祝入学

名古屋市の小学校は入学式だそうで、ちょっと天気が下り坂で、濡れる初登校でなければ良いのだが。なにがしかは覚えているが、明瞭に思い出せることがかなり少なくなってきてしまっている。記憶の隙間が出来たということだから、新しいことを産みだして記憶すれば良い。誰かと同じ道を歩むつもりはさらさらない。二番煎じはまっぴらごめんだ。

流石に、地下鉄の始発に制服姿の小学生に出逢うことはまれだが、制服などと言うモノに縛られたがきんちょというのは、もう、それだけでアレルギー反応である。かぶけとは言わないが、同じゲームで点数を競ったり、我先に座席に駆け込んで座り込む同種性を見ると、将来は派閥でも作って、やっぱり同族性を発揮しているのかなと、弥生時代の遺伝子を感じるわけだ。

将来、どんな仕事を選択するのか?どんな仕事が、今日の入学生にあるのだろうかと、大卒まで16年先、それすらどうなっているのやらなのだが、どんなお仕事があるのか、その有り様も想像できない。想像できないから無理やり考えるのだが、それが愉快ではないか。答えなんていらない。いずれ将来が不安に思えるようになってくるだろうが、不安にならないのは学びが足りないからだ。

「学びなさい!」とエールを送ろう。足元を見ていると本当に学ばない。何故?と思う程に学ばないのだ。学ぶことがあるのは素晴らしい。不安と言う思索にふけるのは学びつくしてからで十分である。温暖化が進み、熱帯性の日本になっているのかもしれない。生活の有り様が変われば商売も変わるだろう。どんな仕事で三方良しを叶えているのだろうか。20年後、小生にとっては見ることが出来ない未来だが、それを作り出してくれる諸君に喝采を送る。堂々と歩んで頂きたい。