挑戦の時

社会の笑顔を会社として本気で臨んでいらっしゃるお会社ってやっぱり存在しているわけで、そんなお会社と共に笑顔を共創させて頂きたいと心から願うわけです。小生に「私が関わってきた会社なんだからプラスの評価を与えろ!」って暴力と共に訴えることを頂きましたが、小生はあぁそうですかと言うだけである。

天下にとって望ましいかそうでないか。小生は泣き言を聞く立場ではない。無いのだが、なんとかしろと仰る。世界はどんどん変わっていく。自らが変わらなければ。それは大学とて同じこと。ただただ「何をしたらいいのか教えろ」と仰る。それはさようならと申し上げるしかない。

一歩、踏み出しませんか。挑戦を始めませんか。Tier0、Tier1から図面が来なくなったから、やることないから、おまえ、上の会社になにか言えよという。これが日本の現状である。これが真実である。

申し上げたい。それを超えて新しいお仕事に向かって進んでいらっしゃるお企業は間違いなくいらっしゃる。挑戦とはなんと美しいことか。一方で、それを批判、否定するお企業もそれ以上にいらっしゃる。なんとおぞましい。そんなところだ。

本当に最新か?

再び引っ張ってどうすんだということで怒られそうですが、まぁ、JIMTOFのお話。金属、有機半導体などの3Dプリンタがじゃかじゃか出てきているかと思いきや、それなりの機械は旬が過ぎてしまい、ウルトラCは大企業が囲い込みをしている時代に入ってしまっているので、びっくり仰天新規というものは無いのですな。その点は刃物業界と同じ。新機軸は全くない。

むしろ、隣国企業殿は3Dプリンタなどどこ吹く風、トラックごと削りだすぜってな勢いで、どんな材料を運び込むんだというマシニングセンターの群れ。チーム日本が数十年掛かっていた造形を、この数年で成し遂げてしまう勢いにはため息が出ますな。それでいて精度が悪いわけでは決してない。う~む、流石としか言いようがない。

正直、3Dプリンタの進化には期待していたものがありました。ところがどうでしょう、隠し持っているというか、表に出てこない状況になってきていますな。10年以上前の半導体業界のような流れ。新しいことは表には決して出てこない。見た目の新しさで、他との連携を度外視し続けるこの国は何処に向かっていくのか。出し惜しみをしている場合か?

我が国企業も全社がこぞって世界に向かって新奇性を隠しているぞと言うことならば、まぁ、そんなことは無いのでしょうけれど、国際展示会でそんなことをする必要が何処にあるのか?限りなく厚くなる刃物のカタログ、しかし何も変わっていないのだな。そのうち、タンカー一艘削り出すんじゃないかという勢い。その方向に向かってはいかんですな。真面目に丁寧なものづくり。ゼロから進めたい、そんなところだ。

素材までも・・

大きな展示場を巡ってみて心底感じたのが、昨日も愚痴りましたが「日本か?ここ??」という状況になっていること。フェラーリにも採用されている凄い機械を造る会社は相変わらず凄いのですが、ここ数年「うわべ」の綺麗さにこだわってきた工作機械群は、なんだかうわべも負け始めた気配である。IoTだなんだ言ってましたけど、海の向こうの企業の皆様にとってはそれが当たり前。完全に置いてきぼりの日本感満載ではありました。

丁寧なお仕事の方々もいらっしゃって、それはそれで嬉しかったですな。まだまだこれからだぞというところなのですが、新参者が受け入れられない機械の世界。海外にもっていかれないかと心配は尽きません。屋上の臨時屋台村はほぼほぼアジア食一色。

材料を扱う会社が以前に比べて格段に増えていた点も気になります。それもあちらの国々が大半。素材から一気にもっていかれてしまうと、ものを創る技術も無くなっていく。半導体分野において窒化物半導体が最後の砦と言う雰囲気でありまして、工作機械でいうならば「強い素材」の原料群が一網打尽とやられていたことに衝撃を受けた次第。

ものづくりの大学として今、何をしていくのか。焦る必要はないといつまでも言っていられるのかしら?常に待ちの姿勢で打って出ない。それが身の丈というならばそれで良いのでしょうけれど、本当にそうか?そうではあるまい。じわじわと起爆していかなければならない。「今でしょう」という衝撃。それが今年のJIMTOFでありました。

JIMTOF

2年おきのJIMTOF。自らが関係仕事をしていないと行っても無駄な展示会ではありますが、国際会議以上の内容があり「現状」を知るうえで必須の集まりですな。ビックサイトを単色で埋め尽くす凄まじさ。まぁ、同様にコミケさんが同じ様にビックサイトを埋めてしまうのだから凄いと思う。今日も一日、様々な分野のモノづくりに浸ってこようと思う。

サービス産業によるGDPがモノづくりを圧倒している今ではあるのですが、更にこの先、一体どうなるのやらです。今回もますます海外からの出展が増え、展示していらっしゃる方も日本の方なものだから、最後の最後に「ありゃ?」となったりして。日本は大丈夫かいと真剣に思う。

部品だけ作ってアッセンブルとサービスが出来ないこの国は、一体、何をしたいんでしょうね。その傾向は今回も全く変わっていないのです。まぁ、お江戸に来ると、これ以上何を作るのかと感じるのですが、それでも今のサービスが快適とは思えないわけで、どんどん進んでいくのでしょう。妙な付加価値を付けて、ツールの拡散を妨げるのはやめた方が良い。

結構、大きなホテルだけれどもWiFiが無いとかね。信じられません。こんな状態でオリンピックを迎えるのでしょうか。なんとも恥ずかしい国だなぁと呆れるわけです。ほんの小さなことかもしれませんが、孤立感があるなぁと、なんだか呆れかえる私であります。

テクノフェア御礼

昨日は名工大テクノフェア、皆さま、有難うございました。また、スタッフの活動の素晴らしさに感動を頂きました、感謝いたします。まさに黒子の働き、感激で御座います。

年に一度のお祭りの一区切り。展示内容も年々濃くなり「コアテク」はいいなぁと素直に思うのです。多くの研究者がディープにテクノロジーを追求する姿こそ美しく、世界と競い合っているなと感じるのです。しかし、それが社会に出てくるということは何らかの形を纏わなければならず、その変化が難しい。自然にならうことが美しいのだと思っていたが、VRと真実の垣根が無い世界で育っている若者にとって、それはただの一側面でしかない。

今のところ原子核の周りに存在する電子の運動は抵抗が無くて良いという現象は解釈の仕方が変わってはいない。変わってはいないが量子力学が誕生して僅か120年のことだ。シリコン半導体素子を持ち歩くようになったのなんて1960年台からであって、こっちはたったの60年だ。それに液晶がくっついて指でなぞって。はて、次は何処に行くのか。

大型の金属加工物をいじっている限り、熱膨張からは逃げられないわけだが、妙に桁が多い数値の図面が機械の使い手を悩ませる。いや、苛め抜くと言ったほうがいいか。そんな作り方も変わるべきでしょうね。ものづくりと言えばJIMTOFがビックサイトで開催ですな。小生、日、月に出没致しますので、世界のものづくりを語り合おうではないですか。どうぞよろしくお願いいたします。

AIの現実

久し振りの土佐の高知ははりまや橋で、初はりまや橋体験のA君と共に「・・・・」。まぁ、私設の橋が由来ですからね。桂浜に渡る巨大な橋などと比べてはいけない。元国宝のお城など見ながら、国の在り様に「大丈夫じゃなさそうだ」感満載で戻ってきたわけであります。7時の飛行機で到着、8時過ぎの飛行機で帰名と、その後も会議だなんだと、いつ、魂が肉体を離れて不思議な世界に行くのかと思ってしまうわけですな。

何しに行ったんだと言われれば、国の命令としか言いようが無いのですが、これはお仕事のエビデンスを獲得するための全国会議とでも言いましょうか。国がオリンピックに入れあげていく中、どうやって大学を存続させようかと言う会議だったわけです。まぁ、泣き言は聞いても仕方がないので、有るべき姿を語ったのみですけどね。衝撃だったようですよ。知ったこっちゃない。

基本は、天下国家が進むべきはこっちという、ベクトルを持っているか否か。間違っていようが、ベクトルは大事。重みをきちんと考えて方向性を持つ。それが「価値」に繋がれば良いということだ。価値に繋がることなく、過去のやり方だけを大事に守る方は、計算機の処理能力が人間を超えた今、存在価値は「全く」無い。

加工も同様だ。まぁ、多くを語る必要は全くないのだが、パッケージされて価格が付いているものを信じるのか、初学者の疑問に耳を傾けるのか。後者を取らなければ日本は等比級数的に沈下し、給与泥棒が溢れる国家のレッテルを貼られるだけだ。ジェネラリストなど要らない。本当に要らないのだ。AIが居ますからね・・と、国家的方から直接伺った。思っていた通りの国になっている。そういうことだ。

同じ自分だけれども

時には本拠地を離れて、遠い島国に来るのも良い。とか何とかいうと、橋で繋がっているぞと怒られそうだ。その橋の確かな構造には驚かされる。コンクリートの柱を海中に建てるのは勿論なのだが、柱がまっすぐに地球の中心に向かって立っているその確からしさこそ日本の凄さだなと、本四連絡橋が出来た時に感激した。今でもあの橋を見るたびに驚かされる。ゴールデンゲイトなどの世界の橋も凄い。あんなものが良く出来るなと感激する。

そんなことを言うとピラミッドはどうしてくれる、マチュピチュやインカの遺跡群はどうしてくれると直ぐに言われそうだが、まぁ、そんなにいきりたちなさんな。金属加工だって凄いんだぞと仰るでしょうが、加工される側から接触する刃物を考えたことがありますかと尋ねてみたいものだ。あると仰るかもしれない。でも恐らくないでしょう。そんな状況に世界は今ある。

様々、変わらねばならない。意識を変えなければならない。する側からされる側に意識を転換しなければならない。常に上から目線でこうあるべきだと高圧的な方のなんと多い事か。みんな弱者だ。一人で強い人間なんていない。虎がひとたびじゃれつけばあちらの世界にご招待ってなもんだ。弱くていいじゃないですか。みんな弱いんだもの。

高知は2年ぶりかしら?はりまや橋は相変わらずのがっかり度日本一だが、まぁ、そのがっかりを楽しみに眺めてしまう自分に苦笑いだ。飛行機の眼下に見える海岸線は神様が創ったものだ。だから美しい。人工物にも美しいと言わせてほしいが、それはなかなかにして難しい。便利は有難い。それを目指してしまう。しかし、本当にそれで良いのか。魂の底から湧き上がる「何かをしたい」という想いをぶつけたお仕事を創って、そして参画したい。今日を頑張ろう。そう思う。

陰口は必ず聞こえる

新幹線などと言うと、多くのお企業殿が「関係ねぇや」と威張られる。成る程、威張るのですね、ほうほう、世界ははるかにあなた方よりも「圧倒的」に技術が高いというのに。これを先日、諏訪にて感じた。東海地域のTier2,3ほかの方々、図面を形に換える能力で、大学人を馬鹿だのなんだのおっしゃってこられましたが、ほう、そうですかそうですか、まぁいいか、いずれわかることだ。

歯車が百億回廻って一回ずれる加工と、永遠にずれない加工と、世界がどちらを求めているか、宇宙船を下町が飛ばしている今をみれば明らかなこと。それを「私たちは凄いんだ」とヒステリックに叫ばれる。誰も求めない。それを直視できないのであれば、もう、消えるしかない、いや、世界からは消えている。

同様に、大学教育も同じことだ。天下万民を導かせて頂く教育に挑戦しない人種は消えれば宜しい。当然である。小生などはその急先鋒である。無用の短物である。長物などと己惚れない。工学人でありながら、食料自給率20%台を許してきた学者など屑である。申し訳ない。

要するに我が国は食えない国である。威張ろうが何を叫ぼうが「お前の国には飯をやらん」と言われたら干上がるのだ。それが日本だ。それをひっくり返そうとすると「邪魔な奴」と言われる。国から以外にも足元から言われる。まぁ、無視はしますが、うるさくてかなわん。それが我が国であり、プラスチックが小腸に絡みつき、絶滅する人種であろうとは思うが、それにあがなうことこそ小生の役割と思うのだが、まぁ、陰口も聞き飽きたので、どうしようかなと思う私であります。

時代は進むのに

地域振興と土地の方々の利便性がマッチすることは極めて稀である。新幹線が通るたびに在来線が廃止、もしくはその軌道から特急などが消えていき、遠距離の旅行客だけがハッピーになって「観光立国実現の方程式の解」みたいにもてはやされる。新幹線が通るまでは来て欲しいオーラを出しまくり、いざ、来ることが決まると、やっぱり在来線もそのままにせよという日本人の変わり身の早さだね。

列車が停まる・停まらないというのは正に死活問題で、公共交通機関が無くなってしまった結果、ゴーストタウンになるのは世の常である。利用者が居なければ営業活動が成り立たないのだから、それは必然と言えよう。新幹線の駅の周りに引っ越そうと思ったとしても、そこはもう、計画の前から購入者が決まり、そして価格は一般民間人の及ばぬところに行ってしまう。それが日本という国だ。

たまたま新東名を走ったのだが、これは大動脈の東名高速の非常時道路とも言え、このパラレル化は実に素晴らしい事業だと小生は思っていたりする。土地の利害関係は置いておくしかないのだが、大動脈の梗塞などはあってはならないことだ。それを回避するためにも様々な工夫が成された巨大事業であり、凄まじい税金が投入されていたとしても納得できる代物である。あくまでも「小生は」ということだ。一般論ではない。

土地の必然性をもった商材を作るとすると、それが活きる地域に運ばねばならぬ。超精密な歯車などが諏訪圏で出来たとしても、それを活用可能なシステムを製造可能なエリアに持ち込まねばならぬ。そうなると様々な物流が必要になるのだが、貨物列車をうまく活用できれば良いのだが、それだけでは厳しいものが現状ではある。国家は、人が住むところ、そうでは無いところ、ヨーロッパの如くに大ナタを振るう時期にきていると感じる。それが真に故郷を思うということになるのだろうけれどなかなかにして難しいだろう。新幹線問題を見てそう思った。

「ほっ」っとするもの

おニューの新幹線って電池だけで走っちゃうんですね。架線が切れても大丈夫と言う超特急はなかなか素敵ですね。これなどは正に日本のお家芸というか、災害が多くなってきた現状を踏まえ、架線が切れて走るというよりも、災害時の基地として働けるということでしょう。これは極めて心強い。全ての鉄道車両に求めたい機能ですな。どんどん作り込んでいって頂きたい。

AI関係でついつい計算機って方向に開発が向いてしまいがちですが、農業や医療に関わるモノ作りもどんどん精緻化していって頂きたい。勿論、家庭における「ほっ」も重要な課題で、断捨離された中に「ほっ」が存在するとおしゃれな空間になりそうです。そんなデザインも日本発のモノが欲しいものだなぁと思うのです。偉大な「ベジデコサラダ」などは、おしゃれ空間の姫君と言っても過言では無かろう。世界に通用する稀有な存在だ。

尿から癌を診断する、水素をマイナスイオン化する、そのような素晴らしい技術が市場進出を待っているわけだが、相当のお金が掛かって実現しているのは事実ですね。革新的研究にお金が行っていないという文科省の主張は、正しいとは言い切れない気もするのです。だから様々に努力を重ねて一歩一歩進んでいくのが大切。どこかで花開く、それを地道に進むということなのだと思う。

生活空間の中にあるすべてのものを放り出して、生活苦にならないように再配置していったら、本当に必要なものはどれだけ部屋に帰ってくるだろうか。そう思うとき、科学技術と生活の「ほっ」は必ずしも一致しないけれども、国際競争力、即ち、外貨を獲得して国際的国家であり続けるためには、世界的研究と、それを商材化するストーリー構成力が必要だと実感する。今週も新たなモノづくりをしたのだが、すでに金曜日。今日出来ることは明日に伸ばして、ちょっと一息つきたい私であります。