幕張にて

幕張メッセは京葉線海浜幕張駅からほど近いところにある。近くは無い、ほど近いと言うくらいだ。ビッグサイトでいろいろと行われるようになり、会議イベントの多くはビックサイトに移ったこともありとんとご無沙汰であった。放送大学関係で、ネットワークを活用した教育協議会みたいなお仕事で、恐らく10年近くなるのでは無いか、余りにも久しぶりで「駅からこんなに遠かったっけ?」となるほどに久しぶりだ。

新幹線活用は大変に便利なのだが、この京葉線という奴は、JRがオフィシャルに有楽町からが便利ですという程に得体の知れないところにある。人の数も半端なく、津波のようである。東京ディズニーランドを過ぎるとやや乗客が減るが、それでも結構な混雑ぶりである。関東はやたらと人が多い。帰りの時刻には新幹線発車まで10分というところで、発車まで1分以内で飛び込むという荒技。京葉線ホームはいただけない。

最初に幕張メッセに行ったのは国際会議での発表だったと思ったが、それは間違いないと思う。イオンビーム関連だったような気がする。まだ、がまの油売り大学時代だったようにも思うし、名古屋に移ったばかりの頃だったか、いずれにせよ、25年~30年も前のことだ。メッセの歴史をひもといてみると、恐らく、がまの油売り大学時代の出来事であったらしい。

国は何かを言う。言われるのはこちら側で、必死に動いたら結果はこんなもんだくらいには動くのだが、泣き言はなかなか通じない。自ら天下に向かって「これが出来る」と叫ぶなかれ。他人になんの影響も伝えない輩が「何か出来る」と叫ぶ。世界が求める真実は遙か彼方にある。それがいまの日本だ。

リコール

トヨタ車がワイヤーハーネス不備で102万台のリコールを受けるという。我が国の産業の、間違いなく頂点に君臨する企業の落潮ぶりと言おうか。世界中で狙われた日本の失策ということなのだろうか、天狗になったらすくわれるのは足元であって、ビジョンは一度決めたら永遠という、美しき日本の在り方を示しているといえばそれまでだが、その結果、ハーネス容量が足りないという、大学1年生でも考えそうな設計ミスは頂けない。

いろいろな方に言われる。そして見下される。大学人などが趣味の研究で何を言おうと、会社はそんなバカはしないと。バカだって人は殺さない、それを大量生産などしない。バカとおっしゃった方々が、絶対に安全だと仰った、彼らの生産物が走行中に燃える可能性を呈したということは、どういうことなのだろうか。

反省することは山ほどある。それは我々大学人にある。現場で設計等々に関わった者の中には、わが大学の卒業生も関わっていたことだろう。それなのに自動発火装置を装填した自動車を街中に放ったのは、わが大学の教育であったということになる。これこそ反省するべきである。エンジニア教育は当然のことながら、倫理教育もなっていなかったということだ。

簡単に研究・開発と言う言葉を吐く者が居る。研究と開発とはまるで違う。それが解っていないと、こんなハーネスで宜しかろうとなってしまい、多くの人を苦しめる。台風でタンカーが関空の橋に激突し、取り返しのつかない状況を巻き起こした。これもエンジニアの犯したことだ。原発事故で技術に絶対は無いことが解ったのに、未だにその反省は無い。これが教育の成果?違うと叫びたいが結果は102万台のリコールだ。ソーシャルな教育と倫理教育。それだけで良い。大学でなすべきはそれだけだろう。それを蔑ろにしてきた結果が102万台。そんなもんだ。

台風

久し振りに名古屋市内で台風大暴れでしたな。時速50㎞を超えていたとのことで、その荒れ狂う時間はそれほど長いものでは無く、河川の大反乱などはなく、有難いことに台風一過の日を平穏に迎えていることに感謝です。まぁ、対象のゴミ?が街中に散見されるわけですが、家屋の倒壊などは見られず、あれだけの風雨に耐える近代家屋の強さに感動するばかり。

近年、目立った災害が無く、名古屋水害の後には地震も含めて大被害は無いですな。これは極めて不可思議な感じがいたします。また、一方で、当たらり前の気も致します。信長、秀吉、家康を生んだお土地柄。勿論、当時と今とでは地面の状態は全く異なるわけですが、大災害がやたらと襲ってきたらいくら治世が正しくとも街として発展しないでしょう。現に秀吉は京都に城を築いた途端に地震に襲われていますな。

昨日は台風の直接の影響を避けようと、13時前には地下鉄の駅から地上に出たのですが、その際の風には驚かされましたよ。進めない。ビル風とは明らかに違う、空気が固まって襲ってくる、そんな感じですな。ビル風はミルフィーユの如くに層状に感じます。台風は湿度も高く、固まった空気を移動させる。これでは車も吹き飛ぶわけですな。

もう、異常気象ということではないでしょう。定常的に発生する普通の気象現象。それが現在の強力な台風でしょう。連発してやってきて日本を翻弄する。改めて山間に人々が住んでいるという真実を知りますね。土木工事によって済む場所を増やしてきた。地球温暖化が量的に拡大し続ける今、考え方を根本から改めるべきなのだろうと思いますが、この国ははてさてどうなるんでしょうかね。自分自身で明日を創る気合、それを一人一人が持たない限り、あんまり明るくない未来がやってくる気がする。そんな気になる強風の昨日でありました。

心の中

心の中では当たるも八卦、でも、それを気持ちに組み込んで頑張ってみようかなと言う2600年の歴史を持った易ではあるが、見られる覚悟は必要だ。まぁ、いろいろあるでしょうけれど、小生のお袋なんぞは易が好きであって、しかも、都合の良いことだけ信じるという、都合の良いことと言ったらない。多くの方々が同じ思いを抱いたのではというお袋の思い出である。

兎に角、都合が良いのである。TVで最悪となっていても新聞で第一となっていればそれを信じる。易者って何なのだろうと、正直、何故、こんな商売が存置できるのか分からないが、しかしながら、こうして話題にするくらいなのだから、取り敢えずは信じてしまう、この小生が居るということだ。信じるというより、まぁ、そんなもんかなと、例えば朝の瞬間に思うだけだ。出勤途上の空を見たとたんにそんなもんは二度と思い出すことは無い。結局は、まぁ、そうだろう。

占いは、なんか信じてしまうのだ。景気が良かろうがどよんと死にそうな予想だろうが、こんなことが今日は発生するのかと、胸に刻んでそう信じるのだが、ところがそんなことになった記憶はさっぱりないのだ。大学生の時、ラジオの占いを大学に行く前に日記に記録し、夜にどうだったかを書いたのだが、当たったことなど一切ない。無いのである。だから占いは競馬の予想より悲惨なのだ。

しかし、根拠が無くても自信満々、あるいは、調子が良いみたいに言われると、取り敢えずそうしておこうと思うではないか。ドツボは予想が出た時には、何があっても、今日はついていないからなぁと考えておしまいなのである。そんな気持ちだから当たるに決まっているのである。そうではなく、真に当たる予想・予約そ除いて真に当たるかもしれないと感じるのはいったい何故なのだろうか。この何故さが重要で、人の気持ちを知るに伝わる。皆で出雲民族を大事にしようではないか。我が国のまほろばである。ただ、それだけだ。

お久しぶりです

久し振りの3泊4日。名古屋駅に降り立った時の過労感凄まじく、ちょっとハードな日程でありましたな。イノベーションジャパンでは所員一同気合で頑張りましたな。感謝申し上げます。金曜日はビックサイトから西国分寺経由、北府中まで灼熱の中移動し、何と、2泊3日宿舎から一歩も出ず、日曜の15時半に研修所から出るときには「シャバに帰るぜ」などと府中ならではの親父ギャグが出ますな。 

最近は日帰り出張が基本になっているので、3泊のホテル暮らしがきつく感じます。プライベートタイムほぼゼロみたいな感じで、お偉い方々と共に過ごした3日間の合宿研修。学ぶというよりグループディスカッションですので、もうえらいこっちゃ。我が国の国立大学がいかに厳しい状況にあるか、本学、すごくがんばってるぞ~と感じました。更に気合を入れなければと思いましたな。 

中身はお伝え出来ませんが、朝から晩まで、それこそ休憩もなくひたすら修練。多くの方とお話を交わさせて頂き、貴重な経験となり、企画をして頂いた国大協の関係者の方々には大いに感謝です。ただ、もう二度とやりたくないなというのも本音のところで、事前学習からレポートまでこの3日間のために費やした時間は相当。 

休みなくやってきて月曜からまたお仕事。途切れなくきついなと思ったら、人間ドッグの結果も悲惨な状況で戻ってきて、もうなんだかやんなっちゃうという週の頭。気合で乗り切れるか不安ですが、なんとか週末までがんばろうという私であります。

イノベーションジャパン

58大学が組織的取り組みを全国規模で展示するイノベーションジャパン大学見本市が明日から2日間、ビッグサイトで行われます。既に準備のためメンバーに先乗りをして頂いております。多くの知古の方々との出会いもあり、とても楽しみにしているのですが、体調が本調子ではなく、多くの方に肩透かしを食らわしてしまうかも。その節はお許しください。

大学の特色が明確に現れ、今後、こんな方向に進んでいくのだなと実感することが出来ます。有難い勉強の機会であり、2日間、多くの学びを得たいと思っております。産学官金連携機構として、まだまだやっていかねばならぬ改革、挑戦するべきことが沢山あるわけですが、その方向性の確認と言うか、順番を確認するというか、そんなところで御座います。

幕張メッセから比べれば遥かに行きやすいビッグサイトであるわけですが、流石にここ数年はゆりかもめに乗ることは無くなってきましたな。大雨だと駅から濡れにくいという選択によって活用することはありますが、乗っている間にその時間の無駄感覚に悲しくなってしまいます。新幹線を使ってお江戸に出たのに、そこから籠に乗せられたような気分になります。

スピードばかりが良い事ではありませんが、満員感も加わって、あれは乗りたくない乗り物ナンバー1なんですな。特に荷物が多い時には御免こうむりたい。そんなこんなで今日は朝からお江戸です。いろいろとご無礼の段、ご容赦くださいませ。

杞憂?

様々なところで感じる薄ら寒さ。バブルというなの麻薬に溺れ、その幻想をひたすら追い求める。為政者は既に気が付いているのかもしれないが、国民にそれを見せまいと躍起になっている・・違うかなぁ?それくらいの政治家が居てくれれば有難いのだが。AI、IoTと絶叫されて久しいのだが、既に教育の基礎がそれを軸足にしていることを体感出来ない。

だったら大学がやれよと?冗談ではない。三つ子の魂である。大学生では遅いのだ。そろばんの学習があったから、加減乗除は身についた。それは有難いと思っている。機械が壊れるとそれを分解させてくれた親に、様々な機械の構築をしている今、それは凄まじく役に立っていて、これまた大感謝である。小学校に上がってからでは遅いのだ。

パンゲア大陸から分離独立し、プレートの動きによって大陸に衝突。今もヒマラヤを押し上げ続けるインドだが、かの国こそそれを実現していらっしゃる国である。人々の勢いたるや凄まじい。気が付けば誰も居ない研究室では何も進まない。教員だけが実験室で研究をしているようでは、この国の未来は無いなと実感している。

時代ということは間違いなくあろう。江戸、明治、大正、昭和、平成が過ぎ去ろうとしている。それぞれの時代末の人達が次の時代の旗手たちにバトンを渡してきた。今、自分は渡せているのだろうか。社会人学生の中には、そしてその卒業生の中には何か世の中変だぞと気が付き始めている人々も出てきた。絶望する必要は無いのかもしれない。杞憂であれば有難い。

求道者の如く

8月末に近づいているというのにちっとも涼しくならない。台風がやってきても名古屋はろくすっぽ雨が降らない。大地は乾ききり熱風が吹く。素足で板敷を歩くと、妙に暖かい。流石に熱いということは無いのだが、気持ちの悪い事この上ない。ただ、悪い事ばかりではなく、カトレアが咲いた。生まれ故郷の熱帯を思い出したように、実に可憐で楽しませてくれている。他のいわゆる日本原産の植物は大丈夫かと心配になる。 

大丈夫だったかどうかは来年の芽の出方とか花の付き方とか、年を越さないと分からない。環境のお話は直ぐに結果が出てくるものではないから恐ろしい。確実に進んだ温暖化ではあるが、都合が悪いのは人間だけなのか、それとも生命体としての地球にも深刻なダメージがあるのか分からない。過去には地球全球凍結が発生したこともあり、またその逆に氷河が無かったことだってあったわけだから、地球そのものは、まぁ、くしゃみにもならないのだろう。 

一昨日はインドネシアの早朝女子マラソンを見ながら昨日の中部圏公設機関新人研修用のプレゼンシート、課題を作っていた。想定以上に時間が掛かり、ゴールまでに完成させようという目論見は見事に壊れた。9月だけでも10件程度の講演をこなさればならぬ。年々、大学の夏休み期間での行事が膨らみ続け、とても学者の生活では無くなっている。まぁ、職制が許さないというところはあるだろうが。 

若い研究者の方々に伝えたかったことは、自らが何ができるかではなく、他の方が成すことを共に達成することである。自らが何かが出来るなどということは当たり前だ。特に公設の場にいるのであれば、社会に対して自らがどんな働きかけが出来るのかを明確に示す義務がある。自らを高め求道者の如く頑張っていただきたい。応援する。

 

 

今日も37度

今日も37度を超えるらしい。まぁ、慣れてきたのは事実だが、それでも暑いものは暑い。年々暑くなるのは間違いなくて、そのうちに平均気温が夏季では40度を超えるようなるだろう。それ程、遠い未来ではなかろうて。

太陽という素晴らしい存在が無限に与えてくれるエネルギーを、人間がせっせと蓄えたのだから、それは暖かくなるのは当然だ。これ程までに人類が一致団結して成し遂げたことは他にはなかろう。人為的に気候変動を起こしたのは恐らく初めてだろう。初めての後には何かがある。

24時間テレビを批判するわけでは無いが、一晩中起きてお仕事をすることを是とするような活動に見える。そんな活動が本当に正しいとは思えない。人間、生き物だからその活動はいつかは必ず止まる。天命よりも早く停止するとすればそれは周囲の我儘に起因する。休みたくても休めない。強要は耐えきれない。

国民の批判を一身に浴びてもへっちゃらな方がリーダーを目指すらしい。なんだか随分とお安い国家に見える。まぁ、全国民が良しと思っているのだから仕方が無い。民主主義とはそういうものだ。

 

興味と趣味

心が動く、それはその対象が何かを感じさせてくれるからだ。それが世界で最初の出来事であれば当然そうだろう。それを日本語は興味と呼ぶ。単に面白いということではない。心が動くほどのものである。後悔などなく、のめり込める、そんな対象に興味を抱く。楽しみであり、それを体感し味わうことが出来るほどの楽しさだ。興味とはそれ程に優れている。

趣味とはまた違う。興味は自らの外にあり、趣味は自らの中にある。それ故に、趣味は身勝手であり、利己主義者は趣味のみ満足でき、自らが制御できない興味という人間が到達した文明を理解することは出来ない。自らのミスを他に転嫁し、正義は趣味の中の自分にしかないと断言し、他を排斥する。

会話力によって生き延びたホモサピエンスも、趣味のみに生きるDNAによって滅びるのだろうと実感している。やまとごころなど無いのだ。日本人は須らく滅びるということではないが、ネアンデルタール人が滅びたの如く、趣味人は消えていかねばならぬ。旧人類と蔑まれようが、興味を抱ける民は、その慈しみの心によってその生命を永らえる。

泣く人が居ない。そして笑顔になるだけの出来事に興味を抱けない。自らだけが正しく、自らを正当化し、他を排斥する者がはびこる今、旧人類は心を揺らがせることなく、死を恐れず決断せねばならぬ。決断を知らぬ者によって決断を迫られる時代になっているのだなと、陰口、裏表を定常状態とする者に溢れた世の中で生き抜く辛さを感じる私であります。