昭和30年代から生きているのだが、若かりし頃、放火・強盗・殺人などのニュースが頻繁にあった。強烈なニュースなので、ガキの脳裏にしっかりと焼き付いたということで、それだけしか覚えていないから、なんだか年がら年中、そんな事件があったのではないかと妙な思い出し方をしているだけだとは思う。浅間山荘で鉄球が停まった場面なども、白黒TVのフレームごと覚えている。ハイジャック事件なんてのもあったしね。
それから在所にカラーTVなんかがやってきて、トイレが水栓になったりしてきた頃には、そんな事件の記憶が減っているというかなくなっているのだ。商店街も活気があって、店頭に玉子が山積みされたり、魚が氷とともに並んでいたり。パンを切り売りしてくれる店なんてのも現れたりね。きっと、景気と言うものが良くなったのだろう。パートタイマーなんて単語を覚えたのはそんな頃だったと思う。そんな時代でも、豆腐屋さんにはボールを持って、一丁毎に買って帰ってきていたけどね。
景気と凶悪犯罪発生数というのは相関があるのかなと思うのは、昨年くらいから、「かっとなって親を殺した」とかいう、そんなことで人を殺してしまうのかという事件が頻発してきているし、東京の方では連続強盗殺人とかね、昭和30年代の貧しい時代に逆戻りしたのかとフラッシュバックである。食材を求めにマーケットに行けば、当然の如くで、温室栽培の野菜などは高騰している。きゅうりのぬか漬けなど暢気に作れない。
これがあったら便利だなというようなものは、多くの家庭にいきわたり、新規の購入などしなくてよくなってきている。モノを作っても在庫が増えるだけだ。一方で、高度な技術革新に挑戦しなければ、国家はどんどんと貧乏になる。当然、それは国民の貧乏となって現れる。それが心の貧しさに繋がり、すさんだ社会となって表出する。今、その扉が開き始めたのかなと感じる。学ぶこと、そして学んで得た知恵を発揮することに実を伴う感謝をすること。そのフェーズに入らなければ、ますます、悲惨なニュースが増えるのではと考える、今日この頃であります。