来客考

ベテランのエンジニアとお話をさせて頂くと、妙に話が合う。根本的に便利なツールが無かった時に、自ら考え、作り、使って、それをブラッシュアップさせてきたから。そして他流試合を数多く行って、自らを追い込んできたから。40年近く前のお話で盛り上がれるとは思っていなかったが、それは先方も同じであろう。隣に期待したい人が居てくれると実践的学びになって更に良い。出会いには学びが無ければならない。そう思っている。

ただ、苦労話になってはいけない。それは大嫌いだ。あの時は大変だった、何故ならばこうだったからくらいは盛り上がって良いのだが、私は大変に努力をしてうんたらかんたら・・は勘弁して頂きたい。その時代、その時代に「大変だった」とぼそっと言う程度の体験が出来た人は幸せなのだと思えるようになってきた。苦労しなくても良いよなんて言うのは「お前なんか要らないよ」と言われていることと同意である。その人にしか出来ないからお願いするのだから。

自分でやったほうが速いから任せないというのもよろしくない。何でもかんでも自分でやったという人は薄っぺらだ。人の手を借りながら、そして使って頂きながら活動することで、自分の視野は間違いなく広くなる。苦言ばかりの人は所詮、無理難題を受けた経験が無いのだ。独りで出来たのでしょ?大したことは無い。チームで必死になって何年も耐えて形にする。そんなお話は愉快である。うなづく。

依頼されるということは、なんらか頼られていることだ。そして頼るということは期待しているからだ。それは思ったことをやって欲しいというのでは無く、その人にしか出来ない味を付加して頂きたいという期待だ。自分がやったら出来る結果を求めているわけでは無いのだ。依頼を受けた人は自分の色で良いのだな位に挑戦するのが良いのだ。そんな気持ちでお仕事をしてこられたのだろうなと感じる方のお話は楽しい。そんな時間を頂戴出来た来客は素敵である。