今こそ働き方改革

コロナウイルスの猛威は一向に収まる気配がありませんな。様々な機器や部品が中国から世界に広がっている中、ウイルスがどんどん世界に拡散していると思って間違いなかろう。自然に人間側に耐性が出来ない限り、収まらないのではなかろうか?

防護服を着ていても無駄だそうだから、被害除けにマスクをすることは意味が無さそうだ。ダメなものはダメなのだろう。ウイルスという生命とも物質との境界線にいらっしゃる物体に、人間としては偶然に収まったくらいを期待しないといけないのだろう。

近しいお企業様からも、現地の工場を再稼働させるのは良いが、そこで作った製品を他国に出せるかというところでお困りとのこと。全てを完全殺菌ということも出来ないし、殺菌出来ているかどうか判断も出来ないとのこと。まぁ、それはそうでしょう。

結局のところ人間の耐力ということなのだと思う。その為にはしっかり寝て体を休めるということが本質なのだと考える。それこそが働き方改革だろうし、効率の良い作業に繋がると考える。IoTを徹底的に導入して、紙のスケジュール管理を禁止するとか、中途半端な効率化を辞めるところから始めないといけない。見えないウイルスに怯えるのは御免である。そう思う。

中途半端

一昨年から具体的に始まった永平寺町の専用軌道上での自動運転試験の結果が気になって、ちょっと調べてみた。投げ出しちゃったかなと思ったのですが、実際に実証実験は進んでいたらしい。街中の試験ではなく、加えて専用軌道に電磁的誘導線を作ってやっているもので、一般的ではなく、平たいゴルフ場でカートが動くみたいな感じですな。

時速12kmという極めてのんびりしたスピードで、腰が引けた試験であることは明らか。自動運転車よりも、専用軌道上に電動自転車の貸し出しをしたほうが良かったのではと思ってしまう。農家の方々は、こんなに遅いのでは使い物にならないと、自家用車を結局使ってしまうそうな。

行政らしく、兎に角、思い切りが無いですね。永遠に先進国には追い付けないのではと思ってしまう。本気度が全く見えない悲しい状況。一体、何処に税金が投入されているのかさっぱり分からない。

挑戦が無い。挑戦を受け入れない。昨日と違うと大騒ぎをする。声が大きければ正義と思ってしまう。そんな日本に未来は無かろうと本気で思ってしまう。黙っていたら無くなるのだ。そんな時代なのだ。何故、挑戦しないのだろう。理解できない。

半導体を作らず使わず

世界の半導体の8.6%をApple社一社で使っているそうな。ちなみに第二位はサムスン電子で8%なんだそうだ。日本企業は10位以内には入っていない。これこそ日本の最大の弱みであろう。新しい半導体を活用する新しい機能創造に関係できていないということだ。挑戦の全く無い社会になっている。

販売する方においてはキオクシアが9位に入り検討している。とは言うものの、既に東芝半導体ではないし、日本企業とも言えないだろうから、日本企業は全滅だと言う事だ。国際的な最先端技術の集積である半導体チップに対して、作ることも使うことも出来ない日本が、AI等を搭載していく分野でどうやって世界に通用する製品を出していくのか?

窒化ガリウムを活用する分野においても、日本企業の挑戦は見られない。窒化ガリウム半導体を世に出していったのは日本人研究者であるのは間違いないのだが、その活用においては元気が見られない。元気が見られない間に酸化ガリウム半導体が台頭してきて、一体、どうなってしまうのやらと言うところだが、やっぱり活用という点においてはチャレンジが無いのだろうなと思ってしまう。

何故、ベンチャー支援を公的機関が担うのかということが話題になるわけだが、行政機関もうすうす感づいているのでしょう。最早、日本企業に挑戦を期待できないことを。挑戦とは他者から優秀な人材を引き抜くことと位置付け始めた日本において、人材教育も期待できない。であればベンチャーであろうと。背中を押してさようならということにならなければ良いのだが。少なくとも本学はそんなことはしない。寄り添って参ります。

モーターの正常進化

その昔のスピーカーって励磁式と言って、電磁石でボイスコイルを動かしていた。外から加える電流の値に応じて振幅幅を変化させることが出来た。純鉄のポールピースが放つ強烈な磁場によって、現在の永久磁石でも得られないほどの強烈な磁界を作ってオーディオとしていた。まぁ、一般家庭向けではなく、映画館で活用された代物だ。

その磁力を変化させる工夫が自動車に用いられるとのこと。始動用セルモーターなどを完全に置き換える代物らしく、伝達用タイミングベルトを介さずに直接エンジンを始動できることから、それらの周辺部品を完全に駆逐する。自動車の電動化によって無くなる部品がまた一つ増えたわけだ。ベルトはエネルギー伝達効率は低いから無ければ無いほど良いわけだが、それを具現化させたということ。

モーターの正常進化ということなのでしょう。ドローンのモーターなどにも利用できる技術と言う事で、省エネ化にも寄与するのだそうだ。ドローンを活用した宅配(こればっかなども出てくるでしょうから、モーターの高効率化、軽量化、高機能化は益々競争が激しくなる領域なのでしょう。

ちょっと雨が降ると街は渋滞。渋滞が全く発生しない仕組みだって、人間が介在しなければ出来そうなもんだが、それがなかなか進まない。レガシーが全くない最適環境によるテストは何故行われないのだろう。不思議でならない。

自動運転配送車

遂に米国で自動運転配送車に規制免除が与えられましたな。公道で自由にテスト走行が出来るという事。2年前から特区での実証実験が始まり、数千件のテストを繰り返し、漸くとのこと。米国の車両基準では、当然のことながら運転手が居るということが前提で、そうなるとハンドルやミラーの搭載が義務付けられるわけですが、それらが不要になると言う事。いよいよ次の時代ということですね。

考えてみれば、宅配がこれだけ進化してきていて、全てを人の手で運ぶというのはナンセンスと感じます。盗難がどうのこうのということを問題にして、絶対に試験を認めない我が国とは正反対。受取人が確実に玄関まで出てくることを前提にして、アクセスコード無しでは車を開けられない等々、何やらいろんな仕掛けがあるらしいのですが、セキュリティの面でもクリアしているとのこと。

冷凍ものから野菜等々、ドラッグストアで現在売られているような商品まで宅配してくれるということなので、最早、コンビニエンスストアなど要らない状況になりますな。必要と思うものは、その場所に確実に届けてくれる時代が、米国にはやってきたということ。挑戦者が行くわけですよね。

それだけを見に渡米するというのもばかばかしい限りで、何かのついでに行ってみたいなとは思います。6年前にグーグルカーが路肩でひっくり返っているのを見ましたが、それを確実にクリアしたと言う事ですね。冷蔵庫なんか要らないよってことになると、キッチンの在り方も変わってきそう。また一つ、楽しみが増えた、そんな気がします。

選択肢はある

オーストラリアのとある地域では、リアルなソーラーカーが街乗りの道具として動き始めている。晴天の日であっても、走行速度によっては搭載している電池容量不足で動けなくなるかもしれないという代物だ。AIと街の随所にある天気観測システムとIoTがリンクし、ソーラーカーに何処を走行するべきかを指示する。近い将来は自動運転化されるであろう。街からは排気ガスを出さない仕掛けが生まれる。水素燃料を作り出すエネルギーも不要である。

何処まで行っても電池を作るエネルギーやソーラーパネルを作るエネルギーは無くならない。Si太陽電池だけに考えてみても、大地を掘削し、珪石を取り出し、それを輸送し、化学的に分解・還元し、それを1420度で溶かして固めて切って磨いて、回路を作って形状化して、ユニットにして駆動回路とくっつけて、モーターと接続して・・・どれだけのエネルギーだ。エネルギー収支を思ったら作らない方が良い。しかし、走行時に炭酸ガスを出さないという事に限っては完璧だ。

高齢者が遠くの不燃ごみ置き場にゴミ出しをするのが億劫というのであれば、自動運転ゴミ収集車が門前まで行けば良い。ゴミ回収ロボットでも良い。しかし、今の町はガソリンを燃やして、我先と走りたい輩がそこのけそこのけと走る為に道路網が出来ている。人間の命より、自動車販売企業が儲かれば良いのだ。政府は、自動車と言う大量に販売できる高価な物品で、外貨を獲得出来ればそれで良いのだ。

暮らし方を転換しようと言っても、100年生きた人がどうやったら思考を転換できるのか?強力な為政者が命を掛けて説得するのだろう。そして街を変えるのだろう。そんな新たな原点が生まれる瞬間には立ち会えるとは思わないが、共生を捨てた日本においてそんな日が来ることを願っている。それだけのことだ。

時代の転換を受け入れる

鉄のついでなんですけど、製鉄が現在のトルコの辺りから世界に広がっていったわけなのですが、日本に入ってきたのが弥生時代の頃。遺跡に痕跡が残っていることから間違いないでしょう。元素分析をすると、大略の生産地が解るわけで、朝鮮半島から入ってきた鉄もあれば、大陸に日本から出ていった鉄もある。交易の道具、即ち、貨幣的な価値を持っていたこともあったとのこと。

農機具や建築道具としてはそれまでの青銅や石の道具に比べれば圧倒的に優れていたのは間違いなくて、いきなり、大型の見張り台や宮殿が出来上がってきたのは周知の事実。ご先祖様達がしっかりと鉄を使いこなしていらっしゃったことに驚いてしまいます。その鉄が売れなくなっているという現状はやはり寂しい。

鉄を家具に使うという方向性を持って、新しい市場を作っていらっしゃる方が関市におられるが、これなどは新たな方向性として「あり」だと思う。現場も拝見したが、実にユニークな取り組みであると思う。自動車生産で培われた高い技術力は間違いはなく、突然、椅子が崩壊するということは、恐らく発生しないだろう。

とは言うものの、確かに、身の回りで磁石がくっつく物品がとても少ないのは間違いない。鉄原子を使っているという範囲で考えると、それはとても広くなるが、「The鉄」という製品は、確かに身の回りで見かけない。針くらいなものかもしれない。AIやロボットと人が置き換わるように、軽量新素材と鉄が置き換わると言う事か。時代の転換。成る程というところだ。

24万年の果てに

ヒッタイトの人々が、炉で鉄を作ったのが24万年前。隕石からしか手に入れられなかった鉄を、人類が自ら鉄鉱石から高濃度に抽出し、鉄の塊に到達したことは、正に偉業だと思う。鉄を作り続けるために大地を掘り、そして山を切り開く。鉄と言う、様々な道具に形を変える便利な素材を作り続け、その使い道にあった精錬方法を見出してきた先人の努力に圧倒される。

呉にある高炉3棟の火が2023年には全て落ちるという。企業としての生産能力が過大だからという判断に、日本の火が消えるような薄ら寒さを感じるのだ。インフラ、工業製品の中核材料を、国内では使い切れない程になっているということだ。まぁ、要らないダムや橋が出来続けるよりはましかもしれないが、国の体力が無いということなのだろう。

鉄は便利な事この上ない。初期宇宙の形成時に既に出来上がっていた元素であり、宇宙全体に広がっているいわば空気のような元素である。宇宙の創造主が創ったみたいなことを言うと、薄ら笑いが聞こえてくるが、全く気にしない。日本の国において、鉄の新たな使い道が見つかりませんと言うことなのでしょう。

いや、我が国に限ったことでは無いのかもしれない。ドローンにしろ自動車にしろ、鉄と言う丈夫が売りな部分は、炭素繊維強化プラスチック等、他の素材に置き換わっている。鉄に見切りを付けた勇気なのか、将来、なんらか、使われる鉄を捨てた愚なのか。数十年後に答えが出るのだろう。その時を見届けることが出来ずに残念である。未来の方々、よろしくお願い致します。

非共生社会において

先進国という枠組みにどんな意味が今あるのかという議論は置いておいて、その枠組みにおいて、共生社会度は日本は最低だそうだ。共に生きることを放棄した競争社会ということだね。団塊の世代の皆さんが作って下さった労働の場が、どんどんシュリンクしていくその中で、ポジションというニンジン目掛けて走らされた結果、人を出し抜き、自らの欲望を満たす人種になったとて文句は言えまい。

都市部にしろ、山間部にしろ、時間は同じように流れるわけだから、ご同様に年齢を重ねていく。気が付けば相互関係性の無い高齢者世帯群が形成される。それが人の末路か?植物、動物、生きとし生けるもの達への殺戮者として君臨した結果としたら、その程度の末路なのかもしれない。ホモサピエンス生存の基本能力であった共生を捨てれば、どの様な末路を辿るかは、先人類達が証明してくれている。

人が足りないと言う。その分をAI、IoT、メカトロニクスがカバーするはずではなかったのか。ドローンが飛べば規制、カメラを設置すればプライバシーがどうのこうの。自動運転車と言えば、事故対応は誰がするだの。どうやったら出来るのか、先へ進めるのかを考えず、自分に面倒が降りかかることを排除することを最優先に考える人種満ちた日本。何と悲しい事か。

絶対の選択肢など在りはしない。6500万年前の大量絶滅を見れば明らかで、そんなものを求めても仕方がない。今持てる全てを注ぎ込んで、ダメなら仕方が無いではないか。新規起業者の勇気を褒め称えれば良いでは無いか。誰にも気づかれず、自宅の一室で朽ち果てていく将来を受け入れるのか、誰かの為に頂いた命を燃やし尽くすことを選択するのか。共生か孤立か?会話をすること。そこから始めなければならない、そう思う。

今日の為に

何時の時代になっても変わらないだろうなぁと思う事。自らが何かをしなければと考え、自発的に行動すること。これは「仕事」という場において最も必要な自発的行為だと、小生は強く考えている。これが出来る方々とのお付き合いはとても楽しいし、尊敬できる。尊敬できる方とのお仕事は、澄んだ空気感に満たされる喜びにあふれる。そして自らもそう在りたいと意思に刻み込める。

次は現状を当たり前と思わない精神力。人が作った道を進むことは安全で、楽ちんである。進みたい目的地に必ず連れて行ってくれる。何と安全な事か。しかし、それは最適解か?世界中で日進月歩で新しいツールが生まれている今、過去の方針で進むことに疑問を抱かない思考性は、組織の退化を加速させる。ご退場願いたい。

加えて確実な事など無いという現状を受け止めることが出来る、深みと広がりを心に持っていることを求めたい。コロナウイルスで観光客が50万人、突然減少した観光業を考えてみても明らかである。うろたえることなく、むしろ用意していたノベルティをお見舞いとして送るくらいの余裕があれば、次の観光地に選んでくれる確率は上がるだろう。不可抗力に言い訳や愚痴は要らないのだ。どう対応出来るかだ。

なんてことを自分の戒めとして考えている。キャリアとか見識とか、それは過去が基準であり、生活における様々な出来事が指針となっていることを忘れがちなのだが、これから生じる様々なことに対し、第一歩はそれらを基準としても良いのかもしれないが、それだけが正しいと思い込んで、他を排斥することはあってはならない。不安に満ちた毎日だからこそ、組織力として上記を包含したいと感じている私であります。