聴取力

『普通』に生きると言っても、普通が全ての人にとって異なるのだから、普通に生きているから放っておいて頂戴と願ったとしても、邪魔になると感じる人はそれを排斥するだろう。ちょこっとでも自分の方が経験があるなと天狗になっている輩は、いじめに走るわけだ。それが今の『普通』の社会なのだなと諦めるしか無いのかもしれない。結局のところ『普通』の基準を自分に置くと、『普通』の基準が人類の数だけ出てくるという事になる。だから『普通』の生活などあり得ないという事になる。

だとすると、他人をどう思うか、他人がどう幸せを感じるかという、考え方そのものを『普通』に設定すると、バリエーションは若干減少するような気がする。勿論、我儘勝手を幇助しますよという事では無い。誰も泣く事の無いゴールを共に描いて、そこに共に向かっていくという心構えを持つことを『普通』に置いてみると、これは案外、普通に生きることが出来るようになるのかもしれない。

様々な学問があって、その昔は森林学なんてものがあって驚かされるが、昨今は予兆学などという、占いか?とも思ってしまうものまで学問になってきた。確かに世界的な状況が瞬時にネット上に乗ってくる現代において、予兆を見出すことはAIの根幹だし学問に成り得るなと感じる。ただ、サンマ資源の激減が叫ばれる昨今、予兆があっても動かないのが人間である。ましてや学者の言う事に従う国民なぞ、何処に居るのか?

結局のところ、知らない間に何かが変わっているというやり方が今後も続くのであろう。地球温暖化でお金を取っていた人達が、次は海洋プラスチックでお金儲けしようと世間を動かしている様に、偽善的な動きは自然保護を伴うから活動操作にはうってつけだ。これが苦役を伴う正しい事では誰も動かない。後の祭りになった時責任問題を掲げるだけだ。次の世代の当たり前を追いかけて、それを『普通』の生活に結び付けたいと頑張るのだが、足を引っ張る力が強く、そっちになかなか行けない。ご同輩も多い事だろう。基本は謙虚な聴取力。それしかなさそうだと、それこそ当たり前であるがそう感じる。

自虐主義

欠陥だらけのF35を数兆円掛けて整備するのだけれども、AIに関する研究資金は1200億円程度だ。中国に至っては160兆円という研究費を投じてくる。その分野の研究資金だけで、日本のGDPを遥かに超える。これが現実である。政治家もマスコミも「日本の研究者はさぼっている」と学者を糾弾するが、情報も提供しない、お金も提供しない、閉鎖脳で新しい挑戦を認めないのに、あたかも人がさぼっているみたいなものには飛びついていびり倒す。既に半世紀以上生きているわけだが、生まれた時から変わらない。所謂『普通』がここにある。

戦後、自虐主義が日本を席巻し、ありもしない犯罪を自らでっち上げ謝罪して喜ぶ風潮が、今の日本を蝕み続けているわけだ。金融庁の2000万円が不足するよという当たり前の流れに対しても、覚悟を決めない。ただ、ここに、人間の『普通』が前提になっていないことに気を付けないといけない。死ぬ時期が分からないという事だ。突然やってくるのだ。未来への貯蓄よりも今の努力を活用する社会に何故方向転換できないのか?

必死に頑張ったらその分、次の年度に頑張る仕組みが大きくなる。日本を除く多くの先進国がシフトしている当たり前が、この国では何故か普通にならない。貯蓄では無い。今の勢いを更に伸ばすというだけのことだ。貨幣価値が全く異なる過去の社会に対して、下がり切った貨幣価値で返還しようとし続けると、どんなに消費税を上げていっても借金は減額の方向に行かない。

第一次ベビーブーム世代の皆様が、現在の日本の主戦力でいらっしゃるのは間違いない。年齢的にはリタイアをされていらっしゃいますが、その元気感たるや、たじたじである。GHQがドル円相場を固定して、1ドル=360円で全てが始まったわけだ。この感覚が今も全てを支配している感がある。今、仮に1ドル120円程度とすると、3倍の価値向上だ。昔、1万円を当時の方々に年金として支払ったのだから、今はその3倍、獲得できるわけだと政治家の皆さんが動いているとしか思えない。こんな『普通』をいつまでも続けられるはずは無かろう。国が破綻するのは当然のことだ。

エントロピーを下げる普通

普通って何かななどと考えたのは、先週、東京に行って大阪に行って浜松に行ったのですが、大企業の営業担当でも無いのに、新幹線がお友達みたいに暮らしていて、周りを見渡した時に海外旅行客などの群れに出会ったからだ。海外の皆様は日本の働き方とは全く異なり、クリスマスが過ぎるとサマーバケーションの計画をするくらい、仕事以外の時間の過ごし方を熟考する。有給休暇を5日間使うことを強制される日本とは大違いだ。

勿論、仕事における集中力は凄まじい。なぁなぁで仕事なんかしない。仕事は生きるためのツールという割り切り方は凄い。学者の場合には、学究担当、講義担当、行政担当が明確に分離され、学究担当教員が会議に出るなどと馬鹿なことは無い。数年に一度の評価に対しては冷徹なまでの評価が成され、別の職に就かれる方もいらっしゃるが、必死にやっていらっしゃるから、その成果を活かせる転職によって、自らを輝かさせるポジションを見出せる。

日本の『普通』は悲惨な未来だけが口を開けて待っているのみだ。地方から東京一極集中が問題だと叫んでいるが、地方に仕事が無いのだから、一極集中していくに決まっているではないか。仕事はありそうで無い。光熱水量、家賃、その他、空気以外で必須の支払い項目だけでは生きていけないのだから、それ以上の賃金が重ならないと、それが得られるところに脱出するのは当然の事。活動を電子情報に置き換えることはエントロピーを下げて価値を上げる活動である。極めて優れた活動で、それを実行している若者達に敬意を表する。

当たり前と普通とは全く違うのだけれども、グローバル社会なのだという『普通』に生きる方々にとって、ペーパーレス、固定住居レス、貨幣レスなんてのは当たり前。そんな人達と共に生きていることを納得しないといけないのだ。戦前に生まれた親に育てられた人々と、そんな想いをさせたくないと育てられた親に育てられた人々と、そんなこと関係ないと育った親に育てられた人々が混在しているのだ。『普通』ってなんだと考えること自体が異常なのだと納得するしかあるまい。故きを温ねて新しきを知る前に、目の前が瞬間、古きに変わる。そのスピード感を普通と思うところから始まるのでしょう。凄い時代だ。

普通を考える

結局のところ「普通が一番だな」なぁんて日和った言葉が頭を過ったのだが、『普通の生活』ってどんな生活だと思ってネットを眺めてみたら、ご同輩がちゃぁんといらっしゃる。ただ、サイトによると大学生の将来の結婚像みたいなことの羅列で終わるパターンが殆どで、『普通』の個人的思想の評価基準が述べられているだけだ。年収は500万円とか、3000千万のマンションに住んで、年一回は海外旅行に行って、子供は中学校から私立に行って・・普通か?田舎に移住して、豊かな自然に囲まれる生活をして・・普通か?

どうも、何か比較出来て定量化しないと普通では無いらしいし、その普通というのが願望というか、普通には閾値があって、それを超えないと普通では無いという考え方が『普通』らしい。政治家殿も叫んでますからね、勝ち組・負け組って。富裕層が勝ち組らしいが、富裕層って金銭だけで測るけど、それで良いのか。鴨長明みたいな生活は富裕層な気がするが、これは小生の価値観ということで、富裕なんて単語ですら普通では無い。勝ち・負けが人生にあるのかと言われれば、それも答えに窮する。

バブルの後、大量の解雇者が出て、派遣業という業態が確立し、それを政府が後押しして、大会社はなんぼでも首を斬れるように設定した。忙しい時だけ雇用する季節労働というのがあったけれど、それがシステム化されたということですな。いつ、仕事が無くなるか怯えながら務めることはかなり厳しい。承継枠を頂いたのに、明日から来なくて良いよと言われるかもしれないと思ったら、努力なんてとても出来ない。出来る筈はない。

人間らしい生活なんて言葉も聞きますが、これもまた解せない表現だ。24時間働いても活動を辞めないターミネーターみたいな人もいれば、10時間寝ないと次の日に支障をきたすという方もいらっしゃる。その人らしいという表現が適切なのでしょうけれど、組織は平均を求めるし、雇用されるとそれを強要されることになり、ブラックだなんだということなる。社会的にこのようなことが叫ばれるのは選挙の時が最も多かろう。そんな視点で世間を眺めながら『普通』と『人間』というものを見つめてみたいとは思うのだが、『人間』は荷が重いので、普通ってなんだろうと考えてみたい。

選挙とは

何かに向かって生きていく。その決意を基に頑張るわけだ。しかし、その「なにか」に到達出来ることは、ほぼ、100%、その望みに到達することはない。酔っぱらったヤマタノオロチの首を斬りまくったのだけれども、素面で討論は出来なかったのでしょうね。国政選挙の原点がここにあるわけですよ。

朝鮮から渡ってきた鋼を作る機能を持った人達が、原料がある日本に渡ってきた。一方、日本側は、その知恵を盗んで自らの地位を獲得したかった。山に点在する製鉄所を次々と殺戮し、第一期国家を築いたのが出雲王朝で、スサノヲさん達ということなんでしょうね。元王族に繋がる宮崎の民などは、単に、王様になりたかっただけの、殺戮王朝なだけだ。まぁ、ここらで黙るのが得策だろう。

選挙とは自らの命をゆだねる行為だ。自らの命だけではない。子々孫々、誰が泣こうが関係ないと、「あなた」は投票するでしょう。その結果の積み重ねで、誰も結婚しない国家が出来た。それを「あなた」は良しとしている。「あなた」には理想が無い。自らの活躍のイメージを持たず、全てを他人のせいにする、即ち、楽ちんな人生を歩んでいるのですね、「あなた」は。

まぁ、「あなた」を相手にしている暇は無いし、自己欺瞞の絶叫を聞く暇はもっと無い。少なくとも借金は無くしませんか?借金は返すものですよ。今、国家で実行している全てのことは借金の結果だ。株、為替、日銀にやらせを強要している政府に、「あなた」はやっぱり票を投じるのですよね。だったら、一人当たり2000万円以上ないと暮らせない老後を、全日本人に対して認めなさい。自衛隊と言う軍隊が全世界で人殺しをする社会の責任を持ちなさい。魂の債務を受け取りなさい。それが選挙だ。それだけだ。

信念

随分前の親戚がどこぞの議員だったのですが、学校を何処に建てるかなんてことで大騒動になったらしい。平地ならともかくも、山路だと、集落周辺に作りたいという話になるのでしょうな。そこを大きな目で見れば、学校が人の中心になるのだから、全ての家々の中心に作るべきだとして、結局、そうなったということなのですよ。谷あり崖ありの地域なんですが、突如として現れる学校に目を疑いましたな。

今ではバスも通っているのですが、その当時はそんなものはなく、徒歩で一時間以上を掛けて歩いて登って返っていく。毎日が登山ですよ。足腰は勿論、精神力も強くなりますよね。結局のところ、そういう人を作ることに成功したということです。政策とは何年も先にがっちりと実る、そんなものが正しいということ。リスクをとる勇気こそ、何かを達成するという事例だね。

飢えたライオンの中に飛び込めということを言うのではない。反対にあったり、敗北だったり、そんなことは仕方のない事。信念を持って、今苦しんで後に笑顔になるということですよ。そんな政治家を見抜かなければなりません。TVで売れているから投票しようなんていつの間にか流行ったけれど、それはもう良いのではないかしら。

仕事でも、研究でも、新しいことに取り組もうとすると、何か大きな失敗が隠れているのではないか、足を引っ張る連中が出てくるのでは無いかと恐れる。その通り、必ず、失敗して、足を引っ張られますよ。日本だもん。うんざりした気分になる。なるけれど、それでやめるのであれば、所詮、その程度の信念だったということでしょ。きつい道を選ぶ。それで良い。

有権者

二十歳になって初めて投票に出掛けて以来、何度、投票という行為をしたのか忘れてしまったが、今の年齢なり、人生経験なりの投票意識を持つべきだと思う。謎の圧力が掛かって自らの意識を変えるようなことは決してしてはならない。大切なことは過剰な期待をしないことだ。グローバル社会において、極端に変わる可能性があるとすると、テロだったりクーデターだったり、そんなことしかあり得ない。あり得ないことは起こらない方が良いのだ。

それなりの年齢になったりしているわけだから、やんちゃな二十歳では見えなかった人のドロドロ感によって、なんとかなるさなんて思わない、思えない。なんともならないというのが大人の思考の出発点ではあるのだが、そこでなんとかするにはどうすれば良いのかと考えるのが年の功ということなんだな。

ガマの油売り地方に12年暮らしていて、その際にも何度か選挙があって、まだ、選挙権を得ていない時に、大学院生が村議員になった。20歳以上の某大生が投票すれば、そりゃぁ、大学が出来るまでの村民よりも多いんだから当選するわなぁ。組織票ということなんでしょうけれど、東京から高速バスがやってきましたな。

それはさておき、ベストを尽くすということだと思うのです。何に取り掛かるということは、それも年齢なりに考えることなのでしょうけれど、自分が持っているものを最大に活かすということだ。相手の考えを受け止めて、そして自らの意思との相違が何故生まれているのかを考えつくし行動に移す。ルールは守る。その上で有限の人生を活性化させる。そうありたい。

投票とは

街宣車による騒音公開が問題となって以来、殆ど、選挙演説と言うものに小生の生活圏では出逢わない。街のポスターと新聞やネット上の情報が投票行動の選択肢となる。当人に出会うというのは案外大切なことだと思う。文字面で、まぁ、自らの主張にあったことを言っている(やってくれるわけではない)政党の候補者だから投票しようかという具合だが、当人にあってみると「なんじゃいな?」となって辞めておこうとなったことが実際にある。

山村地域だと、橋を架けてくれたから投票しようとなるわけだが、そんなことで本当に良いのか?貴方の価値は橋か?国会議員が地方の声を中央になんて言うが、そんな奴こそまやかしの大将である。天下国家をなんとかするのが国会議員だ。ちゃんと地方議員は居るわけだから、その人達に任せておけばよろしい。

グローバル社会において日本がどうあるべきかということを真剣に議論して頂きたいのだが、自分のことにご執心な国民性からか、国会議員が国の事を考えて何かを発言しているというのは、田中角栄以来、聞いたことが無い。そんな国政選挙だから投票率が5割前後なのでしょうね。

投票率が5割に達したら大したもので、3割を超えるかどうかなんて選挙を国政選挙と言って良いのか?国民もしっかりしてくれよと叫びたいが、これまた、小生に何が出来るわけもなく、やっぱり3割なんだろうなとため息が出る。投票にも行かないくせにリタイア後に2千万円以上のお金が必要だよと言う真実には過剰に反応する。投票しない者にはそんな資格はない。おふざけでない。

参院選

バックキャスティングの主人公は誰だと聞かれたら、それは「あなた」と言うだろう。言わざるを得ないということではない。未来のあなたの笑顔こそ、主人公であり、実現するべき出来事である。それが基本・・だと思って活動しているのだが、現役生にしてみれば、「試験は簡単だよと言いながら、出来ない問題を出しやがって、死ねば良いのに」と教員に向かって陰口を叩くというのが答え。そんなもんだ。

ふぅんと思う。自らの学習意欲など何も無く、与えられることだけを望んで大学に入学する学生にとって、将来と言う大上段に構えた議論など、将来、2~3千万円位、生活費に必要ですよと言われても驚かない受け答えに過ぎないのだ。それが選挙であり、それが日本だ。

折角、参議院の選挙期間であるから、その手の類をしゃべっても、罰は当たるまい。当たったとしても、猫がくしゃみをするような程度であろう。多くは語らぬが、まぁ、そういうことだ。代議員が出来る出来ないではなく、まぁ、この人に掛けてみようという方に一票を入れるのみだ。愚かな政府を抱き、世界から鉄槌を受け、無戦の憲法を共に創ったのに、自らそれを放棄することを良しとする国民には反吐が出る。

参議院は分からない。憲法的にはえらそうなんだけど、天下国家に向かって、こんな風に生きていけと言われたことが無い。そんなところからかもしれない。選挙は自分の代弁者を選ぶ重要な行為だ。安易であってはならない。ちょっと前の政権が駄目だったから、もっと借金大好きな政権にお任せするというのは、次世代への無責任を標榜するのみである。冷静になれ。熟慮するべきである。

火山活動

千島列島だけではなくて、南のパプアニューギニアでも大噴火がありましたな。大量絶滅の一つの引き金であったインドネシア近傍の火山活動が未だに続いていることに驚嘆するわけで、人間というちっぽけでありながら大繁殖した種にとって、自然との共存の困難さは、どれだけの時間を経ても変わらないのだなと、妙に安心したりもするのです。

背伸びで自然の猛威に勝てるはずもなく、土砂災害で甚大で悲しむべき被害が継続して発生する社会でありますが、そもそも、そんなものなのだと達観しないといけないのかもしれませんな。一方で、調子に乗り過ぎたせいで引き起こされる災害は無くしていかないといけないとも思います。

本当かどうかは知りませんが、地球上の氷が溶解すると、海面が66m上昇するという試算があり、そうなると、小生が活動している領域は全てが海の中ということになります。日本においては暮らしやすい海沿いの平地は無くなり、甲府盆地みたいなエリアが希望の地ということになるのかしら。

G20会議では、それなりの力を有する各国の代表が集まって、取り敢えずは顔を突き合わせるわけで、そんなことからでも良いから、知的・暴力的を含めた全ての戦争を無くして頂戴とだけ言いたいわけですよ。そう思うところもあるんでしょうけれど、リーダー達からはそんな声が聞こえない。なんかどんどん人間の心の伸びしろが狭くなっているようで、恐ろしい気がする私であります。