未だに大学人の知恵は無料だと思っている企業が多過ぎる。理由は有るのだろうが、それを前提として迫ってくるから恐ろしい。最近は極力、口を閉ざすようにしているのだが、何でもかんでも聴けば応えてくれて、それを自分の持ち物として、自在に利益に換えてしまう。ハゲタカジャーナルは有名だが、自分では何も生めないからハゲタカになる企業が多くなってきている。大いに注意をしなければならない。
大学人も気を付けねばならぬ。ついうっかりは通らない。自らの知恵は公共のものなのだが、それは無償という事では無い。例え税金で育てて頂いた頭脳であっても、そこから生み出した知恵は、対価を取って還元しなければならない。その対価はその環境維持に使われるべきであって、自らもそしてその組織に居る全員に対する責務である。組織としては大学人の知恵を護るルールを持ってはいても、自らが知恵の泉となって分け与えられてしまうとどうしようもない。
ハゲタカジャーナルは調べようと思えば何とかなるのだが、レフリーが査読内容を読解して、自らのグループに実践させて、先に投稿してしまうことが横行したお陰で、投稿日を付す真っ当な論文誌が増えてきたことは好ましい。何を信じたら良いのかと思うのだが、創造した知恵を守ることはとても難しいということだ。教科書に載っている知識の伝授とは異なるのだ。知恵と知識を混同してはいけない。仕事と作業を混同するようなものだ。
自らの知恵がどのような価値を生むかもしっかりと認識しなければならない。今までの何をどのように変えて、その変えた結果、社会はどんな変化をするのか。それを考えず、単に面白いからということでは広がりが無い。純粋な自然理解が目的であっても良い。それは究極の姿だ。それを成せる者はそれを追求して頂くのが良い。しかし大学人であればそれをもって、若者を学問にいざなって頂きたい。社会の価値は若者の活気なのだが、それを創り出す、大学人の知恵の深さこそ根源だ。それを盗難してはならない。