ふと思い出した。安田講堂、市ヶ谷、浅間、簸川、日本にあった籠城の歴史。思い起こしてみると学生時代というのは籠城の歴史だったなぁと。その籠城は開けた籠城というのが、知られた籠城とは異なっていた。逃げて心を閉ざす籠城と、進んで心を開く籠城とはまるで違う。違うが、社会は同類と考える。何故ならば、過去に住んでいるから。
未来から戻って、今を考えると、何度も何度も非連続の瞬間があった。それを当たり前と受け取る種族とそうでない種族が選別された生命の歴史であった。フラッシュバックするわけだが、それをまた感じるところである。不連続が現れる。
不連続こそ進化の歴史である。周波数が大きくなるだけで5Gだ何だととは、決して不連続ではない。マスコミは「えらいこっちゃ」と5Gの登場を政治の転換の様に祭り立てるが、それを受け取る側の姿勢が全く変わらない以上、静かに浸透するというレベルなのだろう。実際のところ、電子機器が漸く人間の反射神経程度になってきたという歴史的瞬間ではあるのだが。
籠城は古くからある。多くが守ることだ。攻める側が籠城した歴史は無い。無いが、未来からやってきた者からすると、過去こそ全てという攻め手への籠城ばかりである。そんなことで、今週は、籠城してみようじゃないかという、そんなところだ。
2月
気が付けば2月である。ついこの間、新年おめでとうなどと言っていたと思ったら、1/12が過ぎてしまった。何とも恐ろしい速度である。年齢を重ねる毎に一秒の長さが短くなってきているのではと真剣に考えてしまう。思考速度が低下しているからかもしれない。恐ろしい話だ。
この時間感覚なのだが、小生的には新幹線で東京まで行く時間が一つの基準になっている。先日の岡山で驚いたのだが、ほぼ同じ時間なのですな。岡山に降り立ち、なんだか普通だなと感じたのはそのせいである。実に近い。また来ようかなと岡山で思った次第。伊勢などはそれより20分も短い時間で着いてしまう。電車の速度は問題ではない、箱詰めされているその長さが重要なのである。
とは言うものの音すら立てられない共通テストの監督などは、その硬直的緊張感から異様に長く感じる。思索に耽り我を忘れるということが許されない時間は、これは恐ろしいほどに長いのである、秒針が止まってるのではないのかと思うほどだ。本当に止まってしまったらえらいことだが。時の流れはかくも愉快である。
モモという、時間泥棒が出てくるエンデの作品があるが、あれなどは全ての人類に共有される作品であり名作である。刹那よりも短い人生であるが、時間の長さは全てにおいて共通である。大切にせねば。そう思う。
伊勢にて
豊受大神宮こそ天下万民の食事を通じて、国家の柱となっているのが外宮の祭神である。43年ぶりである。外宮に詣でたのはこれ程の年月を重ねたのちである。江戸時代は生涯に一度と言わていたわけだから、生涯に2度もお参りが出来たということは、まぁ、幸せということであろう。
伊勢という特殊なお土地柄。出雲にしても伊勢にしても観光客が爆発的に増えたのは富くじのお陰だし、所詮はご利益ではなく、その瞬間の価値観だけである。それを国民の意見の集約として、商用に使った方の頭の良いことよ。
重要なお話を集中して短時間に行うには、何かを成し遂げるという根性と夢が必要である。多くの民には夢が無い。刹那感が強いと感じる。物語を伝える努力とそれを真摯に学ぶ姿勢が必要だ。
夢こそが人の喜びであって欲しい、自らがビジョンを描きそれに向かって努力する。当たり前なのだが、点を面にすることの難しさだ。それが出来ないと笑顔は見えない。ひたすら努力。其れだけだ。
軽佻浮薄
引っ張るものが無くても、後ろめたき者は誰彼無く引っ張る。他人の視線がそちらに行けば幸せというものだ。他人の不幸を喜びとするのだから、その喜びは永遠だ。
不幸は言われも無き理不尽なものと、予定調和のものがあるが、多くは後者だ。突然で防げない不幸である。やってくるから受けるしかない。
ぬくぬくと、掘り炬燵のごとくに、張本人は過ごしているのだ。それが見えるだけに、気持ちが悪い。
間も無く1月が終わる。過ぎたか後11ヶ月あると言うかだが、11ヶ月しかないと思うのが現実だ。人の足を引っ張るよりも、一歩踏み出す苦痛を重ねる方を尊敬する。当たり前の話だ。
思いつく事など
成し遂げたい何かを持ってずっと頑張っていると、ひょっとするとその何かに出会えるかもしれない。あくまでも「かもしれない」というところがやや残念ではあるのだが、まぁ、そう、何でもかんでも思い通りになるわけがない。それで充分である。ひたすらこつこつと実践あるのみである。
ずっと考え事をし続けると、思いもよらなかったことを「ふっ」っと思いつくのだ。これが脳の面白さだと思っている。脈絡もなく、突然にだ。しかしそれは何かの折に見ていたものかもしれない。それが突然、異なる事象に紐づけされて新規の記憶となって表出するのかもしれない。だからこそ、闇雲に勉強することが必要なのだ。必要だから学ぶのではない。学ぶから必要な時に役に立つ実践力を生むのだ。
情報がネットという人類分の情報のたまり場に吸い上げられている。好き嫌いにかかわらず、無意識の行動が情報となってその世界に集積されていく。それが価値となっていくわけだが、ネット上の価値は、加工されなければ二次的価値に繋がらない。他人が有効活用し、税金を生み出すために自分の価値があると気が付くべきだ。
自分さえ良ければ幸せという、狭義の幸福感は意味を持たない。しかし、太古からその思想に蝕まれ、他人の不幸を祝福する愚かもがなんと多い事か。アンチ他人、愚劣極まりない思想である。誰しもが生まれ持つ自らの価値を放棄して、他人を羨むだけの道には進みたくない。そう思う。
蝋梅の頃
1月末というのは日本においては最も降雪がある時だそうで、まぁ、旧暦で考えれば当然の事だろうなと、昨今の明け方の冷え込みにちょっとひるみがち。寒くなれば暑さが恋しく、厚ければ涼しさが恋しくなるわけで、どっちが良いかと聞かれると暑い方かな。ぐわっと暑い方が小生は好きですな。手先、足先が冷え込む冬はちょっと嫌だな。
名古屋は太平洋側でとても恵まれているわけです。福井から滋賀を抜けて関ヶ原に雪を降らせる湿った寒気団も、名古屋までくる間にほぼ水分を落として、積雪になることは滅多にない。昨年末にちょこっとありましたが、それだけで終わってしまいましたからね。今週も名古屋では雪は降りそうになく、このまま無降雪でいってくれるのかしらとやや期待してしまう。
TVなどをぼぉっと見ていても、衣料品の、特に、寒さに対する防寒力の進化の宣伝は数知れず。室内空間向けにしてもそうですな。軽くて薄いくせに暖かい上掛け布団など、奇跡のなせる業かと、ちょっと大仰に驚いてみたりして。空隙の空気が断熱するという考えは変わらないと思うのですが、どこまで進化するのだろうかと感心する。
例年、2月にもドカ雪がある。それを油断していてはいけないのだが、日中になると10度前後にまで気温が上がる名古屋に居ると、思い切り油断するというか、もう寒くはならないだろうとかってに決めつけたくなる。梅のつぼみもかなり膨らんだ。蝋梅の香りが素敵な空気を運んでくる。有難い。
岡山にて
l思い出はいい加減なもので、つい、数年まえの事だと思っていたが、指折り数えてみると、以前、岡山大学にお邪魔したのは20年も前のことだ。山の上の理科大にはその後に2度ほどお伺いしている。大学に立ち寄らずに、電車の乗り継ぎということで言えば6年ほど前の事で、更に福山停車に乗り換えるために岡山駅のホームに降り立ったのは3年前のことだ。だからなんだかしょっちゅう岡山に行っている気がしてしまっていたのだが、案外、大学にはご厄介になっていないことに気が付いた。
まぁ、全国に大学があるわけで、名工大以外にしょっちゅう出かけているところがあったら、それはそれで変だろう。適度な間隔だとは思う。設備サポートに掛かる集まりであって、大学にとってはお金が掛かる部門の集まりだけに、なんだか殺気を感じるのである。
少し早めに出掛けて学内をうろうろとさせて頂いた。大きな総合大学である。環境も良く歴史のある学問の府である。第六高等学校のナンバー校が前身であり、今後も地域の中心となってリードしていかれることであろう。
思い出の中に、工学部の前に堀というか川というか、そんなものがあったはずだと思っていたら、やっぱりあった。思い出の通りである。こんなのが旅の楽しさであって、記憶を繋ぐ楽しさだ。残りの短い人生だが、そんな記憶合わせがこれからの密かな楽しみかもしれないが、やなり新しい出会いの方が良い。そうありたい。
価値観
価値は人の数より多いけれど、私物化された価値を取り除くと、神様の数くらいしか残らないのかもしれない。神様を数えたことがあるのかという不毛?な問い掛けは戯言だから無視することにして、「これは素晴らしい」との想いと「これは正しい」をすり替える人の浅ましさよ。
次世代の為と語る方がTVの向こうに限らず、遭難した山の中の熊笹よりも多い。「遭難したことなんて無いよ」と仰る方には、一度で良いからにっちもさっちもいかない目にあってごらんなさいと申し上げたい。人を認められるようになるから。
価値ってお金に換えられる事象の事だけでは無くて、人の心に訴える『場』だと思う。ものでもことでもない。人が生きるには場必要だ。心の中だって場である。その場を自ら定義できない方とはお話は極めて困難である。頑なな心に場を創って頂くことは容易ではない。その方の「価値観」で一杯の心に「お互いの価値」を共創させて頂く。何処にも正義は無いのにそれに向かう。
人の業の深さということなのだろう。皆、同じである。その同じ中から「素晴らしい!」を生み出す。富山でヒスイに穴をあけ、素敵なあなたに勾玉のネックレスを捧げた彼は、彼女にどんな想いを抱いていたのか。技術の精緻化と、その価値を振りかざさず、純粋な気持ちを伝えた彼こそ、我が国最初のエンジニアであり、人の為にそれを尽くすことを実践された人である。そんな人でありたい。
前進
新しい繋がりがやってくると分かっているとき、覚悟と決心と思い切りと・・まぁ、なんやかや、心の中は20年前の環状7号線大原交差点ってなもんで、得も言われぬ恐ろしさと、思い通りにならない諦めが襲ってくる。出会いとはそんなもんだ。
自分という奴は一番厄介で、過去を大切にしようと、自分を私物化してしまう。それを無意識に実行し、それを正当化する。一人では生きていけない世の中なのに、自分一人が正しいと、自分を正義に振りかざし、他を排斥する。何と醜い行動か。
新しく出会おうとする時、無心でお会いさせて頂くのだが、ベテランと自称される方々は、小馬鹿にして頂ける。巡り巡って耳に入るが、そんなものはどうでもよい。そもそも自らに怯える方と親密にお付き合いは出来ないので、なんとでもどうぞ。
企業のあり様もファンドのあり様も、見えないところでは数年先を見据えて動いているが、過去の慣習でしか見えないのであれば悲劇と喜劇のみがやってくる。新しい出会いは新鮮であるからこそ、こちらも真っ白でお会いさせて頂く。常に変化する。それが前進というものだ。
印画紙
片手で持てる厚さの写真の束を、一枚一枚捲りながら笑顔を絶やさず、延々と、降車するはずの駅名のアナウンスが流れた時、慌てて手提げ袋に写真をしまい、いそいそと出ていかれた。写真は瞬間を切り取っているだけなのだが、その奥深くを微笑みの眼差しがストーリーを奏でていた。饒舌な眼差しであった。
写真は良い。紙の写真は大変に楽しい。そして、撮影という行為も素晴らしく楽しい。印画紙のトーンズを思い、明暗と対話し、絞りとシャッタースピードを決める。バライタ紙の階調を考え焼き付けの暗室の楽しさに急く気持ちを抑えて瞬間を待つ。これが撮影である。
PhotoShopが写真屋さんになってしまった今、高画質プリンタとの組み合わせで自由自在な絵を作り出せる。銀塩の登場で絵画界の方々が恐怖した絵づくりが、今、当たり前のように行われている。散々、カメラ遊びをしてきたが、最近はiPhoneでいいやという気分になっている。このくらいでいいやということであって、時間があればやっぱり4X5を引っ張り出したいとは思っている。
写真は良い。どんな過去も美しい思い出になるから。そして銀塩のネガの、上手に処理したものの寿命の凄さである。江戸時代の乾板が発見され、日本橋の活況すらそこに見ることが出来る。大切に写真を抱きかかえたその方に出会って、銀塩カメラを引っ張り出そうかなと、既に笑顔になっている私であります。