聴き力

対話において、特に話し手の時には「Why?」には「Because」がなければならないと感じる。特に上から目線の諸氏に申し上げたい。単に「これをしゃべろ」と命令されても、こちらは聴き手に思った以上の答えをしようとするわけなので、何故それを聞きたいのかを加えて頂かないと、返答に窮する。そんなの自分で調べたらと付き離すだけである。答える義務は無いしね。お偉い立場だから「聞いてやってんだよ!」くらいの気持ちなんでしょうけどね、こちらもいろいろと仕事がある身なので、その時間を奪われるのは極めて嫌だ。

自らの他律機能を発揮させるためには「聴き力」は猛烈に重要である。それは話してと共鳴させて頂いて、お互いが高いレベルにおいて対話を行う力、機能である。何故、それを聞いたのかを問わねば、聴き力など発揮しようがない。相手の効き力を高める伝達力があって、初めて聴き力は効力を発揮する。いや、言ってしまえば、こちらの聴き力を喚起させない話し手は相手にしないのが良い。

学会などでは最初の30秒で結論を語らない者の話は聞かないほうが良いと言われるが、一対一の対話においても、何故なのかを口から出さない者には耳を閉ざすのが正式な対応である。自分達が欲しい情報だけを、知っていそうなやからから奪い取って、さも、自分達の活動の成果だと言いふらしたいのだろうが、自ら汗を流さず、知恵も使わず、そして人脈も無いみたいな輩に限って「教えろ」とだけ上意下達。おぞましい限りである。

巧言令色鮮し仁。いや、巧みでも無いから、この言葉は当てはまらないかもしれないが、もう相当にこちらに疲労が蓄積してきているから、言われる前にご退陣ということとなろう。ナーバスブレークダウンはお好みでは無い。よってまぁ、もうちょっとのお付き合いかもしれませんが、お次はよろしくお願いいたします。