悲しい大人にならないために

日本の得意技で、政治家諸氏が率先して実施するのがマーケットイン。忖度大魔王で、未来を一緒に創造するために汗をかきましょうとは言わない。これは何も政治家諸氏だけのお話だけではなく、「これは将来、危ない文言だから削っておくべきでは無いか」というご指導を多々頂けるわけだが、小生的には攻めた改革だけで生きているわけで、時間が経過した時に、漸く他が追い付いてきたねというくらいが丁度良いと思っている。実際には、その時間が経過した時にはとっとと先に行っているけどね。

ものづくりからことづくり、ことづくりから場づくりと、獲得利益が大きくなっているわけで、丁寧なものづくりで世界を引っ張ってきた自負のある我が国産業界にとって、単一企業によるものづくりではなく、すり合わせピラミッドによるものづくり型が進化仕切った結果、最終製品の楽しさ、嬉しさというよりも、場におけるサービスを叶えることが最優先されたものづくりとなってきている。単一の部品が、いくつもの価値に関わることで、部品不足で自動車を組み立てることが出来ないなどのニュースが飛び回っているのは周知の如く。

それが悪いというわけでは無い。ただ、開発エンジニアの価値って認められているんですかね?日本のガリバーという番組があるが、多く、存じ上げているお企業様が登場し、世界に冠たる企業であると褒め称えられているわけだが、多く、最終製品まで手がけていらっしゃるお企業なのですよ。B2Bであっても顧客の顔が見える。開発エンジニア価値を技術者が自信を持って認識できているということではなかろうか。エンジニアの価値創造能力の向上が新規開発の原動力になっている。

全ての生命にとって唯一の共通項が「時間の長さ」だ。将来は必ずやってくる。やってくる将来において、その時刻における旗手の皆様に胸を張れるのか邪険にされるのか。マーケットイン型もプロダクトアウト型もビジネススタイルとして固定観念化しているわけだが、大企業、中堅企業が市場忖度を繰り返している間に、漸くこの国にもマイクロサービスに資するマイクロプロダクトを上市する若者が増えてきた。旗手である。過去に忖度する方々は、もう、ご退場の季節である。時代は繰り返す。常に新しいことが定常状態である。だから先取りする。それだけだ。

遠方より来る

葉書が届く。かれこれ三十年になる。凄いことだ。この季節、決まって頂くそのお便りの温もりたるや。あぁ、今年もこの季節になったのですねと、やんちゃな時代を思い出す。まぁ、今も十分にやんちゃなのかもしれないが、あの当時から比べれば深層の令嬢と言ったら過言だが、想像付かないほど人非人であったと思うのだ。そのお便りは「大人とはこういうものだ」と言うことをしみじみ、そして切々と問うて頂ける。胸に手を当てよと。それでも当てないから困ったものだ。

叱られるわけではない、褒められるわけでも勿論ない。ただ、その方と過ごさせて頂いた12年間を思い出すのだ。当時は土曜日の午後に専門の集団ゼミがあって、それが面白くて道を踏み外した・・のではなく、今に通じる門を潜らせて頂けたのだ。なんだか偉い先生方が、自論をぶつけ合ってそれぞれの根拠をぶつけ。ディベートは続くよ何処までもと言うことで、結論は出さない。何故ならばどちらも、その時現在の証拠は正しく、そして不十分だから。今では分析可能な内容だったのかもしれないが、当時はエレクトロニクスは、まだ、超LSIが出来ていない時代だからね。PCよりもHP電卓の方が計算は早かった。

研究者という生命体の神秘もその方に教わった気がする。圧倒的な神ではなく、ねちっこく、しつこく、そして憎めない。人情に厚く、親身である。独自の色を醸し出す、唯一無二のお方であった。そんな方々に育てて頂いた訳だから、幸せでしたと言わないといけないのだろうが、そうでも無いとその当時は感じたこともあったわけだが、まぁ、時効だから許して頂こう。そんなもんだって。人と人ですもの。今はもう、全てが素敵な色ですよ。

来年も頂けるだろうかと、もう、その葉書を期待してしまう。お互いのどちらかが先に逝ってしまうのは自然の摂理だが、それまでは続けていきたいものだと心から願っている。これもお互いの執念で、きっと先方も同様に思っていて頂いているに違いないのだ。そんな方が小生にはたった一人ではあるが居る。これは宝物だ。そうに決まっている。

経済活動とは?

総裁選が喧しい状況において、半導体やハーネスなどの基本的部品の不足で車が作れないとか、「経済状況は活況に向かうべきだ」という大合唱が聞こえてくる。ワクチン接種の効果は間違いなくあったのだろうが、未だに重傷者、亡くなる方が減少したわけではない。英国の正しい報告では、50歳以下においては2回の接種者のほうが亡くなる確率が上がっているとか、不気味な情報も伝わってくる。ただ、これは人種の情報は入っていないので、まぁそういうこともあろうくらいに聞いているのが良くて、大切なのは2回摂取したからと言って「特効薬」が出来たわけではないから、肺炎等で亡くなる確率がゼロに為ったわけではないよと認識しておくことだ。

経済活動等、人間の往来が何時までも途絶え続けるということが良いことではない。ただ、ワクチン接種証明を持っていれば自由に行き来「出来る」のだとして、米国から自由に行き来が始まったハワイ州での急激なデルタ株感染者数増という定量データを拝見すると、まぁ、それも含めて認めないといけないのだなと不気味に思う。人間とはかくも抑圧に弱い生き物なのだなと実感する。抑圧されれば自由を求めて騒ぎ出す。自由ってなんだ?我儘じゃないのか?と感じるんだけどね。

10月からうやむやになって、11月から日本でもワクチン接種証明を持っていたら自在に動けるように経済活動を持っていくということ。途端に株価が上がるんだから凄いよね。政治家諸氏が経済界の方ばっかり向くわけだ。SDGsとか大上段に構えて、ゼロカーボンとかカーボンニュートラルとか都合よく意味を作ってお金を撒きますよって税金を使うことばっかりなのだけど、なんかもっと本質的にやらないといけないことって沢山あるんじゃないかな?巨大なダムを作って水を貯めれば、草木が腐敗してメタンガスを大量発生させる。これなどはゼロカーボンどころかメニーカーボンだ。水力は正義だなんて言う人居るけど、決して良いものではない。そもそも電力発生って、人の我儘実現のためだからね。

人口が無限に増えて、地球のキャパシティを遥かに超えた結果、多くの動植物種が絶滅した。それも地球という生命体の歴史的な瞬間的挙動なのかもしれないけれど、一種の生命体が地球活動を変動させたって凄い事実なのだと思う。そんな瞬間に立ち会ったことで、学びは無限にあったけどね。絵から文字、動画、アバターの世界、次はなんだろうって思うのだけれども、会社経営もAIによるデジタルツイン化が始まっている。社長の役目は「エンジン関係者を殺すのか?」と叫ぶだけなんでしょうね。殺したのはあんたでしょ?人は何処に向かっていくのか。なかなか答えは見つからない。そりゃぁそうだろう、時間の経過と共に人は変わるからね。ということで、余り悩まず、粛々とやっていきますか。そんなところだ。

起業してみたら?

やりたいことがあるなら起業したら?という掛け声が多くは成ったが強くは無い。なんとなく上手くいきそうにないからという不安を持つことは正しい。「絶対に売れる!」なんてものは無いからね。気安く言わないでねと言いたいところだが、起業しちゃったりしてみると、これはこれで、なんか熱中できるものがあって面白いなとは思う。その経験からすると「起業したら?」って言っちゃうけどね。

ただ、不動産が絡んでくると厄介ですな。思考だけでお金を稼ぐコンサル業もありますけど、これはこれで相当の知識と経験が無いと「売る価値のある智恵」を作り出すのは大変なわけで、パソコン一台で商売できるさって言ったって、電気は要るしパソコン一台置く場所が必要。今ならスマホだけでということも有り得るけど、それだって電力は必要だ。どっかから買わないといけない。場所の話に戻るけど、「仕事をする場所が必要なら作ってしまえば良いじゃないですか」と言われて、凄い人だな、この人はと思った次第。

実はその方、その昔、工場を作って成功を収めた方なので、実際に行動した人は、その行動を他の人も出来るんだと言ってしまうわけですな。単なる無責任なおしゃべりでは無くて、ポリシーを持って活動している人のお話は「経験から生まれる」から愉快である。成る程!と腑に落ちる。この人ならそうだろうなと納得できる。納得したとしてもそれを行動に移すかどうかは聴き手に選択権はあるんだけどね。だから、職場を作って移住しなさいと言われても、はいそうですね、とはうかうかと言えない。

尖がった技術開発系で起業する方が見当たらないのは、売れるかどうか分からないところなのに、投資する金額が張ってくるからなのは間違いなかろう。起業に挑戦してみたらとはなかなか言えない部類ではある。要素技術から価値まで一貫してやらないと、儲かるところが無くなっちゃうしね。それでも昨今の日経新聞なんか読んでいると「日本企業、つまんないなぁ」って感じますからね。世界トップのものを作ると採用してくれる人が現れる時代でもある。「何か出来る」って生き甲斐を持っていないと窒息死しそうになる。そうなる前に行動を起こせるかだね。

自分の言葉は自分からしか出ない

雨である。雨になると仕方なしに地下鉄通勤になってしまう。運動不足とコロナ禍の両方のネガティブ要素が入ってくる。地下鉄には既にワクチン接種をしたから大丈夫だと言わんばかりに、ノーマスクでせき込む方がいらっしゃり、思わず席をずらしましたよ。これはニューアブノーマルの姿と言っても良かろう。ニューアブノーマルと言えば、緊急事態宣言は12日から月末までの延長になるらしい。この微妙な線はどこから来るのだろう。まずは月末まで引っ張ってGoToということだろう。

いつまでも県外に出ていくのはいけませんと、言ってはいられないというところなのだろう。新規感染者数としては減少傾向にはあるようだしね。でも、40℃の熱が出て、軽症だから家に帰れと言われて亡くなってしまうような現状において、収束してきたとか、世界的に感染対策の成果を認めて頂いているとか、良くもまぁ言えるもんだと、厚顔無恥さに呆れるものがある。品川ナンバーの車を名古屋でしょっちゅう見かけるしね。

細切れの延長で過去、全く効果が無かったのに、それを繰り返すトップと、それを認める国民と。マスコミは無反応だしね。忖度なんて単語も何処かに消えてしまった。正しい情報が何処にあって、それにアクセスるにはどうしたら良いのか?そもそも偉い方から提供される情報って正しいのか?それを疑いだしてしまうと、もうどうにもならない。行動指針を立てられない。DXに至らない理由はそこにあろう。

「こんな価値を市場に生み出しましょう!」とベンチャー企業の有名人が叫ぶわけだが、それは解るんだけど、何をどうすれば?とは決して語らない。逆に、「こんなに良いものがあるんだ!」と絶叫するエンジニアは、誰がどれだけ嬉しくなるのと聞くと何も語らない。GoToで市場にお金を落とさないといけないから、取り敢えず月末まで引っ張ってみようということだろう。その間、検査数もぐっと減らして、気持ちよく旅行にいけるようにしよう・・て誰かが何かしているのかと疑いたくなるが、疑う根拠もない。さて、何が正しいのか。先ずは自分の行動に基準を持とうではないか。自分の行動、言動は、自分からしか生まれないのだから。自分が正しい理由を語れるのは自分だけだ。それだけだ。

その方にご面識を頂いたのは、もう、何年前になるだろうか。ずけずけとお話をさせて頂き、のけぞって頂いた初対面であったが、今も、実に親しくお付き合いを賜っている。こんなに有難いことは無い。最初にその地域を訪れたことは学会ではあったのだが、そのお方とは共同研究という形で、毎月、飛行機に乗って、一泊して名古屋に戻るというスタイルは、なんだかとっても温かかった。そのお方と、そのチームとお会いすることに対して、心待ちという表現が適切だったろう。いろんなご迷惑もお掛けしましたけどね。

中小企業に限らず、創業家の方が年を重ねられて延々とそのポジションに居続けられるという事例は五万と拝見してきた。そのお方の潔さたるや。とても真似は出来ないなと、ある意味、あっけにとられた。見事である。つぼみのままお花見の場から千本桜がフェードアウトしたかの如くだ。さぁ、これからだ!というところでの、そしてお仕事人として、人として正にこれからというところで、惜しむ、惜しまないの暇も隙も与えず「退任しました」のご挨拶状を送りつけてくる。やられましたね。

華の人とはこのお方のことを言うのでしょう。まぁ、余りにもお見事で、思わずふざけて、いや、正式に、お会社の代表を通じてご面識を頂戴してしまいましたよ。携帯など使わずに。水臭いと仰っては頂きましたが、節目で御座いますからね、こちらもそれ相応の悪戯・・じゃない、ご対応申し上げないと。リスペクトが無ければいけませんね。まぁ、どなたがお出になるかなという楽しみもありましたけど。

コロナ禍で対面が出来ないことを悔しく思ったのは初めてである。今直ぐにでも飛んでいきたいものだが、それは叶わない。両親に逢えない等々、遠方に離れている間柄での寂しさまで学ばせて頂いた。これが人と人とのお付き合いであろう。そして、まぁ、そのうち必ずお逢いさせて頂けるさという暢気さもあるのだ。これっきりという、理不尽なお別れがやってこないと自信があるから。それがお付き合いだろう。これからそんな出会いを持たせて頂けるかしらと、残りの人生、不安だったりして。やはり素晴らしいのは人である。

ニュー?

アフターコロナと同じ程度?にでてくる造語がニューノーマル。定常状態が変化するんだろうなということなんだけど、何がどれだけ変化するのか理解しがたい事が多い。例えばWeb会議の事前打ち合わせを対面でやりたいとかね、その意識の体たらくたるや恐ろしい。顧客の購買行動がまるっきり変わったのだから、営業だってオンラインで良いし、また、それを良しとする意識改革が必要なのだ。属人的スタイルからの脱却ということだろう。どんどん変わっていって頂きたいものだ。

とは言うものの、現場にはアナログが凄まじく根付いていて、その根っこを引っこ抜くと、まるで竹林よろしく、全部が根っこで繋がっていたりするから恐ろしい。日本的組織のアナログ度の凄まじさということなのでしょうけれど、遥かなるニューノーマルというところだろう。作業は機会に任せて人から無くし、仕事に人員を配置していくところからでしょうね。エクセル作業を死守しようとする方々のPCから、エクセルを削除してしまうくらいの勢いが必要だ。

学会の表彰式だってウエブ上だ。まぁ、懇親会が無くなってしまうのはとても残念であるのは間違いないのだが、それとて謎のウエブ呑み会でもやって頂ければ良かろう。宅配サービスで参加者にお酒とつまみをお届けして、そこで楽しんで頂ければ宜しい。酔っぱらって駅で鞄を忘れるとか、傘を忘れるとか、そんなことに気兼ねなく話が出来て話が弾むかもしれない。二次会サービスなんてのもあって良いかもしれないな。

気になるのは、なんだか妙な事件が多くなってきているなと感じること。やはり人は人と寄り添っているから人なのだなと思わされる。ニューアブノーマルとでも言おうか。光あるところに必ず影が出来ますからね。良い事ばかりでは無い。ニューアブノーマルが無くなるような、ニューノーマルでないといけない。先ずは自分自身、もっともっと学び、自分自身が誰の為に何をさせて頂いているのかを納得する。そこがノーマルの出発点であろう。身勝手では無い、親身の行動が自然に出来る人が満ち溢れている。そんなノーマルが良いな。

アフター?

首相が中途半端で投げ出しちゃいますね、政権なるものを。周りに脅かされようが何をされようが、人事と解散権の行使はしないといけない。それが国を任された人の務めだ。やらねばならないのだ。それが引き受けた人間の務めだ。死なない限りやらないといけない。

それにしても「辞める」と言った途端、雨後の筍が這い出して来る。これも恐ろしい。後から出てきて、意を決した人間を出し抜いていく。これもまた醜い世界だね。まぁ、誰が次を担うのか分かりませんが、国際感覚に長けた方にやって頂かないと、この国の迷走は止まるまい。

アフターコロナという単語が躍るのだが、そもそも論として、人間は免疫という武器しか持っていないから、ネクストコロナに対応する免疫なんか持ってはおらず、アフターコロナなんて百万年早かろうと思ってしまう。免疫療法でノーベル賞が与えられたのは僅か120年前だ。人類の歴史からすればほんの昨日だ。

何はともあれ、政治的空白が大好きな与党とマスコミが賑やかである。国はどうなるということも重要なんだけど、各人が国民として出来ることをしていくということに尽きるのだと思う。他の人の為に何が出来るのか。そう思いあうことからではないかしら。それがアフターコロナということになるのだろう。そう思う。

雨のち雨

長雨の後、折角、暑くなって、これで農作物も何とかなるかなと思ったら、再び前線が生じ、本格的な秋雨のシーズンとなってしまった。妙な夏だったなぁと思う。これが毎年状態化するのかと思うと、何だか複雑な気分になる。40℃になるような日が連日では嫌だけれど、夏はやっぱり「どっかぁん」と暑いのが良い。梅雨明け三日は絶対に晴れるという事も無く、梅雨が明けたらしいとTVが一手も、二日後には雨が降っている。これでは何処にもキャンプに行けないでは無いか。自然と戯れるには雨も、まぁ、良いかもしれないけど、晴天と満点の星空が良かろう。

先週の金曜日、忘れもしない新型コロナウイルス対策ワクチン接種2回目の日だったわけだが、翌日から「非日常」をプレゼントして頂いた。温暖化が加速定常化してくるわけだから、永久凍土や南極の氷の中とかから、今まで人類が接触してこなかったウイルスが活性化して地球全体に広がるだろう。すると毎年、それに対応した新しいワクチンを接種してということが繰り返されるのですかね。結局、人類が700万年掛けて作ってきた恒常性を壊すわけだから、滅亡に向かうのかなとも考えたりする。先人類が多く絶滅してきたように、ホモサピエンスの終焉も近いのかもしれないが、まぁ、自業自得だわな。

いつの頃からか、金曜日が来るとほっとするようになってしまった。長いんですよ、一週間というか、月曜日からの5日間が。それで良いのですけどね。濃厚な一秒一秒を過ごしていく。張り詰めた中に身を置いて、一つ一つ前に進める。まぁ、大したこと無いのでしょうけどね、所詮、人間がやっていることですからね。そんな程度に思っておく方が気が楽になるような気がする。

お気楽に週末を迎えようと思っていたのだが、どうもお天気の神様は、極東には晴天を頂けないらしい。雨ばっかりだったから、海水温もそんなに上がっていないだろうなどと高を括っていたのだが、炭酸ガスを目いっぱい吸収した海水は、地球の何処かの晴天の下、しっかりと太陽エネルギーを蓄えて、気圏に水蒸気をリッチに放出して頂いているそうで、台風は巨大化、全線が出来たと見るや、水蒸気の川を作って送り込んでくる。一次産業の在り方を真面目に考えねばならないだろう。どんなにものづくり産業だなどと言ったって、食べられなければ滅ぶだけだ。ウイルスに滅ぼされるか、餓死して絶滅か。いずれにせよ悲惨だが、後者は防げる気がするから、何か出来ないだろうかとあえぐのが良い。日本の生きる道だと考えている。

デジタル庁

対面でのお話が減ったのですが、対面重視の状態では出会わなかった方々との深いお付き合いは出来るようになってきている。昨年から漸く本格的になってきたWeb会議なんだけど、当初はネットワーク環境がどうのこうので開催できないようなことが多かったのですが、お役所が導入し始めて、この国も少しはデジタル化してきたのかなと思う。デジタル化とは意識変革である。紙と対面しか認めないとする者も未だに居るが、それはポリシーというか何を言っても無駄レベルなのでほったらかすとする。

で、お国にデジタル庁という意味不明な省庁ができたので、早速ホームページを拝見してみた。う~む・・デジタル庁ね。そもそも論なんだけど、紀尾井町1-3 東京ガーデンテラス紀尾井町 19階、20階なんて一等地にあって、人が集まるようになってんだよね。それってデジタルか?日本中、いや、世界に広がる先進的感性を持っている方々に参加して頂ければ良いので、一堂に会する意味がどこにあるのだろうと思ってしまうし、そんな高価な建屋を借りるのに税金使うのかと腹立たしく思える。

お金と時間を有効に活用する、一つのツールであろうに、ちっともデジタル化していない。幹部が65人も居るとかね、そんなもん、AIにやらせれば良いのではないのか?多く、作業が多かろう。そんなものは全てロボット・ソフトにやらせれば良い。人間があぁだこうだ言わなくて宜しい。というくらいにやってくれないものか。近郷近在のお役所に行けば、天井を突き破る書類の山、棚の列。棚の谷間のわずかな空間に、京橋の立ち飲み屋をほうふつとする混雑会議。デジタル庁も同じなのかなと笑ってしまう。

日本のやる気ってそんなもんなんでしょうね。マイナンバーカードだってちっとも取得が進まない。個人情報云々かんぬん、そんな立派な情報をお持ちですか?隠し資産で税金を取られたくないだけでしょ。政治家がそうだから一向に進まないのだ。片っ端からデジタル化して頂きたいものだ。ただ、それはツールであることを人間として忘れてはならないのだと考える。人間はアナログだ。ツールがデジタルであるだけだ。出来る・出来ないの二値で人間を評価することがあってはならない。案外、それだけやったりしてね、デジタル庁。お手並み拝見である。