覚悟はあるのかな?

変ることはとっても怖い。だから変えられない。老舗の味も変わっていく今、組織のあり様が変えられないというのは致命的である。また、乱暴なことを言い出したなと思われるかもしれないが、旧態依然は死出の道しるべ。IT、IoT、AIがこれだけ進化した今、従来の人間の思考法を中核とした組織の形態は既に死に体である。それは組織だけでは無くて、社会に多く存在する規制だとか資格だとか。様々、変わらねばならぬが、この国は変わろうとしない。

そもそも「これからも必要とされるのだから」という言い訳が成されるのだが、必要とされるかもしれないが、必要とする人から見ると、資格に求めるレベルが高度化しているに違ないのに、昨日までのルールで押し通そうとする。それは則ち自らの存在理由を否定していることに等しい。

なりたい自分は何か、成し遂げたいことは何かを実現したい。その為には今のあり様では出来ないということであれば、変わっていくしかない。そして、成し遂げさせたいことが旧態依然であるのであれば、それは当然、変革が必要である。「人口が減ったと言っても84万人/1億2千万でしょ!という意見があるが、それは見当違い。SNSの影響を受けて変革している人口は数千万人であり、もう、メジャーである。

自動車の売り上げも下がってきた。必要な部品も工場も、分析機器も必要数が減ってくる。自動化で生産効率が上がれば、作業人は要らなくなるし、人依存であったカンコツが自動化されていくから、加速的に人の入れ替えが起こるだろうが、それはベテランが居なくなるということではない。ベテランの言葉を解釈でき、新しい技術として思考できるレベルの若者が求められるということで、旧態依然の教育団体はご退場となる。覚悟せねばならぬ。

休暇とは?

大きな旅行鞄を転がしている風景に出会う。世間ではバケーションを楽しむ人々で溢れかえるが、本来、休暇であったはずなのだが、なんかかんかいろんなものが並列して襲ってくる。こんな状況でも完全に無視して「やりませんよ」と言い切ってしまえばそれはそれで良いのであろう。いや、むしろそうするべきなのだろう。いろんなお仕事を受けてしまって失敗したと思っている。

海外では、だらだらと職場に残っている者を無能と呼ぶわけだが、日本ではどんなに能力があっても異様な事務手続きなるものが襲ってきて、俗に非効率と呼ばれる状態が増え続けている。DXのための事務手続きとかね、未来は無いなと諦めるしかない。儀式とそうではない業務も分けねばならぬ。まぁ、今ある業務が生まれた時のことがきちんと伝わっていないのが宜しくない。生き字引の命は永遠でないから、上手に引き継がねばならぬ。

休暇の取得に関しても、危うく大失敗するところであった。そんなもん、聞いたことがないという暗黙の了解というか、事業承継というか、休暇届を出した記憶が過去に無いというか。まぁ、勤続30周年なんてそうたびたびあるものではないからね。でも、組織的には毎年5,6名はいらっしゃる筈なんですけどね。窓口担当の方からご指導を頂かなかったら、無断欠勤のドミノ倒しであった。

デジタルデトックスは必要だ。それだけではなく、休暇中の人間にどかどかと仕事を投げつけることが自由に行われる職場環境はブラックである。そのブラックの片棒を担いできたかと思うと恥ずかしくなる。ただ、何を言っても変わらなかったからなぁ。脱走するしかあるまい。職場に顔を出さなくなってそう思う。

台日起業キャンプ

台日合同起業合宿の開会式に参加する機会を得た。鶴舞大学からは2名の参加で、何かを掴み取って頂きたいと応援をさせて頂いた。ご近所に知事肝いりの施設が10月に立ち上がるということもあり、また、本社的にも力を入れているということでビデオメッセージなどが流された。海外に後れを取ること20年というところだが、まぁ、やらないよりはやり始めた方が良かろう。特に進んでいる国の人達とまみえることで「あぁ、平和な世界を生きてきたな」と感じて頂ければ嬉しい。

新規事業創成は本当はお金が有り余っている?大人の企業がやるべきなんだけど、旧態依然の硬い殻を自らでは破れない大人には無理だから、若者にたくそうということだ。特に医療分野においては、我が国においては「許認可」という治外法権切符を持っている企業は他社参入を錦の御旗で弾き飛ばすことが出来るから、やらない放題を決め込んで、海外企業がやってくれたらそれを買えば良いではないかという状況にある。

まぁ、ちょっと前に出てきた紅麹事件みたいなことがあるわけだから、そう簡単に参入して頂いては困ってしまうわけだが、精緻な医療情報とAIの進化をベースに、新規検査技術とかね、どんどんチャレンジできそうな領域があっても良い。医療科学を研究している大学を核に、AI系や高度電子回路開発が出来るディープテック系のベンチャーが寄り集まって、新しいことを成せば良いのにと本気で思ったりする。

当たるかどうか分からない起業家に投資なんて出来ないよなんて言っている大学は滅びるのだろうなと正直思う。就職先はいくらでもあるからとか吞気なことを言っている間に、どんどんと役割を終えていく企業群が10年先にも存続していると思っていてはいけない。勿論、新たな挑戦を繰り返していらっしゃるお企業様においても安穏としてはしていられない。しかしながら「今、売っている商材は新規事業だから、新しいことなんて考えられない」なんて笑い話にもならないことを言っているお会社はね。悲しくなる。

負け戦の要件

TVをオンにしたら、偶然に男子バレーボールの初戦が放映されていて、第5セットでリードを許し、これはいかんなという場面であった。双方ミスの連発であったが、決定的な違いは「相手は親の仇!」と牙をむく独国と「いつも通り」の日本であった。特に印象的なのはここで点を取られればお終いと言う場面のサーブ。失敗を恐れイージーなボールを相手陣営に与える。その瞬間に負けたなと思ったら案の定だ。

男子柔道においては審判がおかしいなとは思ったが、一本を取れない柔道は柔道にあらずという治五郎先生の教えに背く負け戦。この際も敗北者の目は戦う前から怯えていた。勝てる筈はない。それに対して女子柔道の覇者殿の目はらんらんと輝き、初戦前から金を取るなと感じた通り。戦いとはそんなもの。戦わずして勝つ。それは心の有り様である。

それと日本のマスコミのハイエナぶりは相変わらずで、世界選手権で良い成績を収めようなら、お休みなどさせず、国民の期待は凄いのですよと、自らが正義であると言わんばかりに自国の選手を言葉で追い詰める。島国遺伝子は他国試合に慣れていない。これは遺伝子レベルの問題で、海外で経験を積んでいれば大丈夫と言うことでは無いのは、男子バレーボールの試合を見れば明らかであろう。実力を空回りさせる。

自らがこう在りたいと、10年後のビジョンを描き、存続させて頂くという強い意志が無ければ、今後どのような改組をしていこうかなどと改革の設計図など描けるものか。安全サーブなどしている場合ではない。失敗したら負けるというなら、最初から全力でぶつかっていくしか無かろう。戦いは負ければ無である。学ぶのは心で負ければ体は絶対に勝てないということだ。心技体一致とはそういうことだ。時代的には流行らないだろうね。仕方が無い。

セルフヘルスケア

2030年には存在自体が怪しいが、本社の予測によれば個々の体験を感覚情報や心理状態なども肌感覚で記録出来て、それを編集・伝達・体験・共有できるメディアが出来るとのこと。出来るのかもしれないけれど、そんなものを欲しがる人がいるということに驚いてしまう。有識者会議で出てきたお話だから、有識者はそれを欲しているということなのかもしれない。

人が旅先の話を延々とされて、それを聞かされるのは苦手である。それこそ、感覚情報などが全く共有できないからなのだが、そんなものを共有させらるよりも、興味があったら自分でそこに出向くし、そうでなければ右から左へ出て行っておしまいである。他人の心理状態など、押し付けられても困るし、自分の心理状態なども解っていただきたくない。千差万別の考え方があって愉快である。

ただ、体調不良など、自分の情報は分かって欲しくは無いのだが、公共交通機関で席を代わって上げたいなと、人の体調不良は分かって上げたいと思うことがある。これは身内にそんな人が居たからなのだが、自然と目の前の人の不調が分かるようなセンサーというものが出来るのではなかろうかと思ったりする。身に着けている携帯がセルフヘルスケアステーションになっている時代は直ぐに来るのではと思ったりする。

生命は必ず老いるのであって、非侵襲診断機器としてのAIにはもっと発達していただきたいと思っている。医学・生理学・心理学・工学等々の横断的知識がキャッチボールしながら、早急に作っていただけないかなと願っている。たった5分の問診のために病院に呼び出されて、それじゃぁ2か月後ね、みたいに人の時間を奪う行為にさらされたくないからなのだが、そんな時には「こちらの嫌がっている気持」が伝わらないかなと思う我儘さである。人間の勝手に笑ってしまう。

休暇にて

鶴舞大学に奉職させて頂き、気が付けば30年の齢月が流れたわけだが、某所では30年続けて頑張ると、なんと土日を除いて連続10日間のお休みを頂ける。その権利を行使すべく、今日よりお休みを頂戴することになっている。従って、戯言もお休みを頂くことにするが、あくまでも、これも戯言だから真実かどうかわからない。気分次第だな。

休暇申請すらやり方を知らなかったものだから、危ない危ない。危機一髪で無断欠勤となるところであったが、拾う神に救って頂き、無事、休暇の獲得に成功したわけだ。人に厳しく冷たい人事課であるから、そう簡単に休ませるものかと、様々なトラップを準備している。そもそも「気が付いたら貴君は休暇獲得の権利がある」というレベルでの通達だからね。

これ以上連続で労働にいそしんだら死んでしまうというところまで来たので、折角の機会だからぼけっとさせて頂く。戦線離脱の予行演習というところだ。もう、その場から去りなさいと天から声が聞こえてくる。その声に応えようとしているわけだが、辞めるのは良いのだが、次がどうなることやらということで、ずるずるとしているわけだ。

そんなことを考えながらお休みを過ごそうと思う。作業ではなく、思考し企画を立て実行し続けてきた。DXが一気に進んで、作業が職場からなくなってくれれば良いのだが、未だに、印鑑だの手書きだの、旧態依然の縛りが襲い掛かってくる。去るべき時だ。そう思う

暑い

原発が良いとか悪いとかそんなことを言いたいのではないのだが、創エネの観点から、この灼熱の状況でもエアコンが使えませんとか、アラートが出てこないのは凄い事だなと。東北震災の後、50Hzエリアで電力不足に陥り、計画停電などが行われたわけだ。工場が間欠運転状態となり、生産性が著しく低下した惨劇を乗り越えたのだろうと、創エネと送配電、そして電力消費者の省エネ努力の結果であろう。あろうというのは、何も定量的なデータを持っているわけでは無いから、勝手な想像の範疇であるからだ。

海外から多くの観光客が安い日本を求めて大挙して訪れていらっしゃる。安いから取り敢えず行ってみようということで、いらっしゃるのだろう。海外客に併せた価格設定では、日本人は何も食べられないわけだが、それでバランスしているのかどうかは解らないが、オーバーツーリズムという混雑のお話は聞くが、それによるエネルギー不足と言うのは航空機の燃料が不足したこと以外には聞こえない。大型ホテルがフル稼働しても、電力不足には陥らないということだろう。

民生機器の省エネ化は、蛍光灯がLEDライトに置き換わったことだけではなく、エアコンのコンプレッサーなど、乾いた雑巾から泉の如く水があふれ出すように進んでいる。もう、これ以上は無理なのではと思っても、半年経過すると、この部分がこれだけ省エネになりますという、もはや手品も真似できないであろう位の余剰電力があふれ出す。ベース電力の原発を停止させていたとしても、超高効率火力発電によって電力を賄ってしまっている。

勿論、CO2排出量の増加は免れないわけで、国内で産業機器を稼働させるためにはそれなりの巨大な電力が必要になるのは当然のことである。世界から見た日本の技術のプレゼンスが下がっている状況において、巨大な電力を買ってくれないものづくりに費やすことは、地球環境の破壊行為ではないのか。灼熱の夏だからこそ、静かに考えてみたいものだ。

学びませんか?

本社の急速な少子化に伴う将来を見据えた高等教育の在り方というとんでもなく長い物語を拝見するに、民間企業殿はリスキリング・リカレントに対して、専門業者に委託する割合が、地域大学に委託するよりも遥かに多いとのこと。要するに社員に期待する変化速度を気にするのだろうなと考えたりする。ちょっと勉強してこいという時に、期待するのは、戻ってきたら「この作業が出来るようになっている」ことなのだろう。自分で考えて、問題を見出し、その解決に向けて提案するということは期待され無いのだろう。

諸外国では全く逆というか、数年ごとに大学で基礎を学び直し、新規を学ぶということが給与の中で当たり前の如く行われている現状がある。それはそうだろう。知恵ある者を雇用している方が、30年前に大学を卒業して、古い知識のまま、そこに座ってエクセルを開いている者よりも収益効率が上がるに決まっているのだから。学びたい欲求を閉ざされ、自動化によって無くなるべき作業をやらされる苦痛から解放されるには、転職しかないというこの国の何処に未来があるというのか?

ただ、本社としても答えがあるわけでは無い。国際競争力35位というポジションに甘んじているのではないが、どうやったらそれを効果的に上げていくのかは、学びと経済という単位時間の異なる世界の出来事に対して、支社に強制的指導はしにくいであろう。地域の特色もあるしね。悪い方向に回り始めたコマは倒れるまで悪い方向に回り続ける。経験的にはそう感じている。破壊的イノベータによってのみ、そのリセットは叶うのだが、多くの場合、それは期待できない。

知の総和を上げるということなんだけど、現状、企業の皆さんが新たな学びを求めているとは思えない。更に言うと、一週間の大学を除いた場所での学びが5時間以下という大学生が過半数という現状から、この国には未来は無いなと、正直思うのだ。必死さが無いというかね。美術館や博物館が満員御礼で入場制限が掛かったとかのニュースは見たことが無い。夏休みの小中学生諸君。君達に期待する。学んで欲しい。とは言うものの、こんな駄文を見てはいかんよなと、自虐してみる私であります。

台風シーズン到来?

台風の活動がいよいよ見えてまいりましたな。直ぐに東海地域に影響があるというわけでは無いのですが、灼熱の夏が来れば、海水温度がべらぼうに高まって、必然、台風がやってくる。上昇気流があると台風が来て空気と海をかき混ぜてくれるわけですな。上昇気流が無い、平穏無事な景色であるならば、そこには台風が起こらず平穏無事。なんとなくなんだけど、どこかの政治状況に似ているなぁと、まぁ、平穏無事というのか何も発生していないのか。台風が発生しそうな天気予報を拝見していて思った次第。

梅雨明けから突然体温越えの気温とか、何と申しましょうか、歩いているだけで日干しになっていくのがわかりますな。吹き出すよりも乾いていく汗に危険を感るわけですよ。熱中症一直線と言うかね。ここまで暑くなってくると、表で何かをしようと言う気持ちになれないわけですよ。ステアリングを握ってみても、パネルに浮かぶ39℃の文字に眩暈がしますな。給油で外に出ている間に、干からびていくような。日中は出かけないのが吉でしょう。

小中学校は夏休みに入ったそうですが、公園の横を通っても、遊んでいるお子様が皆無。エアコンの効いたところにいるのかもしれませんが、友達同士のコミュニケーションが無い状態で、社会人になっちゃうんだろうなぁ。まぁ、VR空間で友達と対話しているのかもしれないけどね。まぁ、これからのコミュニケーションというのはそんなものなのでしょう。世界とも繋がりやすいからね。悪いことでは無い。時差の少ない国の人達と仲良くなるというのはとても素晴らしいことだと思う。思うけれど、実際のところどうなってんでしょうね?

コロナも新しい種に生まれ変わり、どんどこ拡散していく。地下鉄などでゲホゲホしているおじさんをお見掛けするわけだが、検査などはしないのかしらと、密閉空間の恐怖を味わうことになる。台風は沖縄の南をかすめ、週末には大陸に上陸するようだ。本州への強い影響はなさそうだが、海水温度が30℃を超えているそうで、上昇気流によってどんどんと成長するだろう。今年の夏の台風はどんなことになるのだろう。灼熱と台風。どうなることやらである。

梅雨明け

夏がやってきた気がする。暑い、ひたすら暑い。歩けば汗だくになる。駅からほど近い鶴舞大学への道のりですら、手拭いを絞れば汗が滴る。地響きの如くの蝉の声。叫べばよい。ほんのわずかな地上を謳歌するがよい。そんなことを思いながら吹上駅からの道のりを楽しんでいる。35℃を超えますと言われても、普通だなと感じるようになった。50年前の30℃を超えますという感覚かなと感じている。

視覚・聴覚的幻想かと、勘違いかなと思うのだが、あふれ出る汗が勘違いでは無いよと教えてくれる。水分を摂取していないとあちらの世界に渡ってしまう。そんな恐ろしさすら感じる。冷房も恐ろしい。室内外の温度差が激しすぎて、人間が耐えられるヒートショックの閾値を超えているのではないかと感じる。身を守るのは自分だけである。無意識のクーラー病と言うか、バージョンアップしたコロナ禍がはやり出したのも、世界的なヒートショックで体が疲れたところに変異がマッチしたのではないか?

積極的に水分を補給したいのだが、移動、討議で水分補給の間が無い。飲める時に飲んで、何と言うか、ラクダのこぶではないのだけれど、違う人類になっていきそうな気がする。水分を保っていられる器官が発達しちゃったりとかね。地球温暖化人種とか、500年後の人類に歴史づけられたりしてね。この時代のせいで、水膨れの体になったのだと恨まれるかもしれない。

梅雨明けだが、どうも「梅雨明け三日は晴れ」とかという伝説は通用せず、思いっきり夕立を覚悟しないといけないらしい。来週は台風がくるかもしれないし、来ないかもしれないしと言う、どうも大気の状態が大きく変わったようだ。地球の有り様が変わっても、人間はちっとも変わらない。旧態依然が大好きで、視覚というお墨付きが好きらしい。時代の変容で資格なんて意味がなくなるのにね。基礎力を身に着けず、形だけを整える。クリスマスケーキとうわべ人間。冷凍保存で、溶けたら喰われておしまい。よく似ている。