今を

京浜工業地帯沿いの高速道路を走ってみれば、正に臨海であり、雑多で逃げ場のない、そして隙間もない領域であることが解る。平日に大地震が発生したならば、その混乱ぶりは想像も出来ない。10年とは経過していないのだが、久し振りに用事を作って訪れてみた。大きく景色が変わったわけではないが、密度はより高くなったと感じる。災害など無いに越したことは無いのだが、それなりに巨大な災害は、この国に住んでいれば必ず遭遇するはずである。

その後に、ちょっと寄り道をして名古屋に戻ったわけだが、相模湾沿岸に立ち並ぶ家々も、巨大な津波にひとたまりも無かろうと思うわけだ。眼前に聳える富士の宝永火口が、今にも黒煙を上げるのではないかと恐怖したが、幸いにそんなこともなく、津波にも襲われず。これまた久しぶりに伊豆半島を横断してみたが、1930年に生じた大地震での断層を記録した公園などもあり、遥か南方からやってきた伊豆半島は未だに活発に本州に押し付けられているのだなと、その活力に圧倒される。

都市伝説に引っ張られるわけでは無いのだが、大地震はこの国に住んでいる限りは必ずどこかで起こりえる。そして人々は巻き込まれる宿命にある。そのような遺構を拝見するたびに、今を謙虚に迎え、そして自らを律していくことに全力を掛けようと思うのだ。自分を変える事だけは可能だからね。この瞬間の外界を変えることは出来ないけれどね。

能登地域の水害に唖然とする。今年の元日の大震災から、国を挙げて支援をさせて頂いて、今に至った。それが天の成せる技によって無為に帰す。世界を見渡しても天災は至る所で猛威を振るっている。人の所作が人に還ったのであれば仕方のないところだと諦めるしかない。ジタバタできない。だからこそ、今、この瞬間瞬間を猛烈に強烈に生きるしかない。その為に学ぶ。その為に思考する。他の為に思考する。生きるとはそういうことだ。