リスキリングよりスキリングである。「リ」が着くと「何かのスキルがあって、別のスキルを身に着ける」ということなんだけど、スキリングにしてしまって、その時代に合った機能を身に着けていくという事にすれば良い。その機能が資格として認定されればなお良い。それが給与に反映されるのが良い。スキルがあるからお仕事を獲得出来て、自らを高めていく仕組みが、そろそろ日本にも根付いたらよろしかろう。
大学もスキリングの為に入学するはずで、まぁ、友人作りという面もあるのだけれど、それも切磋琢磨で、仲良くなりながらスキルも磨いていくという姿が宜しい。卒業後、再度学ぶのはまっぴらごめんという風潮が我が国にはあるわけれども、それは最初のスキリングが面白く無かったからではなかろうか?
ただ、学びは真剣に、そして必死に取り組まなければ面白くも愉しくも無い。そうせずに、大学とは退屈なものだとか、再度、大学を学びの場とすることなどまっぴらだという認識は大間違いである。純粋に学びたければ大学が良い。どこぞのコンサルでは駄目である。大学でなければならない。そして、それなりの対価を支払わなければならない。何故ならば、スキリングした内容によって、企業は社会に新たな価値を提供出来、そして収益を上げるからだ。価値に応じた対価を支払わなければならぬ。
リカレントにおいても同様であって、恐らく、リカレントであれば、過去との微分値を手に入れて、企業から社会への価値を提供して対価を得るわけだから、その微分値に応じた対価が大学に支払われるべきである。ところが大学での学びが、特に今の企業のトップの方々が、大学は遊ぶところ的な体験をしてきたものだから、大学の学びに銭は投じないぞという確固とした信念をお持ちになっている。大学はゼロ円だと。とんでもない。未だに、習字のお稽古塾並みの申出をされる。とんでもないことだ。