その時の為に

とても寒い土日が過ぎて、昨日の朝も寒かったが、寒気が入ってこなければ、そこそこ過ごせる日中となる。冬来たならば春遠からじは昔ながらのお話だ。街中の梅の花は咲き始め、まぁ、今週の木曜日あたりに再び寒気が入ってくるとの事だが、それもいずれ収まって、桜の頃がやってくるのだろう。と、暢気に構えてばかりはいられず、あれやこれやとコロナ禍明けの新しいお仕事のご相談がやってくる。そんなに上手いお話などは無いのだが、挑戦し続けることは良い事だ。その挑戦を支えることが大学として、仕組みを持っているかを問われることは間違いない。

あんまり細かい事を言い出すと、えらいこっちゃになるので戯言もろくに吐き出せないが、例えばAI活用という点において、社会的には人の代替を十分に果たして頂けるところまで進化しているわけで、AI文科大臣みたいなのがあって、各大学の強み分析から「おまえのとこはこんなところに注力しろ」みたいなことになるのは、そう遠い未来では無いような気がする。それに歯向かうには余程の覚悟がいるのだろうなと、勝手気ままに反対するわけにはいかなかろうと思ったりもする。

新材料創成やプロセスの最適化など、AIはかなりの力を発揮していて、創薬分野のみならず、高強度合金製造などにおいても当たり前の如くになっている。従来は基礎データを人間が作っていたわけだが、それすらAIが自ら学習して自らパラメータに代入する数値を作り始めている現状を見ると、今まで何をやってきたのやらと思ってしまう。しかし、この「思ってしまう」という感覚は極めて大切なのでは無いかと思うのだ。実際にやってきた人間と、AIが思考して与えたものを単に受け取る人間とでは、生きる力、問題を乗り越える力が違うと考える。

AIが考え、自動機械がモノを作っていく。工場のレイアウトも全てAI任せで簡単なことこの上ない。そうなってくるとだ、どんな学びが必要かと言うと、結局のところ、太陽の下、芝生の上でゴロゴロしながら自らの存在理由を問い続ける哲学的思考力の向上ということに行きつくのでは無いか?今はまだそこまで到達していないのだが、いずれそんな時がやってくるのだろう。さっさとそうなって欲しいと思ったり、はるか彼方だと思ったり。いずれやってくるその日の為に、やはり学びを続けよう。そう思う。