リベラルアーツの意味

電動物がどんどん増えて、その電源アダプタも無限に増える。最近でこそUSB TypeCが若干、本当に若干なのだが幅を利かせてきてくれていて、LenovoとHPの電源アダプタを共用出来るとか、これは本当に助かっている。絶対にこれを買い足そうとか、新しいカテゴリの製品そのものが無くなっている今、今の活動をほんのちょっと便利にする程度のものを買ってみたりする。要するに、自らの活動をカスタマイズするグッズだけが増える。まぁ、こっぱずかしいから何を買ったかは言わないけれど、産学共同などはこんなパターンも大ありなのだとも思っている。先生方のお時間を奪うわけにはいかないから、なかなか契約は難しいけれど。

ここ数カ月、お話をさせて頂いた経済界の偉い方々からAIなんとかして頂戴よと言う切なる願い。医療の分野のトップの方でも「ワトソン君が居てくれるからね」と、劇的な変化に医療に掛かる学問分野体系まで変わるだろう、いや、既に変わっていると仰られる。大学における教育の在り方そのものが爆発的に変化している。OJTだのなんだのと言われるが、要は学体系そのものを変えないと世界の孤児になるということだ。既になっているのかもしれない。

恐らく日本だけでは無いように思うが、日本において顕在化し始めているのだと実感している。生まれた瞬間から進むべき道を与えられ、予定調和に不安を感じることなく日々を過ごす。ベンチャー創業の勇気はとても素晴らしいが、Tech系で立ち上がるのは大学教員くらいで、本気で冒険しているかとは・・どうなのだろう。それでも気合は素晴らしいと思う。応援したい。

今をちょっと便利にするところから、将来、こんなストーリーはどうだろうと夢を語り合える討議こそ、大学の在り方であろう。微分方程式をどう解くのか、材料の性質は云々はAIが瞬時に解を出す時代に、暗記学問は全く無用。しかし、頭脳とおもいやりの心との断絶が満ちている現代、世界の宗教、歴史等々、等々、リベラルアーツこそ重要だ。そして社会の課題を創成し、共創する、そしてその解決のストーリーを描ける能力こそ教育するべき。一人、一社で価値を創り出す時代ではない。当たり前だが。