博士考

平成の初頭に博士100倍計画みたいなものが出てきて、それで量産したのは良かったのだが、少子化の流れと法人化の流れが合体して、結局、博士を取得しても就職先無いよねとなって悲惨なことになっている。小生の授与式においては、文学博士が十数年ぶりに現れたと言う事で、工学博士などは「ふぅ~ん」であった。企業に進んだ者は既に引退の年齢であるわけだが、学会方面に進んだ者は、今もしぶとく勤務させて頂いているようだ。

博士過程においてテーマをどのように設定しますか?とか、博士課程に進学してネガティブな要素は無かったですかとか、多くの(?)若者から質問を頂戴して、あれやこれやと答えたわけだ。テーマが見つからないというのは、今、真剣に学んでいないからで、それはそれで良くて、もっともっと深くそして広く学ぶ必要がある。世界の文化、社会現象も学び、ニュースを見ていて現象だけではなく、必ず、理由も自ら考えねばならぬ。正解不正解は無い。人の数だけ考えがある。

博士って何だろうと思った時、それは問いを作れる人種なのだと考えている。これもきっと千人千様の考えが出てくると思う。答えが無い問いを作る。正に、バックキャスティングの原点であるビジョンを考えるのは、正に、これに当たる。世の中、人類が分かった気になっているものなど殆ど無くて、当たり前だと思っていたものに「何故?」と問いかけてみると、先人から何も返ってこないことだって山ほどある。そういうものなのだと偉い先生になる程、見下して言い切るが、解っていないということだ。

自分の興味が解りませんというのは、人生をもっと真剣に生きるしかない。真剣に、猛烈に、強烈に生きて始めて、自らの価値観が見えてくるし、その価値観のベクトルの中において、こんなことがあったら面白いのにと、そんな課題を創り出せたのなら、その者は博士課程に進学し、学問に没頭するべきだ。24時間、365日、寝ずに考えられる体力があるのは限られた年齢だ。その時に学び尽くすと、如何なる困難も、それは見えたものだと達観できる。専門馬鹿ではないのだ。博士とはそういうものだ。