仮想空間にて

ドクターXだったか、総合診療医殿が患者から、あの手この手で情報を引き出して、最終的にジャッジを下す番組があった。人体が発症させる病気に関して、まだまだ解明されていないことが多く、医療の進化は人類の永遠の課題と感じる。その医療に携わることを志す方々に頭が下がるのだが、工学的分析もさることながら、それらの定量的なデータと、主観だらけの患者の発言をビックデータとして結びつける研究が世界で進み始めている。

その道のご専門の医師にお伺いしたのだが、問診のトレーニングというか国家試験の為の「模擬患者」がとても少なく、日本における総合診療医を育成することの障害になっているという。Apple社が出した50万円のARグラスなどは装着するどころか見たことも無く、どれだけリアルというかのめり込めるのか分からないが、その空間の中において、模擬患者を創成して、医師との対話によって自己学習させていくのだという。知らないからいい加減な内容になっているに違いないが、そんなものだ。

最初は標準語でスタートするのだそうだが、地域色豊かな我が国であるから、AI模擬患者においても方言を熟知しなければならない。すると、単なる工学者だけでは太刀打ちできず、文化人類学や民俗学の先生方にも将来は関わっていく事に成ろう。自然と領域横断型の研究になってくるわけだ。人を観るわけだから、当然の事とは思うが、それらの方々が一堂に会したら面白そうだ。橋渡し屋としてはこれ程の喜びは無い。

AIがサポートして頂けるのであれば、携帯端末で常に自分で自分を診ることが出来そうである。ちょこっと筋肉痛を、ストレッチの手法を教えてくれたりして。栄養管理もやってくれて、ピンピンコロリ一直線で、医療費ゼロの国になったら素晴らしいではないか。健康であることが一番である。そこに工学が携われるなら素晴らしい。半導体もそんなことに使われたら嬉しかろう。そう思うのだ。

何でも「質」が大切だと思っている。質が低下してくれば終わったほうが良いという代表例がNHKのブラタモリという番組であろう。小生的には継続して拝見することをしないTV番組において、継続的に拝見し続けた稀有な番組であった。どうも昨年くらいから、つまらないなと感じていたら、いよいよ終焉と言うことらしい。博学な方から博学を引き出してこそのNHKと思っていたが、それも無くなっていよいよTV離れが出来て有難い。

もうちょっと愛想が良いと有難いなと感じるのが窓口での対応なのだが、結果までのスピードだけを考えると、ぶっきらぼうでも正確無比にゴールまで一直線に活動して頂けるのが良い。市役所などでクレーマー諸氏を見かけるが、自らの定性的な依頼を反省することなく、定量的な結果を求める愚に辟易する。質問力が無い者には聞き力も無いわけだから始末に悪い。

博士号取得などにおいても質が重視されるべきである。インパクトファクターが無く、ハゲタカジャーナルであっても数があれば博士号を獲得できるような惨劇は無くなるべきだ。まっとうな論文を作成した者は、それが自らのこれからの人生の励みになる事であって、低次元の博士論文にずるさを感じる必要は無い。これからの生き様を自ら納得するのがよろしい。それだけで良いのだ。

気象庁の二週間天気予報を拝見したら、どうも最低気温が5度以下が今週もずっと続くのだそうだ。深夜の気温低下は睡眠の質を下げてくる。寝ぼけ頭の言い訳をするわけだが、春眠暁を覚えずとも言ってられず、暁の頃には職場に到達している状況が続く。丁寧に一つずつお仕事をしていかないと、この年度末の雪崩の如くのご依頼をこなしていけない。気合である。

ラーメン

小生的にはラーメンの食べ歩きの趣味は全く無いので「そんなもんか」と思っているだけなのだが、街のラーメン屋さんが、ゼロゼロ融資の返済および小麦等食材の高騰で利益率が下がってしまい、人件費確保などが不可能になり倒産していっているのだという。TV番組的には結果を報道するだけなので無責任発言で終わるのだが、ニュースいわく「ラーメンに高額を支払うことは出来ないから、利益率を上げられない」という。

別の報道では1000円を超すラーメンメニューでも行列が出来るとも言っている。先のニュース番組においてはラーメンは庶民の食べ物で、ワンコインが目指すところだ。だから千円などとんでもないという結論で、値上げは以ての外という事であったのだが、一方で、政府は給与を上げて価格転嫁が可能で、サステナブルなビジネスが出来る日本を目指すなんて言っているわけだ。後者の意見ももっともな気がするのだが、仮説がある。全ての人の給料が上がるという仮説だ。

AIの登場によって、多くの仕事がAIやロボットに奪われると言われているのだが、恐らくはそう簡単には難しいだろうと考える。差が出てくるのはAI使いの匠と、そうでない人達の仕事の質であろう。仕事の質に応じて賃金が設定される正しい社会になっていくとすると、千円のラーメンを食べられる人とそうで無い人が出てくるわけだ。その昔、一億総貧乏という言葉が使われて、ガキながらに「そうなんだ」と記憶している。

必死に努力して学んで、それを活かすことが出来る社会になって、世界に価値を提供出来て、それが給与となって跳ね返ってくるべきであって、金が金を生んで、バブルの様に実体の無い金遊び癖が抜けない政治家や経済界トップの思想が一掃されないと、本当に頑張る気になる日本にならないのではないか?経済活動が地球を滅ぼす状態にあるような愚かな星ではいかんだろう。

ネイチャーポジティブ

ネイチャーポジティブという言葉を、農工大学長殿からご紹介頂いた。現状、ネイチャーネガティブエリアに突入しているということなのだが、我が国だけではなんともし難い状況に世界はある。今ある農地に大量の農薬と肥料を投入しても、増加し続ける人類の空腹を満たすことは出来ないということだ。すると何をしなければならないかと言えば、不毛な砂漠を農地にするしかない。我が国では農地を宅地や工場、ソーラーパネルで覆うという訳の分からない方向に進んでしまっているが、退廃国家だなぁと思うのだ。

食糧の3割以上が廃棄されているということも大きな問題だ。保存食にしようとすると莫大なエネルギーが必要となる。輸送にしてもそうだ。食糧を無理やり海外から運んでいるわけだが、ちっともSDGsでは無い。綺麗ごとを言うなと常に言われるが、綺麗ごとを言っていかないと、小生が生きている間に、取り返しがつかない世界になってしまうのではないかと危惧するのだ。

アフリカにおけるサハラ砂漠の南進を防ぐ、グリーンベルト創造の取り組みを拝見して、これは凄いなと感じた。雨季を確実に捉えることで、砂漠を有機化していく取り組みである。これは日本の現状を真っ向から否定する動きで、とても羨ましく感じている。政府の支援待ち、資本投下待ちの活動では無く、そこにいる人がやりがいを持ちながら、経済活動としている。バイオエコノミーと言っても良いのではないか。

かちんかちんの大地をつるはしで打ち砕き、雨が降ればマイクロピットに溜まり、大地に染み入るようにする。きっと、原始の人達もそうやったに違いないと、人が成せる範囲で食糧を増産していく。出生数が激減しているが、それは定常状態となっていくだろう。人が成す機能の有り様から考えなければならない時代への突入という事だろう。人もネイチャーの一部だから、ネイチャーネガティブな現状では、人が減っていくのは当然である。何を今更である。

エントロピー

ずっと言っていることだが、エネルギーと食糧の自給率が100%で無い国は国では無い。物価と給料だけが上がれば国民は納得すると思っている政治家諸氏も総入れ替えの時期であろう。今が良いと、旧態依然を恋してやまない老害も、これにて終了にしては如何かと実感している。老害と言うが、若年層にも老害は多い。気を付けねばならぬ。挑戦という単語を忘れたら、既に老害である。今は変わるためにあるのであって、延長するためのものではない。

エネルギーが高騰しているから、温室栽培の野菜の利益が下がっていく。政治家諸氏は価格転嫁すれば良かろうと簡単に言うが、円安で肥料もべらぼうに高騰して、それらを含めて、人参一本300円ですと言われて、誰がそれを買えるのか?政治家諸氏以外は無理であろう。工業産品にしても、金型素材は勿論の事、刃物もそれを作る砥石にしろ、更に輸送コストだって人件費に転嫁するべきなのだが、目の前の「もの」が一体、いくらになっていくのだろうと恐ろしくなる。

某所で省エネの委員会などに参加をさせて頂いていると、乾ききった雑巾を、よくもまぁ絞って水をしたたらせるなと感動するわけだが、単品・単事業だけでは省エネ、即ち、低価格化は困難であろう。以前より思っているのだが、巨大な工場が農地にどかんと腰を据えることが我が国ではとても多い。食糧自給率を下げる要因ではあるが、そこで出てくる排熱を農業産品の育成に活用するべきなのである。鋳物企業殿に置かれては既に実践されているようだが、水も空気も、エネルギーを付加したものはとことん使っていくという形にするべきである。

工場排水だとか、排気だとか「排」の字を使うと、直ぐに反対運動が起こりそうだが、農薬で汚れた水を河川に流す農業従事者の方がよっぽど生態系に悪影響を及ぼしていることを、我が身を振り返って反省するべきだ。エントロピーの増大過程を制御して、ものづくりを見直していく。エンタルピーだけが注目されがちだが、エントロピー産業学というか、そんな考え方を農業高校とかでやって欲しいなと思うのである。折角ある学理である。人の生きる場面で活用したいでは無いか。そう思う。

脱老害

東大寺の門前で乗用車が人を死に至らしめるという、極めて残念な事故が発生した。他にもご高齢の方の運転の自動車が歩行者を殺傷する事件が無い日は無いという感じがする。何歳だから運転免許証を返納するべきだということは、個人の力量に依るところが大きいので、簡単では無い。しかしながら、生命であるから老化するのだ。これは如何ともしがたい事実であって、どこかで退席しないといけない。一区切りを逃してしまうとずるずるといってしまう。

人の怠惰な精神構造は清新の理想を求めることは無い。どんなに地球環境に素晴らしくとも、自らの生活環境に苦役が見えると、その行動を選択することは有り得ない。他所の国の事だからとやかく言わないが、こんな暴力的な発言をする人を大統領に選んでしまうのだなと、これも同様の審理であろう。苦役を与えないリーダーこそ素晴らしいということなのだろう。ひょっとすると事故を起こしてしまうかもしれないが、自動車が無いと不便なところに住んでいるからという言い訳で、結局は人を殺めてしまう。

戦後のこの国を振り返ると、労働させて頂く有り難さから物資所有の喜びへ意識がシフトした。即ち。人間力向上から金銭力向上へのシフトである。それは見せかけの西洋化による日本的文化喪失へと繋がり、心の繋がりから目に見える愛情表現へ価値観がシフトした。更に創造する努力から平準化による量産へと仕事の有り様が変容し、仕事の創出から待ち受けの姿勢へのシフトに陥った。人間力を向上させない金銭・物質的豊かさが、生みの苦しみから生きる苦しみを創造した。

苦役は嫌だという声は明かに正しい。言われた仕事を請け負って金銭を得ることは間違いではない。高度経済成長は日本人から創造の誇りと達成の幸福即ち「歯のくいしばりと血の滲み」から得られる明日への期待を奪い去った。自動車なんか無くったって、明日への希望はある筈だ。そう、ある筈と言い切れるこの国であって欲しい。残りの命をその為に燃やし尽くしてみよう。そう思う。

ネットプロモータスコア

あっという間に二月の最終週に突入である。年度が入れ替わるまでに約一か月しかなく、その間には様々な通達がお上からやってくることになる。財務大臣が税金の支払は個人の意思だなんて言おうが言うまいが、まぁ、様々な朝令暮改的なお話が密度高く襲ってくるだろう。株価はGDPと非連動に動き回り、実質賃金の低下は加速していくのだろう。大学入試が佳境に入ってきているわけだが、GDP競争力向上を実現できるのは若者のパワーしか無いわけで、期待させて頂くことにする。

名古屋市教育委員会と教員団体とのお話も、何が真実なのだか知りたいところではあるのだが、第三者調査検証チームを立ち上げるというお話までしか真実が分からないので突っ込みようがない。小生が存じ上げている校長諸氏にはなるほどという人物に溢れているのだが、その方々においては迷惑なお話であろう。ことの事実は全くの闇の中で、明るみに出てくる必要があろう。自殺があっても「いじめの事実は無かった」と言い放つ方を拝見していると、どうだったのかと勘ぐってしまう。

三月に向けて恐ろしいのはインフルエンザが型を変えて流行を始めていることだ。コロナ禍前は、共通テストの頃にピークを迎えていた筈だったのだが、どうも昨今は様子が違うらしい。夕方の満員時には分からないのだが、早朝の地下鉄ではマスクレスの方が「ごほごほ、ゲホゲホ」と咳を繰り返していらっしゃる。マスクは放せず、店舗などでも継続してマスク着用状態である。受験生諸氏も同様になさるが宜しい。油断ならない。

口コミ力ということかもしれないが、ネットプロモータスコアという、真の他律機能の伝播力が商材や企業力のゲージとして正式に認められ始めてきた。小生的には10年以上も前から唱えていたが、飽き始めた頃に社会が気付き始めるという事で、まぁ、主張は正しかったというか、例によって早すぎたというか。MOTも猛烈に進化して愉快である。大学も同様である。教育の質におけるNPSの高揚が存在意義となるだろう。時代の進化は急激だ。必死に先取りするのみである。

シーズ?

相も変わらずシーズ型連携の模索なのだなと、強烈に猛烈にがっかりしたわけだ。何を期待していたわけでは無いのだが、シーズからは何も生まれない。これは極端な言い方なのだが、水も栄養も無い砂漠に撒いても芽吹き、そして生き物を集める果実を付けるシーズを寄越せと言われる気分は、もう辟易である。これを書いている時に、ふと、18年前に、とっても偉いお方から叱責というか侮辱というか小馬鹿というか、頂いた言葉を思い出した。

所詮、SiCなんて材料は永遠にモノにならないから、お前の研究はゴミだ。鶴舞大学ではモノになる研究以外は認めない。俺の弟子達を見ろ!と、大いに怒鳴って頂いた。哀れなお話だなと、完全に忘れていたが、妙な事に思い出した。SiCが新幹線のメインパワーデバイスとして活躍するなんて未来は見えなかったのでしょうね。過去の実績にしがみつく研究者の哀れな末路であるのだが、言いたいことはこれではない。

シーズって、要するに「何処に撒いて欲しいか」も併せてシーズになり得る。もう一歩進んで「こんなニーズにマッチする、ニーズに寄り添えて、ニーズを高め、ニーズの影響範囲をこんなに広げられます」というブランディングと共にシーズを提案する必要がある。その様なシーズはマーケティングが可能である。顧客シェアも推定できるしね。特定分野にどっぷりの方にはピンとこないだろうが、気が付いたら水の無いふろおけに真っ裸で居る事に気付くのかもしれない。

俺たちが売ってやるからシーズを出せという方々を信用する程、間抜けでは無い。しかし、未だにそんな悪行が横行しているのだ。もっと恐ろしいのは、お前たちの育て方を盗ませろと、時間泥棒してくる輩である。この時期、年度駆け込みの報告書作成の為に、インタビューを受けてくれとどんどこ時間泥棒がやってくる。話を聞いて出来るなら、生成AIが世界中の民に食事を提供しているだろう。そうなっていないのだから、聞いただけでは駄目なんだよ。シーズとニーズの有り様すら分からないなら来ないで頂戴。それだけだ。

リスキリング考

リスキリングとかリカレントとか、なんだか簡単に語られてしまうのだけれど、アウトプット型とアウトカムズ型があって、人が本当に育ったのかまで考えると、そのエビデンスというか、チェックまで含めて極めて難しい。名工大は6年一貫を作ったけど、東大が5年一貫で修士を出すということなんだけど、どんな人材に育っているのか、その効果が発揮されるのは早くても卒業後5年後以上だろう。しっかりとアウトカムズを定め、そのKPIを定量的に用意しておく必要がある。

10年後どころか5年後すら推測は極めて難しい。その時期において、世界に向けた提案が出来ればそれは素晴らしい事だが、迫りくる事態において、どのように行動していくべきかを自ら判断し、他と議論出来、ストーリーを描き、アウトカムズを発信できる能力が求められるわけだけど、勿論、そんなに容易な事では無い。容易な事では無いのだが、AIのサポートを受けるのか、AIに従っていくのか分からないが、あるものの改良であればAIに任せればよく、新しい人の喜びをイメージ出来るかどうかがキーである。

夢多きお話である。記憶の羅列では無く、人への喜びを喚起できるかが肝であるわけだが、5年の後に限らず、水と食糧、エネルギーが世界中で増え続ける人口をサポートできるかという課題は加速こそすれ、無くなることは無いはずだ。それが満たされないと暴動というか戦争というか、継続していってしまう。そこにこそ、人材育成の効果が発揮されなければならない。大勢の中で意見を発信出来、更に、人の意見を聴ける力。聴き力ということなんですけどね。それを教育で獲得して頂くことは容易では無い。

省エネという分野に限っても、乾いた雑巾だと思っていたところが、実は大きな湖だったという程に、エネルギー消費削減に繋がったりする。いつも身近にあるが故に気が付かないということが沢山ある。異分野でダイバーシティ。どの様にそれを作るのかはAIが考えてくれるだろう。しかし、何故、それをやらねばならないのかは人間が考えねばならぬ。広い視野で思いやりを持てること。それが教育のベースにあるべきだ。三つ子の魂だとするならば、リスキリングは遅すぎるのかな。最近、そんなことを考えたりしている。

インバウンド

旅行客向けの売値と、地元民向けの売値が違うというのは、隣国では当たり前だが、この国においては、旅行客向けの価格に統一する方向性のようらしい。一部のマスコミ報道を鵜呑みにしているだけなのだが、様々な商材の価格が上がっていることを肌で感じる。某、廉価販売店は行列の大賑わい。給与が上がって商品価格が上がるという正しい経済状況では無く、海外の購買力に価格をマッチさせて、国民は置いてきぼりの気がする。

大学においてはアンタッチャブルだった授業料だが、それも上昇させる動きが顕在化してきている。それに追従するのかしないのか。するとして、学生サービスをどうするのか。物価スライド方式にしてしまう考えもありではある。次元の異なる少子化対策で2028年度から増税によって高校生年代までの手当が成されるらしいが、大学生というところは空白になっている。税金を納める立場が組織運営をしながら、学ぶ者からの納付金が変わらないとなると、組織としては干上がる方向に向かっていく。綺麗ごとでは無い。

ものづくりに元気が無くなれば、資源が知恵しか無いこの国は、インバウンド消費による収入と、そこからの税収だけしか頼るところが無くなるわけだ。国民不在の国家戦略ではあるが、例によって、それは国民が選挙で選択した行く末だから、民主主義的には従うしかないわけだ。小足棺桶の状態で何を言うかだが、震災から一ヶ月半掛かっても、上下水道が開通しない様を拝見していると、この国に生きていく事の不安が増してくるというものだ。

TVで能登半島で必死に災害復興に取り組んでいらっしゃる名古屋市水道局の皆様の働きを見た。名古屋市民の税金の正しい使い方であると感じる。寄付と同等である。こんな素晴らしい税金の使途があるならばどんどんと活用して頂きたい。インバウンドを期待するのではなく、国民の地力で国家が成り立つ挑戦に税金を使って頂きたい。国民も積極的に「今」を学び、その知恵を活かして頂きたい。どんどんとリスキリングや兼業が認められ、一人の能力が十倍にも活用されるような世にならないものだろうか。知恵の私物化の時代では無い。