求む、活力!

いろんなことが変わっていく。コロナ禍がきっかけだみたいにマスコミ等々は言うが、日本国内がグローバル化に耐えきれなくなってやっと文明開化の入口に立ったのだろう。明治維新は天皇陛下を人質に取って、その権威で政治を行うスタイルだったわけで、それが未だに続いている。10万円のばらまきだって、結局はお金で票を買うという日本古来のしきたりに従っているだけだろう。そりゃぁ、お仕事が無くなった方も沢山いらっしゃる。国なのだから守らねばならぬ。しかし、守らなくても良いものまで守っているのがこの国だ。

自動処理が高度化すると職が無くなるとか、電子化すると職が無くなるとか。雇用の為の雇用になってしまっていて、国際競争力を高めるための雇用になっていない。とっくに無くなっていても仕方が無い業務、職がずっと残り、そして新人の活躍の場がなくなっていく。古典的文化は失ってはいけない。浪花節が嫌いということでもない。自分自身、それで相当に苦しんでも居る。しかし、しかしだ。DXを妨げる産業構造や学問を身に着ける時間を奪う就職活動という名の時間泥棒とかね。妙なところに稼ぎ口が出来ていて、間違った浪花節が歌われ続けているわけだ。

得体のしれないコンサルが幅を利かせ、古い商習慣を保つべく暗躍する。商社や大学のOBが謎の集団を作り、市場に悪の花の種をまきつづけ、日本の悪しき風習を保ちつづけ、自分達の食い扶持を作る。何と醜い事か。逆に、超技術とも言える手に職を持った方々は、活躍の場を与えられず、後輩へ技術承継もままならない。技術を失い、新しきを排斥し、そんな日本に何の夢があろうか。

結局はどんな国でも若者の活力の積分が、国のパワーとなるわけで、若者が減少の一途をたどり続ける国の有り様は、間違いなく無策政治家の責任だ。いつもここに議論が及ぶと、次の単語は政治家を選んだ奴が悪い、結局、自分達が悪いという事になる。本当は政治家や官僚になって頂きたい方々が海外に飛び出したりして国を離れていく。間違った為政者の判断で多くの知恵を失った先の大戦を、積極的人口減少で繰り返している様に見える。必要なのは質の高い教育である。それは何か。刮目して考えねばならぬ。

半導体だけですか?

昨日の日経新聞によれば、8年後には日本から世界の半導体へのコミットメントが、我が国ではゼロになるという。う~ん、イオン注入の創始者の研究室出身の小生からすると、背筋が寒くなる記事でしたよ。いろんな経済的なことが日経的に記事として出ていたけれど、人が外に行っちゃったということではないのかな?日本国内の薄給で、どうやって超技術を学び、そして実践できる博士課程学生を国内に繋ぎ留めろと言うのか。昨日の続きになっちゃうけど、博士課程学生を使いもしないで4年生卒業者が博士課程卒の年齢になった給与で雇用しますって、どこの国にそんな論理が通用するのだ?

半導体バリューチェーンの問題も、コロナ禍で顕在化してきたわけだけど、結晶作って、切って、磨いて、板にするところまでは日本は凄いですよ、品質的には世界のトップレベルにある。今のところはね。そして技術を向上させる、即ち、1ナノメートルプロセスを使えるために要求される品質を獲得しようと、様々なところから技術収集をしている。問題は、そこにちゃんと対価を支払わない事、ベンチャーだったらエンジェル資金を投入しない事。未来への投資が無いことだね。それは博士課程学生を雇用する事にも繋がるね。半導体産業に限ったことじゃないよね。

半導体の世界の中でのプレゼンス向上って半端な事では出来ないですよ。10兆円投資して100兆円の売り上げを出すみたいなもんですからね。日本は同業種間で人を取りっこして、技術と知恵を私物化して、結果として他者で生きる知恵まで死蔵していく。もう、そんなことをしている場合では無いですよ。企業の知恵者に実践教育にもっともっと入って頂いて、研究室にも参画して頂く、もっと言えば欧州の様に、博士学生に学費を出して頂きながら、給与も出して頂いて、企業の実践的開発現場で活動させるとかね。勿論、知的財産を囲わないといけないから、学位は企業での活躍ぶりを評価して頂き、それを地方大学として学位として認定していくとかね、新しい仕掛けが必要でしょう。

この新しい仕掛けと言うのがとても大切で、大袈裟なもので無くとも良いのですよ。公設試様などともタッグを組んで、地方自治体とも連携して、GDP向上に関わりながら博士課程学生に育って頂く工夫が欲しいね。モノが先か、人が先か、そりゃぁ、人でしょ。人がモノを創るんだから。AIが創造を始めているわけで、それを越える創造力、それは人に笑顔になって頂きたいと願う力。それが存在しているかどうか、それが大きくなるような初等教育であるかどうか、親の思考が出来るかどうか。日本が近い将来も、世界にプレゼンスを示せるとするならば、そんなところから変えることだね。100年後に結果が出る。そんなもんだ。

たまにはイノベーションを

大学生ということなのだけど、学生さんを社会のカスタマーとするとどんなカスタマージャーニーを想定して、大学はどんなサービスを提供できるのだろうと真面目に考えている。予算・研究施設規模から言うと、西の大国には逆立ちしてもかなわない。だからと言って諦めるわけには到底いかない。日本の大学に残された可能性って、大学単体で考えるのでは無くて、一つは企業に入ってから、イノベーションを担える人材として排出するということなのでしょう。でも、企業さんってイノベーションを社会に創出しようって想っているのかしら?日本の企業殿からそれを感じたことが無いのだけれど。

予定調和というか、弊社の規模感はこうで、ビジョンとミッションがこれだから、まぁ、こんなところで落ち着いた商品を出していこうというか、過去の改善結果だったりしてね。改革ってとてつもなく大変だからね。結局、エクスペリエンス型ものづくりから遠いところに存在してしまっているものだから、開発費用に対して実入りが小さくなって、そうなると、人材にもコストを掛けられず、じり貧モードに陥ってくる。

イノベーションを起こせる人間って、いろんなパターンもあるのでしょうけれど、思考手法を体得しているという点においては、若い内に博士を取得した人間を、海外のアントレプレナー教育現場に放り込んで、そして逆輸入してそれなりの部署で活躍してもらうとかね。どんなに挫折しても、失敗しても良いからねっていうのと込みで何かさせるのが良い。百発百中を期待というか、プレッシャーを掛けて、感動体験に繋がるサービスイメージなんて湧くわけ無いでしょ?荒唐無稽を許さない日本の気風がそもそもイノベーションから世界で一番遠いですからね。

縄文時代の火炎土器とか、室町時代の刀や鎧なんて、イノベーションの塊ですよ。大袈裟なものではなくて、なんか普通にあるのだけれど、それが無いと身もだえする程に残念な気持ちになるものってどれだけ身の回りにありますか?小生的には1924年製のクレデンザのプロトタイプかな?どうでも良いけど、そんなものですよ。高度専門人財では無くて、崇高な感動喚起人財ってところかな。教育現場だけでは駄目で、その知恵を活かせる社会とのペアで初めて生まれるのがイノベーション。箱だけ作って生まれるものでは無い。そういうもんだ。

日曜日にて

昨日、用事があって鶴舞大学に出掛けたついでに若干のお仕事を行った。お仕事と言っても研究だから、まぁ、お仕事と言っても良いのであろうが、やりたいからやるという点においては、あんまりお仕事的では無い。楽しみ以外の何物でも無いからね。朝の6時~7時45分までというのが平日の研究従事に確保出来る最大の時間だが、そこを有効に扱って、しかも月曜日のロケットスタートに繋げるには、日曜日の準備は極めて重要だ。働き方改革?研究にそんなものは無く、メンテナンスが必要な機械よりも動き続けるのが研究者と言う生命体だ。人間辞めますか、研究者辞めますか?とっくに人間は辞めている。

という考え方が35年前のガマの油売り大学にはあった。研究以外にやることと言ったら、入浴と洗濯、食事くらいのもので、睡眠なんてものも無かったな。やらされているものではない、徹底的に実証を続け一つの解を見出す。そんな生活を続けてきたので、日曜日に研究に関係する機器を見てしまうと、自然と明日の準備に掛かる。特に週の始まりにはロケットスタートが必要だ。どこまで打ち上げて、それが慣性で落ちた先が、先週の終わりより先に進んでいたら勝ち、後退したらそれまでの仮説が間違っていたということ。いや、勘違いかもしれないのだが、まぁ、そんなところだ。ところが昨今の大学の日曜日はゴーストタウンだ。

働き方改革で、大学のネットワークを超えて、お仕事のデータにアクセスは出来る。24時間、検証実験を続け、そこで生まれた膨大なデータを、新世代の研究者の皆様は土日に整理されているのだろうが、データを出したのが本人では無いとすると、数値の裏にある、現場における事実と言うメタデータを持っていないことになるわけで、正確な解釈など出来ないのだ。そこが日本の研究プレゼンスの低下要因そのものではないのか?山中先生は現場に戻られると仰る。流石である。

研究者は地球に育てて頂いている。人間のカテゴリであってはならないのだ。土日に休む?理解不能だ。データでは無い、そのデータをデータたらしめた思考がメタデータであり、メタデータを思考たらしめた現場における野獣性が新しさを生む。土日は休んで疲労回復?そんなものはあちらの世界に入ってからすることであって、生存しているならば自らと戦い続けるのが正解だ。とは言うものの、久し振りに日曜日に居室に籠った程度の体たらくぶりだから何も言えないが、自動機械のお陰で今朝には部品が出来ているだろう。ロケットスタート。目標目掛けて可能な限り高く打ち上げる。わくわくする。

餅屋が餅を作らない時代

研究という場において、そのスタイルは時々刻々と変化していくものだろう。最初の原子論をまとめたデモクリトスなどは、様々な現象を可能な限りの事象に基づいて纏めていった。師匠も居たが、独立独歩で、他者からの干渉がどれだけあったのかなどは今となっては解り様も無いが、分割できないものから全てが成り立っているという、まぁ、当たっていなくとも遠からずの、自らの結論を導いた偉大なる先哲でいらっしゃる。今の時代にそれは無いなと思うのだが、とても羨ましくもある。「それに没頭する」ことが出来る環境は素晴らしい。

まぁ、それはそれとして、現状はどうなのかなと思うのだ。それを支援する立場になってみて、多く、やはり「お籠り型研究者」が圧倒的多数なのでは無いのかなと感じている。しかし、例えば工学なんてものは、天が与えた学理を地の民に繋げていく役割を担うわけで、お籠り型で本当にそれで良いのかと疑念を抱き始めているわけですよ。研究成果が社会実装されなければならないなんて思っていませんよ。そんなことになったら、社会はモノで溢れかえってしまう。

基礎から応用までなんて、何とか学部が学理の壁を作っているかの如く、自らを縛ることも気に入らない。社会実装しようとすると、自らに足りない要素技術も見えてくるのだ。基礎を極めようとするなら、それを目に見える形に図面に書いて、ファブレス型研究者としてものづくりを外部に発注してみると良い。まず、出来上がらないから。あれが足りない、これが考えられていない、なぁんにも出来ないってことになる。恥を掻いて痛い目に遭って、漸く基礎が基礎で無かったことに気が付くだろう。そもそも警報ランプがついているのに、それを消すことも出来ない者が、研究者か?

ボタンが無いとデータを出せない、図面を書けない、装置の構成要素も説明できない。そんなことで良いのかね?旋盤、フライスを回せとは言わない。今、無い情報を獲得しようとしているのに、存在している機械に依存して、出来上がりのご立派な装置から出てくるデータだけで論文にしていって、それって既に古いんじゃないのと思うわけだ。年寄りが何か言っていると鼻で笑われるのだろうが、そんなところに日本の凋落があるのだと思っている。モノが出来なければビジョンと図面を持って外部と繋がるのが宜しい。餅は餅屋だ。でも最近の餅屋は機械で持ちを作る。そんな餅屋には世界発は無理だ。大丈夫か、日本?

大きくなるだけ

お仕事柄って言ってしまうと「嘘こけ」と突っ込まれますが、企業の皆様の雲上人とお話をさせて頂く機会を頂きます。昨今はDXやカーボンニュートラルが話題にならない時は無いくらい。その中で、企業様同士が連携したり、あるいはM&Aで事業強化・拡大、新規事業立ち上げを為さった事例を頂くのですが、それで収入が1千億円増えたとか、そんな話をお聞きしたことが無い。給料がちっとも上がらなくて、購買力が落ちまくる日本の労働者はどんどん増加するんだけど、企業が取り組む改革で、持てる喜びのある商品を入手できましたなんてお話は無い。

自治体がお金を市場に還流させるためにクーポン発行なんかするんだけど、結局、それって、税金の還流であって、自治体力が落ちるだけで、我が国の国際的地位が上がるとかそんなことは無いわけで、赤字国債が増えるだけという凄まじい国家の運営力だけが増すわけですな。いろんな論客というか学者さんが、それで良いのだとか駄目だとか言っている間にもどんどこ赤字国債だけは増え続けるわけですよ。その原因は外貨獲得力の無さに尽きると思うのですな。円安ドル高だけで輸出企業が潤っている今の体質を変えない限り、国際的地位は下がる一方。教育に回すお金なんて無くなるわけですな。

デジタル庁なんてもんが出来るのも、日本が如何に遅れているかという象徴だと思っているわけだけど、前にも言いましたけどDXとかね、いろんな補助金欲しさに盛り上がるけどね。世界から取り残された企業ですって自虐しているとしか思えない。これだけコストカット出来ましたとか、様々な記事を拝見致しますけど、「今更ですか?」とため息が出る。もっとも、足元の組織もそのそしりは免れないんだけどね。

中小企業さんが得意な力を寄せ合って、京都試作ネットよろしく、チームでお仕事を受けますなんてことをいろんなところで始めていらっしゃるわけだけど、それって、アンテナの高い商社マンが既にやっていらっしゃった事では無いのかな?看板を掛け変えた、あるいは加えただけで、社会の幸せとしてのOutcomesを作り出せる仕組みになっているの?社会の幸を生み出せるかの観点が無いよね。自分達に仕事が来ればそれで良い?GDPは変わりませんな。それは仕事のDXでも何でもない。そんなお話しか聴かせて頂けないことが残念でならない。悲しい事だ。

マイクロがよろしい

企業をリタイアされて、松坂屋の文化講演会を聴くが如くに趣味レベルで大学院教育プログラムに手を挙げて、入学を希望される方が後を絶たない。否定はしないが「得た知識を何に活用されるのですか?」と問うと「何かに活かせれば良いですね」のお返事。国の税金をそんなことに投入できるわけは無く、「次の方どうぞ」となってしまう。勿論、全ての方がそうでは無くて、「他企業に移るのだが、その為にこんな知識を専門的に身に着けて、企業の為に働く為に学ぶのだ」という方もいらっしゃる。それは素晴らしい事だ。目的を持ったプログラム構成になっているから、自らにそのプログラムを活用する方針があれば全く問題無い。

日本を除く世界中でマイクロレデンシャルやナノ・ディグリーという考え方で、「この専門知識を確実に身に着けたい」という者に対し、大学人が学理を基盤として、受講者に活用できる知識を取得して頂く仕組みである。海外では(こればっかり)、大学の学位の様なものでは無いが、実社会で活用するに十分な知識を得た者に対して、知識・技能を身に着けましたよと、社会が認定して頂ける形になってきている。我が国では例によって「そんなもん、あきまへんな」となっているわけだが、修了証では無く、修了証明としてその人物の能力を保証する仕掛けが海外ではまかり通っているわけだ。

こんなことを書いていると遥か昔に学位を頂いたと言っている自分が情けないわけだが、それよりも、最新の学問を実社会での活動に役立てる様に作られたゼミを受講して、その修了証明を獲得している方が当該分野で活躍できるのは自明の理である。尤も、こんなタイトルの学位論文を書きましたと威張る学者は居ないわけだが、企業の方が2年間若しくは3年間のプログラムを受講するのは時間的に極めて厳しく、また、学位取得が必須でもなければ、必要とする知識を四半期から最長でも1年で獲得できるナノ・ディグリーなどは優れた人材機能認定制度だなと思うのだ。

認定は大学でD〇合取得者が主催するゼミの主宰が行えば良く、最も得意とするところを秩序だって纏めた結果を提供することになるので、研究者側にとっても考えを纏めて次に繋げていく上でも実践的トレーニングとなる。双方Win-Winであって、受講者が社会にもたらす機能から生まれる価値を考えれば、それこそ三方良しである。実践で得た問題を自ら打ち破る機能を身に着け、それを社会に還元する。大学のお墨付きよりも研究者のお墨付きを尊べる風潮がこの国に生まれるかどうかは解らないが、世界ではとっくにそうなっているんだけどなぁと、つまらない思いをしている私であります。

名誉ある地位

我が国の大学の、明治の際の存置理由として、国際社会で我が国が名誉ある地位に立てることが挙げられていた。開国から本格的に西洋列強の文化を学び、それを取り入れながら、自国の「人」を育てる仕組みとして、明確なKPIを持っていたわけだ。帝国大学というポジションである。官立であり、西洋の政治家と丁々発止していくわけだから、正に帝大は官僚養成が主眼であったはずだ。赤門大学の学部を見ればその有り様は明確である。当時とすれば明確に分離された学問体系の中で何を学び身に着けるかと言ったところであろう。漱石の小説が、帝大を出れば官僚という道筋が見て取れる。それは正に、国際社会で名誉ある地位の獲得に進んでいったことを意味している。

それから100年以上が経過しているわけで、その初心は貫徹されているかと疑問になる。赤門大学を卒業された方が官僚に進まれず、どんどん立法府がやせ細って行っている感があるのだ。国際社会で名誉ある地位を保ち続けるというか、より良くし続けないと、保つどころか落ち込んでいくのだ。そんな状況にある中で、予算ばかりがばらまかれる。国際的に本当に新しいものが出て行っているのか?

名誉あるという単語もしばらく聞いていないような気がする。ノーベル賞とかはね、間違いなく名誉なんだけど、世界の中で日本が名誉ある地位にあるのか?ワクチンも随分と後回しにされたしね。世界から日本人の命を守らないと、世界に損失が生じるって考えて頂けているのかしらと疑念を抱く。世界的な論文誌に出していますと個々には言うけれど、いろんな指標でランク付けされて、東と西の帝国大学がやっとこさっとこ100位以内に入る状況ですからね。教育機関として国際社会で名誉ある地位かと言われると苦しい。

じゃぁ、何とかしろよとなるのだけれど、一朝一夕で何とかなるものでは無い。GDPが下がってきて、労働者人口が激減し、青少年も激減した。医療保険だけが等比級数的に拡大している国家において「文教予算なんてゼロにしてやる」という政治家諸氏が頑張っている国家である。百年先にしか結果が出無いようなところに投資をしたら、次の選挙で落選するさって、それを納得する国民も国民だ。と思うんだけどね。まぁ、何を言ってもしょうがないんだけど、百年前の方々は国際社会で名誉ある地位を獲得するためには教育だって仰ったんだけどね。今の為政者は?はてさてね?まぁ、国民の選択だから諦めるか?

年末になると考える

インドネシア周辺は歴史的に巨大噴火が何度も発生し、それによって火山の冬が発生し、生命種の絶滅のトリガにもなってきた。東日本大震災以来と言っていいのか、単なる連続した歴史の中のどれをトリガと認定するかというだけなのか、それは300年後くらいの方々が評価するのだろうが、太平洋を覆っているプレートが大きく動いたのだから、それに連鎖して様々な変動が起こらないと考える方がおかしい。ジャワ島での巨大噴火はしょっちゅう起きてはいるが、ここ数か月間に亘る日本での噴火や地震活動と何等か関係があるのか、無関係なのか。宇宙から見たら極めてちっぽけな地球の上の出来事ですら、現代の科学力は理解できていない。

理解できないことは面白い事という事が、学者の生き様でもあるわけだけど、何故に日本は新しい挑戦を拒み続けるのか、そんな文化が何時から固定されてきたのか、想像はするが答えが見つからない。少なくとも、世界に類を見ない縄文土器や1万年にも及ぶ世界最長の文化を築いた縄文人の遺伝子は全く残っていないように感じる。あるいは、大陸から入ってきた弥生文化人によって塗り替えられたのか。こっちの方がなんとなく救われて、塗り替えられたのなら塗り替えすことは可能では無いのかと、例によって能天気な考え方をしてしまう。

天皇と言う階級が天武帝によって確立されたわけだが、少しずつの変化ではあったが、それまでの合議制から一人の言葉が集合体の方向性を定めるようになって、その権力の座に憧れをもつ連中に忖度が始まって、皆で生きるという文化が、自分さえ良ければという方向性に変わり、それが全ての方向性を決めて行く。地球と言う小さい星の上であっても、更にドメスティックなルールが支配していく。職場などと言うものもそうなのかもしれない。勝手気ままな独自な文化が生まれるのかもしれない。

大地の下で起こっていることは全く見えない。地上の事は人工衛星映像で何となくだか分かるようになってきて、分かったようになっているわけだが、そこに住まう人間の方向性までは天気予報の如くに予想できない。予想できないなら挑戦せずに、じっとそのままを保っていくのか。作られた支配階級にしがみ付いて、その階級を護ることだけに一所懸命だ。太陽と地球の回転で必ずやってくる明日を知らずに、今だけに留まる文化を選んでいるこの国。何を一体、どうすれば良いのか分からない。分からないから立ち止まるのか、分からないなりに、経験を軸に一歩を踏み出すのか。年末になるといつもこんなことを考える。いきなり富士山が大噴火するか分からない。その時慌てないように。準備をしておこう。そんなところだ。

遥かなるDX

聞き飽きた感のあるDXである。日経的書面やホームページを拝見すると、まぁ、出てくる出てくる。それこそDXだなと笑いがこみあげてくる。DXによる改革とかね、改革で改革するんかいとか、突っ込んでみたり。紙の伝票をエクセルにしましょうとか、如何に日本がオワコンになっているかが良く解る。まぁ、これも一歩目だなと納得する部分もありますよ。セキュリティの極めて甘い事業所が、回線を引き込んだだけでとんでもないことが起こりますからね。そんなところは国でサポートしていかないと、国家レベルでの対応が必用になるわけで、立ち上がっても一向に何をするのか分からないデジタル庁のお仕事かもしれないけどね。

DXって簡単では無いですよ。デジタル情報って単独で持っていてもしょうがないからね。工場とか、一つの事業所単位でもそうだけど、一斉にデータ共有が成されることが重要で、部分的に手を出しても結局、人間が介在したらそこが律速するから意味が無い。ものづくりなら一社単独開発商品でも無い限り、多くの分業先との協業でしょうから、それらが全て、作ったものの価値を共有できないと意味が無い。この部品がこの機能なら、我々はここをもうちょっと作り込もうとかね。B2C担当からCの情報を吸い上げて、一気に商品価値を高め、海外製品と差別化していく。

その為には自社が他社に対してどれだけ働けるのかをデジタルで共有できないといけないんですよ。それが全くお留守になっている。そんな状態だから日本にDXはやってこないなと思っている。商社が最上流のTier0情報を隠して、価格つり上げを阻止して部品チェーンを作っているからね。バリューチェーンとか聞こえが良いけど、バリューを獲得するのはTier0だけで、後は単に赤字労働させられているだけでしょ。物の価値が伝達されなければDXとは言えないよ。もう騙されるのは止めましょうね。(誰に?)

図面待ちの状態では自社提案の価値は発信出来ません。良品廉価を支えますなんて自虐的なホームページを作るのはもう止めましょうよ。自信を持って関係各社を尊敬し合って、お互いの能力を最大化して、そのチーム力で新しいモノを作っていきませんか。人の心の琴線に触れるようなモノづくり。単に成金主義では無い、価値を感じ、大切に使って頂けるモノを作っていく。その為のDX。それを目指しませんか?