決意って?

軍事力って、結局のところ暴力だから、それを手段として外交を展開するのは大反対だ。国際情勢を見ていると、単純な暴力による外交も多々あるのだが、食糧や燃料、鉱物等々の資源による兵糧攻めは効果的だなと、それが一番効いてしまう国に居ると良く分かる。資源が無ければ外貨を稼ぐモノが創れないわけで、インバウンド云々で、観光業界を日干しから救うのも大切だが、資源を加工してものを売って生計を立てていた日本にとっては、厳しい時代が続いていくのだと思う。

DXと言われただけでパニックになる国だから、未来のありたい姿からのバックキャスティングでと言っても、なんのこっちゃと言い返される。本当はあるべき姿からと言っていたら怒られる始末。ありたい姿なんぞ単なる希望で、ゴールにたどり着く組織など無い。今持っている機能を全て価値の目線から可視化して、思い切って「よし、こうあるべきだ!」という未来を設定して、背水の陣で臨むことをやらないと、抜け道を探し出していく。デジタルインボイスだってそうだもんね。いきなり「間に合わなければ許す」なんて、最初からやらなくて良いと言っているみたいなものだ。

国を守ることに国民は参加するべきだと、至極当たり前だなと思ったのだが、いきなり周囲の圧力に首相は屈してしまい、我々はなどと総花を咲かせてしまうわけだが、選ばれしリーダーなんだから腹をくくって貫けば良いのにと思う。国がしっかりとあるからこそ、そこで教育もお仕事も成し得るのだから。人中心と言うならば、繰り返しになるけれど医療とか食糧とか、本当に基本中の基本は自国で賄えねばならぬ。そして、勿論、外交も成されなければならない。

どれだけ先の未来を見るか。政治家の努めであり、企業で言えば役職者の努めるべきところだ。それを明確に定量的に伝え、それがどれだけの幸せをもたらすのかを共有し、そこにどのように取り組むのかの方法論を提示する。一人の考えでは視野が狭くなるから、そこには意見を頂いて修正はするが、終了はさせない。その覚悟が必要なのだが、どうも暴走するか直ぐに逃げるかのどちらかになってしまっている。そうならないようにしようと思ってはいるが、辛い事ではある。

メディカルメッセにて

名古屋商工会議所主催のメディカルメッセに市場調査に出掛けた。大略往復2時間のイベントであったが、実りある時間であった。いったいどんな実りなのか。戯言だからろくなことは言わないが感想まで。勿論、鶴舞大学として医工学連携を推しているということがベースにあって、当該分野における共同研究なりファンド獲得なりのきっかけになればということが目的である。実際にお会いして仲良くなってというプロセスは、手っ取り早いという点においては良いのかもしれない。ウエブだけでは解らない情報も得られたしね。

勿論、オンラインでも得られないわけではないが、こちらのペースで相手を喜ばせるというリズム感は対面がやりやすい。そこをもっと磨かなければという知見にもなった。で、自動車関連が中核だけれども、このまま一本足打法ではというお会社が複数社いらっしゃった。そしてテック系ベンチャーとしてものづくりに挑戦していらっしゃるお企業様もいらっしゃり、その流れなのだろうなと実感した。いつまでも内燃機関のギアシャフトを作っている場合では無いのだ。

医療機器は大別して2種類。分析機器や消耗材で、購入したらそのまま活用できるもの。もう一点は医師や患者へのカスタマイズ・蝉カスタマイズ商材である。これが4つのタイヤを付ければ売れる自動車とは大きく異なる。市場規模も全く違う。医療機器では無く、創薬企業と自動車企業を比較してみると、創薬で大きな売り上げとすると2兆円/年程度。T社さんは30兆円超え。利益は前社が3千億未満、後者は約4兆円。そして重要なのが研究開発投資で、前者は4千億円程度、後者は1.1兆円である。国からの助成が無いと開発を続けられない創薬と、こんなに儲かっているのに大企業消費税免除を受ける企業。

医療機器開発も同様であろう。人は必ず病気になるから、必要なのだけれど市場が大きいかと言えばそうではない。自動車製造から新規事業として参画したとしても、自動車時代の気持ちであると、規模が小さく、認知されるまで10年以上を要する。医工学連携の難しさがそんなところにそんなところにあろう。目指すのはその機器を使われた患者の笑顔の獲得である。企業の利益ではないのだ。それを割り切らないと医工学で継続してビジネスは困難であろう。しかし前向きなお企業が多かったことは光明であった。これからもお付き合いをお願いさせて頂きたい。そんなメッセであった。

人材資産

人こそ組織にとって資産である。人的資源ではなく、資産なのだと考えることが重要である。伸び続ける方は言ってみれば株価が上昇し続ける人。その人が居るからこそ、組織としてアウトカムズ、新たなアイデアを生み出す、人的資本に育てていく、育つ環境があること、それを経営に盛り込んでいく。それが見える化されて、人への評価が組織のアウトカムズの向上に繋がって行っているかを共有できる組織であるか。組織の中の固定資産は獲得した瞬間に過去になるわけで、その老化速度をより遅くしていくのが人材によるのだ。

資本である人を依怙贔屓して、その人的資本の情報を開示していくことが重要です。従前、特に我が国は「みんな平等」という考えが染みついて、組織運営が成されてきたわけです。何年かそこに居ると、自然と階級が上がっていく。アンチJob型経営。それはビジョンが無い組織であればそれしか選択肢は無いし、価格競争まっしぐらで、特徴無き森の中の木の如くの組織が出来上がる。摩擦は無いかもしれないけれど、根元まで日が射すことは永遠に無い。

人的ポートフォリオの構築が難しい我が国において、何でそうなんだろうなぁと思うわけだけれど、動的なポートフォリオという概念が弱いと感じるわけですよ。入社面接の時に必要と感じた機能が、その人に紐づけされてしまう。それが退社迄続いてしまう。しかし、固定資産と異なり、人的資産は動的であって、組織にとって良い方向にも悪い方向にも動いていくものですよ。勿論、経営者もどんどんと資本価値を上げていかなければならないわけです。どれだけ突き上げられてもね。

人的資本を事業の構成要素としっかりと捉えて、作業マニュアルに従って動けと言う低次元組織はもう脱却して、世界が求めるものは何であるのか、それを推進する学問は何で、それを加速させる教育組織はどうあるべきで、それを支える者の資本はどのようなダイナミクスを持つべきで、それをどのように支えることが出来るバックヤードとしての資本があるべきか。欧米の必要な人材を必要に応じて採用するということが良いと言っているわけでは無い。しかし、資本は固定なのだという意識はあってはならない。常に学ぶこと。価値の高い資本を依怙贔屓できる。そんな時代なんでしょうね。そう思う。

真面目に増税せよ

世界で最も不要なものは軍備である。しかし、愚かな人類が国家を作りあっている時、他の国家からの侵略から自国を防衛しようとしたとき、お行儀よく外交でとの綺麗ごとが通じる人間の精神構造までには至っておらず、結局のところ軍備は必要となってしまう。綺麗ごとでは済まない悲しさがこのあたりにあろう。小生的には地球上で最も無駄な税金の使い方だとは思っているのだが、歴史をさかのぼれば遺跡から出てくるのは戦闘によって亡くなった人骨だったりするわけだから、軍備と言うものは必要悪なのだろう。

抑止力と言っている核爆弾だが、最大の核保有国が他国に軍事侵攻を続けて、一般民間人を殺戮しまくっている様を見ると、やっぱり防衛の為のなんらかの力は必要だと思ってしまう。なんか操られているような気がしないでもないのだが、護るための軍備が外国製というのがやっぱり気になるところだ。何か妙な仕掛けがあって、国内で爆発して国が滅ぼされるのではないかとかね。映画の見過ぎかもしれないけど、信頼できる防衛装備って、先進国では100%の内製っていうのが本当じゃないのかな。

デュアルユース問題とか、学問を戦争の道具に使ってはいけないとか言うけれど、海外ではそれは当たり前だし、先の大戦の反省は勿論なのだけれど、自国の防衛に限っても駄目なのかというところは、きちんと国を挙げて議論するべき時期に来ているのだと思うよ。議論した結果、やっぱり止めようというならそれで良いんだしね。防衛大という大学があるんだから、そこで積極的にやって頂ければよろしい。いろんな考えの方が居ないといけなくて、これはとても大切なことだ。

ロシアのプーチン殿が以前、国防を自国で出来ない国は国と認めないと豪語していたが、日本なんてそんな国の筆頭だよね。食料も肥料まで含めたら自給率1%台だし、燃料だってそんなもんだ。防衛装備だって似たようなもので、一体、お金は何処にいっちゃうのだろうと不思議に思う。増税は理解できないとか、内閣の人間がいるけれど、国民が国を守ることに参画するのは当然だろう。大事なのは税金を無駄に使わないことだ。それが出来ていないからおかしくなる。政治家はもっと国の未来を考えねばならぬ。それだけのことだ。

求むバトンタッチ

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚で獲得できるのは、光・音・臭い・味・接触具合なのだが、特に最後の触覚と言うのは、他の四つとあいまって、その感じ方を変える。それが感性と言うものになっていくのでしょう。単に接触しているかどうかでは無く、接触した結果生まれるものはなんだろうと、発想を発散させ、そして収斂させる必要がある。ふと、この部分って、茶道とか華道とか、日本古来の『道』には一子相伝的に伝わってきたものでは無かろうかと思った次第。

それぞれの研究者は沢山いるんだけど、その方々が考案する刺激を電気信号に変換するセンサの提案を拝見していると、つまらない事この上ない。だから、触媒のインフォマティクスとかの発想に及ばないんだろうなと、型にはまった学理の世界の中だけで生きていこうとする学会には未来は無いのだろうなと思ったりしているわけだ。勿論、深く追及しているからこそ横断の価値が生まれるわけで、それを否定するものでは無い。深く追求したのだったら、隣の深みにも足を突っ込んでみませんかと言いたいだけだ。

ついこの間まで日本政府は、GAFAを追い越せとか言ってたけど、今年に入ったら赤字だったり大量解雇だったりで、生者必滅会者定離栄枯盛衰ですよ。これは凄いって思っても、出来た瞬間に陳腐化するわけで、それを発展させてからお金にしようなんて日本企業の自社だけで儲けたい習慣って、スピード社会においては失敗するしか無いわけだ。究極のものをイメージしたら、そこに必要な機能を持った人達に、フェアトレードで入って頂いて、その瞬間瞬間に最大値を出していってお金に変えていくビジネスモデルがどっかでたちあがらないかなとは思っているのだが、なかなかにして到達できないですね。

過疎の街問題とか言われているけれど、その土地の所有者があの世に行っても私物化を続けるからそうなるわけで、小水力発電とかと上手にタイアップして、チャレンジャーに場を提供して頂きたいものだと思う。何度でも言うが、ゾンビ企業殿にはご退場、旧態依然の大企業殿にもご退場の時代である。勿論、大学とて同様だ。研究は10年、教育は100年の歳月を要する。何時始めても早すぎると言う事は無い。挑戦を求める気風の国になって頂きたいものだ。

運動

夜明け前に出立して、えっちらほっちら、自転車を漕いで13kmの道のりを通う。その間、路面状態に気を配る時間が長くなってきた。暗闇というだけではなく、そろそろマンホールの蓋が凍るかなという恐怖の時期でもある。その闇の中、物凄い月が西の空に見えた時、夏空よりも名月だなと思うのだ。丁度、満月に近いのだろう、冬の月にもちゃんと兎が居て餅をついている。正月を迎える支度をしなさいと言われているようだ。こんな景色に出会えるのも自転車通勤の醍醐味かもしれない。まぁ、そんな時間に自転車を漕いでいるのも変かもしれないが。

ずっと変わらぬ行動である。この距離の自転車移動になったのは、まぁ、とあるきっかけではあるが、15年以上も続いている。雨の日は流石に厳しいので地下鉄に頼るわけだが、極力、身体を動かし続けようと思っている。弱るのは足からと言うわけで、自転車くらいの運動が丁度良い。山坂あるからそれなりのトレーニングにはなる。建物の階段を使えとは良く言われるのだが、勿論、それはそうすることも多いのだが、それよりも小一時間の旅が宜しい。サイクリング小僧がそのまま継続しているというわけだ。

明け方の気温が5度程度になってくると、そろそろ顔が冷たくなってくるのだが、マスクをしているのでこれはとても暖かい。マスクをするようになって自転車通勤中に鼻水や咳が出なくなっていることに驚く。街中を走る不快感が無くなっているのだ。長距離だからこそ実感できるのだと思うが、コロナ禍によって、マスクをしていても白い目で見られない状況は極めて痛快である。裏を返せば、それまでの間、体に煤煙を取り込み続けてきたということだ。自動車産業が果たした役割は、便利と引き換えに、人間だけに限らず、全てのものに有害な物質を提供したと言う事だ。

自転車通勤と言う行動が健康に良いのかどうかは解らない。マスクをしていても防ぎきれない毒物は体内に入る。地下鉄などでサリンに被爆するということも無いわけではないが、普段はそれは意識していない。そんなことに目くじらを立てるのであれば、山中で独りで生きるしかなくなる。それが出来ないのだから、どこかで折り合いを付けねばならぬ。一つ言えることは、身体を動かしていると、実際のところ調子が良い。それは間違いない。だからこの生活を変えるつもりはない。変える必要も無い。変えなくても良いものはそのままで良い。出来る範囲の運動をやり続ける。それだけのことだ。

スキルを増やし続ける事

金属加工用の刃物材料にタングステンカーバイドのミクロンレベルの粒をコバルトで焼き固めた「超硬」と呼ばれる合金がある。タングステンカーバイドは今のところ地球でも最も硬度の高い金属と言われていて、それを化学反応性が極めて高いコバルトを接着剤にしてくっつけているとうものだ。それが一般的に用いられていて、形を微妙に変えながら、それこそ星の数よりも多いパターンで売られている。基本、硬いものを押し込んで、ぐりぐりと削るというやり方で、削られたものには強い歪が残る。先日書かせて頂いたが、自転車のサドルポストが折れるなんていうのはそれが原因だ。

他の金属よりも硬いことから、お互いをぶつけ合うと、超硬が勝つわけで、それが刃物という素材になっていく。なっていくのだけど、機械があって刃物があってという、形は変わらない。だから加工業界にはイノベーションはおこらない。企業における技術の積み上げからは逃れられない。だから旧態依然のビジネスモデルであって、月面で3Dプリンタで基地を作ろうなんて発想は、日本からは出てこない。なんでこんな話をしているかというと、つい先日、大企業の方々から「中小企業の人達は難しい文章を読まない」なんて暴言を聴いたから。

中小企業の皆様が知恵を出し合って作り出す商材を活用させて粗利を稼いでいるくせにだ。どちらが優秀かと言えば、当然、中小企業殿に軍配が上がるだろう。そりゃぁ勿論、図面を描けて商材を作れる力は凄いですよ。しかし、一つの部品が欠けてもそれは実現出来ないんだよね。刃物のお話をさせて頂いたのは、大企業は旧態依然で暢気だなぁということだ。古いままで居られるなんて実に暢気なものだ。そんな状態だから生産性の低い国などと言われてしまうのだ。

リスキリングなんて遠い彼方。それは古い業態が潰れないから。国が無駄なところに税金を使って、人を育てるところにお金を使ってこなかったから。先程の会合で出てきたのが、弊社には安価なリスキリング教室がありますよと、まるでとんちんかんなことを言っていたことに驚かされた。高額で良いのだ。今までの社会を越えるモノづくりなりをしないといけないのに、町の文化教室と同じではいけないのだ。自分を鍛えることにお金をださないといけない。国が助成してくれれば更に良い。人である。全ては人である。人にこそ投資をしないといけない。それをやってこなかったから国が亡びる。それだけのことだ。

共有

ネットワークは便利だなと思っていると、在宅ワークの共有をしたと思ったら、職場に届いていないとか、油断をすると痛い目に合う。これなどは、自らにとって価値がある行動をしただけであって、客観的な価値を生み出していないことになる。それどころか、組織に遅延と言う致命的な迷惑をもたらす結果が帰ってきてしまって、価値どころか不具合の提供となっているわけだ。デジタルスキルが低いと言われればその通りなのだが、画面上では「出来ました」と言われれば油断しても仕方が無いように思う。

思い込みって恐ろしくて、情報を共有できたと思っていたら出来ていないという状況に陥ると、特に、もう時間が無いよなんてことになってしまうとリアルに困る。ネットワークのお作法がなっていないということを心の棚にしまいたくなるのだが、それは単にルール違反だから、残った時間でなんとかするしかない。相手の有る事だし、もう切羽詰まってくるわけだ。いや、もう崖っぷちである。残り時間20分みたいなところで漸く共有すると「この内容は下の下であって、理解不能です、存在悪です」という冷笑が飛んでくる。

土日無く、昼夜無く書類と格闘していても、一瞬の気の緩みがもたらす冷淡な現実であり、これが人の世なのだなと思ったりする。どんなにこちらが想いを抱いていても、お仕事の相手はそれを受け取るのでは無く、単に結果だけを要求しているのだなと解る。そこにはか冷却水が流れる大河が横たわる。僅かな刺激を与えれば瞬時に凍り付く魔物である。人と人とのお付き合いは、所詮、そんなものだと思っていれば宜しい。いや、そう思っているべきだ。

風は時が経てばいつの間にか流れて行って消え去るのだが、受け止めた憎しみは永遠に心に刺さり続ける。翻れば、他者へも同様の行動をしているのではないかと、生きていることを反省しなければならぬ、いや、後悔せねばならぬ。世のため人の為などと言いながら、一人の人からの冷淡な言葉にうろたえているようでは、まだまだだなと感じる。しかし、まだまだだから先がまだあるのだなと安心もする。なかなかにして達人の域に達することはできないなと、たかだかネットワークの共有がうまくいかなかっただけでがっくりきている私であります。

統計から

先週、日本の出生数が前年度比で5%以上の減少で、77万人程度になるという報道があった。このようにピンポイントな数字を聞いていると、微分値の変化量の増加はなんらかの要因があったのだろうなと、因果関係や相関関係を考えてしまう。そうすると更にピンポイントな思考となって、木を見て森を見ずの思考に陥ってしまう。今の時代に結婚適齢期だのということは時代錯誤もはなはだしいのだが、男女比が大略50%と考えると、20年後の出生数が想像できるというものだ。

近未来の医療関係の書類を調べていて、そうか、こんな目線は掛けていたなと思ったことがある。全女性人口数において、50歳以下人口比は49%程度である。高齢出産だのなんだのと言うと、直ぐに差別だのセクハラだのと言われる世の中だけれども、50歳から子育てに入るには、日本においては経済的には厳しかろうという観点で語るとすると、現与党の皆さんが国会で語っている子育て世代のアシストだのなんだのというのは、統計的な数字を無視した絵空事だと感じる。若い世代に飴を与えると、日本の人口が魔法のごとくに増えていくという幻想を、定量的な数字で見直すべきだ。

総務省は包み隠さず数字を公開しているから、一度はデータをダウンロードして、あれやこれや、自らの観点で、その数字を眺めてみるべきだ。人口ピラミッドだけを見せられると、2023年には団塊の世代と言われる第一次ベビーブームで、日本の総人口が急激に増加した時代の方々が75歳以上になって、支えさせて頂く医療費は恐ろしい程になる。その方々のご子息の年齢に到達するのは一年遅れて2024年くらいだ。加速的に出生数は減少していき、この国を支えるエンジニアも、現状の総人口に対する割合が変わらないとすると、激減するということだ。

ドローンで物流のラストワンマイルを解決しようと言えば、反対側から「プライバシーが侵害されるから許さない」とかね、新しいことを拒み続けるこの国の未来は真っ暗だなと感じる。それは今のままで有ろうとすればと言うことだが。旧態依然からの脱出は、まずは智慧の向上からに他ならない。徹底的な学域改革と産学連携の高度化は喫緊の課題。課題どころか必須である。IT人材云々も取りざたされるが、世界のネットワークに接続される金融は、常に攻撃にさらされるからそれに対抗するためにも自国で育てなければならない。情報の国防の観点は必須。暗くなっている場合では無かろうが、公開されている数字が正しいとするならば、大学の併合だなどとつまらないところに割いている時間は無かろう。そう思う。

クリエイティブ

当然の事なのだが、単純労働は消えていかねばならない。ものづくり現場ではロボットが働きまくり、人はその監視役となって久しい。その監視もAIの導入で、異常の事前検知が進み、人が関わることがどんどんと減っていっている。そこで重要なのが、人はクリエイティブなことに時間を使っていますかということ。研究フィールドにおいても、どんどんと自動化が進み、その結果をAIが解析し、相関関係を洗い出し、目指すべき組み合わせを決めていく。それが研究者の成果と本当に言えるのか?

AI頼みを悪いというわけでは無い。先人の論文を拝読させて頂き、学び、気付かせて頂き、自らの研究の参考にさせて頂いてきたわけだし、35年も前の稚拙な論文を引用して頂くに付け、こんなに古いのになぁと、見返してみると、手前みそだが創意工夫しか無い。今ではAIがその手法まで予測して勝手にやっちゃうのかもしれないけどね。日本からのトップジャーナルの掲載数が減っているというのは、小生のような愚直な研究のやり方をやってきた化石人種が残っているからではなかろうか。研究の場にもっとAIを導入して、上位の論文誌への掲載を目指したら如何か。

と、冗談半分なのだが、実際のところ、経験と勘が頼りの分野であっても、AI導入は必須であろう。思い起こせばパラメータを見出し、それを動かし、その相関関係、因果関係を考え、推測したことを結論として投稿するのだ。人間がやっていることはAIがやっていることと変わらなかったのだ。一つ言えることはどのようにやるということはAIが代行するが、何をやるということについては人が考えてきたことで、そこにクリエイティビティを求めてきたし、自己満足かもしれないけれど、人間らしかったのではないかと思っている。

DXとは言うけれど、未だ、人の時間を平気で奪う行動が推奨されている。会議で民主的に決めましょうと言う奴だ。世界の潮流がこうだから、遅れている我々はこう変えていきましょうなどは、民主的に決めずとも、そうなのだからそうしましょうで終わりであるはずだ。それを民意を無視したやり方だなどと突き上げられてもね。他人のクリエイティブな時間を奪う、無意識の民主化はもう止めにしないといけない。それがDXの本質だ。自らの無意識な行動を刮目せねばならぬ。