昨日のことだが、久しぶりの風雨に驚いた。ここ数年、暴風雨に見舞われなかった名古屋地域だが、日本海を進む台風進路の右側に位置すると、自然の猛威にはかなわないのだなと実感させて頂いた。伊勢湾台風の被害映像などがTVでは流されたわけだが、その時の様子を伺ったことがあるのだが、台風一過の惨劇をはっきりと覚えていると仰っていた。海洋水温の上昇に伴って、より大型の台風が日本を直撃してくるだろう。インフラは大丈夫だろうかと心配になる。

自動車に限らず、軽量化が推し進められてきているわけで、強度と言う観点で言えば「大丈夫」ということにはなっているわけだが、それは出来たばかりのフレッシュな素材で行われている検査であって、現場で活用されるようになった時、その強度がずっと保たれるかどうか不安である。重厚長大を尊ぶわけではないが、それなりの頑丈さと言うことを求めるためには、素材の量も必要になってくるだろう。

連休の初日の土曜日に樹齢1300年の巨木が林立する、神社に詣でてきたのだが、その森の安心感と言うか、神々しさと言うか、ただただ圧巻である。縄文時代の遺跡から9千年も前から人が住み始めた場所と言うことであったが、延々とその地に人が住み続けている場所にふさわしい森を体験し、近代化とは無縁の営みに感動した。もちろん、現代の環境整備が行き届いているからこそ、人が近づける森になっているわけで、人と自然との正しいお付き合いの姿とはこういうものだろうなと実感した。

歴史が受け継がれるというのは、こういうことなのだろうなと感じる。日本においては弥生時代になる前から、人々の共同生活という形がしっかりと遺跡から読み取ることが出来ている。自然への畏怖から山岳信仰が自然と発生し、山を信仰してきた古代の祈りの場も拝見できた。今のように情報が得られない状況において、台風などの災害は神の怒りに感じたであろう。それは今も昔も同じではないか。人間は進化どころか退化しているだろう。どこまで退化していくのか。恐ろしい。

火中の栗を拾う

円安がどんどこ進んでいて、オリンピックも賄賂まみれで、我が国の品位もどんどん落ちる。英国の故女王陛下の国葬に並列させて、国内で反対意見も大きい中で強行しようとするとかね。それまでにコロナのカウントは極力減らし、病人だらけだけど安心な国とか言うのだろうなぁ。ものづくり地域と言っているけれど、EV化によって使わない技術がどんどんと出てくる。国内の人口が減るわけだから内需は期待できなくなるわけで、それでは国外に販売できるものづくりが出来るのかと言えば、出来るのだろうけど、安く見積もられている国の製品を買いたいと思うかしら?

安かろう良かろうの時代では無い。海外では給料がそれなりに出されているから、高くても買えるから良いものを買うということが世界の趨勢だが、我が国では安かろう良かろうが延々と続く。意識の高い生産者は当然の事ながら、フェアトレードして頂ける国に良いものを送り出している。この国に残ったものが安く買えるということは、要するにそれなりの出がらししか残っていない国と言うことだ。その流れを断ち切らねばならない。

簡単では無い。従前のピラミッド型ものづくり社会においては、価値あるものの図面が降りてきて、それを求められる材料で三次元化し、どんどん川下に流していくわけだ。利益と製品を川下に流していって、与えられるのは次の図面である。そこには挑戦と言う考え方は全く無い。図面が与えられる間は危ない橋を渡らない。渡らないうちに、橋が落ちていることに気が付いたら、はい、それまでである。誰も助けてはくれないね。

敢えて火中の栗を拾わねばならない。弾けるかもしれない、それはリスクだが、弾けたら中から美味しい栗の実が出てくるわけだ。リスクもあるけど美味しさも出てくる。拾わなければ何も無い。栗を拾えないのは、拾ってもどうしたら良いのか分からないからだ。どうすれば良いのか分からないという状態にあったら、そこからオープンイノベーション、大学に駆け込むのが宜しい。その時に勘違いをしてはいけなのは、自らに知恵を付けようとするなら、ゼロ円と思ってはいけない。知恵をリスペクトする方には開かれた大学である。お越しください。

閻魔帳に思う

義理と人情を測りに掛けりゃ義理が重たいなんとかよという歌がありましたな。この義理も人情も大切にしてきたのが、日本の経営の根本だったと思うのですよ。弥生時代に「みんなで田植え、そして収穫」って登呂遺跡を拝見して、凄いものだなと感心したことを思い出す。病気になって寝込んだり、怪我で田植えに参加できない人も居たでしょう。それでも運命共同体として一緒に暮らしていたのでしょうと「勝手に」想像している。実際のところどうだったのか解らないけれど、労働力は貴重だったはずで、仲間外れをしている余裕は無かっただろう。

DX云々は当然の状態であって、それからはるか遠くにある日本の現状をバランスボールの上で大臣殿がどう思っているのか知らないが、AIが活用できるデータを創り出す体制にとっととなって頂きたいと思うのだ。円安がどんな影響を及ぼすか、世界の経済学者は日本に警鐘を鳴らしているのに、日本国内からはそんな悲痛な声は聞こえないし、大略5%未満の企業は円安万歳なんだけど、そう思っているアンケート結果の公表なんか無いしね。これからどうしようという時に、データが無い国。う~んである。

で、義理と人情のお話がここに出てくるのだけれど、当然の事ながら経営と言う観点においてもDXは正しい状態であるべきだ。こんなことを言うと義理も人情も無い奴と言われそうだが、組織全体を潰してしまったら、それこそ義理も果たせない薄情者となるわけで、そうならないようにするために、様々な観点からの情報が欲しいと願うわけだ。いろんなアナログな声が飛んでくるわけで、それはそれで正しいわけだが、それを異なる視点の客観データで比較検討すると「そうでもないな」となったりすることもある。勿論、ごめんなさいということもある。容易では無いのだ。何せ原資が限られているしね。

それとあからさまなジョブ型雇用としているわけではないというのも、デジタル的人物評価が難しいということになりますな。とは言うものの、人情で押してこられることを「はいそうですか」とは言えない現状ではある。その昔は「声がでかい人」、「根回しが激しい人」の意見が通っていたわけですが、今の時代はそれをやると間違いなく組織が崩壊しますからね。組織の人の幸せを願うわけだけれど、それを獲得することの難しさである。鳥の目、魚の目、虫の目とは良く言ったものだと、なかなか到達できない境地だなとDXに頼りたくなる自分に苦笑いである。

タイパ

タイムパフォーマンスを「タイパ」と呼ぶことを新聞で読んだ。恐るべき短縮であり、説明が無いと分からない。曲において、イントロが長いと歌手の歌声に到達するまでに飽きられてか呆れられてか、その両方か解らないが、聴いて頂けないらしい。そんな曲作りが成されているとは恐れ入った。数年前に、技術を紹介するYouTubeビデオを作って公開した時に、情報系のお偉いさんから「そんなに長いものは誰も見ないよ」と言われたことを思い出した。それは単に長さの指摘であったのだが、いわゆる「サビ」がいきなり飛び出してこないと食いついてくれないという事だろう。

食料品のマーケットにおいてもレジ待ちが長い店は敬遠されて、それが短くなる工夫が成されている店の売り上げが伸びているとの事。店側からすれば、お客様が商品を獲得して駐車場の車まで到達する時間を短くさせる工夫が必要だということだ。某国のエリー湖畔にあるジャイアントイーグルなんぞ、ナゴヤドーム4個分くらいある駐車場に停めて、商品を購入しようなんてことは、お若い方々は絶対にしないのだろうなと、「タイパ」を読んで思った次第。

映画も倍速で見るとか。そうなってくると芸術作品の在り方も随分と変わるのでしょうな。直感出来るものが流行ってくる。旅行なんてどうなのでしょう。どこでもドアが無いと旅行しないとかね。まぁ、確かに出張などはそれでも良いが、計画をして、観光地まで行って、そして帰って想い出にふけるまでが旅行なんて考えないのでしょうね。GoToキャンペーンを使っている年齢層を知りたいものだ。価値の獲得までの時間を如何に短縮するかが、購買行動に繋がっていそうな気はするが、それって楽しいのか?

良品廉価納期短縮は自動車業界のキャッチフレーズではあるが、そうやって汗水たらして働いて作ったものが、あくせくあくせくと使われて、直ぐに飽きられて中古マーケットに売却されて、どんどんと値崩れしていく様を見たら、どうなのだろうとなんだか虚しくなってしまった。そんなことを思いながら、自分で書いた会議のト書きを見たら、ちゃんと「概要を述べますと」と20秒で何を話すかを語ろうとしている。短縮イントロは人の有り様の縮図だったのだなと思う反面、思うような曲を書けないアーティストは大変だなと、恐らくだけど、そんな話に左右されずに、自らの主張をきっちりと通す本物だけが残るのだろうと、短縮行動は自らの旬を短くしているだけなのだろうと、「タイパ」を眺めて苦笑いする私であります。

思い切る

CO2の排出量を削減しましょうと地球のあちらこちらで言っているわけだが、それは先進国がやたらと工業化というか、便利を追及してきたからで、工業化が進んでいない国々が、そのあおりをうけて、激しい台風などに襲われているのはとんでもないことだと思う。太陽電池云々と、あたかもエコみたいなことを言うが、巨大な重機で地べたを掘って、太陽電池が出来てからでは獲得できないほどのエネルギーを使って、酸化ケイ素をケイ素に換えて、それからも大きな電力を使って漸く太陽電池だ。

勿論、それだけでは無くて、色素太陽電池とかね、省エネルギーで太陽のエネルギーを獲得する方向に変わってきてはいるのだが、今まで、宇宙空間に反射されていた太陽エネルギーを地球に閉じ込める方向に向かうんだよね。現在、沖縄方面に集中的にやってくる巨大台風を見ていると、そんなに太陽エネルギーを地球に閉じ込めて良いのかなと思ったりもする。先日の精密工学会のお話もそうなのだけれど、一体、何処に向かって研究が進んでいるのかと疑問に感じてしまう。

CO2を出しませんというのであれば、現在、ロシアが「化石燃料を敵国に渡しません」と、まぁ、敵と味方という単純二元化路線でいくならば、エネルギーを供給しないというのは戦術として正しいわけで、それを良いことに、もう、ガスは燃やしませんとかね。それくらいの工業的変革があったも良いのではと思ったりする。そんなことをするとガス会社が潰れてしまうとか、そんな意見もあるだろうけれど、地球温暖化云々を言うのであれば、それくらいの英断が必要である。

思い切る。これはなかなかにして難しい。しかし、やらなければならないのは間違いないわけで、それは何も地球規模に限らず、足元の小さな組織でもそれは言える。時の為政者の英断で変えられるところはある。理屈をきちんと説明して、決断することもこれからますます必要になる。旧態依然の組織から無くなっていく。そんな気がする。

学会にて

先週のことで申し訳ないのですが、精密工学会と言うところで関係者が発表したわけですよ。本来、新潟大学で開催予定であったのですが、ご存じのコロナ禍の第7波のお陰でウエブ開催となって、小生もバックヤードでエールを送るくらいのことが出来たわけですな。当然というか、参加者は皆さん慣れていらっしゃって、質問の手もどんどん上がる。小生の関係者に対してやたらと上がる。知らんぷりされるよりずっと良いのですが、上から目線の的外れな嫌がらせみたいなのはどこでもあるのですな。無事に終わってほっと一息ですよ。

お話の一つの柱が、そろそろダイヤモンドを使った加工から卒業しませんかというもの。ダイヤモンドは永遠になんて言うのは女子を飾るものだけにしておいて、欠けた時に膨大なエネルギーを発生させたり、化学反応性がやたらと高く、金属表面を破壊しまくるダイヤモンドは加工にはふさわしくないのですよというのを、実験データで証拠固めをして出したわけですが、その業界においては「ダイヤモンド命」の頭がダイヤより硬い連中がそろっているもんだから、襲ってくる襲ってくる。それが面白くてやったんですけどね。

シリコンカーバイド単結晶の研磨の時もそうだったのだけれど、数年間、同じセッションに出し続けて信者を増やしていかないと正しい科学は広まっていかない。やっぱり地球は回るみたいなもんで、直ぐに「あぁ、そうですね」なんてならないのはアインズ様同様想定内。ただ、これから学会活動も難しくなってくるので、どうしたものかなぁと。ただ、学会で批判を頂くというのは有難いもので、やっかみはほったらかしますが、耳を傾けるべきだなという内容も頂けるのですよ。謙虚に受けとめて次につなげようと思うわけです。

何はともあれ、真剣に研究して、実験データを積算して、何度もやってみて間違いなく出来るというか再現することを精選してお披露目していくわけです。今まで誰も発表していないことを面白がってやるわけで、聴衆が騒めいているというか静粛になってしまっているというか、それがとっても楽しい瞬間ですな。生きている限り挑戦は続けたい。そう思った私であります。

国家安

どんどん円安が進んでおりますな。政府と日銀が結託して外国人が日本で買い物しやすくして、モノづくりとか複雑な思考をするよりも、手っ取り早くギリシャ方式で観光だけで経済を回していこうとする安直さがにじみ出ておりますな。ガソリン代のアシストは、そろそろ限界が見えてきたようで10月末までらしくて、そうなると、国内の一般民間人の皆様は、移動は10月末までとなるのかなと思ったりもする。まぁ、ハワイで一日20万円も使って平気な国民の皆様は、ガソリン代なんてへっちゃらなのでしょうね。書斎に閉じこもって書類と格闘に明け暮れるとしよう。

昨日の日経さんだったか、博士を増やせない国は亡びる(そこまで言っていないけど、戯言らしく大袈裟にしないとね)ということで、それは我が意を得たりで嬉しかったりもするのだが、博士を取得して、仮に大学等で研究職を得たとしても、博士の指導(博士号を認定できる)が出来ないとか、いつまで続くか解らない丁稚奉公をさせられるとか、海外では当たり前の研究室を持てないとか・・これでは研究者になろうなんて思わないわな。

企業に至っては、4年生卒業者以下の扱いですからね。地獄を見て(とても大切)、やっとこさっとこ博士号を取得できたと思ったら、暗い未来が待っているという現状、日経さんが「博士を増やせ!」と号令を掛けても、それはまぁ、無理なご相談ですね。海外からの意欲のある留学生が日本の学生の承継枠を埋めて頂いているのが現状。国に戻れば明るい未来が待っていますからね。科学技術立国云々言いながら、その実、その旗手を国家で育てようとはしていない。出先機関に丸投げ状態だ。まぁ、ニンジン的毒まんじゅうは頂けますけどね。

9月って、国際会議や国内の学会が数多く開催されているわけです。勿論、優れた発表は数多く、論文賞を獲得された内容を拝見すると素晴らしい研究内容ばかり。新奇なもの、発展性のあるもの。発表される機関は様々だが、国の未来とは言わない、企業におかれましては自社の未来を見据え、川下企業から与えられる図面を待っているだけではなく、自ら社会の笑顔に関われる商材づくりに挑戦しませんか?そこには閻魔様と騙しっこをして鍛えられた博士人材がお役に立ちますよ。「視野が狭くて使えない」とか仰いますけどね「使えるだけの思考力が無い」だけでしょ。人ですよ、本当に。円がこのまま240円に戻っちゃって、プラザ合意をまたやるのかななんて思ったりして。泣ける。

がんばれ考

危機に瀕している人を、その状態から脱しさせようとするのであれば「がんばれ」ではなくて、恨まれるようなことを言えと、大昔に中学校の先生から教わった。その先生は先の大戦経験者でいらっしゃって、「暁の脱走」と、中国から命からがら逃げてきたことを授業中に語って頂いた。鉄兜を突き破って、頭部を弾丸がかすめ、はっきりと覚えているが、頭部に真っすぐの切り裂いた傷跡を御持ちだった。その方が「こいつを担いでいたら共倒れだ、後30m先に塹壕がある。そこまで自力で移動してくれれば」という状況で、ここでは書けないような事を言って鼓舞されたとのこと。

今の時代にそんなことをやろうものなら、言われた側は鬱になり、言った側は裁判でさらし者。従業員は逃げ出し、集まらず、そして離散していくのでしょうね。「がんばれ」って言ってはいけないと、どこぞのセミナーで言われたのだが、つい「頑張ってますか?」とか口から出ちゃいますな。頑張って欲しいと願う事も許されない気風になってきていると感じる。その人個人の能力を尊重しなさいって。そうなってくると、就職活動と言うか、雇用する側から見てね、本当に大丈夫かとAIを引っ張り出したくなるのだろう。

雇用される側においても、人に判断されるより気持ちが良いという声もあるそうだが、これはネット情報だから怪しいものだ。いや、就職活動に熱心な人に尋ねてみてもそう言うのかもしれないが、それは本心では無いかもしれない。こんな考え方に行きついてしまうと、何を信じて良いのやらモードに陥っていく。人の意見を聞きまくるという事になるのでしょうけれど、その意見は本心かそうでは無いのか?疑心暗鬼に陥ってしまう。先述の先生は「自分は生きて故郷の土を踏むのだ」というゴールを設定して、嘘か本当か関係なく、ゴールに連れて行ってくれる発言だけを信じたと仰った。

ゴール設定はこうありたいという願いの根本の自らのビジョンから創り出される。他人がどうのこうの言おうが関係無いのだ。「私のビジョン」を信念として持つ事。ビジョンを高め、そこに向かって何をするべきかを考えることは、自らに「がんばれ」と言うに等しいのだろう。いや、もっと凄まじい表現なのだけれどね。どうも小生が生きてきた時代と、様相が変わっているなとマスコミ報道を見るにつけ思うのです。そんなことで良いのかなと、諸外国の中高年の怯えが度が過ぎている気がするのです。こんなモノの良いようでも怒られそうだなとは思いますが、まぁ、戯言ですからね。

目減り

インバウンド増しか我が国の活性化はあり得ないと思っている政府なんだけど、円安にしておけば海外からじゃんじゃかお客さんが来て、海外の方々にとってはお安く感じる不動産や高給化粧品などがどんどこ売れる。なんだか地方が活性化しないのが問題だとか言っているけれど、マーケティングもろくにしないで円安インバウンドを期待しているのですかね?コロナ禍前と後とで世界の思考が変化していることに対応していない。他国に無い景色はゴーグルの中で十分に楽しめる。でも、海外の物件や比較しながら自分を磨くツールは使ってみたいからね。ご来訪頂ける。

一般ピープルは殆ど関係無いと思われるかもしれない学術誌の価格。日本語の論文誌はとても優秀ではあるのですが、海外の方で読まれる人は居ない。日本でも当然そうで、読んで頂こうと思ったら海外の著名な雑誌に投稿する。掲載されると数十万円のお値段を支払って出版して頂くわけだけど、それがとんでもなく値上がりしている。円安だから当然ですよね。親方は研究力を強化して、著名な論文に掲載されるように研究せよって簡単に言うだけで、それに掛るお金を文教予算で何とかしてやるとかは決して言わない。電気代が上がれば分析装置を動かすのも大変だ。

円安で喜ぶ方々が多いのは当然だ。日本のシュリンクした市場を相手にしても仕方が無いからね。それは決して否定しない。一方で、円安になって、弱い立場の学者の事など、お持って頂ける人もいない。これはシュリンクしては居ないのだけれど、じわじわとその活動を蝕んでいるのは間違いないのだ。文教予算は変わっていませんよと仰っている状態では、実は目減りしていることになるのだ。新奇の装置を購入しようとすれば、それはほぼほぼ海外のベンチャー企業の図抜けた商材だったりする。日本で出来ないわけでは無い。でも挑戦しないのだ。挑戦しない企業で働きたいと願う学生など居ない。結果、海外に流出していく。

チャレンジャーが居なくなる。円安の効果はそんなところに出てくる。我が国の技術がお隣で軍事転用されるから、研究の管理をしっかりせよと言う。一理あるが、研究者の繋がりと広がりがあるから世界は平和になるという考え方も許されると思う。そして、日本の技術のほうが上だという妄信がそんな発言をさせるのだ。リアルに優れた論文が沢山出ている諸外国。西洋から目指すのはジパングでは無くアジア諸国だ。将来の友人として選ばれなくなっている日本。それが円安の正体だ。

尖がれるか?

全ての職業において、ジョブ型雇用になっていくのでしょうね。それをしみじみと感じるのです。研究者は研究に専念ということなのでしょうけれど、国力が無い時代において、それぞれの大学が同じようにというわけにはいかない。事務組織の在り方も大きく変わっていかないといけない。他の部署が誰をどのように幸福にしているのかを理解しつつ、自らも同様に、自らが存在しているから誰かがどのようにか、変化していくという実力を持っていないといけない。自分は何が出来るという自己評価は意味が無い。他社に依る感謝、尊敬の在り方が、ジョブ型の結果である。

親方が要求していることに、学内の研究成果をベンチャーを通して社会に還元させろということがある。学生でも良いのだが、いずれにせよ、研究成果を起業を通して社会実装せよという。技術経営の知識などゼロの人達だから、そこは国がお金を出してトレーニングをしますからねということなのだが、そのトレーニングをする人達が、小生から見ると旧態依然の方々で、まぁ、米国の有り様などを見てきたら大丈夫、任せなさいということなんでしょうけどね、任せられるものか。

研究の在り方も、ふわっと何にでも応用できますみたいなアウトプットでは駄目で、誰か・何かが明確にこう変わりますという、達成すると明らかになる目的が明示されていないといけない。そこが、大学のミッションによって変化するところなのだけれど、何処の大学が好き勝手やって良いという時代も過ぎ去っていく雰囲気だ。親方に従わなければ「さようなら」を言われる時代。徳川幕府と外様大名の関係性みたいなものだ。徹底的に力を持っていないと、会話すら出来ない。

先日の小学生の希望就職先というネタがあったが、何を職業にさせて頂くにせよ、何処かの大学を卒業したから企業に就職できるということでは無くなっていくだろう。単に知識や経験がありますというだけでは、それは「過去の人なのですね」とレッテルを貼られる為の自己アピールに過ぎない。挑戦する意欲、学び活用する意欲、そして何よりも快活に行動できる健全な肉体が必要となる。学び活用する意欲に応えるプログラムもそれぞれの大学に必要になるだろう。組織そのものがジョブ型になっていく。そんな時代を実感している。