茶番劇考

この時代に所得倍増ってどうやるんだろう。新規のものは作らないから、外貨獲得は倍像は困難だ。エレクトロニクス的には外頼みの半導体が入ってこないから、更に難しい。きちっと育てた農作物は外貨獲得に貢献はしているが、耕作地を工場にしてしまったり、宅地になってしまったりと、食料自給率を下げることに躍起になっているこの国だから、これとて極端な増加は見込めそうにない。GoToでお金を還流させようとしたとしても、富裕層のお金が富裕層間を還流するだけだから、倍増にはならないですな。所得が倍になっても買うものが無いから、幸せ感は薄そうだ。野党は「財源は?」とか「どうやって」ということの繰り返しで、「倍増したら日本人は何故幸せになると言えるの?」とう本質的な問いは聞かれない。

兵庫県の縫製業者殿が始められた、端切れ材を機械部品に再加工して、焼却端切れをゼロにする試みなどは素晴らしいと思う。無駄を無くす。生産量が極めて多い巨大産業であればあるほど、「負」を無くすことは獲得金額増に直結する。そんな見直しは全ての生産場所で見出されるはずだ。それらの挑戦に補助を出していく。効果があればそれは確実に税金増に繋がるし、損失を減らした分の少しでも労働者に回る工夫と併せれば、倍は無理でも遣り甲斐という、それよりも有難いものの獲得に繋がる筈だ。

遣り甲斐は大切だとは思うのだが、ひょっとするとそれは古い人間の考え方なのかもしれないので、一般論として思っているわけでは無いと言い訳しておく。戯言だから言い訳なんか必要無いのだが、遣り甲斐よりも手取りという人も沢山いらっしゃると思うのだ。民意が所得倍増と首相が思っているくらいだから、きっとそうなのだろう。所得倍増より、所得が無い方にお仕事をと考えるのが先の様な気がするが。文科省の博士倍増計画で生まれたのは、ポストレス研究者だ。国が先導する「何々」倍増計画に付き合わされると、何か恐ろしいことが起きるのではないかと勘ぐってしまう。

何かを倍にしたかったら、それはルールを交換する必要がある。金属のフィラメントを半導体に変えたような、劇的に、そして破壊を伴うチェンジが必要だ。短期的視野では無く、遍く生きとし生けるものに幸が回るよう意識して大いなる決断が必要である。どうもその決断をしているとは感じられないのだ。所得倍増と仰ったのだから、何か秘策があるに違いないのだ。小声で「富裕層は」とくっついているのかもしれないが、富裕層の所得を倍増と言うのも凄まじいから見てみたい。10万円をばらまこうとかね、もういい加減にしませんかね?茶番劇。