怒るおやじ

台風が育ちながら西に進み、その後、複雑な軌道で日本海に抜けていく。先日もこのネタでしたが、余りにも凄まじいというか、衛星画像で目がはっきりしているというか。ウェブ上ではそれなりの方が「酷暑のせいで」と仰っていることが気になって、再びの戯言です。酷暑だから台風が巨大化するということでも無い。何故、酷暑になるのかということだ。酷暑は陸上に生活する人間の都合。台風は洋上で育っていく。すると海の中で何かが変化したということだ。

太陽からのエネルギーは毎年、太陽の活動の影響で結構変化する。太陽の活動周期と呼ばれるものが研究されていて、丁度、新しく活発化していく周期に入ったところで、今はそれほど強く無い。それでも台風が強くなっている。海外に目を転じれば、砂漠の国で洪水が発生したり、巨大なモンスーンがとんでもない災害を発生させていたり。気候変動は太陽から降り注ぐエネルギーの問題ではあるが、それを如何に吸収するかが問題である。吸収するところが海だから、海が変化していることを語らなければならない。

冷たい水は炭酸を蓄える。それは温かい炭酸水の蓋を開けた時と冷えている時の開封の差を見れば一目瞭然。家庭で炭酸水を作るキットが流行っているようだが、あれは冷やしてから炭酸ガスを注入しないと勿体ない事になる。海洋循環で深海で冷やされた海水は上昇して空気中の炭酸ガスを溶け込まして、太陽光を受ける。それによって海水が温められ、それがいよいよもって冷やし切れない程になって来たという事だ。南極があって常に冷やしているという凄い説明を、これまたウェブ上で見たが、南極は周回流が強烈で、他の海洋水と積極的に交わらない。北極の方が冷却効果が高い事は、夏に多くの北極の氷が融かされることから明らかだ。

地球温暖化の一つのトリガーは炭酸ガスというならば、それは海洋に溶解した分まで考えねばならぬ。そしてそれが飽和状態になる程の大気中の炭酸ガス濃度であるならば、削減云々言っている場合では無いということだろう。戦争などとっとと止める、油田のガス成分を永遠に燃やし続けることも止める。天然ガス活用などとっとと止める。それくらいの事をしても追いつかないのではないか?海洋が自らの太陽エネルギー吸収効率を上げて、表面温度を高め、水蒸気を供給して台風が育つ。人の営みがそうさせたのなら仕方あるまい。地震、雷、火事、おやじの「おやじ」はとある地方での台風の呼び名だ。「おやじ」が怒り出したのだろう。我慢するしか無かろう。

小学生の夢の職業

2021年調べで、小学生男子の夢の職業の1位が警察官、女子の1位がケーキ・パン屋さん。警察官とは頼もしいなと思うところだ。研究者に成りたいなんて奇特な子は居るのかなとおもったのだが、なんと男子では6位で、女子は無しだ。この辺りが、女性の大学教員が少ないことの源になっているのだろう。一方で、親が就かせたい職業は男子の親が公務員でエンジニアというのが4位にあるが、研究者などは無い。女子の親においては看護師さんとなっている。女子の場合公務員は2位である。

子は親の持ち物では無いから親がどう思っていようが関係ないので、自分の夢に向かってまっしぐらに進んで頂きたい。途中、挫折が有ったり「こんな筈では無かった」ということが必ずあると思うけれども、第一に夢を描いているということに安心する。先日、某所で「小中学生の時代に職業というものが全くピンと来ないから、それらの年代で職業体験をさせるビジネスを立ち上げたいという学生君からの提案を見たのだが、思ったよりも将来ビジョンを描いている小学生がいらっしゃるのだなと感じる。もっとも、先の情報のアンケート母数がどれくらいかは解らないところが残念だな。

男子の8位にYouTuberが入っているのは今時ですな。月収数千万の小中学生がいらっしゃるわけだから、まぁ、研究者よりよっぽど実入りが良いわけで、どうやったら成れるのか解らない研究者よりも、面白そうだなということで夢に描くのでしょう。それは消して間違いでは無い。10位に自営業とあって、これは一体、何をやりたいのか、夢として「何とかの自営業」と聞かなくて良いのか?と聴き方を疑ってしまう。居酒屋では無かろうが、料理屋さんといったところか?

女子の8位に教員というのがあるが、男子では無い。実際に小学校教諭の統計を調べてみると女性が62.8%で夢と現実が重なっているなと、これはこれで素晴らしい事だなと思う。なんでこんなデータの追跡をしてみたのかと言うと、親方が研究力の低下を大学にだけ押し付けようとしていることが気に入らないからだ。小学校教諭の給料を倍にして、情熱溢れる人が教師になるような国になっていって、教わった子が親になって、その子が卒業して社会人になるくらいのスパンで考えないと、国力は落ち続けるだろうなと言いたいのだ。教育は国家のまほろば。10兆円ファンドなんちゅうものを作るなら、小学校の教諭殿の給料を倍にしようよ。そう思う。

予想は厳しめに

最近の天気予報は計算機の能力が高まったから、かなりの確率で当たるよねなんて暢気な事を言ったのだが、今、太平洋上にいらっしゃる11号殿はちょっと面白い事になっている。熱帯低気圧が台風になって、西寄りの進路に向かうというところまでは世界各国の予想はほぼ一緒なのだが、その先の進路予想が紀伊水道目掛けて北上と言うものから、遥か沖合を西進するというものまで、数日後の予想でこれだけ違うものが出されているのを初めて見た。台風進路予想って様々な行事に絡んでくるので注視するのですが、これは実に面白い。面白いなどと言っては不謹慎だが、珍しいのでは無いか?それだけ気候情報が整っていないということか。

東北地方上空の高気圧が頑張っているということか。北上しようと思っても、それが居座っている限り本州に近づくことが出来ない。高気圧の縁を回った気流が台風が巻き込む気流と本州の南海上で合流して、西向きの駆動力を与えているように見える。Windyとか風速情報の可視化ツールが公開されているので、一般ピープルでも近未来を可視化できる良い時代になったものだ。ただ、これとて、他の情報とは異なるわけで、あくまでも、この予想ではこうなるのだなと思うしかない。火曜日9時頃には愛知県のはるか南海上を西に向かって進んでいって、愛知県においては直接の被害は無さそうに思える。

数日先の台風予想でも、それは予想でしかなく、当たるも八卦当たらぬも八卦の世界であって、電気自動車がこれだけ台頭してくると、日本の工業会が何故予測できなかったのかと思う事も「仕方が無かったのかな」などと感じ始めている。しかし、災害時の非難情報などは、悪い方向を意識して命を守ってくれと指導しているではないか。今のガソリンエンジンの投資がとんでもなく掛ったのだから、その減価償却までは新規ラインの構築は出来ないなくらいに思っていたのか。液晶パネルの大型化や有機ELパネルの出遅れが繰り返されるのだなと思う。

我が国は大企業に対する中小企業がべらぼうに多い。その末端のものづくり力を捨てることになってはならないのだが、この何を作ってどう儲けるか、国のGDPを高めていくかという時点において、それをその業界の中のまま愚直に守ることが本当に将来の国の為になるのか。中国のEVの金型技術は、日本の名人級の方々の力が投入されてこそだ。でもそれは本当に優れた技術であったから活用して頂けたわけだ。小ロットだけれども図抜けたものづくりが出来る国へのシフトも必要では無いのか。良品廉価に居座り続けると、悪品廉価の国に成り下がるのでは無いか。恐怖である。

天気予報考

今週は、火曜日には台風の影響が出てくるかもしれないという天気予報をみた。お盆明けからなんだか真夏ではなくなったなと思ったら、台風がじゃんじゃかやってきそうで、極端な天気になってきたなと実感する。遥か洋上の気圧の変化を読み取って、それがどのように進行してくるのかを予測するわけで、近年の当たる確率の高さに感心する。それでも微妙にずれたりするから面白い。計算機科学の進化は喜ぶべきものであると思っている。

専門としてきたイオン注入技術において、原子核同士が衝突しあって最後は停止するということなんだけど、そんな小さな領域のことでも、未だに進化し続けている。作るものが小さくなってきて、誤差の影響が出来上がった時の性能に直結するわけで、物理の仮定においても何をどのように計算機が動けるように取り入れていくのか、まだまだ思うようにいかないところが面白い。いや、計算機科学は既に確実で、ものづくりが追い付いていないということなのかもしれない。

猛烈にニッチなお話だが、例えば電子が一個足りない一価の正イオンが、とある運動エネルギーをもって物質に向かって突撃していっているとき、イオンがある一定の距離に近づくと物質から電子が飛び出して電気的に中性の原子になって衝突していくのだ。だからなんだということではないのだが、そんなことを仮定して物質の中でどこで停止するかを計算すると、それを仮定しない場合に比べて実際の値に近づいていく。そういうことが起こっているんですねと、実に愉快である。

たまたまNHKでフォークボールは何故落ちるということを富嶽を使って計算したらとても良く理解できたということで、計算機の進化は永遠に続いていくのだろうなと思うのだ。でもふと思うのは、SDGsだなんだかんだと計算機科学を用いるために巨大計算機を莫大なエネルギーを使って動かし、ネットワークとデータセンターにこれまた巨大エネルギーを使う。環境にいいことをするために、環境を壊していたりしないのかねと要らぬ心配をしてしまう。お天気もテルテル坊主をぶら下げた時代が平和だったなと思う次第である。

滅国の一里塚

いよいよ感染爆発の状況を把握するのを止めると言い出した。経路の追跡などの情報の獲得だけで10時間以上を毎日費やすからだと。税金でコロナ富豪医局を産みだしておきながら、デジタル化で情報収集の効率化を目指そうなどの方向にはいかなかったツケが国民に回ってくる。いや、デジタル化は個人情報の簒奪だとあおったマスコミのせいでもあり、それを安易に納得する国民のせいでもある。地域の感染状況が解らなくなるというか目をつぶるということは、もう表を出歩くなと言うようなものだ。

と書くと、直ぐに、いやいやそれだけ安全な感染症(意味不明な表現だが)ということなのだと、暢気で平穏な意見もあろう。それでも毎日、数十名の死者を生み出すのだ。政府統計によれば、今年7月中の交通事故件数が24870件で死者数が207人だから、罹患者と死者数の割合からすれば交通事故死の方が圧倒的で、それは大したことが無いと言いたいのかもしれないが、同様に報告されている同月中の死者数は1333人で、交通事故死者よりも多いのだ。何と比較するかだけのお話なので比較は意味が無いからこれ以上突っ込まないが、千人単位で亡くなっているのだ。それなのにもう追跡はしませんとは何事だ。

それを罹患者の国のリーダーがカメラ越しで言うのだ。何の説得力があるのだ。今、大学は夏休み期間中で、飲食店でアルバイトをしている学生諸君で、大学に出てきている数は少なくなっている。その状況下においてもそうなのだ。そして国は若者はカウントしないという。賞状が大したことが無いからということなのだが、家族を含めた他者への伝染という点において、カウントを無視して良いものでは無い。他国が正直に報道していないから、このままでは日本に渡航する者が減るということなのだが、海外から帰って来た者の罹患状況を見ると、きちんとカウントすることの重要性が解るはずだ。

獲得するべきデータは、基準を変えた時点で価値はゼロになる。カウントすることに価値があるのではない。国民の危機意識、保健衛生に対する考え方、そして、DXとう状態を求めない世界で唯一の民であることを恥じる為にも、データを自治体任せにするという愚かな判断は撤回するべきだ。

再びの安心?

昨日、バスが云々と話題にしましたが、大型車の転覆が継続していますな。新城で大型トラックが高速道路側壁に激突し、ドライバー氏が亡くなられたとの事。ニュース記事の情報が少ないので大型トラックと乗用車が接触して、そのはずみで大型トラックが側壁に激突したという時系列で紹介されているのですが、どちらがどういう運転の状態となって、結果が引き起こされたのか、その因果関係は今後、明らかにされることであろう。いずれにせよ、2台の自動車の相関関係に依って人が一人亡くなったという結果である。

このような事故が発生するにつけ、昨日の「睡眠時無呼吸症候群」だったのではという内容につけ、もっと積極的に自動運転技術を現場に導入していこうという機運に全く繋がらないことに情けなさを感じる。科学技術立国になろうという政府のスローガンは良いのだが、ちっとも実を伴っていない。事故が発生したら誰の責任だと、常にそこに戻っていく。世界を見渡せば既に公道実験が成されていたり、専用軌道を作って実証していたりと、国の将来を見据えたインフラへの投資が成されている。それがこの国では全く見えてこない。

国の将来が語られないのだ。極めて軽い口調で、政治家諸氏が低レベルな記者の質問に答弁していたりするのだが、記者殿にしても、所属する企業への政治家からの圧力に屈せず、国の将来を思って取材をして頂きたいものだ。誰もが立てる場では無いのだ。選ばれし民が、選ばれし民に問いかけるのだ。それなりの覚悟を持ってやって頂きたいと願う。

自動運転になれば事故が発生しないというのは迷信だ。それは間違いない。しかし、ブレーキとアクセルの踏み間違いなど、安易なミスを犯す人間と比べてどうなのか?疲労困憊で運転することは禁止されているが、それを人間が確実に守るのか?それをカバーできるのが科学技術であるとするならば、モビリティにおける死傷者ゼロを目指す国くらいのことを政治家殿が言ってもばちは当たるまい。勿論、予算はそれなりに必要だが、それこそ税金の使途としては正しいのでは無いか?誰もが加害者、被害者双方になりえるのだから。安心を獲得できる国。そうあるべきだ。

安心?

時々活用している名駅と小牧空港を結ぶバス路線で、悲しい事故が発生した。可能性として挙げられているのが「睡眠時無呼吸症候群」を起源とするドライバー氏の居眠り運転。居眠りと言うレベルでは無いらしく、赤ん坊が寝落ちするレベルらしい。かっくんと周囲も驚く程に瞬間的に睡眠に落ち込むそうで、それはそうなったら運転どころでは無かろう。大勢の命を預かる職業故に、定期健診などはしっかりしているだろうにと、悲惨な事故に胸が痛む。

睡眠時無呼吸症候群はいろんなところで聞く単語で、我が国だけでも成人の10%がそれに大なり小なり罹患しているとのこと。計測する勘意識の装置も販売されているので、お持ちの方もいらっしゃるかもしれない。スマートウォッチで酸素濃度変化で計測するものもあるようだが、入院して計測器を装着して検査するのが王道であろう。二種免許保持の皆様には、必須の検査と思える。こんなところに国の補助金があっても良かろう。

いずれ自動運転ということにもなろうが、我が国ではまだまだ人頼みである。働く方々と関わる人々との信頼関係と言う事なのだと思います。北海道知床の観光遊覧船の沈没事故とかね、人を運ぶ職業が許されているのだから、認可されるためのプロセスをクリアするだけでは無くて、安心も提供して頂きたい。バスと言う乗り物に対する不信感を抱いたわけで、空港と街を繋ぐ足として、バスと言うのは一般的なのだが、それを使えないとなると出掛けられるところが限られてしまう。

睡眠時無呼吸症候群は治癒できないものでは無く、対策は取れるらしいので、職業獲得の幅を狭めるものでは無かろう。日頃の節制で解決できるところもあるのかもしれない。いずれにせよ職業において、関わる人達に不安を与えるというのはプロとして失格だ。俗に「安心・安全」と簡単に語られるが、安全は当たり前。安心の獲得はとても難しいと心しなければならない。自らを省みて気を付けなければならないなと、特に運転と言う行為に及ぶ時、心して掛かりたい。そう思う。

合理性?

いよいよ我が国のリーダーもコロナ禍に陥り、先進国の仲間入りかなと思ったりしている。きっかけはどうあれ、特定の団体の力が政治に強く絡んでいることが白日の下になったのにもかかわらず、マスコミはしっかりと口を閉じている。これはどういう事だろう。ロッキード事件の時の田中角栄氏を糾弾したような勢いは何処にも無い。いや、それに限らず、マスコミは来る日も来る日も与党の政策を批判していた。与党はその批判を論理的あるいは強権的にはねのけて、政治を行っていた。そんな記憶がある。

今は、呉越同舟と言っても過言では無い。頭の中ではこの団体は違うなとは思ってはいるが、それはまぁ、思っているだけとしてだ、どうも我が国のマスコミはお上品すぎるのだ。どうせマスコミの言う事なのだから、フェイクかもしれないと思ってそれを見るわけだから、少々、的外れでも良いくらいの覚悟は無いものか。勿論、いい加減の根拠のない言論では駄目なのは当たり前だ。何らかの第三者の目から見ても動かしようのない根拠があるならば、それを元に責め立てるのがマスコミの役目では無いのか?

後になって「あの時、そうしておけば」なんてことが出てくるものだ。しかし、その後になってということが我が国においては多すぎやし無いか?八王子エリアでのやり取りなど、徹底的に粉砕できるだろうに、何故か、いずれのマスコミ殿も口を閉ざす、お茶を濁す。何か他にニュースは無いものかと無理やりトップ記事を作り込んでいく。当たり障りの無い記事を掲げていく。T自動車さんが、世界に向けた内燃機関を搭載する自動車生産数を4割削減するというニュースなどどこにも出てこない。

出て来ないからフェイクニュースかと思いきや、どこぞの方が今の6割の人員で利益を上げるというお話とマッチして、あぁ、やっぱりそうなのだなと思ったりもするのだが、どうも経済構造の自動車一本足打法は全く衰えを知らない。高齢者主義の政策一本足打法も終わらない。この国に合理性と言う言葉が通用するのか?不安でならない。

ビジョンありますか?

抽象的に新たな学びを提供すると言っても、それは決してお金にならない。まぁ、Outcomesが見えないのだから、未来に頑張るという気合に投資してくれる者は居ないのだから仕方がない。それではと、何が具体的なことを考えるわけだが、そうなると、それが本当にできるということを、エビデンスベースで説明をしなければならない。ただ、これは、説明できてしまったとすると、それはできるのであるから、本来は投資対象にはならないわけだ。しかし、この国では、できると分かっていることにしか、挑戦的お金が降りてこない。もうその時点で滅んでいる国と言うことだ。

我が国にはオリジナルの商品が殆ど無いと言われているわけだが、お湯を掛けて待っているだけで食べられるラーメンにおいては、そのゴールまで到達したという点においてオリジナルと言っても良いのかもしれないが、乾麺はずっと昔からあるしね。これにケチをつけると怒られることになっているから、この程度にしておいて、出来ると分かっていることをやり続けるとどうなるかということだ。自動車も内燃機関として存在したものを見て、作り始めたわけだから、それは出来ると分かっていて、要素技術の開発にお金を出してはいない。

要素技術開発にお金を掛けないということは、まねるものが無いとモノづくりをしないということだ。半導体は日本が強かったと言われているが、それは要素技術をまねることが出来たから、そこにかかる莫大な研究費用を使わずに、応用事例で上前をはねただけのこと。だから困難性を伴う微細化とかね、直ぐにギブアップして他国の機械を買えばよい、更には作られたものを買えばよいということになる。誰かが図面を書いてくれて、それを形にしたらお金をもらえる仕組みにおいて、新規開発の機運など高まるはずがない。

何かを作ろうとして治具を作れる人は素晴らしい。一体、どうやったらそんな発想に至るのだというものを拝見すると感動する。こうやれば出来るではなく、どうやったら出来るのだろうと勇気をもって失敗することが出来ないと、それは実現しない。それが求められる形では無くて、こんな素晴らしい世の中になるべきだというビジョンの元、それを達成するものづくりが出来ないといけないわけだが、装置があってボタンが無いと研究が出来ない人を量産しているようでは駄目だろうね。なんとかしたいものだ。

彼岸過ぎまで

お盆のネタもそろそろお仕舞にしないと、ご先祖様が化けて出そうなので、ちょこっと毛色の違うお話。以前、DXって意識の改革ですよと言うお話をさせて頂いた。鶴舞大学は天下に名高いDX化されていない事務局を抱えている。逆に言うと、改善出来るところがわんさかあるということだ。親方から一気に変えないと効果が低そうだからやらないということかもしれないが、後付けでちょこちょことということでは効果は低い。

この効果が低いという積分を尊ぶ文化が改善活動ということなのだと思っている。部分最適の究極。結局、データ活用と言っても、社内に閉じていたりね。サプライチェーン云々言う割には、紙の伝票でやりとりしているとかね。ネットワークとかセンサとか、そんなツールを導入する事では無くて、データをどのように収集してそれを利益に反映させるかを根本的に換えていくことがDXなのに、後付けセンサで満足しちゃう。やらないよりはましなんだけど、世界との差は開くばかりだね。

自社独自の手法でやってますと、それはそれで自社での開発能力を高めていく活動で素晴らしい。ただ、それが、川下企業に伝わって、価値として活用される仕組みにしていかないと、利益増大に繋がらない。利益に繋がらないのであれば、それは止めた方が良い活動だ。負の効果を生んでいる状況があるとするならば、直ちにそれはカットするべきなのだ。その根本はどこにあるのか、直ちに退所するべきなのだ。

経験から得た勘と度胸で乗り切れてきた時代は過ぎ去った。データを元に最適解をたたき出し、そこに向かって全体最適を目指さねばならぬ。教育もそうなのだが、なかなか変えていけない。コロナ禍は物凄いチャンスだったのに、対面を望んでいるからと、どこからそんな統計データが出てきたのかも分からずに、親方が対面指導をしてくる。その時の大親方はどこぞの団体との関係で叩かれているけどね。まぁ、カンコツなんてものは彼岸の向こうに渡して上げないといけないのではないか。そんな時代である。