帰路

巨大な荷物を引っ張りまわし、お仕事人の行く手を遮る方々、特に新幹線でB C席で出逢おうものならもう地獄。旅もへったくれもありませんな。ただただおとなしく、同じ駅で下車を祈るばかり。そんな時に限って、あちらの方々は降りないのですな。「ごめんなさいよ」となるわけですが、その昔は手荷物料金があって、巨大荷物の持ち込みはルール違反だったのに、その時代が懐かしいですよ。 

なんで隅っこに座るかと言えば、帰路で「いっぱい」やるからに決まっているわけで、品川駅からスタート出来るからということになりますな。最近は夕方の新幹線の満員ぶりには辟易します。予約の前倒しが出来ない程の混雑ぶり。疲れ切ったご同輩がぐたぁっとなっているお姿を拝見すると、頑張れとエールを送ってしまいます。まぁ、聞く耳を持ってはいなさそうなので、そっとしておきますが。 

夕暮れの新幹線にも楽しみが無いわけではなくで、例えば闇に浮かぶ小田原城などはステキなスポットだと思うのですよ。まさに見慣れた光景なのですが、ほっとする場面もちらほら。通るたびごとに出来ていく道路とかね。これなどはなんだか歴史に参加しているみたいで楽しいですな。他にもいろいろとありますが、御同輩の皆様は各自で特別な景色をお持ちでしょう。それも立派な肴になります。 

ビジネス特急で粋もなにも無いのですが、今日も頑張ったなぁと思う時、その猛烈なスピードには感動しますよ。2時間かからずに名古屋まで行ってしまう。脅威ですよね。残念ながら現役世代ではリニアには乗れないけど、その世代の人達には、鈍行に思えちゃうんでしょうね。時代は凄まじい。そんな思いがする闇夜の新幹線ですな。

 

旅について

月日は百代の過客にしてと、旅の先哲は残されたが、小生的には基本は新幹線、遠方は航空機利用と、月日を掛けずにどうやって距離を稼ぐかにご執心である。秋田 などは二度ほど鉄路を利用したが、それだけで嫌いになりそうな、恐ろしい距離である。移動空間を楽しめなくなって久しい。 

新幹線などは一時は仕事空間として活躍していたのだが、なんだか時の奴隷感覚に襲われて、仕事なんかするものかと思ってはいるのだが、バッグに書類が入っているものだから、無意識に引っ張り出している自分がいる。まぁ、病気の領域ですな。 

その点、国内の移動において航空機は、荷だなからバッグを下ろすのも面倒だし、気圧が低くて酸欠で頭は停止するから仕事などはしない。到着地が吹雪などと脅かされると、これは穏やかではない。突撃宜しく、車体を横揺れさせながらの着陸は肝を冷やす。何度体験しても慣れることはない。 

しかし、旅は良い。日帰りだろうが委員会のお仕事だろうが、平常とは異なる状況になるのは良い。肉体も精神もボロボロになって草臥れるが、それでも優れた方々との出逢いは素晴らしい。自分の価値観を押し付けることの無い、裏で悪口を言うこともない人達との出逢いは爽快である。今日もお江戸である。日常になりつつあるが、気を引き締めてお出掛けである。それも旅だ。

 

今週は温泉

それこそ「戯言」門出の時からやってみたかった週間ネタ。今週は誰も感じていないかもしれないが温泉を語ってみた。温泉を本気で語ったらそれこそ永遠に終わらなくなってしまうので、まぁ、週間ネタとしては閉じたいと思う。思うのだが温泉は何しろよろしい。ぷわぁっと言わない人は居ない。温泉とは地球の鼓動だし、幸せの根源であることは言うまでもない。

折角、週刊ネタみたいに温泉を語ったのだから、やっぱりざっくばらんに語るべきだ。最近のお気に入りは・・やはりやめておこう。面倒な方々からお話が飛んできて困ったことになってしまう。「たわごと」であるからには議論を吹っかけてくることはあってはならぬ。それでも毎日、数十、数百の方々から投げつけられるのだが、まぁ、知ったこっちゃない。「たわごと」なのだから。

何はともあれ温泉は良い。ある宿など、毎晩、ホテルに戻ると大ジョッキ券なるものを頂き、大浴場に行くとなんと大ジョッキが漏れなく付いてくるという奇跡の温泉がある。しかもかけ流しの沸かし無しという、なんでお客様が来ないかと言えば、駅から死ぬほど遠い。都合よく温泉は湧き出ないのだなと、残念ではあるのだが、30分、早起きをすればお仕事に間に合う。

青森には最近はなかなかお仕事が無い。新幹線が開通してから行ったことが無い。こんなことを言ってしまうと間違いなく怒られるのだが、何しろ本当にお仕事が無いのだ。秋田にはごちゃまんとお仕事はあるのだが、これはこれで素敵な温泉がある。冬に連れ込まれると10mの氷柱の檻が逃がしてくれない。それもまた一興。温泉は良い。本当に良い。そう思う。

温泉

浅虫温泉に出掛けたのは、それこそ25年程度の昔だ。こう書いてみて驚いたのだが、要するに四半世紀前だ。四半世紀も前の事だと驚きながら、その時既に四半世紀生きていたと思うので、成る程、歳月は厳しいなと思うわけですよ。温泉に出掛けたわけでは無くて、仕事があって、ついでに寄ったというだけなんですけどね。

このついでに寄るというのが大切で、今となっては全く持って不可能な時間なんですが、まぁ、若い頃にはそんな時間も落ちていたりするわけですな。真冬の青森は上空からしか見たことは無いですが、紅葉美しく、やはり冬が早く訪れるのだなと、納得していた記憶があります。逆に、1月初旬なのに梅が咲く熱海とかね。日本は細長いのだなと実感するのです。

温泉の話ついでに言うと、我が国は流石にプレート接合点だけあって、温泉と言う天然資源がわんさか。断層が走りマントルが沈降する辺りには特にリッチで、川浦温泉などはその典型例だろう。断崖を降りていくと、河原に吹き出る温泉のこれが凄まじい事。

狭い空を眺めながらのほほんとするのが良い。何も夕日や朝日を見て感動する必要は無い。谷底だってそれはそれで良いのだ。一体、どれくらいの昔から現状が形作られ、そして何千、何万の人々、動物達が「ふぅ」と言ったのか。そんなことを思うだけで、まぁ、温泉と言うものは有難いわけですよ。久し振りにどっかの温泉にでも出かけようかと、無理だなと苦笑いの私であります。

鶴巻温泉

神奈川に鶴巻温泉というところがあって、東海大学の近くだから学会などで立ち寄られた方も多いと思う。小生もその口で、明治・大正から開かれた温泉らしい。病気療養のための温泉ということで、特段、病があったわけでは無いのだが、まぁ、学会会場から直ぐ近くだからという、正にそんな理由で出かけた温泉。

塩分が濃いなという思いでしかないのだが、ぽっかぽかになった記憶はある。あの辺りは他にも源泉が幾つかあって湯治場リッチな場所名だと、なんだか健康な人が東海大学には多いのはそのためかなと、妙に納得したことを覚えている。丁度、原辰徳さんがぶいぶいいわせていたころだ。

駿河湾の言ってみればど真ん中で、箱根・富士山が直ぐ近く。温泉が出ない方がおかしいお土地柄。名古屋にいると平塚とかやたらと東京に近いと思ってしまうのだが、東京方面から移動してみると、これが結構な距離である。こんなところを2,3人で走ってしまうのかと呆れかえる程に遠いところにある。人間の力は素晴らしい。

何も温泉巡りのお話をしようと思ったわけではない。無いのだが、何故かふと思い出したので書いてみただけだ。自分にとってナンバーワンであったわけではない。何かのついでに行くにはもってこいだよと、そんなつもりで書いてみた。小沢昭一さんシリーズでやってみようかなと思った一週間だが、ここまで書いて浅虫温泉を語るべきであったと、えっらい間違いをおかしたことに気が付いたのだが、まぁ、行ったことがありますよという鶴巻温泉でありました。

小沢昭一的こころ

戯言が何から生まれたかという、そのきっかけは何も無いのであるが、まぁ、その頃に、小沢昭一的こころ、ジェットストリームの二本のラジオ番組が根本に無かったかと言われると、それは否定は出来ないであろう。中学生の頃には情熱マンシリーズが語られ、怪人二十面相が語られ、ビジュアルなど一切ない、思考こそ全てというトークが、毎夜毎夜繰り返され、イメージに熱中した。具体的なゴールなど、そんな低俗な思想など持ったことは無い。天下万民、異なるイメージを持つことが出来た時代。

ツバルの島々が沈みゆく毎日、この日本は何をしているか?地球サイクルを考えれば氷河期であるにも関わらず、銭欲しさに地球を暖める。ここが難しいところで、南極が融けるよりも海の水の膨張で島々が沈むのであって、物理的に海水面でヒステリックになってはならない。むしろ、炭酸ガスを吸いつくした海水が、海洋生物を死滅させることにこそ恐怖するべきであるのだが、日本国の皆様は何も思わない。

南米諸国の森林を伐採しても、実は、地球上の炭酸ガス濃度は殆ど変化はしない。海洋生物から放出される日中の酸素こそ地球環境変動に影響があるのであって、その海が危険な状況にあるからこそ905hPaの台風が普通に現れる。サンマが採れる、クジラが長崎沖に現れる。そんな問題では無い。まぁ、小生が活きている間に、40年前の気候に戻るわけでは無いが。

深夜放送。それは正にがきんちょが熱中する憧れであった。聴くばっかりであったのだが、それが今はこちらから発信出来る時代になった。発信はするが、それは個人的発信であって、誰が誰を信じるとか、そんな流れを想って実行しているわけでは無い。情報が豪雨の如く降ってきて、それを受ける頭脳は思いやりの心と断絶し、意味のある変化を望んだとしても何をするべきか、他人任せで自らは何もしない。一歩踏み出すと全てが否定される。それでも小生は一歩進む。それだけのことだ。

巧言令色鮮し仁

社会において学の働きは、正直に学ぶ者の支援である。嘘に塗り固められた者を救う組織では無い。

作り上げた知恵をただで寄越せと言ってくるの者に、頭を下げる組織では無い。

加えて言えば就職予備校などでは決して無い。社会も悪い。見る目が無さ過ぎる。

巧言令色鮮し仁。そんな者が認められる世の中ではあってはならないのだ。人生にやり直しは無い。見直しは出来る。

明日

原子、電子の世界で生きているはずだったのだが、最近は大きな塊の世界で脳を使わされている。加えてその多くが思い込みに対して呆れるという時間だけを頂いて、聞く耳を持たないでやってこられるお客様のなんと多い事か。私だけが正しい、あなたの言うことは理解できないから、やっぱり私は正しいのですねという、素晴らしい理屈をおっしゃる。なるほど、それは宜しゅうございます。よろしいので威張る時間を真に聞く耳を持ちたい企業様に使わせて頂けませんか?

昨日までの敵も世界から見たら・・そもそも敵などと言う意識感が愚かしい。それが末端まで行き渡っている日本という国は、まぁ、すぐさまいらないということになるのでしょう。はやい、やすい、うまいの三拍子だけが加工業界なんでしょうね。既に諸外国の加工技術に足元にも及ばない状況になったというのに、国内で何か作ろうという己惚れ。笑いも生じない。

新しいことが発生しても理解せず、過去のお仕事だけを繰り返す。それを否定はしませんよ。儲かって儲かって仕方がないという現状を謳歌して頂ければそれで宜しい。何が出来る、出来ないということは言いません。恐ろしい程にゲームが換わる。それを知りながら今にしがみつく。

爆発的に挑戦される方々もいらっしゃる。共鳴、共感させて頂き、未来を共創させて頂く喜びに震えるわけだが、我が国では真に稀有な状況であることは言うまでもない。チャレンジされるお企業はいらっしゃる。逆に、縮退を望むお企業の何と多い事か。勇気は必要。でもそれがない。日本と言うところかな。身勝手、自分勝手な若者が溢れる社会。それに迎合する企業。まぁ、見えているね。

加工考

半導体業界は活況である。ハードディスクを半導体に置き換えて、高速・省エネを獲得する流れは止まらない。一旦置き換えれば、保守が待っていて、これは暫くは新規開発が置いてきぼりとなりそうな、日本の場当たり主義が炸裂し続けるだろう。気が付けば売るものが無くなっている、いつものパターンが見えている。 

一方でナノメートル領域の加工を印刷業界がし始めている日本もある。時代は実に美しく楽しい。ある技術を守るか、攻めるか。明日、存続している研究も企業も、攻守が決める。当たり前なのだが、人は守りに入る。今の時代にそんなものはない事に、判ってはいるが、目先の利益にしがみつく。結果、明日がなくなる。 

とある理由で、自動車の金型に触れたのだが、数ミクロンレベルのうねりとか、普通に有るんですね。半導体業界では有り得ないサイズの歪みとかうねりとか。小生的にはゴミより酷い状況が、定常状態にある。世界的にやってきている軽量化の嵐に着いていけない。それが日本の現状だ。 

こう書くと特殊なレベルのお話と聞き流すだろう。それらの民は既に滅んでいる。マスプロダクトが既にサブミクロンの世界に入っているが、日本くらいだろう、自動車の加工精度が世界の共通言語だと思っているのは。挑戦している者とそうでない方々。結末は見えている。

 

美しくないこと

産学連携において、大学をどう活用するかが極めて重要である。従来型のお付き合い型、ちょこっと知りたい型等々あるわけだが、とりわけ数社でオープンイノベーションというときに、その中核としての大学の活用を上手に出来ている企業は、最先端でありながら、5年ほどで驚くべき製品開発を成し遂げている。20億、掛かったとしても1億の大学への投資だけで商品まで行き着くのだから安い。

米国であれば6割の間接経費だから日本の大学はどえらい低価格でご奉仕だ。これはいかん。これが当たり前になっているからいかん。企業も、知恵は無料と決め込んで土足で踏み込んでくるが、これもいかん。いかんばっかりだが、実際、そんなところであろう。心が貧しいのであろう。

昨日、新幹線の隣の席のあんちゃんが、どかっと座って漫画雑誌を鞄から取り出し、品川から名古屋まで延々と読み続けていた。悪いとは言わないが、その横柄な態度は会社でも出ているのだろうなと辟易する。自分だけで生きている。そう見える。どれだけの大企業かは知らないが、一人で社会を動かしているというところか。

今朝、地下鉄のホームで「アンメルツ」?的な、恐らく、かゆみ止めではなく、肩こりというか筋肉の痛みを拡散させる液体だろう、ズボンをまくって膝周辺に塗りたくっている、恐らく会社員の方を見た。美しいものではない。美しさは何処に行ったのか。AIを使って社会を変革している者かもしれないが、美しくない根源になるのはどうだろう。日本はそんな国になったのだなと、なんだか情けなくなる。