに帰着するのだろうけれど、労働って何かということを天下国家を論じるには、きっちりと定義していかねばならない。きれいごとではない。どろどろとした人間社会だ。心底頑張って成果を挙げている人を妬む社会だ。人間は弱い。弱い者同士助け合えばいいのにと思うのだが、質の高い教育組織を築こうとしても日の丸が抑え込む。情けなくなる。