ものづくりのセキュリティ

新聞等で半導体不足が叫び続けられていますな。二つの側面何だと思いますが、ローテクを使い続けて、今の半導体では切り捨てられたレガシーにしがみついているというところと、国内で作れないという二点でしょうね。前者は結構多いですよ、壊れない古い技術というのは大切なんですが、儲からないから作らない。作っても安くしか買わない。これは後者が悪だと考えます。だって必要と言っているのに、安くしろって変な話だ。GDPは上がっても幸せは下がるというのは国としておかしかろう。

ものづくりの現場において、ほとんど無視されるセキュリティという問題も大きいと思う。コンピュータ制御された工作機械など、例えば一加工工程で1μmずつ誤差を盛り込むプログラムが仕込まれてしまったらどうだろう。携帯電話等の精密機器では大きな誤差だ。それが積み重なったら「もの」にならない。無限の不良を出して、ダメージは計り知れない。制御のセキュリティという観点において、専門家は殆ど居ないし、居ても論文になりにくい世界だから、研究者としても活動が難しい。すると人も育たない。

論文を出したら、クラッカーは大喜び。それを使って新しい悪さをする。それを助けることになるから、制御系のセキュリティの世界研究者は論文を出しにくく、そうなると評価されない。すると研究者が居なくなって、制御系のハッキングを防げず、ものづくりが成立しなくなる。高額で雇用されるべき方々の働くところがなくなってしまう。CIAみたいなところにはいらっしゃるんでしょうけれど、本当に欲しいのは市政の中である。居るべき人の居場所が無い。

半導体を形にしていくなんてのは、ナノ・サブナノメートルサイズの制御だから、こんなところをいたずらされようものなら、世界が転覆する程の破壊力を持ってしまう。専門人材の継続した育成は先進国家の務めなのだろうけれど、世の中に殆どいらっしゃらない現状は極めて危うい。ものづくりをソーシャルで考えると、そんな人材育成が必須であることが見えてくる。ネットワークのセキュリティだけでは無い。DXを叫ぶならこんなところにメスを入れる必要がある。

取り敢えず進みますか?

これから新しい思考の積層を作り上げる人達は美しい。しかし、多くの場合が、あれ、それって、過去に出会った記憶があると、まぁ、その程度なんですな。ごめんなさいね、ほんとに、何と言うか、世界の論文レベルで言えば0.2くらいなのかなぁ、そんなもんで威張って、科研費のBを獲得したから、人事をなんとかしろってねぇ、そりゃ、無理だって。この国で褒められても、世界の定規でみたら何もしていらっしゃらないのですねってなる。

じゃぁ、自分はどなんだって言われちゃうとね、それはとっても厳しいわけで、いや、そんなこともないかな、世界の特異点的な研究で、いろんな人が集まって来ることが大切。自己満足では無くてね、社会的に図抜けていることが大切。ソーシャルエンジニアリングって言うかな、そのレベルにおいて、世界の頂点が良いな。「私は凄いのだ」と、世界基準で0.2とか出されてもさ、そりゃぁ、いかんて。

いや、本当に戯言なんだけど、小生が辿ってきた歴史の上からは何にも言えないかもしんないけど、加速器があって、電解があって、なぁんて、まぁ、真面目にやってましたよ。本当にね。血反吐をはきながら。でも、残念ながら、吐いていないのですよ、血反吐をね。だから、なんというか、「あぁ、良かったね」って、地獄を見たことの無い方に、何を言っても、そりゃ、無駄ですよね。

結局、底なんですよ。投票する人が4割台から上がらない。そりゃ、為政者は適当になりますって。国民が腑抜けなんだもん。それでは次の衆議院選挙で投票率が8割を超えるか?超えて欲しいね。何がどうなっても、国民の意識を見せて欲しい。人生の中で一度でも良いから、みたいよね。まぁ、この国だからね。スタートアップとか言っているけどさ、パソコンでコードを書くだけでしょ。真面目にモノづくりしてみなさいよ。まっ、無理だな。

前進しましょうよ

創造という行為を止めてはいけない。人に与えられた偉大なる能力であるから。組織の停滞を感じたならば、抜本的構造改革が必要であって、それに取り掛かり始めたわけだ。DX後の姿も楽しみだしね、苦しむより楽しみながらの改革が宜しい。痛む部分は小生が被れば良いから、気が楽である。かなり改革を進めてきて、そろそろステップかな、ジャンプにはまだまだだけどね。要するに前に進み続けるということだ。失敗の度に強くなってくる。それを実感出来るところまでは来たかな。

自分の足元は見えるんだけど、人の足元はさっぱり解らない。何が言いたいかと言えば、ここ数年来の国土の脆弱性は何故にというところだ。巨額の税金が投入されて立派な道路整備が成されているわけだが、まぁ、豪雨に弱いと言うか、こんなんだっけと、その分野の皆様に激怒されそうなんだけど、なんかなぁと実感している。土木工事の日本ってイメージだったんだけど、それが打ち砕かれている。私の心の中のお話ですけどね。

特にモラルというか、倫理と言うか、技術者倫理って何処に行っちゃったんでしょう?先日の熱海の盛り土だって、産業廃棄物を押し固めてあったと言うではないですか。水道にそんなもん埋めたらどうなるか。産業廃棄物処理問題って古くからあるんだけど、未だに悪用と言うか倫理レスな活動が続いているんですね。電気関係だと、太陽電池の発電効率をちょろまかした巨大企業が消えちゃったりとか、液晶ディスプレイの世界的リーダーだったのに、これまた外国企業になっちゃったりとかね。半導体なんかもうボロボロでこれも極めて危うい。電気も駄目、土木も駄目、どうなってしまうのか、この国。

やっぱり教育です。それは間違いなく。ただ、教育って百年の計だから、JABEEよろしく、アウトカムズベースの人作りに取り掛かったとしても、実るのは2,30年後ですからね。即戦力!なんて期待されるけど、世界の競争の中でじわじわと自力を上げないといけないわけで、日本製品が世界に行き渡るなんてのは遠い未来のお話か、永遠に来ないかどっちかだろうなぁ。自動車頼みだったのに、自動車に関わる半導体すら外国任せだったもんなぁ。コストは大切なんだけど、国土の中から、例え高価となっても「それは出来ます」ってなってなきゃいけないんじゃないかな。そのために日夜創造で改革、それで前に行く。今週もそれで乗り切ろう。そうする。

暗愚の想定

前振りになっちゃうんだけど、この時期、やっぱり梅雨のお話ですよね。一日中降っている。それでも名古屋エリアは激甚的振り方では無い。東海豪雨は凄かった。小生は転任してきたばっかりだったから「名古屋すげぇぜ」なんて思ったもんだ。こんなのが毎年来るのかって恐怖したけど、あれっきりだよね。日本という領域で見てみると、ここんところ毎年自然災害がやってくる。今年は人的災害も加わって国土の弱体化が目立つ。これって国土が弱体化したのではなくて、国民の知恵が貧弱になったのでは?

競争は正しくて、特にコモディティ化し始めた領域においては企業同士の戦いに任せるのが宜しい。お上は規制緩和か強化か、まぁ、適した範囲でコントロールするくらいで良い。それはバブルの前くらいで終わっていたルールだったのに、国の繁栄がものづくりからことづくり、そして場づくりにゲームチェンジし切っているのに、浪花節だよ日本人はとの如く、少子化を良いことに先住民族が過去のルールで国を引っ張った挙句が、首都における4回目の緊急事態宣言だ。緊急事態って、月例会だっけっか?

最近、漸く最終話まで行った進撃の巨人というアニメの、シーズン1の主題歌の中に「暗愚の想定、唯の幻影」という下がある。見事な表現で、時世を突いていて優れた表現と感心している。正に今の日本の姿を表現しているでは無いか。でもね、それだけではない。自らが関わる組織だって暗愚の想定なのだ。だってそうでしょう。国の中にある組織の集合体が国なんだから、国が暗愚の想定をしているなら組織も暗愚なのだ。例によってどっかの誰かは、垣根を崩して虚偽を真実に変えようと動き出したら、やっぱり何も失いたくない人達の「壁」が立ちはだかる。成る程ね。

地味に行くんですよ。派手は出来ないからね。東山の巨人のように、図体で攻めることが出来ないからね、もう、鶴舞らしく地味に行くんですよ。手近な小さなところからね。小さく産んで巨人に育てる。いやいや、今日のお話は、やっぱり東京第4回目の緊急事態でしょう。定常化した緊急事態ってなんだろうね。ワクチン打ちまくって、死亡率が下がったらGoToキャンペーン宜しく、国民の進撃を許すんではなかったのかいな?暗愚の想定とはこのことだ。全く元気が無くなってしまうが、本当にこの国大丈夫か?いやいや、まずは足元、身の丈をしっかり致しましょう。来週は天気予報に依れば何となく梅雨明けっぽい。それを期待しましょう!

貢献感を養いましょうよ

誰かと社会に幸をもたらす智恵を共創していますか?自分一人の考えなんぞ狭くて小さい。そもそも独善でしょ?「あいつは気に入らない」とか「言う事を理解しない」とか怒っているけどさ、貴方が思う幸せな状態って何ですか?与えられたお仕事をルールの通りに完遂することですか?人の知恵を取り入れて、自分の機能を向上させるとか、それによって人に貢献するとか、そんなことはどうでも良いのですか?

自分が持っている情報なんて大したこと無くて、それこそ世界から見たら塵にも満たない極微なもんだ。それをさも重大事の様に、神様に認められた存在の如くに言い放つ。なんと醜い事か。謙虚な伴走者で良いでは無いですか。人に納得して頂いてからが自らの価値の筈では無いのですか?

聴き力持ってますか?人として重要な機能だと思うのですよ。何を言っても聴かない人のお話は、結局誰も聴いていないですからね。お国のトップに居そうなんだけど、近郷近在に「規則だから」と言って音声遮断状態の方が大勢いらっしゃる有様の、何と醜い事で御座いましょう。

貢献感感じていますか?自分の意見をゴリ押しして何が嬉しいんですか?100%の他人を演じて幸せですか?人の笑顔を見てアンチ他人ぶりを発揮していませんか?そんなに人の幸せが嫌いですか?人が辛い状況で安心できるんですか?貢献で心の平穏と充実を感じる。そんな貢献感を養いませんか?・・なぁんてことを突然想った私であります。

自分を見ようよ

競争ってガキの頃から煽られて、その中に突っ込まれるわけで、他人と自分を比較して、競争関係に自分を追い込んでしまう。これは競争依存性という感覚なわけだが、この依存度が強くなってくると、社会の中において幸せは無くなる。他人が主人公で、自分が常に脇役になるわけだから当然のこと。勝ち組だの負け組だの、組みまで作って進んで負け組に入ったりする様になると、もうこれは御愁傷様と言わざるを得ない。

競争依存はまだマシかもしれない。競い合う元気は残っているからね。それが褒めて欲しいという承認欲求に依存する様になると恐ろしい。人を忖度せずにはいられない。これは哀れな依存症だ。1人で考え事すら出来ない。常に誰かが心の中に居て、その人に認めて欲しいとそればかりを願う。これも正に幸せ放棄であって、生きている理由すら小生には理解出来ない。

他人の問題と自分の問題を混合させて困り果てる奴。人が悩んでいることに腹を立てたり、悔しがったり。他人のやることは他人にしか理解できないわけであって、自分が悩んでもしょうがないけど、それでもやめられない。他人が何をどう思ってもしょうがないじゃない。だって、こっちが全力で頑張っていても、こちらを嫌ってくるような奴のことをムキになってどうすんの?100%の無駄だよね。

褒められなくても、認められなくても、無視をされても、理不尽に怒鳴られても、他人は他人で自分にはアンコントロール。だったら受け流すしか無いんだよね。精一杯の貢献をして自ら幸せと思うしか無いんだって。色々失敗して、後悔の連続にどん底の時だって、精一杯やり抜いたんだったらそれで良しとするしか無いんだって。自分は自分。達観である。

大雨がもたらした?

スマホが増えたから竜巻の観測事例が増えたみたいなものとは違って、土石流は後から分かる。被害という点では天空の気分で発生する竜巻と、人災も含めて起こる土石流と、まぁ、後者の方が人間の責任は大きいのだろうと思う。ご存知、熱海の土石流だが、これもスマホによる撮影が多方向から成され、専門家の分析精度が上がってくる。撮影、即、公開というのも恐ろしいお話だ。そこで直ぐに自衛隊などが動き出す機動力があっても良いのになと思ったりする。

巨大自然災害で人の命が失われるのが例年の状態化してしまっているのが恐ろしい。梅雨末期の年中行事となってしまってはかなわない。熱海のものはどうも土砂をそこに盛っていてそれが大崩れしたとのこと。それを聞くと「それをやった奴が悪い」となりそうだが、わかんないけど、行政がそれを認めたのだろうし、ハザードマップ的には土石流が発生してもおかしく無いところを宅地として認めていたわけで、そもそも論、誰が悪いんだなどと低次元のことを言っている場合では無かろう。

日本各地に土石流危険地域があって、毎年、雨量が飛躍的に大きくなって、大地がそれを保持しきれなくなって、人の命と共に崩れ去っていく様に、「何故続くのか?」と不思議に思わないか?政治家の皆さんはどうしようと思っているんでしょうね?既に住んでしまっているからほったらかそうとか、駅が出来たから宅地を増やして税収を上げる為にハザードマップ上で赤いエリアにも人を住まわせようとか?

東京都議会選挙の結果も違和感がある。オリンピックだとかコロナだとか、いろんなところで税金が様々使われ、それを議論する筈の占拠なのに、前回よりも投票率が下がったとかね。なんで政治に注目しないんだろう。国の行く末を考えない国民で成立している国家なんて、もうそれは国家とは言えないでしょう。大地の崩壊、政治の崩壊、何とかしなきゃとは思うのだが、まぁ、一人一人の行動からということで、自分だけでもちゃんと考えようと思う私であります。

天変地異に想う

自然災害とは何か、自然とは何か、それをこの週末に見た、そう、見たのでは無いか?50年、そこに住んでいらっしゃる方が「一度も体験したことが無い」と仰る。昨年の九州の豪雨災害の繰り返し、デジャブーである。それが熱海で起こる。これは凄いことだと感じる。申し訳無い言い方だけど、首都圏での通勤県内で土石流災害が発生し始めたということだ。これは国家機能停止のトリガが引かれたと言うことだ。多くの国民が、携帯電話によって記録された現実に、明日は我が身を感じたことだろう。それは正しい判断だ。

まだ、何とも言えないわけだが、上流に大規模太陽電池発電所のための「ハゲ山」が作られていた。衛生画像でも明らかになっていて、それは隠しようが無い。お上は「関係ない」と報道するだろう。それをマスコミは伝えるのだろう。思考を停止させてね。赤城文書の黒塗りが、最初から黒塗りであったとの如くの報道の様にね。そして、都の選挙の如く、投票に行かない人達によって国家は滅びるのだろう。いや、既に自律的治癒能力は失われている。他国が普通に持っている能力を自ら放棄していることがこの国の危うさだ。

何かをしなければとは思うのだが、最早、ものづくりだ何だというカテゴリで次世代産業を生き伸ばすことは無理だ。自動車?飛行機?工作機械?そんなものが数千万台販売される時代は消えていく筈だ。そんな資金も資源も、全く失われているのだ。しかし、人類は他国を攻撃するアンチ他国ツールは積極的に作る。これこそ、世界が「グローバル」になったら要らないんですけどね。この国はグローバルという単語を未だに拝んでいる。悲しいことだ。

各地で今回の熱海現象は発生しないのだろうか。濃尾平野のようなまっ平なところなら、まぁ、その確率は低いとは思うのだが、少しの傾斜でも惨事は起こる。ハザードマップ上、当たり前だと仰った学者先生だが、もっと大きな声で仰っては如何か?我々は学者の知恵にしか縋るものはないのだ。学者こそ人民の幸せの方向を決める。その筈なのだ。今回の事例もそうだし、過去の事例も学者が関与できたのか、出来たのにさせなかったのか?天下争乱の時に学者が関与できないのであれば、学者の価値はゼロだなとは思う。もう少し、学者が生きる道は無いものか?天変地異に学者の価値は全く無いなと、自虐的笑いが漏れる私であります。

人種転換

梅雨末期の長雨状態。これが無いと水不足になって、山紫水明の我が国の元気が無くなるから、これはこれで我慢しないといけない。線状降水帯の発生は困るけど、長江の巨大ダムが原因とも言われる九州地方の豪雨。ローカルエリアの気象条件まで変えてしまう人間活動の凄さだよね。ホモサピエンスの移動に伴って多くの動植物、そして先人類が絶滅したわけだけど、これは今のホモサピエンスにも当てはまる。何かが生まれてきたら絶滅するのだ。

今の日本人類は環境順応型であって、チームで動いて指示者とそれを受ける者の依存関係が強く、大勢に実に速やかに順応していく。摩擦や軋轢なんて以ての外、意識レベル(知性レベルって言いたいんだけどね)の変革なんて起きない。見てごらんよ、非常事態宣言が解除されたら、途端にニューノーマルなんて忘れている。何もコロナウイルス云々では無いのだ。折角、時空を超える手段を手に入れたのに、それに磨きを掛けずに放棄する。

ボツボツと現れ始めているのが自分なりに進む方向を定め歩むことができるタイプ。諸外国では生まれながらに受ける教育なんだけど、国際的視野を持った人達や、既にそうやって生きている人達に影響されて気が付いた人が、自己主導型に切り替わりつつある。外圧に負けて環境順応型に貶められて鬱になっている若者を見ると悲しくなる。正に悲しい大人になっては駄目だって、駆け寄って背中をさすってあげたくなる。

ただね、世界はもうそれは突破して意識する矛盾を受け入れて、複数の視点も許容して、自ら変わっていく自己変容型人間の時代になっているのだ。お互いがお互いの為に存在し続けることで、社会を導くために世界に目を向けることが出来る人類の誕生、全ての人が潜在能力を発揮している状態を良しとする人類。その人類がメジャーになった時、現行の環境順応型人類は駆逐されるのだ。その瞬間を待ちわびている私であります。

何でも出来る?

出来る人って本当に何でも出来てしまうんでしょうね。どんなことにもちょっかいだして、口をはさんで。凄いですよ。代案出さずに否定するとかね。きっと何でも出来るんでしょう。一人組織みたいな。恐らくなんだけど、ジャングルみたいな山の尾根を一人で歩いていて、どちらに進むか迷った時に「こっちに行こう」って決断は、ひょっとすると出来ないタイプに「何でも出来る人」っていらっしゃるような気がする。生き死に掛る時こそ決断の時であって、火の粉が及ばない距離にいらっしゃるにも関わらず、風だけは送ってくるみたいな。

会議なんかに出現するんですよ、何でも出来る人。国会答弁なんかそんなのばっかりなんだけど、まぁ、あれは仕方が無いかなと諦めている。そうでは無い人達がどんどん端に追いやられる不思議な現場だから、こんな議論で税金の使われ方が決まるんだと、TVや新聞を見てため息をつくばかりではあるが、何でも出来るひとの猛威は凄まじい。気が付いたら領土が減っちゃっているのかもしれない。情報まで抑え込んでしまうからね。

もう一つ、何にもしない人というカテゴリもある。お願いしてものらりくらり、いつの間にか見えないところにいらっしゃる。姿は良く見えるのですよ。存在していることはアピールしたいのでしょう。しかしてその実態は存在のアピールのプロであって、ワークミニマムを実践する作業のプロフェッショナル。最早、DXで消えている筈なのに、何故かそこに存在している。

恐ろしいのは何もしないのに何でも出来る状態にある人。この人が現れると会議は霧散、生産どころか破滅に向かう。年に1,2度だけど遭遇する。逆に何でも出来て何もしないというパターンもある。この方こそ必要な人物で、お願いをさせて頂くと、方向を示して頂ける。こちらの技量を慮って、成長する程度に上方修正を掛けながら方向性を示して頂ける。素敵なんだけど、聴覚鋭くアンテナを高くしていないと見逃してしまう恐れがある。人との出会い、微妙であり、人生の機微の楽しさ。それを楽しみたいが、なかなか難しい。そんな時代なのかもしれない。残念だけどね。