純粋力

小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・小学校5年生で暗証した島崎藤村の詩なのだが、今でも思い出すのだから凄まじい。若い頃の記憶とはそれ程に強く、そして純粋である。暗記するほどに繰り返し読み、その言葉の意味を想う。想うのだが所詮は小学生、濁り酒を飲めるわけでもなく、あぁ、そうなのだなと思うのみだ。

小諸城址の懐古園を初めて訪れたのは大学生になってからだ。そこに到着する前から頭の中で「小諸なる・・」が延々と繰り返され、どのような世界なのだろうかと極限の美化。園を巡って、成る程、こういうことかと小学生の理解は正しかったと。

逆の言い方をすれば、大学生になっても小学生の想いを越えなかったということだ。理屈はある。勿論、それはそうだ。しかし、感動は小学生で良いのだ。エゴに固まった大人の脳みそは不要である。純粋な憧れで良いのだ。

暮れゆけば浅間も見えずとあるのだが、浅間も大学生になって初めて見た。亡き母が、五十鈴川の流れを見て、小学生の頃に教科書で読んだ流れの姿、そのままだと語っていたことを忘れない。純粋力。今こそ、純粋力の時代であろう。そう思う。

21世紀旗手

誰も見ていない物理を見る、審査長のお仕事はそのお役目なのだが、あまりにも新しいが故に、ぼんくら様には何も言えない。理解しないからではない、理解する気持ちが全く無いからだ。つまらない例えだが、バーベキューに行ったとしよう。肉は食べたいが、たき火は作りたくない。そんな人達が日本という国だ。そんなもんだ。それでいて、文句だけ言う。風が強くて砂が舞って肉を食べられないとかね。

下手なことは言えないのだが、まぁ、言っても良いのかとは思うのだが、それがなかなか言えないのだな。偉いわけではないが、様々なことがあり、思ったことを吐き出せる幸せは、とっくに何処かに消えてしまった。隣の国が独身の日だとかで数十兆円も設けるという、そんな商いを我が国はどのように見れば良いのか。アリババに追いつく?笑うしかない。

戯言のくせにこんなところで止まるのかと言われてしまっても、その通りだとしか言うしかない。何故かと言えば、天下国家国民が、言えない政権を選ぶからだ。公共とはそんなもんで、票が多いほうが正しいのだ。それを認めない方も国家の過半数を占めたりするのだが、選挙に行かなければゴーストである。

愚痴はゼロ円だが、何故ゼロ円か?意味が無いからだ。ゴミにもならないからだ。価値の無いことを言う暇があったら、価値を創ることを考えれば良い。マスコミの愚かさよ、「新テストは難しいから間違っていると思う」という、次世代を旗手になれない愚か者の発言をこれ見よがしに紙上に謡う。努力しないからだろう。世界は鼻で笑っている日本だ。悲しい事だ。

新しい道理とは?

こうやって戯言を言っていられるのもPCがまともに動作しているからで、ついさっきまでキー入力を受け付けないとか、お作法を知らないと再起動すら出来ないとか、そんな機械でネットワークが存在していることが、実はちょっと苦笑いだ。DOS前からのお作法がまだ生きていて、それを使ったらこうやって入力出来るようになる機械、まぁ、きちんと魔法の呪文が伝承されていたんだなって、かなり安心した。

伝承されないというか、20年くらい前から現れ始めたけど「悪いのはお前のせいだ」ってご両親が迫ってくる、ご当人が襲ってくる。自分の思い通りにいかないのは周りが悪くて、暴力にでも訴えて良いという社会がまかり通ってきた。恐らく、日本だけの気がする。言葉であろうがなんであろうが暴力に出れば許される。日本では恐らく、縄文時代から数えて初めての出来事だろう。

道理が通ると信じて生きてきた。そりゃぁ、小生はそれだけの人生では無かったが、そう信じて生きていたいと思っていた。ベテランの人間すら自らのポジションを上げる為には部下をさらし者にすることを厭わない、要するにいじめと言うやつだが、それが当たり前になっている。ゲーム世代ではそれが更に当たり前だ。恐ろしい限りだ。それが新しい道理になっているのだろう。老兵は去らねばならぬ。

どうも世界を見渡すとそんな流れが日本だけではないと気が付く。「無理を通せば道理が引っ込む」と教えて下さった師は、草葉の陰で何を思っていらっしゃるのだろう。新しい道理が生まれているのか、それに気が付かないだけか。まぁ、そうかもしれない。どんな無理が通るのだろう。電脳時代に生まれた新しいルール。乗って行けそうもない。そんな気がする。

挑戦の時

社会の笑顔を会社として本気で臨んでいらっしゃるお会社ってやっぱり存在しているわけで、そんなお会社と共に笑顔を共創させて頂きたいと心から願うわけです。小生に「私が関わってきた会社なんだからプラスの評価を与えろ!」って暴力と共に訴えることを頂きましたが、小生はあぁそうですかと言うだけである。

天下にとって望ましいかそうでないか。小生は泣き言を聞く立場ではない。無いのだが、なんとかしろと仰る。世界はどんどん変わっていく。自らが変わらなければ。それは大学とて同じこと。ただただ「何をしたらいいのか教えろ」と仰る。それはさようならと申し上げるしかない。

一歩、踏み出しませんか。挑戦を始めませんか。Tier0、Tier1から図面が来なくなったから、やることないから、おまえ、上の会社になにか言えよという。これが日本の現状である。これが真実である。

申し上げたい。それを超えて新しいお仕事に向かって進んでいらっしゃるお企業は間違いなくいらっしゃる。挑戦とはなんと美しいことか。一方で、それを批判、否定するお企業もそれ以上にいらっしゃる。なんとおぞましい。そんなところだ。

本当に最新か?

再び引っ張ってどうすんだということで怒られそうですが、まぁ、JIMTOFのお話。金属、有機半導体などの3Dプリンタがじゃかじゃか出てきているかと思いきや、それなりの機械は旬が過ぎてしまい、ウルトラCは大企業が囲い込みをしている時代に入ってしまっているので、びっくり仰天新規というものは無いのですな。その点は刃物業界と同じ。新機軸は全くない。

むしろ、隣国企業殿は3Dプリンタなどどこ吹く風、トラックごと削りだすぜってな勢いで、どんな材料を運び込むんだというマシニングセンターの群れ。チーム日本が数十年掛かっていた造形を、この数年で成し遂げてしまう勢いにはため息が出ますな。それでいて精度が悪いわけでは決してない。う~む、流石としか言いようがない。

正直、3Dプリンタの進化には期待していたものがありました。ところがどうでしょう、隠し持っているというか、表に出てこない状況になってきていますな。10年以上前の半導体業界のような流れ。新しいことは表には決して出てこない。見た目の新しさで、他との連携を度外視し続けるこの国は何処に向かっていくのか。出し惜しみをしている場合か?

我が国企業も全社がこぞって世界に向かって新奇性を隠しているぞと言うことならば、まぁ、そんなことは無いのでしょうけれど、国際展示会でそんなことをする必要が何処にあるのか?限りなく厚くなる刃物のカタログ、しかし何も変わっていないのだな。そのうち、タンカー一艘削り出すんじゃないかという勢い。その方向に向かってはいかんですな。真面目に丁寧なものづくり。ゼロから進めたい、そんなところだ。

素材までも・・

大きな展示場を巡ってみて心底感じたのが、昨日も愚痴りましたが「日本か?ここ??」という状況になっていること。フェラーリにも採用されている凄い機械を造る会社は相変わらず凄いのですが、ここ数年「うわべ」の綺麗さにこだわってきた工作機械群は、なんだかうわべも負け始めた気配である。IoTだなんだ言ってましたけど、海の向こうの企業の皆様にとってはそれが当たり前。完全に置いてきぼりの日本感満載ではありました。

丁寧なお仕事の方々もいらっしゃって、それはそれで嬉しかったですな。まだまだこれからだぞというところなのですが、新参者が受け入れられない機械の世界。海外にもっていかれないかと心配は尽きません。屋上の臨時屋台村はほぼほぼアジア食一色。

材料を扱う会社が以前に比べて格段に増えていた点も気になります。それもあちらの国々が大半。素材から一気にもっていかれてしまうと、ものを創る技術も無くなっていく。半導体分野において窒化物半導体が最後の砦と言う雰囲気でありまして、工作機械でいうならば「強い素材」の原料群が一網打尽とやられていたことに衝撃を受けた次第。

ものづくりの大学として今、何をしていくのか。焦る必要はないといつまでも言っていられるのかしら?常に待ちの姿勢で打って出ない。それが身の丈というならばそれで良いのでしょうけれど、本当にそうか?そうではあるまい。じわじわと起爆していかなければならない。「今でしょう」という衝撃。それが今年のJIMTOFでありました。

JIMTOF

2年おきのJIMTOF。自らが関係仕事をしていないと行っても無駄な展示会ではありますが、国際会議以上の内容があり「現状」を知るうえで必須の集まりですな。ビックサイトを単色で埋め尽くす凄まじさ。まぁ、同様にコミケさんが同じ様にビックサイトを埋めてしまうのだから凄いと思う。今日も一日、様々な分野のモノづくりに浸ってこようと思う。

サービス産業によるGDPがモノづくりを圧倒している今ではあるのですが、更にこの先、一体どうなるのやらです。今回もますます海外からの出展が増え、展示していらっしゃる方も日本の方なものだから、最後の最後に「ありゃ?」となったりして。日本は大丈夫かいと真剣に思う。

部品だけ作ってアッセンブルとサービスが出来ないこの国は、一体、何をしたいんでしょうね。その傾向は今回も全く変わっていないのです。まぁ、お江戸に来ると、これ以上何を作るのかと感じるのですが、それでも今のサービスが快適とは思えないわけで、どんどん進んでいくのでしょう。妙な付加価値を付けて、ツールの拡散を妨げるのはやめた方が良い。

結構、大きなホテルだけれどもWiFiが無いとかね。信じられません。こんな状態でオリンピックを迎えるのでしょうか。なんとも恥ずかしい国だなぁと呆れるわけです。ほんの小さなことかもしれませんが、孤立感があるなぁと、なんだか呆れかえる私であります。

テクノフェア御礼

昨日は名工大テクノフェア、皆さま、有難うございました。また、スタッフの活動の素晴らしさに感動を頂きました、感謝いたします。まさに黒子の働き、感激で御座います。

年に一度のお祭りの一区切り。展示内容も年々濃くなり「コアテク」はいいなぁと素直に思うのです。多くの研究者がディープにテクノロジーを追求する姿こそ美しく、世界と競い合っているなと感じるのです。しかし、それが社会に出てくるということは何らかの形を纏わなければならず、その変化が難しい。自然にならうことが美しいのだと思っていたが、VRと真実の垣根が無い世界で育っている若者にとって、それはただの一側面でしかない。

今のところ原子核の周りに存在する電子の運動は抵抗が無くて良いという現象は解釈の仕方が変わってはいない。変わってはいないが量子力学が誕生して僅か120年のことだ。シリコン半導体素子を持ち歩くようになったのなんて1960年台からであって、こっちはたったの60年だ。それに液晶がくっついて指でなぞって。はて、次は何処に行くのか。

大型の金属加工物をいじっている限り、熱膨張からは逃げられないわけだが、妙に桁が多い数値の図面が機械の使い手を悩ませる。いや、苛め抜くと言ったほうがいいか。そんな作り方も変わるべきでしょうね。ものづくりと言えばJIMTOFがビックサイトで開催ですな。小生、日、月に出没致しますので、世界のものづくりを語り合おうではないですか。どうぞよろしくお願いいたします。

AIの現実

久し振りの土佐の高知ははりまや橋で、初はりまや橋体験のA君と共に「・・・・」。まぁ、私設の橋が由来ですからね。桂浜に渡る巨大な橋などと比べてはいけない。元国宝のお城など見ながら、国の在り様に「大丈夫じゃなさそうだ」感満載で戻ってきたわけであります。7時の飛行機で到着、8時過ぎの飛行機で帰名と、その後も会議だなんだと、いつ、魂が肉体を離れて不思議な世界に行くのかと思ってしまうわけですな。

何しに行ったんだと言われれば、国の命令としか言いようが無いのですが、これはお仕事のエビデンスを獲得するための全国会議とでも言いましょうか。国がオリンピックに入れあげていく中、どうやって大学を存続させようかと言う会議だったわけです。まぁ、泣き言は聞いても仕方がないので、有るべき姿を語ったのみですけどね。衝撃だったようですよ。知ったこっちゃない。

基本は、天下国家が進むべきはこっちという、ベクトルを持っているか否か。間違っていようが、ベクトルは大事。重みをきちんと考えて方向性を持つ。それが「価値」に繋がれば良いということだ。価値に繋がることなく、過去のやり方だけを大事に守る方は、計算機の処理能力が人間を超えた今、存在価値は「全く」無い。

加工も同様だ。まぁ、多くを語る必要は全くないのだが、パッケージされて価格が付いているものを信じるのか、初学者の疑問に耳を傾けるのか。後者を取らなければ日本は等比級数的に沈下し、給与泥棒が溢れる国家のレッテルを貼られるだけだ。ジェネラリストなど要らない。本当に要らないのだ。AIが居ますからね・・と、国家的方から直接伺った。思っていた通りの国になっている。そういうことだ。