先生の理科教室

科学館で理科好きの先生になって頂きたいと言う目的で先生向けの理科教室が開催されます。そのお手伝い要員で社会貢献日であります。ほんのすこしでもきっかけになって頂けたらと思うのです。プログラミングも良いけれど、何を成し遂げるためにそれが有るのかを考えられないと、単に宇宙語で会話するだけになってしまいます。先生が楽しくないと受講する側にとっては苦痛のみ。

大学の授業も同様なのですが、聞き手のやる気が最初から無いというパターンもあり、聞き手のスペクトルが広過ぎて、かなり厳しい時もあるのですが、こちらは研究と言うある意味ゴールに向かう最低限の知識の醸成を目指すと言う事で、寝ている学生さんに合わせることは絶対にしない。特に選択科目ではそうなりますな。

自分がガキンチョの頃を思い出すと、磁石に砂鉄がくっつくだけで喜んでいたわけで、理科だかなんだか、そんなカテゴリはどうでも良くて、自然の現象を勝手に面白がっていた、そんな状態でしたな。気が付いたら電子スピン共鳴だのなんだのと、喜んでいる人になってしまっていましたな。

色んなご依頼があるのですが、これからの方々の自立を支援する方々の自主的活動には頭が下がります。それを当たり前と思うか、素晴らしい努力と受け止めるかで社会の有り様が決まるのだと思います。それこそ文化であり、本当の努力にはこうべを垂れる。そんな文化的日本になって頂きたいと思う私であります。

マジンガーZは日本オリジナル

小学校5年生だか6年生だか、超合金Zを身に纏い、金属の塊に人の命を加えると、未来を創るロボットになるという、まさに、我々の行動指針そのものの旗頭を立てて、マジンガーZは頑張ってくれていた。その夢のロボットをぱくっておいて、おら知らねぇだと言い張る連中に、国として何も批判しない。それが日本である。国民が不利になっても助けない。それが国か?

当選するための悲惨さを肉親から聞いているが、国民の知恵と勇気を泥棒されても護ってくれない国家であるならば、もう、それは寄り添う先ではない。何かを言えば、官僚の皆様は大声を、いや、猛烈に黄色い声を上げて、自らの正当性を主張して頂ける。マジンガーZごときで云々叫ぶなと言うことなのだろうが、世代の憧れへの全否定をやられると、それは、やっぱり疲れる。

マジンガーZは偉大なヒーローで、ロボットというか、合体というか、人協調という点において先進のロボットであったことを否定する者は居るまい。ロボットに人の心を加え、新たな命を創りあげる。余りにも感動の曲面、極地である。

しかし、加えるべき人の頭脳が、700万年前と変わっていかなったとすると、これはもう絶望的である。みなさん、挑戦しましょうと鼓舞させて頂いたとて、なんのやる気もない日本企業が何をすると言うのか。それでも2社ほど、本気のお会社が見えた。それで良い。そう感じる。

ワイヤレス

ワイヤレス受給電技術の進化は著しい。携帯電話などは元来、ワイヤレスで使うものだから、受給電だってワイヤレスが望ましいに決まっている。そうなのだが、これがなかなか難しい。抵抗を持つ金属に周波数の高い電磁波を送り込むわけだから、当然のことながら発熱する。発熱要因は他にもあるのだが、目玉焼きは出来ないけれど、発熱は火災に繋がり、極めて危険である。その危険をどう回避するかで次のiPhoneの出荷時期が決まるらしい。

たかが電源、されど電源。身の回りにある電力を消費して稼働する機器には、パワーエレクトロニクス用半導体が多くの場合入っていたりする。交流を直流にしたり、その逆をやったりと、なかなかにして賢い代物だ。発電所と機器を繋ぐ、ラスト1cmの働きをしてくれる。日本の強みでもあるのだが、昨今はTIなど、海外勢が極めて堅調で、いよいよもって日本の優位なエリアが無くなってくるなぁと、寂しい限りである。

イヤホンと言うかヘッドホンは既にワイヤレスが当たり前になっていて、当初の妙なノイズ感もかなりなくなってきてかなり便利を味わっている。化石な小生は、先日、漸くFMトランスミッタを車に積んで、iPhoneに貯め込んだ音源を走行中に聞けるようになった。ワイヤードではやっていたが、やっぱりケーブルは無くしたい。その思いでやってみたら、これがやっぱり便利である。CDと違って無限に存在する音源を、交換することなく聞き続けられるのはなんとも極楽である。

この極楽さこそ価値であって、2千円程度の出費で実現できるのだから素晴らしい。説明書がなんだか分からなかったのだが、こんなところかなという感じでいじっていたら動き出した。こんなものも恐らくはより賢くなって、設定も自己完結してくれるように進化するのだろう。人間はどんどん馬鹿になるのだが、その分、機械を考える人は賢くなるのだろう。机の上のケーブルが一本でも減ってくれたらと、そんな日にとっとと来て欲しいと願う私であります。

7月が終わります

気が付けば7月が終わってしまう。小学生達の夏休みは残り一ヶ月しか無いということだ。その昔、もう、思い出せないくらいに昔だが、一ヶ月はやたらと長かったような気がする。夏休み以外の一ヶ月のお話だが。つい先日、お正月という状況であったはずなのに、既に7月が終わるとはどういうことだ。何らかの締め切りを毎日抱え、締め切りが積分されて、完全なマヒ状態だ。宿題と違うのは解くべき問題も自分で考えねばならぬことだ。大人が生きることはとても厳しいと、ガキの頃は分からなかった。

与えられて解く。機械と材料があって、買ってくれる人が居るから何かを作る。それが未成熟社会の有り様だが、成熟社会になっていくと、なかなかもってそうはいかない。10万個の部品の発注は今日までねと、上位の会社に言われれば、もう真っ暗闇。これは小学生には無い出来事である。真っ暗闇感覚はあったかもしれないが、それでも向こうに灯りが見えた。

見える灯りが無いならば、自らが灯さねばならぬ。それが大人の世界というものだ。むしろ、灯りが無いからこそ、進む価値がある闇である。闇に出会うことは素晴らしい。誰も歩んでいない世界ならば、どんなに恐ろしく、危ない領域であっても開拓するべきである。誰かが行ったら付いて行こうなどと悠長なことは言っていらっれない。進めば良いのだ。

ただ、無理はいけない。無茶は良いが無理はいけないのだ。無理を通せば道理が引っ込む。命の道理を引っ込めてまで無理をしてはいけない。無茶は笑えるが無理は怒りと憎しみだけを連れてくる。そんなもんだ。

台風一過

名古屋の南東部地域に限って言えば、急ぎ足の風台風というところでした。様々な地域で大きな爪痕を残した台風でしたが、先の破壊的大雨の記憶も新しく、国民の自然の驚異への備えのレベルが上がったようにも感じられる報道が少なからずありましたが、なんでまた?ということも無きにしも非ず。自然の猛威には勝てるはずが無いのです。Google Mapでも何でも良いので、地球全体を見て下さい。そこから自分の足元を見て下さい。どうやって、この大地に勝てますか?

太陽の猛威も凄いですな。日曜日、お昼少し過ぎまでは晴れて暑く、ぐんぐんと水蒸気が上がっていて、これは来るなと思った矢先、土砂崩れのような雨が瞬間降ってきました。本当に瞬間でしたが、これが最近の気象現象の姿と、2,30年前とはまるで違う空の景色に、ある意味、見とれてしまいました。地学部を作って気象を学び見上げた空とはまるで違う。多くのセンサ情報をネットで見ていられるから、多少の安心感を得ているものの、これが全くの暗中模索であったならと恐ろしくなる。

それにしても名古屋地域と言うところは、希な水害はあるにせよ、台風という輩の直撃を見事に避ける、天然の要害だなと、熱田大地に名古屋城を築いた先人に敬意を表しますな。淡水があったところに人が住み着いていったわけだが、西暦2,300年には既に熱田の南に拠点を持っていたことにはなっているが、古墳などの状況を考えると、もう100年くらい新しいような気もする。宮崎から来た一族ではあろうが、3本の大河を要し、肥沃な平野と海は極めて貴重な領土となったことだろう。

昨夜は台風一過の澄んだ空に大きな月が現れて、昨夜の大風のことなど、それこそどこ吹く風、過去の出来事など思い出させることもない。昨日のことを思ってしまうのが人の常だが、猛烈な勢いで世界は進んでいる。その流れはあるものの、やはり丁寧に一つ一つ仕上げていく気風は忘れてはならないと、訪れた大転換の機会をどのように捉えていくか。再び灼熱の一週間の初めに思う私であります。

台風12号が来ます

台風が来るかもしれないと書くのが良いのか、台風の影響を受けそうだと書くのが良いのか。意識したことは無いのだが、後者の方がこの週末は適していそうだ。シミュレータの高度化によって、かなり細かい雨量予測が出てきているが、まだまだピッタンコというレベルでは無いから、予測を鵜呑みにしての行動は危険である。

先日の大水害から左程日にちが経っていないので、先の罹災地のありようがとても気になる。愛知県はほぼほぼこの数年、巨大な災害には見舞われていない状況にあるが、今回の進路予測では進行右側にあたるので、どかんとやられるかもしれない。高潮にも注意しなければならない季節であるからこれまた気になるところである。

台風というよりも、やはり思い出すのは名古屋の大水害であって、大学から一歩も出られない程の、滝の様な雨は忘れることは出来ない。今回は台風であるので、広範囲に降り続く可能性があり、川の上流での雨量によっては排水処理能力を超えるかもしれない。そうならないことを祈るばかりである。

土日であるから、宿舎に籠もっていれば良いのだろうけれど、まぁ、読書でもしていようかというところである。温暖化の影響で海水温が高く、日本に近づいてもパワーを落とすことの無い台風。名古屋近傍までパワーアップし続けてやってくるだろう。要注意である。名古屋では夜半から雨になる予報である。早めの帰宅が肝要である。

火星に水

火星に安定して水が存在するのだそうだ。氷点下68度だけれどもカルシウムが高濃度に溶け込んでいて液体の状態で存在しているのだそうだ。火星は一度も大衝突を起こしていない、初期太陽系の姿を残していると言われているが、と、なると、太陽系が出来た時から既に水があったということになる。極めて愉快な結果で、なんだか、そこいらじゅうに生命なるものが存在して居そうな、そんな気配である。

宇宙がどうのこうのという前に、砂漠をなんとかしろというお話もあるが、NASAの地球環境状況報告がとても面白かったのでご紹介である。1880年以降の30年平均気温から、現在、大略0.8℃の平均気温上昇が観測されている。その原因がなんなのか、様々な憶測が飛び交っていて、温暖化ガスなんて関係ないというお話もあった。小生も太陽活動の「たまたま」元気な時期にあたったのかくらいに思ったほどだ。

様々な観点から、太陽の元気さ、即ち、太陽から届く光そのものの影響、火山活動の影響、森林伐採の影響などが個別に評価されて、結局のところ、これらは関係ないということが極めて明瞭に定量化された。そして、確実に影響があると出てきたのが温室効果ガスの影響である。平均気温の上昇カーブと、大気中の温室効果ガスの上昇カーブがぴたりと一致するのである。

ただ、これとて自分で観測したわけでは無いから、ガセネタなのかもしれないが、まぁ、そうだろうなと納得するしかないのだろうなとは思った。カリフォルニアでは50℃を越える気温が観測されているが、日本の40℃の夏は来年も確実にやってくるということが学術的に証明されてしまったとも言える。火星の氷点下68度の涼しい環境とは裏腹に、地球では灼熱の夏が続く。人為的だということが恐ろしい。人類は耐えられるのか、それが妙に気になるところである。

間もなく量子コンピュータ

窒化物半導体製品製造拠点が東山の大学に出来た。関係各位とお話をさせて頂いたが、こんな機会に出会うことは普通はあり得ないと、中堅研究者が語ってくれたことが妙に嬉しかった。極めて希な機会に出会うことを、当たり前と思わずに、感謝に転換していくことが出来る資質は、持って生まれたものだろう。言って育つものではない。

努力で身につくものとそうでないものがある。それこそが個性であって、もしも他人への嫌がらせという個性でなければ、それは尊重されるべきだ。訓練して身につくものは、恐らく2,3年でやってくる量子コンピュータの時代になれば意味を成さなくなる。仕事のあり方は劇的に変わるだろう。規定を作る等、人工知能に任せれば良い。つまらない講義の担当も同様だ。暇になりそうだ。

この量子コンピュータの出現も折角の機会なのだと思っている。天気予報はますますもって外れなくなり、様々なビジネスが産まれるだろう。予測では無く、未来を決定してくる。タイムマシンである。プロ野球などは練習風景を学習させたら期末の結果を出してくれるので、無駄なTV中継などが無くなって良いかもしれぬ。

要素技術を製品に展開していくことは、開発力を失った企業群にとっては、これまた良い機会であろう。要素研究は借り物でやって、商売は自力でやる。少しは競争力が増すように思う。今のところ、さほどの性能では無いが、そんなものは直ぐに解決することを歴史は語る。安いから異物同士を組み合わせる。出だしはそうだ。しかし本物がやってくるとそれは淘汰される。歴史の通りだ。

火星

地下鉄の駅から南に向かうと、間もなく最接近の火星がでかい。前回の最接近の時にも意識していて「でかい」と思ったのだが、久しぶりに出会う近くの火星は月にはそりゃぁ負けるが真っ赤にでかい。人工衛星が地球が出来る頃をイメージできると想定している小惑星に近づいて、電波で情報を送ってこようが、肉眼で見る、一度も再衝突を経ていない、原始太陽系の状況を維持する火星を、例えやたらと遠いところにあろうとも、肉眼で見る迫力の素晴らしさである。

考え事をしながら空を見たら、それこそギラっと赤く輝く火星に目を奪われた。皆既月食という天体ショーを間近に控えた月の煌々たる輝きも、滅多に近づかない火星の煌めきに比べれば当たり前感が極めてでかい。人間の行いが如何に小さい事かと苦笑いである。最接近というわけではないのだが、その日に出会えるかどうかはわからないので、ここ数日、意識して空を見上げるのが良い。

星々は昼間も無くなっているわけではなくて、太陽に隠されて肉眼で認識出来ていないだけなのである。あるのに無いと認識しているだけ。人はすぐに他人を批判するが、それは自分の目に自分が写っていないだけのことであって、自らが見えないから、見えるものを批判してしまう。賢者は自らが見えているから反省しかない。

肉眼で隣の星を大きく感じるのは普段は月くらいなのだが、火星が「ばぁん!」と大きく見える様には感動する。いや、小生は感動するというだけで、馬鹿じゃないのと思う人がほとんどだろう。宇宙は偶然の産物であるが、それが輝いて見える時、同じ光源の下に存在している星同士なのだと思うと、なんとも美しさを感じるのである。孤高であること。、かくありたい。

背中合わせ

ほんの少し前、恐らく先週だったのではなかろうか?仮想通貨が世界の当たり前になり、コンビニを中核として、公共交通機関が発展していったら、洗濯も食品も保存なんて概念が無くなって、常に新鮮な食品流通に向かって、そんでもって医療費が削減・ゼロ社会になるんじゃないの?とおしゃべりをした。もしも保管庫が必要であってもそれは食材を放り込んでおいたら、ネットに接続された環境で、コンビニでビール買って、宿舎に着いたら冷蔵庫でピザが焼けるみたいな。

そうしたら既にあるんですね。Heating and Freezing at a Timeですと。常日頃、実感しているのは何かを思いつくと、世界で同時に3名が思考し始めて、ゴールに到達した奴が結局は勝つって図式。このスピード感が完璧に皆無、所謂全くやる気ないってのが日本企業かな。挑戦ゼロの日和見主義。個人の影の努力が給与に反映されない日本型革新的労働環境。挙句に賭博で銭を使わせるくらいしか思いつかない。脳の退化が大好きなお国柄には呆れかえる。

何も、冷蔵庫がオーブンや電子レンジに成ることが日本から製品化されなかったからここまでぶぅたれているわけでは無いのだが、個人的には産業戦略工学専攻があった時代からしゃべっていたことなので、それが実現したのだから喜ばしいのかもしれないが、相反する出来事が背中合わせから面合わせになると、思いもよらないビジネスって出てきそうだなって思うのです。まぁ、冷凍食品の解凍を電子レンジで従来からやってきたのだから、破壊的イノベーションというわけでは無いけどね。でも本格調理ロボットの第一歩だなとは感じます。

目指すべきは医療費ゼロ国家だと本気で思う。産業自治を体験し、先進国と言われた国家が目指すのはそこだろう。人が人として助け合い、笑顔で過ごす社会のゴールの在り方だ。まぁね、人間がちょちょっと台所に立てば良いだけなんだけどね。その「ちょちょっ」がこれからどうなるのかなと思った時、背中合わせを顔合わせに変えていくことで生まれる価値って、頭を使う点において面白かろうと思っている私であります。