解散

衆議院選挙がやってきますな。随分と久し振りで、何でも最長間隔だとか。短いのも頂けないが、まぁ、それだけ数の効果で与党の意見が通って来た時代という事だろう。どう考えても犯罪だろうという限りなくまっ黒なねずみ色であっても変わらない政界。恐ろしいところだなと思う。解散宣言と共に行われる万歳三唱であるが、これもまた奇妙奇天烈。「あんたら失職だぜ」と言われて、何故に万歳なのだろう?諸説ありというだけでこれと言った説は無いそうだ。奇異な集団だからこその技ですな。

選挙のたびに残念に思うのが投票率の低さですな。1970年代には70%を超えていた時もあったようですが、過去3回は50%代だ。前々回が52.66%、前回が53.68%ということで、かろうじて有権者の過半数超え程度。これって民意って言えるんかいな?やっぱり80%は超えて頂きたいと思うわけですよ。それだけの投票率があれば「民意だな」って思えるのでは無いかしら?

選択肢が無いから投票しないって言うのはまずいですね。そんな人が多いとマスコミは語るわけですけど、自分が社会の通念とかけ離れていたとして、自分の考えと違うから投票できないとかね、そんなレベル感では無いかしら。あの政策は良いけどこれは駄目だ見たいな時、一番譲れない自分の主張と類似のものを掲げている人に投票するしかなかろうと思います。全部が全部、一致するなんて有り得ないし、異なる意見も、人の為の主張ですからね。受け止めないといけない。

20歳代の投票率に至っては、前回33.85%ですよ。それで世の中を語るなと言いたいわけですよ。社会の一員か?50%にも満たないとは。この国大丈夫かと思う一番の心配事ですな。優秀な若者がどんどん海外に脱出していく。彼らにとって面白くなく、住みにくい国なのでしょうけれど、だったら「変えてやろう」って思って欲しいですよ。公約が出てきたら、先ずは眺めて星取表を作って、まぁ、今回はこれでいこうかと、そんな感じになってしまうんですけど、良い選択肢に並んでいただきたいと願うばかり。公約と違う事やってくれるからなぁと嘆くより、先ず、公約をしっかり読み解いて、今回も投票に行こうと思っている私であります。

知恵を創って使いましょうよ

人口が減って、社会保障費が加速的に増大していく、即ち、新規の稼ぎ手が減っていくわけだ。1996年度から2000年度まで、ポスドク1万人計画なんてものをやらかした。期限付き雇用資金を大学等の研究機関にばらまいたのだけど、あくまでも期限付きだから、「期限が来たから次に移ろう」というわけにはいかない。うまい具合に定年退職者が現れて、そのポストを活用させて頂いた者は幸運だったろう。人件費を大学に純増なんて有り得ず、結果、大学の国からの運営費交付金はどんどんと減っていく。自分達で稼げとなるわけだ。

稼げる人は決まっていて、大学生時代に研究遂行能力を十分に高めることが出来、良い師匠の下にポストを獲得し、更に多くの人脈を上手に作り、そして使い、更に基礎研究を発展させることが出来る者だ。ここ数年、お若い優秀な研究者が多いなと感じる。そのような研究者により発展していって頂き、見出し、磨きを掛けた要素研究を企業を通じて社会実装し、我が国から世界発信をしていって頂きたい。その循環が国力という事になるのだと思う。

企業もいい加減に大量消費の為の大量生産による利益獲得から頭を切り替えないといけない。工作機械はいろんなことが出来るようになってきたけど、加工する刃物はちっとも進化しないとかね。一方、独国などはしっかりとその辺も考えて、刃物も機械も進化し続けてエンジニアがしっかりと給料を頂いて、休みもいっぱいあって、心身の健康をものづくりで獲得できている。日本はモノづくりに近ければ近い程、基礎技術に近ければ近い程、使われもせずに捨てられる国である。博士を取得しても身を立てていく術がない。それでいて、高給で隣国に引き抜かれるのはけしからんとかね。

アフターコロナとか関係なく、世界中にモノが拡散したわけで、富裕層はとんでもなくお金を持って、特別なものすら「もう要らない」状態。「無いモノだけに興味がある」人達。でもそれは富裕層に限らないんですよ。お金を使っていきたいと思うターゲットが完全に変化しているのに、活かせる能力を潰すことに繋がる雇用を守るために、新しい知恵にお金を使えない国。知恵も作ることを妨げる雇用形態。もういい加減にしてくんないかな。そう思う。

電子決裁は何処に?

電子決裁って何で進まないんでしょうね。紙で残しておかないといけないから?電子決裁したものを紙で印刷して残しておけば良いのではないか?判子レスにしたんでしょ?なんで紙で判子を使う書類が回ってくるの?外部との契約だから?いやいや、社会は既に電子決裁だよ。大学だけが異常なんでしょ?ほんの一部ですよ、電子決裁化されているの。仕組みがあるのに挑戦しない。ルールがそうだから?ルールって人間が作ったもんでしょ?変えれば良いんじゃないの?

変わらない、変えない。いやらしい風潮である。電子化して皆で眺めて良くしていけば?CO2削減とか言っているけど、木を切り倒して紙にしていく。いや、そりゃぁ間伐材だとか言うかもしれないけど、それは言い訳でしょ。紙を全否定はしませんよ。紙はやっぱりあって欲しい。メモをちょちょっとね。それも電子化しろと言われると、それは次世代にお任せします。小生的には思考の相手は紙が良い。だから全てを電子化というのはちょっと困る。

困るんだけど、お仕事は「何処でも」の時代になったわけで、この事業所だけは紙ってとてもおかしいですよ。異常で異様。法律で決まっているなら法律こそ変えるべきで、デジタル庁なんて出来たんだから、とっとと紙の裁は違法なんて言ってくれればそれで良いのだ。黒船ウエルカムである。外圧が無いと変わらない組織と言うのであれば、もう無くなれば宜しい。

遥かなるDXを感じている。名古屋携帯PC研究会の頃から続く戯言だが、本の未来という電子ブックがあった。電子ブックツールを購入して出版させて頂いたことがあった。電脳のある風景なんてやつなのだが、電脳が全く広がらなかったね。もう30年も前だったんだけど、後、どれだけかかるんだろう、日本。電気自動車も中国製がどんどん入ってきて、日本製なんて見当たらない。雇用を守るから?国民を守って無いんじゃないの?愚かしい。

茶番劇考

この時代に所得倍増ってどうやるんだろう。新規のものは作らないから、外貨獲得は倍像は困難だ。エレクトロニクス的には外頼みの半導体が入ってこないから、更に難しい。きちっと育てた農作物は外貨獲得に貢献はしているが、耕作地を工場にしてしまったり、宅地になってしまったりと、食料自給率を下げることに躍起になっているこの国だから、これとて極端な増加は見込めそうにない。GoToでお金を還流させようとしたとしても、富裕層のお金が富裕層間を還流するだけだから、倍増にはならないですな。所得が倍になっても買うものが無いから、幸せ感は薄そうだ。野党は「財源は?」とか「どうやって」ということの繰り返しで、「倍増したら日本人は何故幸せになると言えるの?」とう本質的な問いは聞かれない。

兵庫県の縫製業者殿が始められた、端切れ材を機械部品に再加工して、焼却端切れをゼロにする試みなどは素晴らしいと思う。無駄を無くす。生産量が極めて多い巨大産業であればあるほど、「負」を無くすことは獲得金額増に直結する。そんな見直しは全ての生産場所で見出されるはずだ。それらの挑戦に補助を出していく。効果があればそれは確実に税金増に繋がるし、損失を減らした分の少しでも労働者に回る工夫と併せれば、倍は無理でも遣り甲斐という、それよりも有難いものの獲得に繋がる筈だ。

遣り甲斐は大切だとは思うのだが、ひょっとするとそれは古い人間の考え方なのかもしれないので、一般論として思っているわけでは無いと言い訳しておく。戯言だから言い訳なんか必要無いのだが、遣り甲斐よりも手取りという人も沢山いらっしゃると思うのだ。民意が所得倍増と首相が思っているくらいだから、きっとそうなのだろう。所得倍増より、所得が無い方にお仕事をと考えるのが先の様な気がするが。文科省の博士倍増計画で生まれたのは、ポストレス研究者だ。国が先導する「何々」倍増計画に付き合わされると、何か恐ろしいことが起きるのではないかと勘ぐってしまう。

何かを倍にしたかったら、それはルールを交換する必要がある。金属のフィラメントを半導体に変えたような、劇的に、そして破壊を伴うチェンジが必要だ。短期的視野では無く、遍く生きとし生けるものに幸が回るよう意識して大いなる決断が必要である。どうもその決断をしているとは感じられないのだ。所得倍増と仰ったのだから、何か秘策があるに違いないのだ。小声で「富裕層は」とくっついているのかもしれないが、富裕層の所得を倍増と言うのも凄まじいから見てみたい。10万円をばらまこうとかね、もういい加減にしませんかね?茶番劇。

じわじわ

火は激しいほど早く消える。じっくりとじわじわ燃え続ける火は、本当に強い。心の火もそんなものではなかろうか。弱いけどやっぱりあっという間に消えるというのが日本人の特性なのかもしれないけどね。ついこの間、首相が変わったばっかりなんだけど、もう、なんだか影が薄いなと思ったりしてね。まぁ、何にも変わりそうもないのでということなのかも?変えていくのは若者でなければならないんだけど、この国、老人の干渉力が強いからね。干渉を跳ね返すにはある程度の数が出てこないとね。

曽我蕭白さんの展覧会に行ってきましたよ。凄い人が出てくる時って重なるもんですね。芸術に関してはパトロンがいっぱい居る時代と言う事なんだと思うのですが、それでも才能が世に無いと出てくることそのものが不可能ですからね。見事なものでしたよ。心の疲労を癒してくれるというか、本物のパワーは何物にも代えがたいですよ。やっぱり本物を見続けないとだめですね。本物は続く。それがじっくりじわじわ燃え続けるということなんだと思う。そして本物は競い合い、影響しあって高みに上っていく。

夏目漱石と森鴎外という巨星が出会っているとかね、おんなじ家に住んだとかね、もう信じられないですよ。強烈な個性が世に出てくるってそんなことなのかもしれない。出方もありますよね。なんか大人が若者を承認するみたいな現状は醜い世界ではなかろうか。もう、ばんばんと若者がじわじわと燃え続け、気が付いたらそこら中が煙吹いているとかね。古いんですよ、環境が。起業しなさいって言っておきながら、それをもぐら叩きするどころか、認識しようともしないのが日本かな。

久し振りに芸術に触れて、感じたんですよ、本物力を。本物になったら、ちゃんと世に出られる。物凄く素晴らしいと感じたんですよ。ぐっと握り拳作っちゃいましたよ。言い訳なんか要らなくて、努力を尊敬するというかね。見せかけでは無くて本物でないと駄目なんだけどね。本物力。二世、三世じゃなくて、一世のパワーと言うか、そんなのを見たいですよ。師匠が居てもそれを超えるとかではなくて、それに個性を加えて第二創業的に広がっていく。派手ではないが確実な力をもって。生きている間に見たいものだ。そんな穏やかだけど確実な火を。

金太郎飴

コロナ禍前であるが、根津界隈の路地を歩いていて驚いた。リアルに金太郎飴を作っていらっしゃる店舗がある。あるのでしょうけれど、目の前に忽然と現れると驚かされる。一体、何年振りであろうか。巨大な雨の塊をぐいぐいと引っ張って、ぱんぱんと切っていくと同じ顔が出てくる。ご存知、金太郎飴の出来上がりだ。他との区別がつかない事象に対して、あんまり良い響きの無いそれなのだが、目の前で引き延ばされていくその様を見ると、本当に良いものは生き残るものだなと感じた次第。物まねでは無く、本物が連なって出てくるからだろうか。神々しく思えた。

諦めずにコツコツと、そればかりが売りの小生なのだが、「あれま」と思えたことに出会った。いや、顕微鏡の下でにやけるくらいのお話なのだが、1秒、2秒の時間感覚では解らないのだが、20分、40分のところでは目に見えて(顕微鏡下で)変化が生じる。そして願っていた形状に仕上がっていく。コツコツと「理屈では良くなる」と思ってやってきて、2つの視座があって、片方に集中していたのだが、ひょっとするとと他の視座をいじってみたら、当たりましたね。そんなものかもしれない。普通はやらない。何故か?常識では無いから。金太郎飴だって、最初はびっくり仰天であったに違いないのだ。常識って人の作ったものだからね。そこから外れていかないとね。社会が認めない?構わないよ、自分が認めるから。

で、出来てしまうとこれがまた苦しい。それを潰しにかかるわけだ。出来たら過去だからね。研究とはなんと恐ろしく残酷なことか。特に社会的に華やかに向かい入れられるものではなく、従来を壊していくことだからね。従来を壊したら、次は自分自身を壊していく。壊し続けていくと、いつかはそれ以上壊すところがなくなる。すると、一つのゴールに到達する。まだまだ先は長そうだ。やっぱりコツコツと続けていくしかないのだ。思考と試行は延々と終わりなく、そして果てしなく続く。大切なのは「これがゴールだ」をしっかりとイメージしておくことだ。まだまだである。

何処まで行くのかと言われれば、遥か彼方としか言いようがない。でも間違いなくゴールはあるのだ。何となくだが、ゴールを意識できるところに出くわすと、悪い事の前触れだと思うのが良い。神様はそう簡単には自然の本性を見せてはくれない。巧妙な仕掛けで愚かな人間の目をくらませ、冥府魔道へと引き込んでいく。辻に立つお地蔵さんは「閻魔様」と聞いたことがある。冥府へ迷い込むのを防いでくれる場合と、無用の民は引き込んでいくその門番であると。「あれま」と思ったら、自分を疑うのが良い。それだけが正解である。性善説で生きている小生ではあるが、こと研究に関しては性悪説が宜しい。完成された金太郎飴の世界は程遠い。そんなもんだ。

遠方より来る

「やぁ、久し振り」なんて声が聴こえる。夏休み明けということもあろうが、普通に学生に溢れるキャンパスになってきた。妙な勢いで新型コロナ(いつまで新型って言い続けるんだろう、次が出てくるまでかな?)の新規感染者数が激減し、マスクレス社会が到来してきた。小生の周りではまだまだおそこまではいかない。油断大敵である。何が起こるか分からない。もっとも、昨年の事例を考えると、冬になったからと言ってコロナ禍が急増するというようなことは無いのだろう。インフルエンザが流行し、それにコロナ禍が上乗せされるのかもしれない。それは避けたいところだ。

緊急事態宣言が停止され、県をまたいだ移動が許されるようになった途端に、某君の来訪を受けた。遠方より来る、また楽しからずや。元気な顔を見るのは嬉しい。そして見せてくれることはとても嬉しい。会議の谷間であったために、ほんの少しの間だけであったが、近況を話し合い、これからの頑張りを誓い合ったというところであろうか。 10月に入ってから様々な人の動きが始まっている。お互いに気を付け合っていることが前提なのだが、様子見しながらののんびり緩和である。

のんびり緩和といきたいところなのだが、あちらこちらからお呼びを頂く。悩ましい処であるが、お役に立てるのであればとお受けするのが小生の流儀である。地の果てを越えてでもお伺いさせて頂き、利他を邁進するところである。ところであるとはいうものの、日程は決まってはいないのだが。何処へでも参りますけど、その必要性はこちらで判断をさせて頂きますので悪しからず。

二十歳前後の友人関係、大切ですよ。未だにお付き合いがありますからね。ただ、単に付き合うという事よりも、研究室で寝食を共にして、喧嘩もしながら、助け合いながら、本当のお付き合いが大切です。単に一人の食事が寂しいからとかね、それもあるかもしれないけど、一生付き合える友人作りをしたら如何か?それこそ共創であって、一人で出来るものでは無い。画面越しも良いけど、会って話をすると愉快なのは間違いない。そもそも人は一人では生きられないからね。そんなもんだろう。

ノーマルにしよう

名古屋の辺境から中心部に向かって自転車で走っていると「八事の坂」を超えると世界が変わるなと感じる。そもそも論、気温が変わる。体感温度で1度は変わる。勿論、中心部が暖かい。坂を登りきるとF店があり、住まわれている方も違うなぁと苦笑いする。五重塔の前を過ぎると、普通の街に戻るわけだが、それでも天白川のあっちとこっちとでは空気感も違う。早朝には人影がまばらなエリアが、天白川を超えると、早朝でさえ人のざわめきを感じる。路地から飛び出す自動車も積極的だ。神経が研ぎ澄まされる。何処から何が飛び出してくるか、恐怖に怯えながら通勤するのが都会という所であろう。

何が変わったって、非常事態宣言解除以降、まず、街中の自動車の増加に驚かされる。過去の解除の後はそれ程感じなかったが、今回は「もう全てが終わった」感の中、自在な活動で満ち溢れていますな。早朝においても幹線道路の交通量は明らかに増え、帰路においては、コロナ禍前よりも増えたのではないかというくらい、殺気立った活動になっている。五十日(ごとうび、今は死語か?)だからか、昨日の混雑すさまじく、路駐も激しく、自転車の市民権はやはり無いのだなと実感する。コロナ禍で増えたと言われた自転車通勤者だが、まぁ、元の木阿弥なんですな。

そして何より目立つのが、脱マスク人間。佐山聡じゃないですよ(これも死語か?)着マスク、手消毒、うがいとうのが現在も続いていると思っているのだが、どうも社会の流れはそうでも無さそうだ。感染者が激減しているとのマスコミの報道も後押ししているのだろう。いや、実際に、なんの影響も無いのであればそうしたいものだ。何やら飲み薬が登場してきて、それが効果があるらしいという。そうであれば、実際に、マスクなど要らないのかもしれないが、慣れと言うのは恐ろしいもので、マスク活動が平時の必須アイテムになってしまった感覚はそう簡単には無くならないものだなと。

以前は自転車走行時にPM2.5対策でマスクをしようかなと思っても、何となく気恥ずかしかったわけだが、今では堂々とN95マスクをきっちりと装着し、喉や鼻のなんと心地良いことか。それを謳歌してきたわけだが、逆に冷ややかに見下されているような気になる。気になるのだが、折角、獲得した呼吸の快適さを放棄する気には全くなれない。アフターコロナとか語ってくれるなかれ。コロナによって得られた快適も多いと感じている。個人個人で獲得した有意な事象を手放す必要は全く無かろう。リモートワークしかり、排気ガスで溢れた街中でのマスクしかり。人は人、自分は自分。傾奇者と言われようが、今を貫こうと思う(大袈裟)私であります。

破壊的イノベーション

破壊的イノベーションは起こらない。随分と前になるが、有機ELパネルの基本技術は日本発のものが多いのだが、大小パネルを量産化して市場に送り出したのは韓国企業である。私はそう思っている。当時、K山品質とかね、妙に神格化した商売が出てきて、巨額の設備投資をした後で、そのラインの減価償却が終わるまでは有機ELテレビに手を出せないとなり、もう二度と浮かび上がることの無い淵に落ち込んだ。自社の都合は大切なのだが、そこから生まれる古臭い商品を掴まされる身になっていない。自己都合の利己主義がこの国の常套手段だ。

ノーベル賞という水物はどうなるか予測しかねるが、ペロブスカイト太陽電池という日本研究者発信の発明があるわけだが、これも海外では量産化、そして販売が始まっている。日本では4年後だそうだ。これも先の事例と同様に、今の太陽電池製造の設備投資の減価償却を待っているからという事では無いのか?市場が求める、薄暗くても発電し、軽く、曲げられてなどの特徴を使った製品が出てこないのは何故か?共同研究開発費をけちっているのか?海外では日本人開発者をリスペクトして、しっかりとしたものづくりを脱炭素社会実現のために行っているのだが、日本では蚊帳の外である。

お上は「大学は日本の産業発展に何の貢献もしていない!」とどんどんお金を減らしていく。そりゃぁ、社会保障費が高齢化と少子化でどんどん減っていくわけだから、原資が無いなら切れるところから切ろうとなれば教育費なんでしょうね、この国では。ただ、産業活用する気が無い企業に対しても何か言ったらどうなんだ?目に見える、観光、飲食業界のネタは、マスコミも分かり易いし、浪花節的に便利なんでしょうけれど、外貨獲得、税収アップに繋がるモノづくり企業の、最新技術の活用とかね、そんなネタをマスコミから聞いたことが無い。プライベートコミュニケーションだけである。

自動運転になったら、輸送業は良いけれど、タクシー運転手さんが仕事が無くなるからダメとかね。ロボットが頑張ると職を失うとかね。本当か?人間、そこまで愚かしくないぞ。新しい知恵の創造で社会貢献し続ける意欲を失うと、ロボットや自動運転が恐怖の伝道師に映るんでしょうね。百年一日の如くの講義展開の教師などは真っ先に不要となるのでしょう。常に考え、新しい試みと失敗を重ね、より良くしようと努力される人に溢れた日本でありたいなぁと。結局は教育は百年の計。百年後かなぁと思いつつ、何とかしなければとあがき続ける私であります。

明日を歩く人達に

何となくいつものことだなと思ってしまうのですが、組閣っていきなり始まっちゃうんですよね。内閣としてどんなビジョンを持って、それを実現するための戦術を各省庁で作って、その反省で「こうだったから、ここが今の日本の実力として強みで、こっちが弱み。どっちを伸ばすためにこの戦術を行うけど、それを実行出来そうなのが○氏だから大臣を任せよう」とかでは無いんだよね。何年目でどんな派閥だからこの人みたいなね。少子化担当大臣には期待したいけど、思い切った政策を打ち出して頂きたいですな。

昨日の日曜日、3D-CADでとある図面を起こしていたんですよ。バージョンが上がっていたのをうっかり入れて、もうすぐ仕上がりというところで「お作法違反」のアラート?この間まで普通に出来たのにどういうことだ?と堂々巡りに陥るわけですよ。仕様書を見ると「以前はインチキをしていた、このバージョンは美しいのだ」と、まぁ、そりゃぁそうかもしれないけどね。こちらは活用させて頂いている身だし、世界のルールがそうならば従うしか無いわけですな。標準とは恐ろしいもので、声の大きい奴が「これが正しいのだ」と言うとそれが通っていく。

大上段から「お前が悪いんだ」と言われると、まぁ、そうかなぁ、そうでも無いけど、しょうがないかと泣き寝入り。心が折れる瞬間ですな。こういうルールだから従えとかね、それ一体、いつ出来たルールで、誰が何を実現しようとしていた時に出来たものか?時代がどのように変わろうと、一度、「人」が都合で作ったものを後生大事に守ろうとする。いや、戦争の放棄とかね、そんなものは守って良いのですよ。それは拠り所だから、そう簡単に変えてはいけない。ただね、所詮、ルールなどは人が決めているものですよ。

少子化がいよいよ強烈に強く効いてくる。絶対値だけではなく、高齢者との比較においても猛烈だ。消費税がいつ上がるのか、社会保障費はどんどん上がり続ける。牛肉1kgを生産するのに、水を10ton必要とする現状だ。挑戦を許さず、競争を暴力と言って共倒れを伝統とする妙な国家。まっぴらごめんだね。まずは、自らを徹底的に鍛えて、自分自身が何者なのかを刮目せよ。さもないとあっという間に要らない人認定されちゃうよ。そんな時代が、ほら、もう海の向こうには来ているんだから。若者よ、老人に遠慮するな!頼むからさ!