自律たれ

小生が学生の頃に憧れた企業が、数多く失われている。GDPの世界ランキングも大幅に下がった。最早技術立国でも何でもなく、後追いもしない技術途上国となっているわけだ。ワクチンの提供に関してもこれだけ遅れたことは、ワクチン生産国からは「あの国の将来には期待するものが無い」と判断されたためだと考えている。あくまでも小生が考えているというだけで一般論では決してないが、暗い気持ちになっている。

ワクチンを誰に打つのか?という点の議論においてもなんだか情けないではないか。予約者が会場に現れないから、廃棄するなんてとんでもない、可能な限りの方に接種したら、そんな順番飛ばしは許さないとか、マスコミに吊るしあげられるとか、一体、どれだけ品格のお下劣な国民なのだろうと悲しくなる。税金を稼ぎ出している人に投与することがそんなに悪い事か?そもそも論だけど、ご老人が扱いにくいアプリで予約させるとか、国民のIT教育をほったらかしておきながら、そんなことをやらせる。マイナンバーカードだって法制で縛って、まともに使えないものにしたまんま。国会なんかさっさと閉じるしね。

無くなった企業は何も大企業だけではなくて、このコロナ禍で多くのお会社、店舗が失われましたな。知事の方々が「非常事態だ!」って補償もせずに閉めさせちゃうから、赤字赤字でそうなるのは当たり前。今度はオリンピックをやることになっちゃったもんだから、それに日程を合わせて非常事態をフェードアウトさせないといけないから、まんぼうに換えるとかね、病床の状況なんかほったらかして言い出しちゃう。珍しく西村担当大臣殿が軽々に解除を言うなという真っ当なことを言うもんだから驚いてしまった。

全くもってその通りで、非常事態が安直に出され、そして取り消される状況になっているなと感じる。ワクチン接種にしても事業所で接種しろ、でも接種出来る人は事業所で集めなさいよという、丸投げもここまでくれば大したもんだと、言われた側としては諦めの境地に達しますな。打ち捨てられた感満載。事業所のミッションは必ず果たす。それによって国の発展に貢献したい。その想いは変わらないし、より発展させたいと気合を入れている。それしか無いんだろうな。まぁ、そんなもんなんでしょうね。自分で進む、それに尽きる。

夢見てますか?

ぐるぐる回る刃物のようなものが、どんどんと硬い金属に穴を開けていく道具を作った夢を見た。片手で持てて、鋼鉄の板を自在にくり貫いていく様は心地良く、目が覚めて誠につまらない思いをした。まぁ、上手くいきすぎて、目覚めた方が気が楽だったかもしれないが。何を言いたいか、人は何故、子供の頃の夢を捨てるのか、忘れるのか、そして子供の頃に夢を見ないのか?

理科教室で出会う小学校1年生の夢多き事!そして斬新な発想であること!なんと美しい目であることか。それが新社会人になると、なんだか曇った顔でおどおどして、おはようございますも出てこない。上司から目を逸らし知らんぷりして、足早に部署に散っていく。一体、いつからそうなってしまうのだろう、そして何故なのだろう?

小生など、がきんちょがそのまんま巨大化しているものだから、未だに小学校に上がる前に「こんなことが出来たら良いな」って想いを忘れずにいますよ。だから粘り腰で研究を続けているものの、そうしている内に、新しい素材などが出てきて、やっぱり面白がってあれやこれやといじってしまう。そしてまた、新しいアイデアが生まれてくる。その繰り返しだ。

金太郎飴なんですよ。根岸に未だに金太郎飴屋さんがあるのには驚いたが、教育の仕組みが金太郎飴で、そして教育する意識も金太郎飴製造なのだから仕方が無いか?子供の成長目線では無く、指導目線での金太郎飴製造教育の被害者が社会に溢れているのが日本の現状であろう。良い驚きを自らの意欲の連鎖に繋げ、そして失敗してもくじけずに笑顔で前に進む。そんな教育の意識改革こそ重要であって、政治家があれをやれこれをやれとレールを敷くおぞましさよ。夢、あって良い。それで良いのだ。

納得すること

気が付けば6月第三週目に入っている。1日1日はものすごく長いのだが、実は実感しているだけで客観ではない。こんなところに毎日の過ごし方と言うか、残った人生、どう生きるかみたいなものが関係してくるのだろう。結局のところ、どうのこうのという事はなく、地球の回転に従ってその瞬間瞬間を必死に、猛烈に考えて過ごすと言うだけなんだけどね。

一つのことに集中するのが良い。あれもこれもと考えることはシングルタスカーの小生には土台無理で、一点集中、やっつけては次に向かっていく。室町前期までに許された戦法なんだけど、一件一件が強烈な軍勢で押し寄せてくるから、1番近い対象に向かっていくしか無いのだ。あれもこれもと目を転じている間に懐に飛び込まれて壊滅する。そんな姿をしょっちゅう見かけるので、そうならないように対象を一点に絞る。

これも実は曲者で、1番近いと思っていたら、実はそうではなくて、遠いと思ったものが実は真っ先にやっつけないといけないものだったりする。何となく関数関係かと思っていたら、実は因果関係だったりしてね。原因をやっつけるのが順当な戦術何だけど、うっかりしていると結果に突っ込んで激甚被害を受けるわけだ。精神的ダメージは大きいですよ。それでも立ち上がって前に進まないといけない。

戦の相手が大きくて、次から次へと場のルールを変えて来る。これはインチキだろうと思っても、胴元は強いのだ。場のルールが変わっても、惑わされない為には、自らの状態を常に最善化しておくことだ。最適化ではない、最善である。最善と言っても主観だから本当に正しいかどうかは解らない。しかし、自分自身でこれで良かろうと思っていれば外圧を納得して受け入れられると言うものだ。満足なんてあり得ないのだから、納得するだけで十分だ。そんなもんだろう。

頑張ってみようよ

100万個売れないと製品になんて出来ない、最低でも100億円売り上げが立つ見込みが無いなら事業化させないと堂々と仰る。そりゃぁ、否定はしませんけどね。やれるならやって下さいよ。ものづくり屋さんがそれをやり続けて頂けるのであれば、この国の政府も、ギリシャよろしく、観光だけで食っていく国にしようとは思わなかったのでは無いかな?観光プラスものづくりくらいの政策が出てきていたのかもしれない。ものづくりは海外に任せて、おこぼれを頂戴しようとした結果が、ワクチンが無い、半導体が無い国だとやっと気が付く。輸入が絞られて、とある食品の値段も上がり始めたしね。

スタートアップとかベンチャーとか、それらを支援しましょうってお話があって、マクアケとかね、そんなものが活発に使われている。大企業がマクアケでものを売るのはどうかと思うけど、まぁ、欲しいものが出てくるのであれば文句は言わない。そのモノづくりなんだけど、己惚れるようなんだけど、最後までやり抜くぞって強い意志が必要で、それは過去の人生の中で何かをやり切った経験がものを言うんだと思っている。縄跳びを引っ掛からずに100回飛ぶとかね、小さい時のやり抜いた経験、大人でも良いけど、それは絶対に必要。それが無い人の話は、何処かで折れている。

ソフトウエア開発は図抜けた能力の方が一人で開発出来て、これは本当に羨ましい能力だと思います。凄いですよ。目に見えるモノづくりだと、最終商品まで持って行くには一人で頑張っていると千年くらいかかっちゃうから、誰かとご協力ということになる。そうなると団結をもたらすリーダーシップとか、和を展開する心の力とかね、それは間違いなく必要だ。これは若手の中にも見えて、なんだか知らないけど、その人の周りで何かが起こっているってありますでしょ。これも羨ましい限り。

それでもやっぱり根幹にあるのは社会に目を向けさせる被適応力なのだと思う。凄いだけでは売れないし、見向きもされない。スタートアップだから100年後の製品では無く、今、売れていないといけない。社会の目をその商品で塗り替えるくらいの力が必要だ。これは意志が強かろうがどうしようもなくて、きちんとした裏付けというか、根本原理が必要だ。情熱は勿論大事なんだけど、被適応力が無いと、バージョンアップも出来ないしね。これらが揃っていれば100個の商品だって売れば良いのにと思うのですよ。そんなところからやり直さないと。スタートアップ支援に携わる人達の意識は何処にあるのか。大企業の見下し目線にあるようで、気分が悪くなる。

突然

その昔、バブルが弾ける前のこと、小生が学生だった頃、材料の基礎研究をやっていると、どっかに就職先があって、先輩も大勢、勧誘に来て頂けた。先輩方から「こんな職場で海外と行ったり来たりで燃える毎日だ」なぁんて聞かされて、その気になったらバブルが弾けた。いや、弾けたと言われるのは1991年と言われているけれど、分野によってはその前から怪しかった。その怪しかった分野に居たわけで、お仕事なんか無くなってた。コロナで就職活動が大変なことになっているが、しっかりと自分が企業を通じて活躍させて頂けるのかを考えて、進路を決めて頂きたい。そして簡単に辞めないで頂きたい。

突然「一身上の都合により退職します」とメールが届くわけだが、「なんじゃこりゃぁ」となるわけで、何が悪かったのかと考え、そして「きっととっても良い待遇で引き抜かれたに違いない」と諦めの方もついでに考える。出来れば後者の方が有難いんだけど、きっと両方なんだろうなとがっくりくるわけだ。何で狭き関門を通り抜け、他の希望者を弾き飛ばし、たった一人の勝利者になったのに、都合で辞めるってメールを送っておしまいという現状に出会うと、バブル期の企業の対応を思い出すのだ。

野球場に呼び出されて「はい、5回が終わって試合は成立しましたね。ところで今回の内定は無かったことになったから。それでは最後まで野球を楽しんでね」と笑顔で立ち去る就職担当の皆様なわけだが、日本の企業のご都合って今も昔も変わらないのだなと〇経新聞などを読んでいると感じるわけだ。自社だけが儲かれば良くて、全日本連合なんて有り得ない。何故日の丸半導体が凋落したか?正に自社だけでやる、時間が掛かってもやるというバブル前の脳内シナプスの配列が変わっていないからだ。半導体だけではない、囲い込みの私物化の連鎖。古くなっても要らなくなっても舵を切ってものんびりとしか方向が変わらない。いや、舵を切ることなどしない。

ワークライフバランスとか、ダイバーシティとかいろんな単語が飛び交うけど、残業代を支払わないテレワークが常態化しているとも聞く。真逆に最初から残業という概念など無く、ワークシェアが当たり前のお会社もある。血をにじませる程の努力は嫌いでは無い。それは小生にとっては当たり前のことで、空気を吸うような感覚で受け入れてしまっている。そうではない人達が社会の中核を担っているわけで、その方々が発言できる環境が無ければならぬ。突然「辞める」ことも彼らにとっては当たり前なのかもしれない。そんな感覚にならなければならないのか。でもなんかどっかひっかかる。古いのだろうが、馴染めない新しさもある。まぁ、そうだと思うよ。

やんちゃたれ

基礎研究力を強化しようとかね、いろんなお話が出ていますな。ワクチン開発の遅れがトリガのように見えますが、まぁ、無いよりは良いかなとは思います。教育・研究のお話は50年から100年後にしか効果は出てこないからね。成果と効果は違うから。人が変わって初めて効果だからね。成果なんて論文だの何だの出るんでしょうけれど、それが人の意識改革にまで広がっていくには50年は掛かりますよ。

例えばどっかの会社と大学が自動運転の研究拠点を作りましたなんてのが出てくるじゃないですか。大人の人は矢沢永吉さんが両手を話してアクセルを踏む、艶っぽい宣伝をイメージしちゃうんだけど(私だけかな?)あれでお子様が将来こんなことをしたいって思うかなぁということ。具体的に目の前に運転手さんが居ないバスがあって、制限されていない軌道を走っていることが大切。リアルが大切ですよ。バーチャルを否定しないけど、それを実現しているのは半導体テクノロジーだぜ。

これまた国が今更ながらに応援しますなぁんて暢気な半導体分野だけど、遥か彼方に行ってしまったテクノロジーのフロントをどうやって見るんでしょうね。外圧であれを止めてこれも止めてって。オールジャパンって口では言って、結局は企業同士のお金の取り合い、権利の奪い合い。研究者の知恵は無料開放を迫られて、海外に流出していく様のなんと悲しい事か。

優秀な若者の進学を支援しますって、すっごく綺麗に聞こえるけれど、本当は、とんでもなくやんちゃながきんちょが、未来に向かってこんなことをしたら素晴らしい世の中になるのにってアイデアを伸ばしてあげるほうがよっぽど良いんじゃないの?入学試験の点数が良かったからその後の学費の心配はしなくて良いよってな低レベルの支援では国はちっとも良くならん。やんちゃが良い。心底、そう思う。ちゃんちゃなままでいる。そんなところだ。

サステナブル

原子力は本当にエコか?みたいなお話をずっとずっと前にしたことがある。余りにも前なので、誰も覚えていないことを良い事に、適当に繰り返すとする。要点は原子力エネルギーのサプライチェーンはサステナビリティが確保されているか?ということと、本当にCO2は削減できるのかということである。ランニング時のCO2排出に関しては、石炭火力に比べれば少ないのは間違いない。ただしだ、鉱石を掘って運んで精製して・・・ってなことまで考えると結構なCO2の量になる。

原子力のお話はおっかないのでこの辺りにしておいて、サプライチェーンのサステナビリティということで、先日、また下がった出生数を見ていて、教育のサプライチェーンのサステナビリティっていつまで安定何だろうというお話。安定である必要があるのかと言われれば、国が成り立つためには絶対に必要だと思っている。外国から人を入れれば良いでは無いかというお方にとってはどっちでも良いんだろうけどね。日本大好き的な小生にとっては、これは譲れない。

子供が減ると当然の事ながら教育機関が過剰だなんて判断がこの国では直ぐに成され、妙に金を稼ぐ赤ちゃん製品辺りから塾だのなんだのも儲かって、大学辺りが一番割を食うような気がする。企業も新しい知識を取り込まないといけないから、リカレントの部分で大学が担うお仕事が爆発的に増えるのかもしれない。しかし、それではいけないと思っている。

フレッシュな脳みそで未知の領域に挑んで頂きたいのだ。それがいずれ企業の利益になり、国の力になる。教育こそ国の根幹であり、放棄してはいけないものだ。それを担う機関とそこで活動する若い方々こそ、世界の礎である。どうも、それがないがしろにされている感じを受けているのだ。あれも駄目、これも駄目、あれも減らせ、無くなれとプレッシャーを受ける。耐えない、攻め続けたい。そう思っている。

梅雨の晴れ間に想う

いよいよ夏らしいというか、日差しが「太平洋高気圧越し」って雰囲気になってきましたな。太陽が出るとじめっとして、如何にも梅雨らしい。これはこれで嫌いではないですよ。どうも今週は晴れ間が続きそうですが、地域に拠っては大雨になっているのでしょう。昨年、梅雨でコロナウイルスが地上から流れ去って、発症者が劇的に減少しないかななんて思ったのですが、まぁ、そんなことが有るはずもなく、今年も雨だろうが晴れ間だろうが気を付けないといけない。それでも高い気温は嫌いではない。

無理をしないことが一番なんでしょうね。酸っぱいものが食べたく為ったら、それなりものを食するとか、古くなったものは食べないとか、まぁ、当たり前が一番。審査だ、依頼だと、精神的に襲ってくるものが山ほどあるけれど、恐怖を感じるのは自分の内側だからね。これは永遠に続くわけだから、頑張っても仕方がない。書き出してみれば、案外、少ないストレス源だったりする。無理は決して続かないからね。恐怖の源を見えるようにするのが心をお気楽にする唯一の方法だと思っている。

「こうなったら良いなぁ」なぁんて思っていても、結局、自分からトリガーを掛けないと始まらないようなら、もう止めたほうが良い。それは無理で精神を破壊しているだけのことだ。身の回りを見渡して、1週間以上触っていないものを見えないところにしまうか、捨てるかしてみると、はんとなくだけど心が軽くなっていくような気がする。そんなことで良いのだと思う。いつまでも無理して引き止めておくことはない。相手に意識が無いのだから、待っていても無駄なのだ。

頑張り続けないと終わってしまうようなら、さっさと終わらせようよ。そんなに気合を入れて過去を留め置いてどうなるもんでもないよ。今しか無いんだよね。今をどうするかですよ。どうにかすると、次の瞬間に勇気を持てますよ。勇気を持てなくても、恐怖を抱くことは必要なくなりますよ。自分だけがって思わないこと。そんな気持ちで今週は過ごしてみては如何ですか。梅雨の晴れ間のようですからね。

15%

世界のワクチン接種数を競うような報道には嫌気が差すが、「国内で一千万人の接種が行われました!」という表示の後に「65才以上の方々の15%程度」という数字に眩暈を感じる。一千万人で15%かと。高齢化ってこういうことなのねと、改めて実感する。マーケットを眺めてみれば、エネルギー消費量を少なくするためだけではなく、買い手の満足を考える商品作りにも「軽薄短小」が更に加速するのでしょうね。軽いモノづくり。

そう思って机の周りを眺めているのですが、ボットのボディがステンレスだったり、マグカップが旧態依然の瀬戸物だったり。他は、ぼほ樹脂から出来ていて、味気は無いけど軽量製品で満ちているなと改めて感じますな。軽量な商品を狙って購入しているわけでは無いのですが、何気なく購入したとしても軽量なものが揃っている。人が持つだけではなく、流通においても軽薄短小が大きな価値を生み出す。高齢化と流通至上主義が創り出した軽薄短小社会という事なのだろう。

どれだけの方に「ピンッ」と来ていただけるか分かりませんが、元素周期律表の第二周期までの原子でいろんなものが役目を果たせば、身の回りのものが相当に軽くなるなと、第二周期に拘って研究してきた。そして、表面の凸凹を減らし、接触面が原子レベルでぴたっとくっつくような表面を目指した加工の研究もしてきた。あるものが軽く、そして仕上がりにおいても無駄を原子レベルで取り去る。まだまだ道半ばではあるけれど、チャレンジし続ける精神力だけは残っていると思っている。

人口巨大国家においても高齢化が進む。新たに人が生まれ無くなれば、サービスは今いらっしゃる人向けになっていく。その時、国の文化ってどうなるのだろう、文化が承継してきた価値ってどうなるのだろうと悩んでいるところに「65才以上の方々の15%程度」という文字面を見たわけですよ。紙の書籍が画面上の文字面になり、大きな本棚が要らなくなる。どんどんものが要らなくなる。一方、人が思考して新しい文化に触れているか?文化を作り込む、そこから本当に大切なものは何かを考える。なんとなくだが、木の丸テーブルを丸椅子で囲んでいるだけの世の中がイメージされてしまう。「木」って水素と炭素と酸素等々、骨格は第二周期メインだ。既に第二周期までの原子の社会があったのだ。自然が成し遂げていることに、人がムキになって挑む。愚かだなとため息が出る。笑ってしまう。

プレゼンテーションって?

プレゼンテーションは難しい。独演会が多いのだが、合同で何かを話すとなると、司会から話し手まで、想いがばらんばらんの事が多いわけですな。司会者のお役目はとても大きくて、これからどんなゴールが提供されるのかを、聴き手の腑に落とさないといけない。それが出来ないとこれから実施されるプレゼンテーションパッケージは謎に満ちたものになる。いや、何の意味も無いものになる。

緊張してマシンガントークになる、これはしょっちゅう体験するものだ。若手がマシンガンを撃ち始めるのは、その昔を思い出して微笑ましい。それは良いのだ。誰もがそうなるのだ。歌舞伎の世界であったとしても、血統が良い方がどんなに鍛えられたとしても、檜舞台のプレッシャーを感じるのだそうで、お師匠さんの逆鱗に触れるものだそうだ。この逆鱗までがパッケージとなっているから、その後の成長は著しい。

ところが年を重ね回数を重ねても、言っていることに「Yes」と答えられないプレゼンの何と多い事か。何故、プレゼンが下手なのか。たどたどしいとか言い間違えるなんてのは気にならない。主張が話し手の腑に落ちていない。それが一番の元凶だ。何言ってんだろうというプレゼンの原因はそこにある。では何故、前準備が出来ないのか?それは前準備の質が低すぎるということに尽きる。どんなに竹刀を振って鍛えても、日本刀を振り下ろされたら一撃だ。お金を払って頂ける聴衆を前にして、そのお金に見合う以上のお土産をお持ち帰り頂けるか、その心掛けが必須なわけだが、自己満足の練習しかしていないから絶対に相手に伝わらない。

お金を頂くプレゼン以外に、プレゼンのトレーニングは無い。聴き手に損をさせてしまったという反省以外に、聴き手に「あなたの主張に賛同します」と言わせることは出来ないのだ。もう一つ、聴いて頂けるプレゼンが出来ない人は、人の話を聴くことが出来ない。ほら、身の回りを見てごらん、何を言っているか分からない人って、真剣に話を聴いてくれないでしょ。話し上手は聴き上手って正しいですよ。話し手良し、聴き手良し、社会良し。ここでもやっぱり三方良しなんだけど、その根幹にプレゼンテーションがある。そんなところだ。