学べ!

凄い方だなと感じる人は、結局、そのオーラを感じているということなのだろう。オーラにベクトルがある人と、当方的に発している方と。当方的なオーラはもの凄い。滅多にお目に掛かれないが、それに出会うことは心地良い。凄い人がいたものだと、もっともっと頑張らねばと気合が入る。実に愉快になる。そんな方がお勤めのお会社って、どこから見ても世界企業ですな。ジョブ型機能を最大限に活かすだけではなく、その機能を高めることを推奨し、社員殿もそれを実践されている。

それとは逆に、今、儲かっているのだから、社員は学ぶ必要などなくて、寝る間も惜しんで会社に尽くせと。それが会社の意思なのか、親会社の意思なのか、それは全く分からないけれども、学び続けないと世界から取り残されるよと言うこと。それは間違いなかろう。SDGsとか、それが間違っているとは言わないが、使わなくなったから中古品として次の人に使って頂こうとかね。そりゃぁ、陶器の壺とかね、壊れなければ半永久的に活用できるものなどはそれで良いのだが、電化製品とかね。省エネ高効率のモノに換えていくよりも、古いものを使い続けるということには反対だ。

それと同じで、入社した時の横並び一線で、努力して、能力を高めている人もそうでない人も同列で評価されて、給料も変わらないのではやる気はどんどん失せていくだろう。学ぶことで世界の最新情報を捉え、それを超えていくようなアイデアを出したとしても、それを上司が理解しないのでは無駄になってしまう。護送船団方式の企業運営では、学ぶことに何も価値は無く、繰り返し正確に行動し、上司の言うなりで行動することが是とされる日本ゾンビ企業は崩壊するべきなのに、助成金と言う名のゾンビ活性薬漬で人も企業も腐敗していく。

学び続けないから変わる政治を受け入れられない。政治家も国民がバカのほうが良くて、そうでないと今のゾンビ政治が如何に国家危急存亡状態に向かわせているか、俯瞰的に見られてしまいますからね。リスキリングは、他社に逃げ出す方策ではない。自社の機能を高める上でも必須なのだ。カンコツなど何の役にも立たない。それを定量化し承継し、新たなものを作っていくことにのみ価値がある。寸刻を惜しんで学べ!それだけだ。

夢の国?

どうでも良いと言えばそうなのだが、そもそもどうでも良くないお話を戯言にはしないわけだが、ディスに―ランドのパレードが突然中止になって、お客さんが悲しんだというニュースを拝見した。理由はパレード経路の舗装路面の修理ミスなのだが、夢の国の舗装路面の修理がずさんと言うことに、ちょっと衝撃を受けたわけだ。本国のディズニーランドだったらこんなことがあったのだろうか?許されたのだろうかということ。そして夢の国の対応が利己主義で幻滅と言うところだ。

柄では無いが浦安にほど近い(うそ)ガマの油売り大学の学生時代に、突如として出来たディズニーランド。まだ、それ程入場客が居なかった時に出掛けてみた。今なら信じられないだろうが、ビックサンダーマウンテン(今もあるのか?)に何時でも繰り返し乗れた時代である。そんな時ですら、パレードは華やかで夢の国を感じさせてくれた。売りの売りであるから、それ目当てに入場される方も多かろう。コロナ禍のうっぷんをパレードで晴らそうなんて心づもりの方も多かったと思う。それがドタキャンである。

台風でも何でもない、路面の修復ミス、要するに、メンテナンスミスによって、顧客の夢を奪ったわけだ。一方的な中止だし、当然、知らされても居ないわけだ。入場料の返却など当然なく、こっちの都合で止めるから、まぁ、他のアトラクションで楽しんでねということである。そして今後も同様の対応を取るとすかさず発表する夢の国の有様である。いつからディズニーランドが顧客満足を度外視するようになったのだろう。もう、永遠にそのゲートを潜ることはないだろうなと思った次第。

人の振り見て我が振り直せではないが、サービスという点において、欠けていることがあるやもしれず。いや、きっとあるだろう。外部受託試験を頂きながら、装置が壊れているとかね。そんな状況を未然に防ぎたいとは思うが、突発的にものが壊れてごめんなさいをせざるを得ない事がある。修理して正常な動作を確認して受理と言うことになるわけだが、ディズニーランドの修理業者が手抜き工事だったことと、それを認めて受理してしまったディスに―ランド側の対応にも驚いた。ありとあらゆるところで技術が失われているのではないか。そう感じた事件であった。

講演にて

先日、60分ではありましたが、講演をさせて頂く機会を頂いて、大学の売り込みと小生が思っていることを「だぁ~」っとお話をさせて頂きました。久し振りのまっとうな講演で、体温上昇、必殺技でのフィニッシュと、演じさせて頂けたかなと思った次第。準備を重ねていって良かったなと、どんな時でも全力勝負た大切と実感するわけであります。知った顔も沢山集まってきて、何処で嗅ぎつけたのかと思う程、現役時代にお世話になった方々がわらわらと・・狭い世界で御座います。

一社単独で数兆円のビジネスをしようとすれば、それは限りなく大きなピラミッド構造が必要となってくる。バブルを経験した方々がリーダーの企業が多く、今でも一攫千金と言うわけでは無いが、ビックビジネスだけが選択肢と、日本においては信じられているし、株式利益で老後の生活を確保しなさいと言う政府の考え方にしても、巨額な株式配当を大企業に期待しての事だろう。大企業の傘の下に群がる優良企業は、首が挿げ替えられても異なる業界でも生きていけるから100年を超えて存続していらっしゃる。このようなお企業は全く心配ないし、そのようなお企業の技術は我が国の宝で承継されるべきだ。

ところが、この国には大企業の傘の下、冷たくなっても生きているゾンビがごちゃまんといらっしゃって、その雇用の為に利益が無くなり、そして薄給大国の地位を守り続ける。某TV局のニュースでリッチな雰囲気のご夫婦が円安だし絶対に日本に行く!と、入国の自由化を大歓迎するコメントを出していらっしゃった。国内においては「偶然が重なって、家族で2万5千円もお得になった」と感激している親子の映像が流れたが、これが現状である。国外からのインバウンドにしか頼るものが無い、今の日本経済である。

話をビックビジネスに戻すが、巨大な船が舵を切っても、効果が出てくるのは数キロ先で、そんな状況では世界の技術の成長についていける筈はない。だからこそ、スモールビジネスグリッドを考えるべきで、そのグリッドの旗手となるべく、ナンバーワンでオンリーワンの技術を創造しそれを高める努力が必要なのだと語ったわけだが、どれだけ聴衆に刺さったのか。敵対的買収も花盛りで、これも円安の効果で加速している。重要な技術が海外の資産となり、技術者もそうなっていく。巨大ビジネスピラミッドの瓦解は早い。そう感じる。

憂国

がきんちょのころ、陣取り合戦なる、もうルールは忘れてしまったが、地面の上に石を投げるかなんかして、手のひらを広げて円を描いて、領土を広げていくような謎のゲームがあった。それでいさかいを起こした記憶が無いので、その程度の記憶しか無いのだろう。かんけりなどはカッカしたから、よく覚えている。国際的には他国に侵略して、領土を簒奪して自国に勝手に併合して、そこを取り戻そうとすると、自国に攻め込んだという法律に照らし合わせての反撃を認めろと言う。

世界中が注目をしているはずだが、知らんぷりをしている国が多いのも事実。いきなり原爆が降ってくるかと思うと恐ろしいわけだが、いつまでも恐ろしがっていて良いのだろうか?攻められている国からすれば、補給路を断つために、簒奪された領土を取り戻すべく反撃をしたら、俺が作ったものを壊したから反撃してやると、ジャイアン並みの思考回路である。暴力をふるう相手に口論は既に役に立たず、無抵抗主義は成立しない状況にあることを、世界は認識せねばなるまい。

日本は戦犯国であって、微妙な立場ではあるが、世界が認めた戦後の反省行動を取って来たわけで、新たな簒奪行為が行われたことに対して、黙っていなければならないということは無い。無いのだが、それよりもインバウンドが重要みたいに走り回る首相を見ていると、大切な外交をどう思っていらっしゃるのかと、国家のリーダーをみて不安になってしまう。内需は大切なのだが、海外から見たら極めて円安で、日本中のものを持ち去られてしまうのではと、更に日本人が済みにくい国になってしまうのではと恐ろしい。

北方領土から北海道にいきなりロシア軍が攻め込んでくることだって、起こり得ない事では無い。自国に軍を持たない国は国家では無いとプーチン氏は公言している。国家と認めていないくらいだから、平気でミサイルくらい打ち込んでくるのであろう。学び、知恵を磨き、国際情勢にアンテナ高く、その上で自国の経済に磨きを掛ける。国民全員にその意識が無ければ、あっという間に国が無くなる時代である。そう思う。

全国旅行支援

日本も漸く、コロナ禍に対して自己責任の国になったのかどうかは分からないけれど、全国旅行支援という、まぁ、その昔のGoToの亡霊と言うか、当時、話題になった、政治家の方々と旅行業者との関係性を何が何でも高めようという、まぁ、選挙対策と言うか票田を豊かにしようというか、政治家の権力と言うものは凄いパワーだなと実感するわけです。平日に4割引きの旅行に行ける余裕のある方々は、統計によれば多くが投票する世代の皆さんですよね。良くできたお話だなと思うわけです。

世界を見渡せば、観光だけに力を入れて、破産したローマのような国が散見されるわけで、この国もそっちに向かって突き進んでいるのかと思うとがっかりする。学ぶことを止めた民の進むべき方向は決まっている。レミングの集団自殺のごとくである。旅行が悪いわけではない。いや、積極的に旅はするべきだ。しかし、それは、自らのサラリーで旅をするから経験になるのであって、必死に頑張っても旅すらできない労働の有り様を誤魔化す政治に加担することではない。

自らの歩みを振り返って、何と言うか、どこをどう歩いてきたかといえば、結局のところ、お爺様が語っていらっしゃったご先祖様の歩みの地を巡っていたのだなと思う。そこに国家の支援を頂きたいとか全く思わないしね。いや、税金で遊び惚けて税金と言ってもおかしくない年金から出てきた年金と、更に次の投票もよろしくねと言う税金の使い方としての全国旅行支援で平日旅を楽しめる方々に税金が投じられることを納得しないといけない国なのかなと、まぁ、がっかりするわけだな。

Z世代の諸君は、全国旅行支援の仕組みを上手に使えるのだろう。小生においてはどうやったら支援を頂けるのかすらわからない。分かってしまったら税金が垂れ流されてしまうので、それは政治家としては困るのだろう。休暇を取得するという概念すらなく、30年以上勤務してきたわけで、最近は5日休まないと罰金だなんてことを言ってくるわけだが、休み方すら教えて頂けなかった世代がまもなくリタイアで、バブル景気の経験者がのうのうと旅をして、バブルを知ってはいるけど恩恵ゼロの人間が血を吐いて働いている。そろそろこの絵柄は終わって良いのではないかな?そう思う。

金融とゾンビ

金融機関殿とお話をさせて頂いたのですが、彼らにしてみればゾンビ企業は国家衰退の現況ではあるが、その存在は正義であって、無くなっては困るとの事。企業としては必要で、国家としては不要と言う、これが我が国衰退の元凶なのだなと実感した次第。保険組合の半数以上が赤字とかね、国民皆保険制度も破綻してきている。人口爆発時に企業が無限に増大をし始めたわけだけど、そろそろその爆発は終焉に向かっているのではなかろうか。ここで重要なのは、企業は無くなってもしょうがないけど、そこにあるノウハウや技術は承継されるべきだと言う事。

技術承継をM&Aで成すということも多く行われているわけだが、ノウハウを定量化出来るのであればロボット導入とか、自動機を製造して人件費を削減する。知恵をデジタル化出来れば、価値と技術の因果関係も見えてきて、それを国家の財産として守れば良いわけだ。ゾンビ企業を守るのではなく、それが社会に送り出していた価値を守るべき。そしてその価値も他の優れた代替技術が登場してきたならば、いよいよご退場と言うことだ。永遠のものなどありはしないのだ。形あるものは必ず滅びがやってくるそういうものだ。

また、同席していた別の方が「開放特許活用のビジネスマッチングイベントなどをやっても、全く、マッチングが上手く行かないのは何故でしょう」という問いかけを頂いた。そんなものが上手く行くはずがない。そもそも日本の多くのゾンビ企業達は、自社が儲かることだけを考えて、社会を笑顔にしようなどとは考えないのだ。他社とのオープンイノベーションなど、遥か彼方である。目指すべきビジョンを持たず、自社の価値観すら見せかけの企業が、マッチングなど思考に無いのだ。独占欲しか無いのだ。

何故、我が国だけにゾンビ企業が増え続けるのだろうと、浪花節的人生観がいけないのだろうなどと安直に考えていたが、ゾンビ企業にえさを与えて暴利をむさぼる金融業と言うのが居たのだと、まぁ、ずっこけた次第です。金融による生殺与奪の破壊力は国をも亡ぼすのだなと、それをさらっと言ってのける様にもぞっとした。どこまで厳しい状況に陥っていくのか。先は全く見えないが、光明があるとすれば、まだ、世界に求められる技術は我が国には少なからずあるということ。それを高めていく人材にどう育って頂くのか。悩みは尽きない。

研磨

趣味の世界で恐縮だが、ものを平らに加工するという方法にはいろんな種類がある。時代を遡ればヒスイに穴を空けて、ペンダントにして権威を示した勾玉も、表面はとても丁寧に仕上げられ、そしてあの穴あけ加工は出雲地方の秘中の秘だったそうで。IoTでは当たり前のCPU等々、センサなども半導体に限らず、精緻な表面で構成されている。直接磨くものもあれば、磨かれた金型で型押しして作られて、その表面が転写されてそのまま使われるなんてのもある。後者においてはスマホに無数に入っているコンデンサがその代表例ですね。

その昔は大きかったから、表面の凸凹があまり気にならなかったけど、今は100μmレベルで製品が仕上がってくるから、1μmの凹凸も許されなくなってきた。ものはどんどん小さくなり、過去に「誤差だね」とスルーしていたものが、許されなくなってきている。マザーマシンの加工精度も、そして利用環境整備にも極めてコストが掛かるようになってきた。省エネ、高効率を目指せば目指すほど、巨大な電力とコストが掛かってしまう。エネルギー削減の限界を目指すために、削減以上のエネルギーを使っていく。妙な鼬ごっこである。

趣味の世界に話を戻すのだが、ダイヤモンドの「板」を磨きたいというニーズがやたらと増えてきた。天然ダイヤよりも欠陥が少ない半導体基板として用いる為のダイヤモンド基板が、いよいよ、試作品レベルで4インチサイズのものが出回って来た。30年前は5mm角で驚いていたのだが、直径10cmものダイヤ基板が目の前に置かれるとくらくらする。現状の半導体加工技術を用いても、デバイス試験が可能になるレベルまで磨くのに約一ヶ月掛かるそうだ。それを百分の一にしたいという。

同時多発的に要求が突き付けられているので、そのフェーズに社会が入ったのだなと実感する。LSIがダイヤモンドの上で動くまでには相当の時間を要するとは思うのだが、昨今、流行りの窒化物半導体を使った外付電源モジュールなどでの活用は、海外で行われるのでは無いかと思っている。どんなに世界最高品質の技術を提供しても、国内のやる気のない企業群と新規な挑戦に取り組む気は無いので、海外メーカーがやってきたらやっちゃおうかなとは思っている。地味だけど奥深い、研磨の世界のお話です。

EVはエコ?

今日から急激に気温が下がるそうで、漸く今年の猛暑も一段落かなと、季節は巡るのだなと感心する。統計によれば富士山の冠雪が始まると、本州への台風直撃確立が急激に下がるそうだが、今年も強烈な災害が我が国を襲ったわけだ。地球温暖化が叫ばれる前から伊勢湾台風など、強烈な台風が発生していたわけで、地球温暖化だけが暴風雨の要因では無かろうが、平均気温などは確実に上がっているような気がするから、恐らく、地球は温暖化と呼ばれるフェーズに入っているのだろう。

人間の都合で炭酸ガスを出しまくったわけで、その影響をなんとか抑えようとする一方で、5%しかないマイカーの活用はやめようとはしない。一度獲得した利便性は手放さないということだ。実際のところ、重い荷物を運ぶ時にはマイカー利用は便利だし、時間に制約無く、自分本位で利用できるからね。本当はちょっとの外出なら自転車で良いのだろうけれど、雨が降ったりね、そんなことを考えるとマイカーを手放すというのはなかなかにして難しい。

この精神的制約がある限り、個人個人がCO2をまき散らす行為を継続するのでしょう。EVになったとしても我が国の様に火力発電に頼っている現状では、CO2を排出しないということにはならないからね。とあるデータによると、日本で稼働している、所謂化石燃料活用型自動車は8千万台あるそうです。その半数がEV化したと仮定して、ガソリン車同様に平均9万台が同時に充電すると、平均で27万kWhが必要となりますが、これは大略原発1基分が作り出す電力ですな。世界を見渡すと電力消費は15%増大と見込まれるそうな。

同様にクラウドサービスで切っても切れないデータセンターですが、昨年度で地球で活用される電力の5%に達している。まぁ、これがCO2を出さない電力かどうかは解らないのですが、これも増加する方向になりますよね。人間の便益向上における電気エネルギーの活用はこれからもどんどん増えていくでしょう。ロボットもそうですよね。エントロピーが低いからいろんな化け方が出来る。地球温暖化って抑止出来ないのでは無いかななどと思ったりしている。EVはちっともエコでは無いね。そう思う。

国消国産

愛知県はとても豊かなお土地柄で、県内産の小麦粉を昨日、購入したのだが、さほど、高価になっておらず、国消国産を県単位で実現できそうな稀有なエリアだなと実感させて頂いた。それなりのマーケットにおいて食材を求めているわけなので、どこの商店でもそうなのか解らないが、そして何時までこの状況が続くのか見当もつかない。つい、先ごろまで小麦の値段が上がって云々ということがあったが、それは昨年の米国の天候不順で小麦の輸入価格が上がり、かつ、不作だったからで、ロシア・ウクライナ状勢の影響はこれからである。

肥料が入ってこない、農業資材が入ってこない、畜産に掛かる飼料も入ってこないということだから、国消国産がより困難になっていくのは間違いなかろう。これから冬に向かうわけだが、温室栽培に欠かせない燃料も極めて強い足かせとなる。新日鉄さんなどの煙突から出る莫大な熱エネルギーを農業転換出来ないものか?規制だなんだと政治家がうまみを吸い上げる事だけを考えるこの国において、新しい考え方が採用されるとは思わないのだが、旧態依然を何が何でも変えないこの国の伝統は如何なものか。

円安で貨幣価値がどんどこ下がり、いきなり日銀介入で1兆円程の税金をつぎ込んで円相場を捜査したのも束の間、また、145円の岡が見えてくる。このままほったらかしたら180円位になるという予測もあり、プラザ合意もびっくりの状況だなと、学生時代に戻った感覚になってしまう。インバウンドを目指す政府の方針なのだろうが、殆どの国民はそのうまみにありつけることなく、やせ細って死んでいくのでは無いか?

ガソリンの補助金を来年まで続けるという。これなどは自動車を所有しない世代に大損をさせるわけであって、そんな小手先の政治しか出来ない我が国のあり方が情けない。組織を発展させるお仕事は人の能力向上によって初めて実現するわけだが、そのためには在宅ワークを活用し、通勤時間を「学びに使って!」と何故なら無いのか。あっちの部署は対面がマストだから、いや、それとて怪しいわけだが、対面の無い部署の人達であっても、不公平だから出てきてねと、時代に逆行する事甚だしい。人は国の宝と認識するならば、海外に忖度せず、国産方向に向かうべきだし、人が育つ環境を徹底整備する事こそ本質。それを失った日本。沈没しか無いね。

去る時代

この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ 行けば分かるさ

ご存じ、アントニオ猪木さんの『道』である。小生とプロレスと言うことであれば、やはりジャイアント馬場さんから始まりアントニオ猪木さんで終わっている。力道山さんは伝説でしかなく、小生的にはこの二人が作られた、ある意味、楽しいプロレスが好きである。単なる殴り合いの暴力ではなく、ヒーローが必殺技でヒールから勝利をもぎ取る。幾度となく倒れ、そして立ち上がってくる。相手の必殺技を紙一重で耐え凌ぎ、そして自らの必殺技で勝利し、喝さいを得る。

振り返ってみれば講義での教壇での立ち居振る舞い、話の構成、終わりの鐘の直前の身振り、そしてフレーズは、彼らのリング上でのストーリーをイメージしていた気がする。勿論、学会などでは世界初の成果をさりげなく、当たり前のごとくに説明し、結論においてずばっと決めて、場内の感嘆の沈黙をもって勝利のゴングと感じていた。現場では狂喜乱舞、しかし、表舞台ではさらっと当たり前に繰り出していく。日頃のトレーニングを見せない美学である。

落語の世界では円楽師匠の訃報が突然と知らされ、何時、表舞台に戻ってこられるのだろうと期待していたご両名であるが、自分にとってのヒーローの相次ぐ訃報に放心するしかない。ブレーキの壊れたダンプカーと呼ばれたスタンハンセン氏が、海外から「馬場さんと猪木さんとのファイトは最高の想い出だった」と猪木さんが育てた海外のスターからのコメントを聞かせて頂けるのはネット時代の恩恵だなとは感じるのだが、また一つ、自分が感じてきた世界が消えたのだなと、自らの終焉を実感しつつ、明日が待ち遠しい私であります。