天空の人々の幸せ

小生はタワーマンションなるところに住んだことは無いし、友人においても居ない。標高20m以上の空間で生活していると、蚊が飛んでこないというお話は都市伝説として聞いたことがある。仕事では23階会議室で缶詰みたいなことはしょっちゅうではあるのだが、その際に窓を開けていたことが無いので蚊の実体を確認出来たことは無いのだ。猫となんとかということなのだが、山のてっぺんに立っても見えるのは山々であって、都会のジャングルを睥睨したことはない。

したいということではない。ふと思ったのだ。玄関からいきなり居住区域という生活ではなく、自動ドア(妄想)を通り20階以上にしか停まらない高速エレベーター(空想)に乗ってエレベーターホールに出て、何やらのセキュリティゲートを抜けて自宅のドアのセキュリティを解除して漸く居住区域に辿り着く。窓の景色以外は平地の家とおんなじなのだが、蚊が居ないという特典はある。それだけのことかと思ってしまう。

自動車の排気ガスは上がっては来ないだろうし、騒音も無かろう。静寂の獲得には申し分ない。それでも山道を一人で歩いている時の静寂には敵うまい。静寂の質が違う。負け惜しみをどれだけ並べても情けないのだが、手の届かない空間を手に入れて、それでその方はとっても幸せなんでしょうね。思ったことが無いので解らないのだ。

どうしてこんなつまらないことに気を回したかと言えば、ゴミ収集車に街角で出会ったからだ。家々が出す、少なくないゴミとなってしまった資源を回収してくれて、生活区域内がゴミで溢れることを防いでくれている。タワーマンションだと、1台では回収しきれない量が出てくるんでしょうね。回収効率は高そうだが、一方で、住民一人一人がゴミを持って、収集日限定でエレベーターに乗っていたら、その瞬間、悲惨だなぁって・・ちょっと想像してしまったんですよ。新幹線から見える巨大な塔の生活って、ある意味、突き抜けてしまった方々がいらっしゃるとすると、日本の未来の一つが見えるのでは無かろうかと。興味はあるけれど、ご免こうむりたい。誰か聞いてきてくれませんか。都会のジャングルを毎日眺めて幸せですかって?

人口減少で何を獲得するのか

台風ではないけれど、大雨にせよ、強風にせよ、この地球のエネルギーを人間生活のエネルギーに換えられないかと、先人たちは水車や風車を回した。回転エネルギーを様々な加工の道具の運動に変換させ、CO2など一切排出しない加工技術を確立していた。それは実に見事である。一方で、その頃の日本に限って言えば、人口は3千万人程度であって、今の1/4程度である。江戸末期に日本に来た外国人は、勤労の習慣が無い国と評する一方、この国ほど幸せに満ちた国民を他に見ることは無いと記述を残した程の国家であった。

海外の機関活用型エネルギー発生で、紆余曲折しながら500兆円超えのGDPに、1990年代には到達した。この頃が、正にピークであり、その頃の戦士の方々がリタイア世代に回ってきているわけだが、もう10年するとそれを現役で知る人は、社会を引っ張るステージから下りることになる。ステージは上るより下りるほうが大変だ。上る前よりも一気に落ちる可能性がある。それをどう食い止めるかが今の日本の有り様だと考えている。

ほじくれば無限に資源が地面から湧き出てくる時代と言っても良かったのかもしれない。いや、無くなることは知っていながら将来のことなどほったらかして、今を謳歌されたのかもしれない。と、言うか、小生は学生から教職に移る頃だったが、いけいけどんどんであったのは間違いない。24時間働けますかというのが入社の条件だった気がする。全員がそうだったのだ。ブラックなどという概念は無かったわけだ。

人口減少というステップによって日本が何処に向かうのかということだ。人類的には縄文期から弥生期への農業改革による人口拡大によって、精神的革命期の終焉であり、江戸から明治へ向かって心の革命期の終焉があったわけだ。次のステップにおいて何を失い何を獲得するのかということである。倫理観だけは失いたくない。三方良しで良いではないか。自分で考え行動する。基本に立ち返り、明日、成すべき行動が将来を築くことを考える。そんな時代である。

台風に好かれているか?

自然の驚異、猛威の一つとして台風災害は、近年、日本における自然災害の中核となってきている。地震雷火事親父の「親父」は九州地方における台風の総称だが、人が受ける被害の大きさにおいて、親父よりも台風であるほうがしっくりくる。親父の権威など、とっくの昔に無くなり、単に居るだけ、いや、居ない方が良いとまでされる地位であるが、その点は、台風は来なくても良いという点においてご同輩と言っても良かろう。恵みの雨はよろしくても、甚大被害をもたらす豪雨はご免こうむる。

やや不謹慎だが、今年の台風と小生の活動がやけにシンクロしているなと感じている次第。某山奥にあるミツバチ関連施設に出掛けたのだが、台風5号の影響で、倒木に進行を妨げられた。台風6号は木曽地方での研修に重なった。どちらも直撃というわけでは無いのだが、影響は大きかった。広島往復に関しては台風10号によって悲惨な状況であったわけだ。

台風11号は年に一度の体育授業の最終日の実習と重なり、強い風で難儀を強いられた。東京での講演は今も千葉県において停電を継続させている台風13号の多大なる影響を受け悲惨な状況であった。そして先日、台風15号によって金沢視察に影響が出た。全ての台風というわけでは無いが、小生がやや長距離を移動しようとすると、その日程に合わせて台風が迫ってきて影響を与えてくれる。なんということだ。

今のところ、計6回の遠隔地でのイベントを台風によってかき乱されている。過去、記憶にないハイペースである。同じイベントに同行している人は居ないわけだから、誰かさんが嵐を呼んでいるということになるのだろうか。まぁ、太陽燦燦、波風絶たないなんて小生には似合わないのだが、だからと言って台風に追い掛け回されるのは如何だろうか。まだ、台風シーズンが終わったわけでは無く、海はまだ熱い。小生の出張とは真逆の方向に行くか名古屋から動かないかを選択することをお勧めしたい。次は10月10日だが、静かな移動であって欲しい。そう願いたい。

黎明は何時?

小生がガキの頃、田中角栄氏が日本列島改造論をぶち上げた。何もわからず、何がどうなるかも理解できず、大雨で街が水没しなくなるのだな位にしか思えなかったが、千葉の停電とその復旧の体たらくを体験してしまうと、改造の仕方が間違っていたのではないかと感じる。電力発生源として低コストを考えると、未だ原発を超えるものがありませんねと、原発に縋り続ける状況である。共同溝に電力線が収まっていたら、かなりの部分の停電は避けられたのでは無いか?

エジソンの素晴らしさは、お金儲けの為に電力網を創っただけではない。その電力網が社会を醜くしてはいけないと、アスファルト舗装によって電力線を地中化する手法を考えたことだ。地中作業は架空作業に比べればコストは甚大となるだろう。しかし、そこにこそ税金を投入する価値があるのではないか。電力網では無いが、交通網を考える時、なんでこんなに渋滞するインターチェンジを作るのかと、不思議に思う日本の道路構成。

そんな渋滞に巻き込まれる時、丁寧さが欠けているなと感じるのだ。四日市の新東名なんか、もう壊れてしまったしね。いい加減さが漲っているなと情け無くなるのである。利用者の快適を考える丁寧さこそが思いやりであって、作り手の都合を超えるべきだと思うのだ。初期のオーディオ機器を構築した、後のウエスタンエレクトリック社のメンバーには、精神医学者まで参加していた。心地良いとは何かからオーディオを作り込んだ。これこそ利用者の快適を考えたものづくりだ。小生はそれを根幹に置きたいと思っているのだが、常に追いかけるばかりである。

学理としての情報学の進化が世に存在するべき機器の存在理由を決める時代になっている。工学の中核が人間の脳活動を学理とする学問に定められるべきであり、そこからものづくりの方向性が決まると考えている。しかし、人間の繊細なセンサー機能とそこから得られる情報を包括して次の活動に移動する意識活動にどうやって「もの」の能力を近づけて行けば良いやら。一つ言えることは、今ある機器の精度・確度など、まだまだ足りないということ。だから頑張れる。究極のオーディオを目指しながらも、先輩諸氏の圧力で挫折し自ら命を絶ったJBLの世は払拭されなければならない。しかし、今の日本、なんとなくそんな時代の継承だなと、黎明は遠いなと、なんとか近づけたいとあがく、私であります。

5Gに想う

心配だなと感じるところに、自動運転と5G技術活用の遅れがある。まず、IoTでAIでなんて、あいうえおと九九からという学びの手法を永遠に変えない日本の有り様がそもそも心配の根源だが、産業発展の観点からすると、この2点の世界で最も遅れた姿に悲しくなる。自動車に関しては、確かに安全重視という事には異論は無いのは当たり前である。ならば、それこそ何にも使われない国際展示場内で、1/5モデル自動車で良いから、都会モデルとそこに走り回るジオラマでも作ったら如何か。人の動きはAIに任せたりしてね。5年後、10年後の社会の街の有り様を考える上でも大きな知見が得られるであろう。

実車での実証実験も大いにやるべきだが、これなどは奥三河に特区を作って、モデル実験の実証を大胆に進めて頂きたい。超高齢化社会を支えるのは、ベテランの知恵が現場に反映される社会的通念である。高齢者の方々が、行きたい時に行きたいところに行けないと意味はない。それを実現するには無人・自動運転によるモビリティの実現は必須である。それを踏まえてどんどん進めるべきである。

5Gに関してはスマート工場の実現は当たり前の選択肢であり、生活における行政サービス、事務における紙面の消滅等々、様々な価値があるはずなのに、あれはダメ、これはダメという既得権益と高齢者の威張りが我が国を世界最貧国に貶めている。日本はまだまだ成熟社会では無いのだなと感じるのだ。誰かがやってくれるから、自らがやってみようということを誰かがサポートしてくれる社会にならないものか。

そこからなのだと思う。誰かが数字をゼロから始めようと言い出すのは。ゼロからで良いではないか。誰かがやっているから寄り添うのではない。何が起こるか分からないから共に挑戦しようという世界で良いではないか。道具も機会もそこそこある日本だ。腐らず、コツコツ頑張るとなんとかなるような気がする。絶望はまだまだ遥か彼方のことだと思う。

今を考えるべき

平成30年度統計であるが、65歳以上人口比が24.8%、15歳未満人口比が12.9%の国である。小生はかろうじて15歳以上64歳以下に入るのだが、62.3%が人口比となっている。メジャーな割合ではあり、かなりのご同輩がいらっしゃるのは電車の中などで理解は出来る。しかし、時の流れは着実にその上の人口構成にいざなってくれるのだ。15歳未満人口が突然、増えるわけはなく、御存じの通り、超高齢化社会へと突き進むのは時間の問題である。いや、既になっている。

何を持って「なっている」と断言するかは難しいが、新しい事を受け入れない、過去の栄光に縋って、そしてそれを若い世代に押し付ける状況は、頭の中が超高齢化社会であると小生は断言したい。いつまでも予算規模を拡大させ債務を増やし税金を増やす。平安時代から続く日本の伝統芸ではあるが、いい加減に考え直せよと言いたい。言いたいが、それを承認する割合が他を圧倒するので、国政は変わらない。

超高齢化社会が悪いと決めつけているわけでは無い。先日、山遊里というところで手作りソーセージドッグを食してきたのだが、これなどは地域ベテランの方々の知恵の結集であり、パンも含めて手作りで美味しく頂けた。生き生きとされ、企画も実行もベテランの方々の発想だそうだ。生き生きとされ若者を見下さない自然体がよろしい。

人間は生まれてから死ぬまで、歯の食い縛りと血の滲みを伴うのだ。今の苦しみを他人のせいにしたいがために高齢者の若年者いじめが始まるのだ。苦労が成功になるのは良い、しかし、目の前でくじける若者も、その昔の自らの鏡と思うか、己惚れで塗りつぶすかの違いは、その人の歯の食い縛りと血の滲みの深さ、大きさに依存する。所詮、人の世、人の活動である。お互い様である。大切なのは「今」である。それだけのことだ。

箱物

ちょっと気になっていたので、ステアリングを握り空港に出掛けた。そこには既に墓標と化した国際展示場が何も無かったかの如くに横たわっていた。海外からの輸入に掛かる税金が要らないというのは大いなるメリットだが、そこに行くというか、島に渡る手段が名鉄と高速道路だけという他を圧倒する不便さと、一見しただけなのでわからないが、ビックサイトより小さい建屋を使うイベント感覚の無さにおいて、箱物が増えただけだなぁと思った次第。関係各位には申し訳ないが、あれはいかんね。

何が何でも中途半端。工業製品出荷高で日本一の名古屋港を有してはいるが、その他、農業産品以外で何かあるか?リニアだって何時来るか分からない。リニアを降りて1時間掛けて空港島まで行けと言うのか?それなら世界最大くらいの勢いの施設が必要だろう。今の日本に欠けているものはそこだと思う。

もう一つ感じたことには、やはり海外旅行客が減少しているなぁと。連休でありながら、普通に歩けるのですよ、空港の中を。出発ロビーを抜けてオープンデッキに進むわけですが、通常でもごみごみ感が高かったはずなのに、それがどうして普通に歩けるのです。大きな荷物を積み込んだカートを押しまくる人もあまり見かけない。これは確かに影響が出ているなと実感した。

そんな光景に出会い、国の栄枯衰勢とは一瞬の事だなと実感する。枯れて衰退の後に勢いを掴めるかということだが、かなり難しい気もする。人の意思、人の勢いは、結局は人を思いやる心が土台になるのだと思うのだが、公共の場においてもそれに出会うことは稀である。ゼロでは無いから救われるが、ほぼ、稀である。一方で千葉でのボランティア活動などは純粋だ。敬老の日を迎え、敬うとは何かを見つめてみたいと思った次第である。

熊本旧居

週間夏目漱石的な戯言週間でしたが、取り敢えず何を紹介して終わろうかなと思ってはみたものの、どれもこれも素晴らしく、締めのご紹介ということにはならないので、悪しからず。まぁ、戯言で漱石を語ることそのものが恐れ多いので、小生的にもこれは一番素晴らしいなんて序列を持っているわけでは無い。全てが素晴らしい、そうとしか言えない。

後期三部作と呼ばれる彼岸過迄、行人、こころであるが、これらの作品は、正に嵐の如く読み手の心を奪い去る。行人の如くは一行読み進む毎に胸が締め付けられ、没頭を迫られ、通勤時に読んでいる際に、どれだけ乗り過ごし、降りる駅の手前でタイマーが鳴るように設定したのは行人からである。いずれにせよ、一読では勿体なく、風景を味わう如く、自らの気持ちと経験から、そのドラマの中に自らを置いて読むべきである。いや、書物の中に飛び込むべきである。

全集や画集はその場所を大きく取るわけだが、寺田寅彦や内田百閒の全集も併せて書棚に並べると、それは壮観な景色で浮き浮きする。漱石一門の作品群においても、その時代背景を体感でき、それらによって、更に漱石の作品の深さを実感できるのである。景色を実体験しては作品の光景のイメージ化を阻害すると述べましたが、一か所、行ってみてはどうでしょうというところに、熊本の漱石旧宅が御座います。

夫人と暮らし始めた建物がそのまま残り、寅彦が下宿を断念した馬小屋まで残り、これなどは、寅彦と漱石の関係を体感する上で重要な体験でありました。明治の遺構は日本ではとても少なく、戦災もあり、漱石の景色は殆ど体験出来ないわけですが、熊本で6回引っ越しした中で一番良かったと言っているくらい、立派な旧居です。明治村も良いけれど、熊本の旧居は良いですよなどと書きながら、作物への想いは深みにはまるので止めておこうと、やっぱり趣味を書くのはどうかなと、迷い抜いた漱石週間でありました。

三四郎は名古屋に降り立った

猫、こころ、坊ちゃんとくると次は何だろうと悩んでしまうが、やはり名古屋駅に降り立つ描写がなんとも地元的なのが三四郎である。三四郎は東大に行くわけだが、それが故に、東大に「観光」で何度か出掛けた。後に三四郎池と、逆ネーミングされる大名庭園の池の風景が好ましく、高校、大学の青年がその男女の描写に胸をときめかせていなかったかと言えばきっと嘘である。まぁ、こんなところなのだが、今週の戯言が余りにも浮世離れしているのでばかばかしいと仰る方が「大勢」いらっしゃるのだが、そんなものは全く無視なのが戯言である。文句があるなら読むなと言いたい。

初見の赤門の旅は、30年以上も前の光景であって、校舎郡もまだまだ古めかしく、本郷三丁目付近も、今のようなこじゃれた雰囲気ではなく、だからこそ、三四郎の世界をイメージ出来たことは幸いであった。今、初めて三四郎を読む人は、その雰囲気を味わうことは不可能で、それは寂しい事ではあるかもしれないが、全てをイメージしつくせるという点においては、30年以上も前の景色を体験できたのは有難かったのかもしれない。

日本は滅びるねという広田先生の一言は、今も、新幹線の中からの光景に感じるのである。未来への予言ともとるべきその一言は、当時の新聞連載小説において、検閲除去されなかったことは奇跡であろう。だからこそ文学は素晴らしいのだ。低俗な政治的検閲などを跳ね返し、文学者の成すべき活動を最大限に発揮しているという点において、三四郎はエポックメーキングな作品であった。

この後の作品の基盤ともいえる作品である。小説の体を成すと言っては恐れ多いが、それまでの小品とはまるで異なる構成であって、文章からビジュアルを描けるという点において、感情移入が凄まじく、最も繰り返し読んでいる作品である。何度読んでも新しく、若々しく、そして美しい。

坊ちゃん考

漱石の大衆文学の金字塔と言えば、それは坊ちゃんであろう。痛快活劇ではあるが、読み終えた後、結局、強いものが勝つという結末は、現実的であって、今一つ、小生的には盛り上がらない。そんな思いで松山に旅をして、道後温泉の漱石が好んで使った部屋の隣を借りて大の字で天井を眺めた時、何となくだが、少し面白い心地になった。笑える話だが、何故、その部屋が空き部屋だったかというと、なんと、外と隔てる障子を張り替えていて、誰にも使わせない状況だったのだが、仲居さんが間違えて?部屋を小生に与えてしまったわけだ。浴衣に着替えるのがやや大変であったのはご愛敬である。怒って出ていくようでは旅は出来ない。

漱石が居た場所だと思うだけで愉快になるのだが、松山の土地の形状がそんな思いを抱かせたのかもしれない。坊ちゃん列車に乗ってみて、マッチ箱の様な汽車も体験し、お城の山を見ながら街を眺めると、漱石の時代とはまるで異なる景色なのだろうが、低山を見ながら決して小奇麗では無い空気感が坊ちゃんの街並みだなと感じるのだ。

小説の舞台に立ってしまうと、これがいけない。むしろ、全くの空想の中に描いていた方が、読み方の幅が広がるのだ。いや、これは小生が勝手に思っていることなのだが、情景が明瞭に空想できる坊ちゃんにおいては、特に、その効果が効き過ぎてしまう。松山に出掛けて坊ちゃんを読み直してみたが、全ての情景が現実に置き換わってしまった。

幸か不幸か、復元されていた愚陀仏庵が土砂崩れで崩壊した直後に訪れたので、漱石がどんな雰囲気で暮らしていたのかは空想のままであって、ほっとしているところはあるが、道後温泉本館などは何しろそのまんま残っていますからね。坊ちゃんは直筆原稿が冊子にまとめられていて、その筆の勢いを味わうことも出来る。漱石の奥さんが「勢いが凄かった」と仰るように、勢いのある、正に、原稿用紙に文字が浮かび上がったというような作品であったのであろう。これなども真に書きたかった胸中はなんであったのか。謎めいた作品で高尚である。