学ぶ意欲を与えられる場

同一分野の卒業研究の発表会においてすら、専門用語を高密度で展開されると「何の為に何をやりたいのだろう?」と首をかしげてしまう。それでも、話の流れは、間違った理解かもしれないがなんとか追いかけることが出来る。ところが、完全なる異分野となるとそうはいかない。10分の講演の中で、知っている単語が2~3個/分程度になってくるとさぁ大変。新たなシナプスの結合が発生せず、カロリーがすべて知恵熱に変換されて、恐ろしいほどにぐったりする。面白いのだけどね。

大きなくくりにおける「私の研究を知って頂戴、そしてこの部分を協業しましょう」という会だったんだけど、いやぁ、どうやって橋渡しをさせて頂こうか、めまいがしちゃいます。嬉しいんだけどね。学ぶことが新たにできたことは有難いとしか言いようがない。新たな自律機能を構築する必要が出てきたわけで、こんなに愉しいことはない。日々学べばよいだけだからね。ゼロから生み出すことしか無くなった現状において、学べばよいというのは遊んでいるにも等しい。

3人寄れば学会というお話を大学生の頃に聴いた。ベテランの先生からだったが、「学問は常に黎明期であり、終わりはない。意見に反論しあう者が3人集まれば学会になる」ということだった。反論が大切で、持論をぶつけ合うだけではだめで、何故なら自分はこう思うから貴殿の主張を受け入れられない」と正しく討論することを教わった。代案の無い反対は許されない。代案を正しく評価しないことも許されない。

首相殿の話を聞いていると、討論の基本が出来ていないと感じる。私利私欲なんだか支離滅裂なんだかわからないが、「だから何?」とTVのチャンネルを換えてしまう。換えた先のニュースも低俗極まりなく、ワールドニュースにチャンネルを換えることが多くなってきた。いよいよ梅雨に入りそうである。灼熱の昨日、今日であるが、しばらくは傘と仲良し。俯いて歩いていても気づかれない。良い期間だ。