生理的毛嫌い考

音を立てて食事をするとぶん殴られて育ってしまったから、そのような行動に対しては「生理的に受け付けない」という状況が発生する。食事は単なる事例であって、目くじら立てることでは無いのですが、この生理的ということは、人との関係においてとても難しい。価値観とは異なるのだが、もの根本にあるのが生理であって、それに精神が加わって価値観となるのだろうが、精神部分はマッチするけど、根本の生理がマッチしないと、これはもう受け入れられない。

何でこんなことを敢えて持ち出したかと言うと、往復の通勤経路で、自転車や地下鉄で通うわけだけど、目を伏せたくなる状況に出くわすわけだ。あちらからこちらを見ても同様なのだと思うのだけど、こう考えてしまうと、生理的に受け入れられないと一人が思うと、世の中に二人はマッチング出来ない人間が出てくるのだなと。一人だけ宙ぶらりんということではなくて、ペアで不仲というものが発生するわけだ。

それはそうだろうと、こう書いていて苦笑いするが、不仲というのだから一人ぼっちで出来上がる構図では無い。ペア以上に決まっているんだけど、この、根本的に受け入れられないってどんなレベル感であるんだろうかと。ペダルをこいで八事の坂を上っているときに思ったのですな。自転車で道路の端を走っていると、すれすれに風圧を感じさせながら通過する車と、少し離れて走って頂ける車とあって、他人をひき殺すことに罪の意識を感じない運転手殿は「生理的に受け入れられない」組だなと思うわけですな。

これも1対1なんだけど、野球チームとか、企業とか、国とかになっていってしまうと、グローバル社会から二国が弾き飛ばされた感じになる。何を無駄なことで争っているんだとなるわけだが、この、根本的な「生理的な毛嫌い」を払しょくする方法は無いものだろうか?二人の拡大が二国間なんて大袈裟なんだけど、そんなことがそこら中にあって、ちょっとの我慢ではなんともならないものかもしれないのだけれども、なんとかならないものかなぁと、そんなことでも考えていないと、八事の坂を上る苦行を重ねていられない私であります。