遅すぎる惨劇

7月に入った途端にセミの遺骸に遭遇している。今朝も幾つかの、雨に濡れた遺骸を見た。仲間もまだまだ見つからなかったろうに。どかっと暑くなって、仲間と出会える季節と勘違いしてしまったのだろう。街路樹の根元などは相当に暑くなっているだろうから、公園などとは条件が大きく異なるのだろう。孤独死は路上で見かける。

時代に取り残されると悲惨だが、早すぎても悲劇は起こる。時代に即して当意即妙ということが一番だが、それでも早すぎる方が救われる。報われないが心は穏やかである。報われることを期待するのが間違いであって、社会の流れなど待っていたら濁流がやってきて翻弄される。そうなってはいけない。常に先手を行かねばならない。「今までこうだったから」という考えを押し付ける上司は消えねばならない。時代は進むのだ。

どれくらい先が良いのかと言われても困るが、現時点で、何処かの会社と実用化研究に入った物理は、小生が21歳で見出したものだから、既に30年を超える歳月で「早かった」ということになる。こうなってくると工学技術進化を待つしかなく、待ちに待ったというか忘れていたというところ。これは流石にやりすぎかもしれませんが、まぁ、もうちょっと遅くても良いかもしれません。研究者としてはまぁ、良い事象と言えましょう。

早すぎる悲劇に比べれば古典過ぎる悲惨さで、文科省局長の悪事が明るみに出た。首相選挙の目晦ましなんでしょうけれど、よくもまぁ、古典的な裏口入学をやったもんだ。そんなことがあるんだなぁと、まぁ、賄賂が通じるお上なんだということは分かったわけですが、何があってもやってはいかんというところですな。遅れる悲惨より早すぎる悲劇。スピード感。これに尽きる。

たまご

どうでも良い事だが、その大昔、地学部という、実にオタクで日陰的なクラブ活動をしていた。自分で作ったから卒業アルバムには顧問と自分のツーショットが掲載されているという、なんとも笑える図式だ。何故、地学だったかと言えば、気象庁に出掛けて真面目に気候変動を学びたかったからだ。今でいえば気象予報士みたいなものになっていたかもしれない。その時は、その資格が無かったから、今に至っている。

現在、太平洋沖に鎮座している低気圧は、極めて近い未来の台風のたまごであろう。日本列島に横たわる、本来であればこのまま消えていったはずの全線を元気にして、梅雨空を演出するプロデューサーである。地球規模の話だからどうなるか分からないが、ひょっとすると梅雨末期の台風として世間を騒がすかもしれない。

現在、7号が日本海をじわじわと進んでいて、次の台風のことを言っても仕方が無いが、沖合のたまごが居なければひょっとすると7号が梅雨前線を吹き飛ばしてくれていたかもしれないのだ。たまごのお陰で夏が来ない。どかぁっと40度みたいな、凄まじい夏が早く来ないかと、灼熱オタクの小生は思っていたのに、たまごが邪魔をしてくれた。

教員室のエアコンが老朽化のため、稼働していない。現時点で気温計は29℃を指している。扇風機は偉大だ。空気を動かして、体表面から水分を蒸発させ、気化熱を奪ってくれる。働き方改革で24時間働いてもOKになった。昨夜も硬い床とお友達だ。エアコンなし、布団無し、それでも24時間働くというこの国家だ。台風のたまごはどのように成長するのか。沖合の海水温の様子を知るにはもってこいだ。今年の夏を占う絶好のチャンスだ。ちょっと注目しては如何だろうか。

洞窟の中で

サバイバルの鉄則はじっと動かず体力を温存すること。濡れず乾いた場所に居ること。何らかの方法で水を得続けること。恐らくそのリーダーは凄まじく冷静沈着、統率力抜群であったのだろう。出口の無い暗闇に10日間閉じ込められて平常で居られるか。一般民間人なら叫び狂って体力消耗、焦って転んで骨折などして、その怪我が元であちらの世界に旅立つだろう。

1913年、8月末に駒ヶ岳で発生した気象遭難も、大元は大人登山者達が小屋をたき火にして暖を取るという最低最悪の身勝手な行動から発生したものだ。集団の中に「自分さえ・・」という者が出た瞬間に死神は釜をもたげる。そこに続くものまでもが甚大で深刻な影響を受ける。それがサバイバルである。

東北震災においても少年の機転で救われた命があった。何かが起こる。第六感が働くとき、それに従うべきだ。まずいと感じたその瞬間に立ち止まり、次の瞬間に意思に関わらずシナプスの命令に従った活動に転じる。これこそが生命の源泉であり、サバイバルを語る者が行ってきた行動である。

事件のニュース当初に、自らならどうするかを考えた。様々、考えたが、結局のところ、水、食料の確保と確認。空気の流れの確認、排泄場所の確保、そして動かないこと。洞窟だから航空機が見つけてくれる確率はゼロ。1週間は確実に動けないことを前提に行動にでる。ライトも消して暗闇で過ごす。電池を必要とする電子機器は全くの無力だ。水に塞がれているから、その水位を可視化し続けることも重要だ。サバイバル。それは何時でも起こりうる。この次も生き延びる。間違いない。

省庁のお話を聴いて

七月の声を聞いた途端に台風である。今年は既にやってきているが、本土上陸の可能性が高い台風が7月初旬にやってくるとは恐ろしい。猛烈な雨を伴うらしいが、土木工事ばっかりに国の予算が使われて、文教的なところがゼロになるのは困ってしまう。我が国は確実にそっちに向かっているから、少ない予算で効率よく人材育成等実施していくかが、各機関の試行錯誤と言うところというのが、財務局のお偉い方のお話を伺ってよぉく分かった。しかし、機構が向かっている方向性は全く間違っていないことも解って納得できた。

スピード感の欠落は否めない。国が求めるスピードに付いていけてはいない。全くいない。財務省がカウントしている文教予算の枠組みは、実は減っていなくて、なんとなく「あれっ?」と感じたのも事実。やはり鵜呑みは良くなくて、自らの目で、耳で、足で確かめないといけない。世界の中において我が国が置かれた状況が極めて危機的(危機的より激しく危機ということだ)であるということも理解できた。それにかんしては様々解っていたが、財務省から定量的に示されるとまぁ、信じようかなと思う。

当然、先方に都合の良いデータだけが出てきているというのは含みおいて聴いている。なんでもかんでも生データを出してくる省庁では無い。そうではないが、こちらに都合が悪いところだけでもこんなにあるんだと、その後に出てこられた親方省庁のお偉いさんが全く否定しなかったところから類推される。元気が出たりでなかったりだ。まぁ、気合を入れていこう、そんなところだ。

聖徳太子の時代、突然の外交を迫られ、国を急速に纏めていった我が国だが、ネットワークに依る国境消滅時代と言うのは、正にそんなところなのだろう。スピード感と重厚感、企画こそ勝負どころである。また、その企画を実行に移していくというところが責めどころである。ますますもって変わっていく。間違いない。良い時代である。

備えあれば患いなし?

地下鉄から出ると強い雨。天気予報とは異なる状況である。カバンに潜ませている折りたたみ傘で難をしのぐ。備えあれば患いなし。あらかじめ準備をしておけば少しも心配事が無いということなのだが、ふと思った。昨今、研究にしろ授業にしろ、患いの無い諸君で溢れている。備えをすることを全く意識せず、何も考えないから患いが無い。備えする気がないから患いなしというのが現代流だ。

自らに能力が無く、だからこそ学ばねばならぬ。それだから患いが無いように備える。その順番だろう。やる気が欠落し、後悔という単語を持たない人種には患いと言う単語は無い。日頃の努力は無意味であり、刹那的にやり過ごして生涯を終えることを良しとした教育を受けた人々の社会に、歯の食いしばりと血のにじみだけが価値という教育を受けた人間は無用だ。

それでもやぱり備えてしまう。何かを期待されればそれに応えようと踏ん張る。勿論、満点はあり得ない。限界の努力。それが重要である。これでいいのではないか?と自分で思ってしまうのは間違いだ。失敗して良いのだ。自分の今を最大に出せたらそれで良いのだ。そこまで行って、漸く先人の努力の意味が解る。何故努力するのか?それは限界の努力を積み重ねる者以外には絶対に伝わらない。

熱意は伝わるものと思っていた。しかし、人種が既に変わっている。新しいサピエンスの時代が来ていることは間違いない。ネアンデルタールとホモサピエンスの共生時代、彼らも同様に感じたのだろうか。そして消えていったのだろう。備えがあっても患いがある。しかし、それでも備えるのか、それとも無駄と思って備えないか。備え続ける、それしかない、それが私であります。

一日一歩

一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。名曲である。一歩でも先に進んでいる勘定なのがとても良い。なかなか一歩の確保は出来ないものだ。ほんわか世の中を眺めているのが良い。かつかつでいると、これがなかなか進まない。進まないと焦ってきて、結局、一日一歩ずつ後退していることに気が付く。そんなものだ。じっくり後退していくと、もう、元には戻れずに、そこで居心地良くなってしまう。これはとても恐ろしい現象だ。

岡本太郎先生の座ることを拒む椅子は良い。背筋がぐんと伸びる。心地よさを求めがちだが、そうではない哲学もあるのだ。拒んで何が悪い。その通りだ。拒否と書くと拒んで否定することになってしまうが、否定はしないけど拒むことだって許されて良かろう。嫌は嫌である。何故と言われると困る。嫌なものは嫌だと言える付き合いが良い。一歩進む為に他を拒む事もある。

選択肢が無い道であっても黙って進まないのが良い。その道は自らにとって謝った道かもしれない。そもそもそこに道があるのは、誰かが快適の為に作ったものに違いない。そうであるならば、その道を辿ったとしても自らにとって後退する道かもしれない。失敗を経験と言うが、反省して定量的な解を導き出せたら経験にもなろうが、おおよそ、そんな解を出せたことが無い。何も成らない。

生きている限り活動がある。その活動は誰かの為になっているか?一人の世の中では無い。社会に生かして頂いているのであれば、何かお役に立つべきだ。しかし、これもまた、とても難しい。感謝の気持ちで溢れかえる。それは日々そうなのだが、果たして自らはどうなのだろう。あがき悩む。相変わらずの青春模様である。苦笑いだ。

無くなっていくもの

中途半端なものはいらない。世界中の人々がデジタルカメラに突き付けた最後通告であろう。Nikonですら突破できなかった。写メという文化が生まれた時、そこは箱根であったが、電波にのっけて異空間を共有するという概念の発達は、繋がらない文化を完全に駆逐した。綺麗に記録出来れば良いという時代から、共有という文化が生まれていることに気付かなかった企業が消えていった。

次はタイヤだろうか?自動運転で最適経路をたどり、渋滞がなくなりブレーキ回数が減ったら、タイヤのすりへりが劇的に減少する筈だ。そうなるとタイヤメーカーも生きていく方策が無くなる。タイヤが激減したら生ゴムの生産も減るから・・産業とはそいうものだ。今T社は図面を回してくれるが、近い将来、それも無くなるだろうとなると、図抜けベンチャーかトップ企業以外は誰も残らない。

ただ、そんな事例が滅多やたらとあるわけでは無くて、今のところ、分かって居いる無くなるポストは限定的だが、連鎖反応的に爆発的に増えるのは間違いない。大学の講義などはその最前線であろうそして誰も居なくなる。まぁ、そうだろうなぁ・・

その前に、研究開発費を一切掛けない企業が無くなるかもしれない。上から目線の究極を行く。ゼロ円食堂という企画はよくやったと思う。企画にとてつもなく金は掛かるが、ゼロ円のイメージは素晴らしい。捨てるものが生きる。その感覚が良い。身の回りを見てみれば無駄な物体がごろごろと・・。そうならないように今日も頑張るとしよう。それだけだ。

生きているってこと

歩いていてふと思った。自分にもしも明日があって、それを今、この瞬間に、手繰り寄せることが出来たら未来は決まっているということになってしまうのだろうなって。でもそれが出来ないから、未来は自分で作り出さなきゃいけないんだって。なんだか巡り巡ってしまうのだけれど、結論とすると、決まっていないから愉快であるということ。自分だけが決まっていないって言われてしまうと、ちょっと・・なんだけど、全ての人が決まっていないから生きているって愉快だ。

突然、車にはねられて全身不随になった時だって、考えることは何かしら出来た。自分の名前すら思い出せなかったけど、まぁ、しょうがないなってなもんだ。一人で生きているわけでは無いから、思い通りなんて絶対にならない。ならないから、まぁ、自分を一所懸命に貫くだけ。頑張るってことだね。それしかできない。

大切なことは命があるってことだね。得体のしれないことを考えるのも命があるからということなんでしょ?まぁ、まっ黒で曲がった物体をあっちから見てきた自分とすると、命しか無いってことになるのかもしれない。三途の川は渡ったことは無いけど、こっちに居る限りは、猛烈に瞬間瞬間に挑み続けるってことで良いと思う。

浅薄な偽善、堕落なんてばかばかしい。誰にも平等にやってくるこの瞬間を自分自身で受け止めるには、過去の経験を自分で納得なんかしないで、強烈に一歩を進めるだけ。今日もそんなふうに歩くのだろう。そう感じた。

ブロック塀は悪か?

地震でブロック塀が倒れる。子供の頃、1960年台後半だが、塀は大概ブロックだった記憶がある。お金持ちが生垣で中産階級がブロック塀で、貧乏長屋は塀が無いか板葺きだった・・気がする。今では板葺きは随分とおしゃれな雰囲気だが、当時は、戦後に建ったバラックを分解して出てきた板を再利用していた。住所板が塀に変な向きで付いていたとか、キンチョーの看板がくっついていたりと、ある意味、にぎやかな町並みであった。大阪万博の頃にはそれらの板壁は放火対象になるとかで、下水の整備と共に、これまたブロック塀に変身していった記憶がある。ブロック塀かコンクリートのスレートである。

塀が倒れて小学生が亡くなった。しかもそれが守ってくれるはずの小学校の塀だ。プールの目隠しということで高く積んだのだろうが、その施工において手抜きが見られたことは許しがたい。ブロック塀が悪なのではなく、施工のいい加減さが悪なのだと思う。ブロック塀が全て倒れたわけでは無かろう。機能的で軽量、断熱的にはどうなのか専門家にお任せしたいが、数年で風化するという代物ではなかろう。手抜き工事は常にいかん。そちらを糾弾するべきであって、ブロック塀を悪者にするのは、なんか、視線を逸らしているようでいやらしい。

以前、務めていた大学には塀が無かった。塀を巡らせるほどに小さくなかったということと、まぁ、南軽井沢入口の南東北の片田舎だから、塀なんか無くても関係ないやってなところが本当のところだろう。雑木林にはマムシが沢山居たし、天然の防御壁みたいなものかな。鶴舞大学は城壁に囲まれていて、都会のおどろおどろしさを感じるのだ。閉塞感に満ちている気がする。地方出身者からすると、領域を明確にしていることで、外への防御というよりも内に閉じこもっている気がしてならない。

今朝、地下鉄の駅から路地を巡ってみたが、ブロック塀はいたるところに存在している。東南海地震でどうなることやら。やっぱり吹っ飛ぶのかそれともしっかりと施工されていて、ブロックだって大丈夫さというところを見せてくれるのか。根尾谷断層が出来た時の地震では墓石が同一方向に倒れたという。どちらに揺れるかにも依存するだろう。墓石や塀の近くに、地震時に留まっていてはいけないということだろう。日頃から何処に逃げるべきか。改めて考えさせられる。

企業家は若い

明日から天気は再び崩れるらしい。束の間の晴れ間を楽しみたいとは思うが、例によって気がつけば深夜だろう。まぁ仕方がない。今週は起業希望学生の積極さに感動させて頂いた。何をやったら儲かるかしか聞いてこない企業の皆さんに、ほんの少しでも挑戦の気持ちを抱いて頂きたいと心底思った次第。まだまだ明るい部分もある。深淵ではない。

学生起業の場合、あまり元手がかからないアプリ開発が主になるのだが、ハードだけに偏る中小企業群との連合的なコラボが出来るとすると、一気にB2Cビジネスに繋がる素地は我が国にはある。新しいサービスから発想を持ち込むから、旧来のコーディネートのやり方を真似てはならない。我が身も旧人類。新人類軍に期待するところ大である。常に身の丈を知ることである。

話を聞いて頂いている様子からも、まさに砂に水が染み入るように理解している様がわかる。教育者冥利である。社会の状況が飽和してきている今、こんな学生がじゃんじゃか増えるのではと、妙に元気が湧いてきた。面白い。実に愉快である。君達はもっともっと幸せになる、そして周りを巻き込んでくれる。間違いない。

世界が猛烈に変わっている一方で、規制の為に手を出せない部分が沢山ある。頑張っても親に蹴飛ばされる。それでも立ち上がって前に進む。慣れたことは捨てていく。それで良い。新しく生きる。毎日がその連続である。