インバウンド一本足打法

為替介入と言う国有財産の廃棄行為が続いて、真の日本の価値が解らなくなってしまっている。円がどんどん安くなっていくのは日本の実力そのものであって、世界中が日本は要らない国と認めているからだろう。それと旅行先としてはそれなりに楽しめるとか、そんな都合からだろう。インバウンドって言うけれど、気が付いたら日本中の土地が海外勢に買い占められていて、ネイティブ日本人は住むところがありませんみたいなことになりはしないか。

地方に出向けば昭和の景色が沢山残っていて、その時代の人間としてはそれなりに楽しめるわけだが、半分以上がシャッター状態の町並みなど、丸ごと買われてしまいそうだ。結局、それは何処に由来するのかなと、最近、企業の在り方をご相談いただいている方とのやり取りで思ったこと。要は新しい知恵を提案する気風を、企業そのものが持っていないということだ。新しいアイデアが現場で生まれたとしても、その知恵を価値判定できる仕組みが無いから、提案してもどうせ無駄だろうという方向に行くのだろう。

意識のDXが無い職場と言うことなのだが、知識ではなく知恵に価値認めない状況において、発展などあろうはずがない。発展の無いところに未来など無いわけだから、国力は低下し民度も落ちるであろう。すると極論だがシャッター街だ。YouTuberが何故稼げるかと言えば、そこに新しさがあり価値を認めるZ世代が居るからだ。企業もそこにある購買層を目当てに広告を打っていく。だからお金が還流する。広告を真剣に誰がどれだけ見ているかは別だが、広告とはそういうものだろうから、まぁ、良いのだろう。

上司と異なる意見を吐くと、すぐさま何処かに消えて行ってしまうとかね。会議中に突然退席させれてしまうとかね。そんな状況ではイノベーションなど決して発生しない。そして、時間も掛かるしね。成熟した社会だから、よほどのことが無い限り、前の製品を駆逐して、いつの間にか変わっているくらいのスピード感を上司が持たないと、新規事業など発生しようがない。世界に受け入れられる新しさと確からしさ。これを生み続ける教育の質的向上を愚直に続けて行く。それしかないわけですよ。教育にも研究にもお金を出さず「自助努力」だと言い、インバウンド命と言っている限り、この国は近々沈没だね。いや、もう沈んでいるか。

ロイロノート・スクール

GIGAスクール構想のお陰で、全国の小中学校に電子端末が生き渡ったのはついこの間で、今も、端末の不具合が凄まじいらしく、教育DXの地域格差は凄まじいらしい。それを言いたいわけでは無く、ロイロノート・スクールのお話。関係者のお話によると、これを上手に活用すると、授業のPDCAが劇的に進化し、児童自らの積極的な取り組みが発生している事例が多くみられるようになってきたとのこと。これこそがゆとり教育の意味では無かったのかと。改めて日本の電子化の全ての領域における遅れを残念に思う。

生まれた時から親がiPnoneなどを使っているのを見ていて、物心ついたらそれを当たり前のように活用し、小学校に上がった途端に自分達よりデジタル端末スキルが圧倒的に低い先生方に失望してしまう。このロイロノート・スクールが世界の電子教育ツールから見て、どれだけのポジションにあるのか分からないが、少なくとも自己流で黒板を端末化しただけの授業よりは良好な学習のアウトカムズを獲得できているとのこと。漸く、児童書君と同レベルのデジタル端末所持者が先生として出現したのだなと嬉しく思う。

今、小学校1,2年生でそれらが進みつつある現状を考えると、その諸君が大学に入学してくる迄に約12年を要するわけだ。その時までには大学も圧倒的なDXを実現していなければならない。窓口に行って担当者と1時間以上もやり取りしてなどのことは速やかに解消されなければならない。対面で無ければ何も出来ない、サービスとならないという化石的思考は捨て去らねばならないのだ。時代の進化は小学校1年生位の親御さんだとするならば、35歳位までの職員殿のアイデアをどんどんと採用し、実行していかねばならない。

新聞紙に習字の手習いをした小生の時代。タッチペンで筆表現が出来る現代。黒電話からスマホへの変化。そしてそれは更に劇的に開いていく。小生のような化石人はジャッジに留まり、新規事象の発案に口出しをしてはいけないとは思う。老婆心は公害であって、我が国の進化を確実に停めている。ロイロノート・スクールで学んだ子達が高校に進学する頃には、更に異なるツールでの学びの時代になっているだろう。そしてそれは加速していく。戦争なんかしている場合では無い。その筈だ。

大安

花嫁行列と言うものを本当に久しぶりに拝見した。お婿さんが共に居たから正確なところの花嫁行列では無いのだが、地味なお婿さんは目に入らないから、花嫁行列と言ってもあながち間違いではあるまい。初めて見たのはもう遥か昔。小学生の頃に従妹がお嫁入で行列をして、それを間近で拝見した。大変なことだなと真っ白な花嫁さんを思い出す。それ以来だからもう半世紀が過ぎている。それを再び拝見させて頂くことが出来て感謝している。

素晴らしいお土地柄だなと感じる。約1500年の歴史を誇り、立地を変えていないところが素晴らしい。門前には樹齢400年の銀杏が聳え、その対面にあかだ・くつわの江戸時代からのお菓子屋さんがあり、古来からの賑わいを感じさせてくれる。地元住人によれば、これこそが津島名物であると瞬時の断言が成されるほど。地元住人に愛される銘菓があるということが素晴らしい。味のほどは二の次である。歴史と愛され方が重要なのだ。

正午から行列が始まって手水を使い門を潜り、拝殿に入っていくところを神前の特等席で拝見した。自然、背筋が伸びて神聖な気持ちになるというところは、古い人間と言うことなのかもしれない。辺りを見渡せば七五三のお祝いに大勢が訪れていて、その中で厳かに雅楽が流れるというのも、日本人的でとても有難く参列させて頂いた。いろいろとあった間柄で、幸せになっておくんなさいなと、正直、それを思った次第。

来月入籍ですという地元民にも驚かされ、目出度いことが連鎖するなと、「持っている人」の集いに参加させて頂けて、これは大変にありがたく、これこそが大安吉日の意味であろうとしみじみと思った次第。お天気も良くぽかぽか陽気で上着が暑苦しくもあった。秋の良き日の、本当に楽しく目出度い時間を過ごさせて頂き、心機一転、また気合をいれて天下国家の為に頑張ろうと思った私であります。

挑戦しようよ

医科歯科大と東工大とか、大学内で医工学学科とか、いろんなところで「医」と「工」が表立ってくっついて来ましたな。世界では当たり前、日本では特別な事象という、まぁ、いつもながらの事なんだけどね。未だにオリンピックの賄賂事件や政治と宗教団体の連携の事柄で、国会が本来しなくても良い内容で時間を浪費しているのを見るにつけ、この国はある意味平和なのだなと実感する。いきなりミサイルが撃ち込まれて上陸されて、住民投票やられて「はい、今日からここは私のモノね」とやられるかもしれない時代にだ。

全く見方は変わるのだけど、東南海大地震がくるぞくるぞと延々と言われ続け、その間に神戸震災や東日本震災が発生したものだから、次こそはいよいよかなと思ったりもするのだが、自然が相手の物は誰のせいでも無く、諦めるしか無いものだから、ついつい忘れがちで、非常食糧の缶詰の賞味期限が圧倒的に過去になっていたりしても苦笑いで済むのだが、世界情勢を入手し得る情報から考えると、安穏と国会の審議時間を浪費するべきでは無かろうと思う。首相の見事な風見鶏ぶりを見ていても、バックの官僚殿の質もどうなのだろうと情けなくなる。

最初の医と工の連携に戻すけど、医療系機器はご存知の通り許認可制度にがんじがらめに縛られていて、それをクリアするだけでも気が遠くなる。各地の商工会議所には、関係企業からの天下りのコーディネータ氏がいらっしゃって、その方々のご機嫌を伺わないと話も聞いてくれない。動き出して市場に出せるまで最低でも5年は掛かるから、スタートアップで勝負しようなんて資金が続かないことが見えているから、余程の資金を集められる内容と認められないと、挑戦は困難である。既に海外で多くの知的財産を獲得されてしまっているということも挑戦の意欲を削ぐだろう。

この辺りのところこそ公的支援が必要なのだと考える。知財と言うことは「それが出来ることは既に証明されている」ということなのだから、それはパーツの如くに活用させて頂いて、避けるのではなく積極的に取り込んで、高速に事業として進めていくべきなのだ。知的財産に関する国の委員会などでは「中国が真似をする、防御出来ない」とかのお話が出てくるのだけれど、侵略者認定は良いが、市場はあちらが明らかに大きいのだ。対話による若者保護と鼓舞こそ国にしか出来ないことだ。挑戦こそ人生の価値である。そう思う。

新しい事しましょうよ

世界を見渡すと新しいコロナ株がどんどこ見つかっている。鎖国が解かれたわけだから、それらが蔓延するのに時間は掛からなかろう。世界中でマスクを外し、感染は自己責任常態であるから、我が国もいずれそうなっていくのだろう。国内におけるワクチン開発が活発になったとか、細菌センサが出来たとか、そんな都合の良いお話はとんと聞かれない。出来るものなら研究をしてみたいものだが、国内の最先端の皆様に期待するしかない。何か関われないかと、研究者諸氏は考えていらっしゃることだろう。その気持ちを失ったら、もう要らない人ということになる。

産業構造の転換と共に、不要となる部署が職場にある。これは何も人が要らなくなったわけでは無くて、AIやロボットによって、人間がやらなくて良い作業になったという事だ。そんな作業にしがみついていても仕方がないので、リカレントで自らに新たなスキルを身に着け、次の職を作るのが宜しい。その認定制度が日本にも細々とあるのだが、それを提供する学びの場を作り出したいなと言う色気はある。実際のところ動き出してはいるのだが、まだまだよちよち歩きだ。

全部、自前でという時代では無い。本屋に行って自学自習というのもありなのだが、リカレントやリスキリングの場を活用する事、それでもだめなら、アウトソーシングということになる。無理して所員を鬱にさせて、折角の能力をつぶしてしまっては元も子もない。とんでもない損失である。国の規制によって「駄目」ということも多いのだが、政治家の暢気さに国が鬱状態になってしまっている状況はいかんともしがたい。これなどは政治無関心の結果だったり、世界の帝王達が我儘勝手し放題という状況を見本にし出す若者の出現を生んだり。

新しい事を始めたら、2つの古い事を捨てなければならない。捨てるから新しくなれるのだ。新しくなる必要が無ければ、それはしなければ宜しい。伝統工芸に属する文化はそれで良い。もしも経済活動で、国の経済成長に寄与しようとするならば、新しく成りつづけなければならない。資源を見出し、それを活用する手法の開発でも良い。要は情熱であって、それは年齢には関係ない。それが無くなったら終わりということだろう。ゼロから数字を生み出し続けたい。それはそう思っているし、そんな人を応援したい。

マイクロフォン考

趣味のお話なのだが、俗に言うオーディオなんだけど、一時、クレデンザから出てくる音を録音して、BGM的に楽しんでいたことがあった。お気に入りのマイクロフォンはWestern Electric 639Aで、それをAltec PEERLESSのマイクトランス4722で受けて、そのまんま録音される素晴らしさにほれ込んでいた。クレデンザは素晴らしいのだが、蓄音機故に音量調整が出来ないから、深夜・早朝に動かすことが出来ず、また、お気に入りのSPレコードがすり減るのが嫌で、始めた趣味である。今も、時間があればやってみたいと思っている。

おたくが語るとこんなふうになってしまうのだが、今時のマイク&スピーカーと言えば、会議テーブルに鎮座するAIスピーカーであろう。卓の真ん中において、先方に伝送する音量も自動で調整し、アナログ音響ICの高速化に伴ってハウリング無く、煩わしいヘッドフォンなどは使わずに討論に集中できる優れモノだ。今、使っているものはMicrosoftが推奨する某機械だが、2年前に購入して、何故かマイク機能が使えなくなってしまった機械に比べ、再生される音の良さに驚いている。昨日、画面の向こうから、やたらと通りが良い声ですねと言われたので、マイクも優れモノという事なのだろう。

マイクってとても重要だと思っていて、先日、議事録お越しをさぼろうと、AIエンジンと合体して、文字起こしをやってくれる機械を入手したのだが、内蔵マイクに向かって独りで喋っている分には、驚くほど正確に文字起こしをしてくれることに感動したのだが、講演会場のような、反響が強い環境だと、誤変換が大きく、録音された情報と比べながら修正することとなる。これはどうでも良いのだが、自分の講演を文字お越ししたものをAIテキストマイニングを使って分析すると、伝えたかった文脈がちゃんと解析されて「あぁ、良かった」となった。AIが当たり前になってきたなと実感する。

話をマイクに戻すのだが、先述の639Aなどは、様々な場面で活用され、勿論、プロの歌手が「それでなければ録音しない」とまで拘る機械であり、それは小生も納得するところである。近代のマイクにおいてもそれなりのものを使うと、進化を感じることもあるのだが、人の声というか、音が風景となって記録されるレベル感でOutcomesとなってくれる為には、空間とマイクの研究って、最近、されていないのではと思ったりしてしまう。どれだけフィールドテストをしているのかなって。結局、外付のマイクを探すことになってしまう。オーディオ小僧の旅は終わりそうにない。

失敗の奨め

マイナンバーカードの情報を教えて欲しいと、どれだけのお役所や企業に頼まれたことか。カードの裏表のコピーを寄越せと言うことなので、その通りにしてきたのだが、取得者が国民の半数程度であって、それを拒否することも出来たのかしらとは思うが、まぁ、親方に何を言ってもはじまらないから素直に従ってきた。名古屋市では市長がその活用を大反対しているので、身分証明書にも使う事が出来ない。本校保険証が原則廃止ということで、マイナカードが少しは使われるようになるのかなと思ったりもする。

小生的には情報が一元管理されていて、それに自分自身でアクセス出来ればそれで良いと思っている。個人情報が漏れだすとか、国が個人の財産を管理するのはけしからんとか、いろいろ言われているけれど、国民を守るための国の活動なのだから、それに従おうよと思っている。国に知られたら困ることをお持ちの方々が騒ぐのでしょうけれど、国民皆保険制度が無くなるわけではないから、健康に働くことが出来る国であり続けて頂けたらそれで結構だ。医療機関とすると、その為の機器やネットワークへのアクセスなど面倒が増えて大変だなとは思うのだが、遅々として進まない日本のDXを変えていこうという河野大臣の思い切りは良かったと考える。

民主主義に反するということを叫ぶ方もいらっしゃるが、選挙で選任された人がやっているんだから、立派な民主主義だと認識する。選挙権を放棄して投票に行かない行為は、基本、承認行動なのだから、何も言う権利はない。期日前投票制度も普通に使われるようになってきているしね。マイナンバーカードを使って、電子投票が出来るようになればなお良い。投票所に行って誕生日を聴かれることもなく、気分が良い。

セキュリティが先か、行動が先かと言う事だが、そんなもの、走りながら直していくしか無かろう。完璧というあり得ないことを追いかけて、結局、何もしない日本人。世界からどんどこ置いて行かれて、何が嬉しいのだろう。形にしてみて、人に聴いて頂いて、どんどんと公開していけば良いのだ。もっとエラーが許される社会になっていかないと、気合の入った若者はどんどんと海外に脱出してしまう。そんな高齢化を加速させないためにも、失敗を許し合う国になってもらいたいものだ。そう思う。

学べ!

凄い方だなと感じる人は、結局、そのオーラを感じているということなのだろう。オーラにベクトルがある人と、当方的に発している方と。当方的なオーラはもの凄い。滅多にお目に掛かれないが、それに出会うことは心地良い。凄い人がいたものだと、もっともっと頑張らねばと気合が入る。実に愉快になる。そんな方がお勤めのお会社って、どこから見ても世界企業ですな。ジョブ型機能を最大限に活かすだけではなく、その機能を高めることを推奨し、社員殿もそれを実践されている。

それとは逆に、今、儲かっているのだから、社員は学ぶ必要などなくて、寝る間も惜しんで会社に尽くせと。それが会社の意思なのか、親会社の意思なのか、それは全く分からないけれども、学び続けないと世界から取り残されるよと言うこと。それは間違いなかろう。SDGsとか、それが間違っているとは言わないが、使わなくなったから中古品として次の人に使って頂こうとかね。そりゃぁ、陶器の壺とかね、壊れなければ半永久的に活用できるものなどはそれで良いのだが、電化製品とかね。省エネ高効率のモノに換えていくよりも、古いものを使い続けるということには反対だ。

それと同じで、入社した時の横並び一線で、努力して、能力を高めている人もそうでない人も同列で評価されて、給料も変わらないのではやる気はどんどん失せていくだろう。学ぶことで世界の最新情報を捉え、それを超えていくようなアイデアを出したとしても、それを上司が理解しないのでは無駄になってしまう。護送船団方式の企業運営では、学ぶことに何も価値は無く、繰り返し正確に行動し、上司の言うなりで行動することが是とされる日本ゾンビ企業は崩壊するべきなのに、助成金と言う名のゾンビ活性薬漬で人も企業も腐敗していく。

学び続けないから変わる政治を受け入れられない。政治家も国民がバカのほうが良くて、そうでないと今のゾンビ政治が如何に国家危急存亡状態に向かわせているか、俯瞰的に見られてしまいますからね。リスキリングは、他社に逃げ出す方策ではない。自社の機能を高める上でも必須なのだ。カンコツなど何の役にも立たない。それを定量化し承継し、新たなものを作っていくことにのみ価値がある。寸刻を惜しんで学べ!それだけだ。

夢の国?

どうでも良いと言えばそうなのだが、そもそもどうでも良くないお話を戯言にはしないわけだが、ディスに―ランドのパレードが突然中止になって、お客さんが悲しんだというニュースを拝見した。理由はパレード経路の舗装路面の修理ミスなのだが、夢の国の舗装路面の修理がずさんと言うことに、ちょっと衝撃を受けたわけだ。本国のディズニーランドだったらこんなことがあったのだろうか?許されたのだろうかということ。そして夢の国の対応が利己主義で幻滅と言うところだ。

柄では無いが浦安にほど近い(うそ)ガマの油売り大学の学生時代に、突如として出来たディズニーランド。まだ、それ程入場客が居なかった時に出掛けてみた。今なら信じられないだろうが、ビックサンダーマウンテン(今もあるのか?)に何時でも繰り返し乗れた時代である。そんな時ですら、パレードは華やかで夢の国を感じさせてくれた。売りの売りであるから、それ目当てに入場される方も多かろう。コロナ禍のうっぷんをパレードで晴らそうなんて心づもりの方も多かったと思う。それがドタキャンである。

台風でも何でもない、路面の修復ミス、要するに、メンテナンスミスによって、顧客の夢を奪ったわけだ。一方的な中止だし、当然、知らされても居ないわけだ。入場料の返却など当然なく、こっちの都合で止めるから、まぁ、他のアトラクションで楽しんでねということである。そして今後も同様の対応を取るとすかさず発表する夢の国の有様である。いつからディズニーランドが顧客満足を度外視するようになったのだろう。もう、永遠にそのゲートを潜ることはないだろうなと思った次第。

人の振り見て我が振り直せではないが、サービスという点において、欠けていることがあるやもしれず。いや、きっとあるだろう。外部受託試験を頂きながら、装置が壊れているとかね。そんな状況を未然に防ぎたいとは思うが、突発的にものが壊れてごめんなさいをせざるを得ない事がある。修理して正常な動作を確認して受理と言うことになるわけだが、ディズニーランドの修理業者が手抜き工事だったことと、それを認めて受理してしまったディスに―ランド側の対応にも驚いた。ありとあらゆるところで技術が失われているのではないか。そう感じた事件であった。

講演にて

先日、60分ではありましたが、講演をさせて頂く機会を頂いて、大学の売り込みと小生が思っていることを「だぁ~」っとお話をさせて頂きました。久し振りのまっとうな講演で、体温上昇、必殺技でのフィニッシュと、演じさせて頂けたかなと思った次第。準備を重ねていって良かったなと、どんな時でも全力勝負た大切と実感するわけであります。知った顔も沢山集まってきて、何処で嗅ぎつけたのかと思う程、現役時代にお世話になった方々がわらわらと・・狭い世界で御座います。

一社単独で数兆円のビジネスをしようとすれば、それは限りなく大きなピラミッド構造が必要となってくる。バブルを経験した方々がリーダーの企業が多く、今でも一攫千金と言うわけでは無いが、ビックビジネスだけが選択肢と、日本においては信じられているし、株式利益で老後の生活を確保しなさいと言う政府の考え方にしても、巨額な株式配当を大企業に期待しての事だろう。大企業の傘の下に群がる優良企業は、首が挿げ替えられても異なる業界でも生きていけるから100年を超えて存続していらっしゃる。このようなお企業は全く心配ないし、そのようなお企業の技術は我が国の宝で承継されるべきだ。

ところが、この国には大企業の傘の下、冷たくなっても生きているゾンビがごちゃまんといらっしゃって、その雇用の為に利益が無くなり、そして薄給大国の地位を守り続ける。某TV局のニュースでリッチな雰囲気のご夫婦が円安だし絶対に日本に行く!と、入国の自由化を大歓迎するコメントを出していらっしゃった。国内においては「偶然が重なって、家族で2万5千円もお得になった」と感激している親子の映像が流れたが、これが現状である。国外からのインバウンドにしか頼るものが無い、今の日本経済である。

話をビックビジネスに戻すが、巨大な船が舵を切っても、効果が出てくるのは数キロ先で、そんな状況では世界の技術の成長についていける筈はない。だからこそ、スモールビジネスグリッドを考えるべきで、そのグリッドの旗手となるべく、ナンバーワンでオンリーワンの技術を創造しそれを高める努力が必要なのだと語ったわけだが、どれだけ聴衆に刺さったのか。敵対的買収も花盛りで、これも円安の効果で加速している。重要な技術が海外の資産となり、技術者もそうなっていく。巨大ビジネスピラミッドの瓦解は早い。そう感じる。