学びの拒否は

経産省や文科省は社会人リスキリングの為に大学はなんとかしろ!と叫ぶのだが、企業側が、社員が教育にうつつを抜かして勉強することを良しとしない現状で、場を創っても人が集まらないのは間違いない。企業へのアンケートをどれだけの数を撒いて回収できたのかは分からないが、自社社員をリスキリング・リカレントの為に大学に送り込む仕組みを社内に作っているかと言う問いかけに対して、10%程度の企業のみが学ぶことを良しとしているということが解った。

となると、必死になってプログラムを構築しても、余程、社会に刺さるプログラムで無いと参画しては頂けないということ。特にAI活用関係など、本来は現場にこそ活用の場があるAIなのだが、それを活用する学びをさせる余裕が無いと中小企業諸氏にバッサリとやられたわけだ。AIでどんな価値を抽出するのかという事なのだが、大略、加工用の刃物が駄目になる前に教えて欲しいとか、人の置き換えを目指すと「学ばせる暇が合ったらその人を現場に立たせる」ということになる。

不具合発生防止ということを人にやらせるということほど無駄な行為は無い。これこそ給与の無駄払いで、AIやロボットにやらせるべき案件である。労働人口が減っていくので海外の方々にお越し頂こうということなのだが、お越しを頂いて、そんなしょぼいお仕事を任せてはいけない。日本に行ったら有り得ない程の高度な学びが出来たと、帰国の際に知恵のお土産を持って帰って頂かないと、国家間が仲良くなれない。

ノウハウなどもどんどん吐き出して、自分達は新たなモノづくりに挑戦すれば良い。その為には人のカンコツ、ノウハウをどんどこ機械に受け持ってもらって、それを活用すれば良い。ベテランはカンコツを奪われたら解雇されると技を出したがらないが、モノづくりの様式ががらりと変わればポジションなどあっと言う間に要らなくなる。浪花節で国が動いているのは何時までか?大学で学んだことの「旬」はどんどん短くなっている。人に学ばせぬ企業には明日は無い。そう思う。