ハーメルンの笛吹き男に思う

グリム童話でおなじみのハーメルンの笛吹き男のお話は、世相を反映していて実に興味深いと感じている。あくまでも小生はそう感じているということで客観的に何かを語ろうという事では無い。童話のお話は「お金を上げるからネズミを退治してくれ」という町民からの依頼でそれを請け負った笛吹き男が、笛を吹いてネズミを溺死させたのに、町民は笛を吹いただけではないかという言い掛かりを付けて、対価を支払わなかった。それで笛吹き男は130人の子供を連れ去ったというお話だ。

1284年6月26日に生じた、人口2000人の城壁都市から130人の子供が一夜にして消滅するのだ。明らかになっているのはこの事だけであって、子供達の消息は不明ということになっている。具体的な資料としては事実のあった日から100年後に口伝を書面化したものだけである。ねずみのお話は全くなく、城壁外からやってきた男子が笛を吹きならして子供を連れ去ったという記載が残っている。

丁度、ヨーロッパでは飢饉や疫病による大量死の時期と重なるので、様々な憶測が飛んでいるわけだが、子供達がその後どうなったとか、何よりも何故そんなことが起こったのか全く不明のままであるが、事実は子供が130人いなくなったという事と、今でもハーメルンの街には音楽等禁止の通りがあるくらいだから、笛吹き男は居たのかもしれない。

何が言いたいかというと、情報が正確に伝わっていかないと、社会に不信感を持たれるなということである。組織として何処に向かっているとか、事実として何が発生したとか言う事を議事録をしっかり残し、つまびらかにしていく今の機構の推進会議のやり方を堕落させては決してならないということだ。どんどん改革を進めなければならない。「報連相」がおろそかにならないようにと思った、ハーメルンの笛吹き男であった。

生涯スポーツ

100歳現役人生と叫ばれているわけだが、その根底には精神と肉体が健康で健全な状態にあることであろう。ドライブレコーダの普及であおり運転が注目されているが、あおり人生を食らっているようでなんだか厳しい。一つのミッションをこなすと、確実に厳しいミッションが襲ってくる。ミッションのドミノ倒し、あおられ続けてどこまで耐えることが出来るのか?

食は勿論だが、体を動かすことの大切さを体育講義で毎年認識する。生涯学習とか、生涯スポーツとか言われるわけだが、昼間に行われる講義で練習場に出向くと、昼日中にご高齢の方々が力みのないスイングで真直ぐにボールを飛ばすその技量に驚くと共に、その健康振りに感心する。運動時だけではなく、食事の際の笑顔に感動するのだ。

工学者である以上、常に発展的思考をし、新たな発想に至ることが求められるわけだが、その為にはスポーツはとても優れていると感じる。企画、立案、実践、評価の繰り返しは、正にスポーツ競技の中では定常的に行われることであって、体験学習としてこの上ないものである。

友人達と助け合いながら競技を続けていくうちに、自らの頑張りがチームそのものの強みになっていることに気付き、それを喜びと感じ始めることに触れられることは、コーチとしてこの上ない喜びの瞬間である。マナーやエチケットという生活環境の中で必須の事柄も、自然と理解し納得していく様は、教育者として存外の喜びであった。メンバー諸君に感謝である。

異界は何処に?

子供の頃に周囲の者から所謂異界の話を聞かされ脅された者は、生涯、その恐怖を抱き続けるのだという。侍は5歳まで、決して異界の話を聞かさなかったそうだ。侍ほどの者であっても、いや、だからこそ、異界は恐れるべき世界であったのであろう。刀で切れないその相手は、あってはならないものであろう。

人知の及ばないことは、人の手によって発生することは無い。もしも何かわからないことが生じることがあるとすれば、それは単に理解出来ていない出来事なだけであって、異界の仕業であることは無い。だから努力によって解決される。これは人の世の在り方である。

競争を強制され、戦いを強いられ、人の気持ちが獣化していくと、それは異界の生き物になっていくということなのかもしれない。組織が大きくなればなるほど、組織的戦いを強いられる。疲れ果て、人の心が薄れていくと、もうそこには乾いた異界の者のやりとりだけが残る。

どんな状況に追い込まれても、そうはならない人も居る。この人がどのようにして構築されてきたのかそれは謎であるが、それも人が相手だから成せる業である。魔物は怖い。しかし、異界は無い。あるのは人の世の魔物である。浮世の鬼である。退治するべきは人ではない、人の心の鬼である。組織が鬼を作り人がそれを退治する。なんとも恐ろしい世の中だなと、出来損ないであっても人でありたいものだと心底思う、私であります。

人間ドック

病院というところは、人の魂と肉体が分離する確率が、どっかそこらの喫茶店に比べたら格段に高いところだ。生きている人達の集まりでは何とも感じないが、亡くなってしまった、例えば親であったとしても、何かしら異なる世界の人なのだなと感じてしまう。縄文時代の世界観は忘れてしまったので魂の輪廻を信じることは無いのだが、感じることはある。

誰でもあるとは思うのですが、デジャブ―というか、これって何処かで体験したのではと感じることってないですか?病院においてそれがしばしば起こる。起こると言ってもそうそう病院などには出掛けないから、滅多に感じることは出来ない。病院に向かっているときから、何故かそこを歩いている、無意識に病院に近づいている。更衣室で一人で着替えていると、必ず誰かがそこに居る気配を受ける。

廊下を歩いている時など、必ず誰かが隣に居る空気を感じる。波動となって現れる。病院などには行くものでは無い、そこから出た時の安堵感たるや半端ない。病院は小生には似合わない。似合わないが、この年齢になると、人間ドックなる強制収容所にも似たところに年に一度は通わねばならぬ。通うと謎の目線に出会う。

結局は自分の気持ちの持ちようであるから、何があるわけでは無い。何かあるとしたら、それは命がもたらすモノだろう。命が亡くなった肉体に、何か、異様さを感じてしまうのは、既に気持ちが通じなくなっているその状態故であろう。人同士であれば恐らく気持ちは通じるのだろう。そんなことを想いながら、今年も健康診断の追試で病院に出掛ける羽目になった。段々、あちらの世界に呼ばれている。そんな気がした。

夢一夜

丁度、この頃である。何故か、同じ、そう、全く同じ夢を見る。どれくらい同じかと言えば、はっきり「誰がどこから何を言ったか、そして受け答える側が、きっちり判断出来、会話が出来る程に、同じ夢だ。同じというか、それこそ、本当に同じ夢なのである。

それは、これから進む側に地獄があって、そこに入るかどうか、判断のゲートの出来事である。小生の亡くなった、そして、それは生まれる前であったから、会ったことは無く、本来であれば誰かは判らない筈であるが、それは長兄であることは間違いない。

地獄の門で裁きを待っていると、その方が「こちらに並べ」と言う。あっ、今年もその列だと思った時には、その方の指示に従って、その年々の列に並ぶ。すると鬼が小生をつまみ、天に放り投げ目が覚める。

もしもそうでは無い列に並んだとするとどうなるのやら。それは全く分からないが、ある日時まで、きちっと毎年、同じ日に見てきた夢?である。ところが最近、見なくなった。突然、癌だの、失明だのと医者が喚く。成る程、天命には逆らえないということだな。逆らわないが、もう一度、あの夢を見させて下さるのであれば申し上げたい。有難うございますと。

病院にて

終戦後、復員されていらっしゃた方々が、山里にも漸う戻って来られたころ、その人は川べりの病院に詰めていた。横須賀など、著名な港の近郷の方々ですら、陸に上がった瞬間に命を落とす時代である。港から200㎞以上離れた土地では、生き延びる術もない。

賢明な看病のお陰か、とある方は、包帯も一つ、二つと取れ、家族の方もその度に笑顔になり、その病棟から脱する日は、いつかないつかなと日増しに笑顔が増していく。それは幸せな時であった。

山奥の病院は、小生の知る限りでは川べりに建つ。それも冬は病院よりも大きな氷柱が出来るような、そんなところに建つ。小生もその病院に小学生の頃に祖母が骨折で入院したので通ったのだが、複雑に入り組んだ、そして、何故か空恐ろしい空気に満ちた病院であった。そこで聞いたお話だ。復員された方は、いよいよ、退院の日を明日に迎え、家族、親族どころか、村総出で祝福の日となった。

その夜、宿直の看護師殿が見た姿である。復員された方が、見回りの時、寝台にいらっしゃらない。看護師殿はおやっと思い、水飲み場、厠等を見回られたそうだ。どうも胸騒ぎがして安置室に行ってみると、何やら音がする。行燈を持ち扉を開けると、あの世に旅立たれた方の腑を食し「お前は見たな」と・・次の朝、復員された方は腐敗していらっしゃったという。祖母が若かりし頃の想い出にしては、語り掛ける目じりが怖かった、そんな夏のお話である。

輝く程に真っ白な、そう、『白』とは穢れ無き輝きを持った、尊い次元である。何物にも代えがたい、そう、絶対的な素晴らしさだ。その人は『真っ白』な猫を身近に置き、常に語り掛けていた。

とある時に、それを好ましく思わない、いや、とある理由の為にはそれが最善の行動であったのかもしれないが、好ましく思わなかった人は、それを遠く、二度と見つからないところに追いやった。追いやられた人はそれを追い求め彷徨ったが、決して見つからなかった。それは昭和32年の事である。

ある夜、縁側で啼く、その猫を見た。その人はゾクッとなり、扉を閉ざしたまま、ごめんなさいと手を合わせた。とある家の長男を身ごもった時、その義母は、子供を引っ掻くからと真っ白なその猫を遥か家の外に出した。泣き叫び探したが戻ってこなかった。が、その子が天に召された夜、縁側にその猫は返ってきた。その人は、扉を開けられなかったという。

時が20年過ぎ、家の西に建つ工場を眺めていた小生の目の前に、真白き猫が、金網を縫って、膝にやってきた。尋常ではない姿であった。その人はそれを受け入れ、爾来、数十年、そこに居た。ある日、筑波から戻ると、玄関に真白き猫は脛に寄り添い、そしてその後、天に召された。忘れるはずもないが、語るつもりもない。事実だけがそこにある。そんなもんだ。

良いものは高価で良い

様々な電脳グッズが海外ではあるものの、日本では発売すらされない。まぁ、市場的に小さいからということもあるが、先進的遊び道具に触れられないのは寂しい気がする。血圧計などは旧態依然の企業を護るだけのものしか見かけないが、海外では様々なツールが登場し、医療認可を受けている。許認可制度というもにに全面的に反対するわけでは無いが、法と既得権益に満ち溢れた日本に未来はなさそうだなとは、正直に思う。

夏休みなるものを取得できることから、一日、お休みを頂いている。月曜日に出勤したのだから、まぁ、許して頂こう。それなりにお仕事をしているのでご勘弁をというところだ。こんなところは、少しは環境が良くなっていると感じる。懸命に働くだけの日本人から、英気を養う時間を持てるようになってきたということかもしれない。しれないが、毎日、悩みは尽きないけどね。悩みも既得権益になっているのかもしれない。ちっとも益では無いけどね。

久し振りに電気屋さんで掃除機コーナーを眺めた。所謂、充電器タイプが華やかですな。金額的にはダイソンを筆頭に、かなりの金額のものが並んでいる。金額が高ければ良いのかどうかは分からないが、生活スタイルに合わせたものが選べるようになってきていて素晴らしい。重厚長大なものは、ワンルームマンションには不要だ。細く、軽く、気が向いたときにさっと使えるのが良い。掃除機は日本においても良いものを選択できそうだ。

水素水製造機なんてものが15万円の価格で販売されているのを見て驚いた。妖しい宗教グッズかと思いきや、売れていることにも驚きだし、その価格にも驚かされる。良いものは高価で良い。それで良いのだ。何でもかんでも安く買えてはいけない。水素水製造機を購入しようとはさらさら思わないが、本当に良いものを長く大切に使いたい。しみじみ思う。それで良いのだ。日本の原点はそこから外してはいけない。私はそう思う。

文藝春秋にて

本当なのですか?とマスコミの報道を鵜呑みにする人は居ないとは思うのだが、なんともニュースというものは人の目を引くものである。だからニュースなのだと言われてしまうと、それはそうですねと納得するしかない。今更のニュースで文藝春秋誌の「地震で原子炉は壊れていた」という記事だ。恐らく、政治家は何も言わず、これ以上の議論は無いとは思うが。

地震で壊れてしまうのであれば、万里の長城など無用のゴミであって、無駄なお金と時間を掛けて、国民へのアピールのため政治家とグルでやったショーだったのですかと問いかけたくなる。地震動によって炉心が異常となるのであれば、最早、原発の存続はあり得ない。直ちに全原子炉は廃炉とならねばならぬ。

ただ、これは雑誌の記事であるから真実では無い。いや、考え方の選択肢にはなるだろう。これは否定しない。確かにそれはあり得ても不思議ではない。というか、天地の鳴動に人間ごときが勝てる筈はないので、揺れて壊れてしまったというのは、むしろ、説得力がある選択肢とは思う。

津波の高さがうんぬんと、いろんな学者がシミュレーションモデルでえらそげに語ってきたが、本質は別のところにありますよと、そんな記事だからおやっと思った次第である。真実はどこにあるのか。化石燃料がほぼ無いと言っても良い日本。そろそろ本気で脱原発を考えても良いのかも。そんな気がする。

あの夜

三途の川のほとりまでくると、いろいろと思い出すことがあるそうだ。毎日毎日、35℃というラインを超える気温なのだが、暑いことが想い出として蘇った。それは夜の事である。四畳の下宿に戻り、久しぶりに横になって眠ろうとした夜だ。寝ようと努力したことまで覚えている。それが暑いのだ。いや、熱いという漢字を使っても良いくらいの夜であった。

寝苦しいとか、そんなものではない。暑いのだ。兎に角、空気が重くのしかかるのだ。扇風機は熱風を送りつけてくる。干物でも作るわけでもなし、扇風機すら使えないのだ。窓を開け放っていても空気は寸分も動かない。静寂なのである。揺れるものは何もなく、全てが静止しているのだ。

ブリキの屋根の貧しい長屋で、焼けた天井からも容赦なく熱波は襲い掛かる。オーブンの中より熱いのではないかと、そう思った。冷蔵庫を開けて抱きかかえても空しいばかりである。眠れない、全く眠れない。と、言うか、ひたすらに溢れ続ける汗に、そんな気持ちはおこらない。暑いのだ。

将来がどうなるとか、クーラーを持てる身分になろうとか、そんなことは何も思わなかった。きっと思わなかったに違いない。貧乏学生とはそんなもんだ。パンの耳をかじって本を読んだ。そんな学生にはお似合いの夜であった。灼熱の毎日。でも、あの夜の方が暑かったと、今でも思っている。