がきんちょと言っても大学生の頃だけど、アクセルってベタ踏みかオフかどっちかであった。ガソリンを使う使う!燃やしたガスを大気にまき散らし、迷惑千万。ガードレールを突き破ろうが、ぐるんぐるんと横転しようが止めないところが青春と言うことですな。周りの人達も同様であったからということもあろう。やんちゃな世界はやんちゃな四季の移ろいがあったということだと「勝手」に想い出にしている。
ガス欠にならずにいたんだから、どれだけの燃料タンクと供給源があったかと言うことでしょうね。それこそ思い出してみると、ガマの油売り領域には「研究要素以外に何も無い」のだから、研究でやんちゃをするしか無かったのだ。余計な事が無いわけだから、エネルギー効率は高かったのかもしれない。それがマルチな活動を要求されるようになると、一つの失敗が他の足を引っ張ることを恐れるようになって不安と心配が先に立つ。これこそガス欠の元だ。
気になりだせば嫌な方向にのみ思考は傾く。頑張りすぎて体が動かなくなって焦燥感に襲われる。あれやらなきゃ、これやらなきゃとフルスロットルのアイドリング時間が長くなり、どんなに燃料があったとしても、あっという間にからっけつだ。365にあるファイルを何とか救い出さなきゃみたいなものこそ無駄な焦りだ。
未来を恐怖して過去を振り返って焦るんだけど、結局のところ、人間には「今」しか無いんだよね。第六感までも含めて全てを今に、猛烈に強烈に集中させて、今だけを想って一歩一歩進む。小生の言う一歩一歩の意味はそれだ。エンストしないで動き続ける、そんな働き方で良いのだ。きついなぁと感じたら、いや、本当は感じる様ではいけないのだけれど、深呼吸してみよう。小生もそろそろアクセルベタ踏みも限界にきているような、そんな気がすることもあるのですが、やっぱり床を突き抜けるくらいにアクセルを踏んでいる方が気持ちがいいなぁと、いきなり倒れたらごめんなさいの、私であります。