水素はやってくる

原子炉の高温動作で水素をじゃぶじゃぶ発生させようというプロジェクトがあるわけだが、原発の良し悪し議論をすっ飛ばして、水素さえあれば良いという風潮はどうなのだろう。まぁ、とは云うものの、水素燃料電池の高効率化がドンドンと進み、水素燃焼エンジンも実証段階は突破したように見えるので、何が何でも水素をじゃぶじゃぶと発生させるという取組は間違いでは無かろう。

インフラを変え行動を変える必要が出てくるが、行政の動きが全く見えない。旧態依然が良いのだという日本古来の風潮というか、変わる事への拒否反応というか。ボスが下知して言いたい放題、やりたい放題が好きな文化。ボスのお仲間同士が慣習的にその当たりをとりしきって気持ち善がる厭らしさだ。水素燃料が主流になれば、ガソリンの既得権益が無くなるので、環境に良くても反対とかね。

水素じゃぶじゃぶは必ずやってくる。いろんな問題はあるものの、それが良いと分かっているし、水素原子は宇宙空間で最も豊富にあるしね。地球上には水という形で主に存在しているけれど、宇宙空間に解き放たなければ無くなるものでは無いし。窒素とくっつければアンモニアに向かっていって肥料になるし、炭酸ガスと反応させればギ酸になって化粧品や薬品になるしね。

石油由来のエネルギーで産業革命が起こったわけで、それが水素由来になっていく過程で、単に掘って使うところから作って使うという人間本来の活動になってきた感じがするわけだ。世界の動きはとても速く、その速度感覚に日本は付いていけているのであろうか。何時まで経っても批判ばかりのマイナカードとか見ていると、失敗を許さない旧態依然の石頭に辟易する。失敗を恐れ石橋を叩いている間に、世界は空を飛んで行った。そんな気がする毎日である。

インドネシア

陛下がインドネシアに国賓として招かれていらっしゃるとのこと。赤道近くの灼熱の国を訪れたのは10年も前であったかと、自らの老人化を納得するところである。日本で言うところの赤門大学に相当する大学において開催されたインドネシア-日本・総長会議なるところに代理で出席させて頂いたものだ。シンガポールを経由してジャカルタに入り、そこからジョグジャカルタまで「コモドオオトカゲ」がプリントされた飛行機で移動した。

印象に残っているのが古都ジョグジャカルタの意味。ジョグジャが平和、カルタが街。平和な街という意味の街であると伺った時、日本のように街の統合で名称を安易に変えるということはない。植民地支配を受けていたことを忘れない為なのかもしれないが、国民の想いを一つにしていこうという意識を感じ、感動した。

そして大学においては、学生には自転車をレンタルし、学内において重量物を運搬する際には、電気自動車で搬送するという「ブルーキャンパス構想」を10年前に既に実施されていた。自分達の街を任せる若者を育てる大学の有り様を、国がしっかりとサポートしている。そんな国家の想いを感じた。当時の資料で恐縮だが(出掛ける前に調べた資料があるので)人口2億3千万の1/3が若者であるという、若者の活気にあふれた国であった。

日本を顧みると、若者がどんどんシュリンクしていく。ガソリンエンジン車はどんどんと増え続け、煤煙をまき散らすことを止めない。自転車通勤時にコロナ禍のお陰でマスクをするようになったが、呼吸が極めて楽になっていることに驚く。マスクをした方が呼吸が楽という現象に驚かされる。ブルーキャンパスなど遥か彼方。陛下のご訪問によって、両国の絆が太くなっていくことを願うばかりである。

教育は国家百年の計

ちょっと前に話題になったけど、昨年中の出生数が80万人を割り込んだ。17年後にその人達が受験するわけだが、大略60%が大学進学志望という、現状の数値を当てはめると、20万人程度、現行の大学から学生が減る勘定になる。すると財務省的には、大学は200校強、要らないでしょとなるわけだ。大学教育と経済活動をリンクさせないとそんな考え方になるし、そうなってしまっているとするならば、国家としてイノベーションの土台となる若い人達の教育は要らないと思っていると考えたくなる。

従前より、一人をオールジャパンで育てていく体制になっていかないと、大学教員側も質が低下するのではとお持っている。研究室ってとても良く出来た仕組みであって、毎年、二十歳過ぎの若者がやってきて、まるで異なる人種体験を始動側はするわけだ。若者の思考の面白さは計り知れず、その面白さを引き出して、更に知恵を載せていって、次世代のあるべき姿を更新していくことが大学のあるべき姿なのだと思う。

地域の大学、世界規模の大学とか、本社はいろんなレッテルを貼ってくるが、大切なのはそこで学ぶ若者が、近未来に経済活動に従事して、我が国を背負って立つという意識を持つことだ。当然の事ながら、大学だけに背負わされてもそれは的外れで、三つ子の魂百までだから、お母さんのおなかの中からもう既に教育が始まっていると考えるべきだ。高大接続などと言っていないで、少なくとも小中高大接続でなければならない。大学入試が変われば高校は変われるとか、責任の押し付け合いは止めるべきだ。

物真似万歳、図面万歳の経済国家に、イノベーターは無用ということか。今の企業はもう変わらないから、ベンチャー云々言い出したのかもしれないが、ベンチャー君達が関われるビジネスの範囲はそう簡単に大きくならない。ビルゲイツ氏が蛇口から出てくる水の如くと考えているような首相の口ぶりだが、そんなに簡単なわけは無い。お互いが影響し合う

解放自縛モードへ

以前よりも不幸なことが起こり始める。悪夢を見るようになり人が離れていく。それはご先祖様が離れていったからだと、極めて近しい人とそんなことを学んだ。ご先祖様が怒っていると頭を何かに強打するそうだが、庭木の剪定をしていたら、ガツンと木の棘が頭に食い込んだ。ずっと使ってきたアイロンが壊れて、Yシャツのしわ伸ばしが出来なくなった。う~ん、なんだかろくなことが無いなとちょっと神妙な気分になる。

面白いもので、その前には急に観音様だの文殊様だの神仏詣でがしたくなったりと、まぁ、そろそろ人生の終焉の時期だなと感じる意識が沸いてきたり、鈴の音が頭上から聞こえたりと、いよいよ怪しい気の流れがやってきたのかなと思ったりしていた。土日が無くなって、心身ともに不健康みたいな状況が襲ってくるしね。ちょっと申し訳ないが、気の良いおじさんは止めにしようと思っている。

壊れて困る家電製品の筆頭が冷蔵庫だとは思うのだが、今使いたいアイロンも、壊れてしまうと変わりのモノが無いだけに、これは困ったことになるなと実感した。まぁ、ウルトラ高価という程のものでは無いから、ネットでランキングなどを調べて、珍しく店舗購入に向かったわけだ。不幸の呪縛は強力で、2店舗巡って欲しい機種は無く、3店舗目で漸く出合った。ご先祖様の怒りの呪縛から解き放たれたかなと思って使ってみると、その使い心地の良いこと!

ものは考えようとは言うが、一旦、暗い思考モードに入ると、容易に復活できるものではない。しかし、何時までも自縛しているわけにもいかない。来週は気の良いおじさんのせいで、自らを苦しめる出来事を呼び寄せているしね。そんなことからはもう自らを解き放とうと思う。他律機能は、本当に捧げたい人だけに使わせて頂きますので悪しからず。

従業員エンゲージメント最貧国

日本企業においては、仕事に熱意を持てるという方が20人に一人ということだそうだ。企業当たりの精神を病んで休職される割合が15~20%だとお聞きしていたが、やる気を持って取り組める人が5%しか居ないのは極めて低い数字と感じる。与えられ感と自らが伸びていかないことへの不安もあると聴く。上長からの学びがなく、ただただ怒られるだけの環境においては、熱意を持てと言う方がおかしい。勝手な中間管理職の存在も悪でしかない。

ここ数週間ではあるが、チームで「自らを活かす」ということをテーマに時々ではあるがキャッチボールをしている。自らを活かすということは、他の人の成長に自らを活かして頂くということなのだけれど、その為には活かして頂いた時に満足を得て頂かねばならぬ。それなりに高いレベルの機能を持っていないと「貴方に頼んで無駄な時間を費やした」と思われてしまう。活かすどころか損失を出すという事になってはいけない。それ故に学び続けなければならない。組織はミッションを伴うのだから、そのミッション達成のための道筋と学びがなければならない。

リスキリングをさせると他の会社に逃げられてしまうと仰られた中小企業の社長殿がいらっしゃったが、「いやいや、そのようなお考えでは、リスキリングする前に逃げ出しますでしょ」と申し上げたら赤鬼に変身して頂けたのだが、意識のDXも出来ず、やる気も無く、仕事だけ欲しいというゾンビ企業は、撤退して頂かなければならない。我が国の損益を増大させるだけだ。

人は何のために生まれてくるのか、全く持って謎なのだが、生まれてしまったことに諦めを抱くようでは寂しいではないか。リクルート活動を拝見していると、ジョブマッチングとかね、いろいろ便利な言葉が躍るのだけれど、大切なことは人に喜んでいただける自分の能力を高め続けるということだ。それが出来るのは自分が無意識に必死になれることだけだ。それを見つけるのは就職前が限界点だから、大学生時代には必死に学び必死に活動することだ。犬も歩けば棒に当たる。歩かない奴は一生涯、愚痴をこぼし続けるのだろう。自分のせいだ。それだけだ。

言いたいときに想うこと

沈黙は金、雄弁は銀。しょっちゅう聞く。成程と思うことに、重要な会議であるはずなのだが、そんな会議こそ主催者が徹底的に考え抜いて議題提案をしてくるわけだから、じっと「何が言いたいのか」と「アウトカムズは何か」だけを聞きぬこうとすると「あぁ、そうだよな」と納得できることが多い。勿論「絶対に納得できない」という時は発言するべきだが、じっくりと待っていると、自己顕示欲に溢れた方々の発言が続いて愉快である。会議とは面白い。

こんな筈はないという原点は自らの価値観であるはずだが、その価値観を20年以上昔の老人に「こうなんだよ!」と言い捨てられたどうだろう。こんな組織から逃げるべきだと思うはずだ。当然である。もしも「もうすこし我慢すれば自分の時代がやってくる」と思ったらそれは大いなる勘違いだ。今、納得できない組織が、その内に納得できる組織になるはずがないだろう。間違ってはいけないのは、自らの価値観こそ宇宙の中心だと思うことだ。独りしかいない自分が、中心であるはずはない。

であるならば、どのように自らの歩む道を決めるのか。毎朝、何処に向かって一歩を踏み出すのか。社会を見る必要は無い。それは正に「流された時流」という流れがあり、その中に乗れば、異なる波が並行して走っている、そんな乱暴な社会と共に歩むことになるからだ。アウトカムズが無い、適当な社会に添い遂げて、どんな価値があるというのか。自らの命を大切に扱ってはどうか?

自分の主張にあわないから絶対に反対と叫ぶ者は多い。それは正しいかもしれない。しかし、それが自らの組織の10年後をイメージできず、今のわがままだけであったらどうであろう。自らの好みで、こうやりたいと思った方向性が、圧倒的な過去であったらどうであろう。これをやりたいはまだ良い。これは腹が立つと思った時、これは社会の思考かと、一瞬でも良いから立ち止まってみると良い。自分の価値観が正しいこともあるが、そうでなかったらどうする。100年後にやってくるかもしれないが、それは我慢したらどうか。政治とはそんなもんだ。何もしないことも正しい政治である。何かやっちゃうんだけどね。雄弁は銀。銀ならましか?そう思う。

貧乏性

中小企業殿でも社員のリスキリングの一環で、博士取得を勧めていると言うお話を頂き、実に我が意を得たりである。社内にチーム博士を構成する程で、様々な分野の博士号取得者を研究チームに配して、積極的に世界展開をされている。AI等々、エレクトロニクスの進化はあるわけだが、人間活動の中心が「今のところ」人間であるから、考えるべき問題を作り出し、それを新たな手法を創造しながら解決していく博士という人種は、今の時代こそ最大の力であろう。

産学連携のお話になると、大学はお安い道具みたいに多くの企業さんが言うわけだけど、それは大間違い。その道のエキスパートの知恵と労力を自社で獲得しようと思ったら、どれだけのお金が必要なのだ?実働数が少ないから、少額でと言うことは通じない。その知恵を高めるためにどれだけの時間と汗が流れたのか?そもそも自社で出来ないから必要と思われれたのでしょ?あるいは、時間短縮になると思ったわけでしょ?その価値を貨幣で購入できるわけだから、そんなに安いことはない。

間接経費が気に入らないと言う不思議な意見がある。パソコンだけで仕事が出来るから、ものづくりの価値が解らないと仰るのだが、それではパソコンは誰が作ったのだ?ネットワークは誰が作っているのだ?そしてその運用は誰がやっているのだ?まさか本当にPCだけで全てが回っていると思っていないのだろうな?見かけ上、必要な経費は当然ある。しかし、それを維持、運営、更新していくには当然のことながらバックヤードがあって、そこに費用は発生するのだ。海外では67%が標準である。

日本は安すぎる。安過ぎるのは国にお金が無いからなのだが、地産地消している限りはその呪縛は破れない。地産他消が望ましい。農産品も加工という一手間があればこそ、付加価値を生むのだ。教育における加工とは、まさに教員側のスキルによるところなのだが、大学だけでは限界がある。高校、中学、小学校、いや、三つ子の魂レベルから日本という国の教育のありようを変えねばならぬ。ならないのだが、一人で騒いでもどうにもならない。目の前のことを一つ一つなのだが、はて、何から手をつけよう。そんな状態だ。

学会考

学会という学びの交流は、その質が高ければ高いほど有益である。有益な情報交換があるから参加するのであって、そうでなければならない活動だ。遠方に来てしまうと「何かやりたくても出来ない」環境に身を置くことになるから、それも非日常を味わえて良い効果となる。ずっと同じ環境に居ると気が滅入るというか、息苦しくなって、発想が固定化されてしまうのが恐ろしい。そうならないように努力はしているものの、いっそ、環境を切り替えるのが良い。ワーケーションとかも有効だと思う。

今は、電子的端末を持ち歩くことになるし、どこでもFree WIFIに接続できるから、結局、仕事はしてしまうわけだが、iPad程度で十分だし、そうすると、パワポのプレゼン資料をガシガシと作り込むのが困難になるから、必然、文字書きに集中することになる。紙の手帳に書きなくったりしてね。これがかなり発想を生む。ペンのマジックだと思う。そして、講演を聞いていて日頃、引っ掛かっていた発想が輪郭を持ち始めたりするのが愉快である。他人の脳をお借りするのも一興である。

ワーケーションだが、思考を仕事としている人は積極的に活用するのが宜しい。そして組織はそれを認めるのが宜しい。在宅勤務が認められている組織なのに、何だかんだと縛りを付けて認めない風潮があるのは嫌らしい。どんどんと活用させれば宜しい。勿論、効果を上げられない方もいらっしゃるから、誰でもそれが良いとは思わない。ビシッと職場という枠に入らないとエンジンが掛からないという人もいらっしゃるだろう。研究のアイデアなどは、装置を目の前に置いておくと、何かが降ってくるということもあるしね。

なんだかんだであっという間に旅は終わってしまうのである。高知などは飛行機に搭乗している時間は1時間足らずだ。飛んだなと思ったら、もう着陸している。それでも空の旅というのは非日常的な景色を見せてくれて好きである。この先、どれだけ旅ができるのか分からない。機会があれば何て言っていると、あっと言う間に違う世界に旅立ってしまう年齢となってきた。機を逃さず旅を獲得していきたいと思う。次は何処になるのだろう?それを想っている間が華だなと感じる。そんなもんだ。

旅に想う

コロナ禍が明けたなと思う事に、同僚が世界を股にかけ始めたり、こうやって高知に出てきてみたり。様々な交流が再開し始めたなと実感するのである。現在、重要文化財と言われている高知城だが、このまま頑張っていけば国宝にシフトするのだろうし、今でも国宝だなと思うのだが、いじっぱりの文化庁が、お前んとこは文化財だねって、そんな感じの認定なのだろう。何度拝見しても国宝だろうなと思う次第だ。

台風が接近してきて、梅雨全然が真上にあって、積極的に雨を提供してくれるわけだが、雨が嫌いなわけではない。幸いなことに、極端な揺れを被らなかった「往路」であったが、明日の「復路」の安全が約束されたわけではない。空路は恐ろしい。恐ろしいが、人間が獲得出来ている特別な状況であるのは間違いない。なにしろ、地に足が着いていないのだ。愉快なことだが恐ろしいことでもある。自転車で言うならブレーキで車輪が止まっても、車輪が浮いていると言うことだ。

そんなに真剣に悩むことではなかろう。どんなに嵐になろうとも、いや、嵐であるが故に、どうやって生きていこうか、その土地の人々は考えるのだ。暴君がダムを破壊しようとも、民は真のリーダーを想い正しい道は何かを考え、そして生きていく。どんどん、年を重ねていくわけだが、残りが短くなるというよりも、もっとこんなことがあると愉快だと思う自分を面白がっている。飛行機は特にそれを感じさせてくれる。特別感がある。

文科省のお話をお伺いするたびに思う。こんなに国民が減ったのだから、2県に一校、いや、3県に一校にしてよという税金的な叫び声がわからないでもない。一方で、何度も言うが、減ったからこそ、教育が大切だよと。この「教育が大切だよ」ということに応えられているのか?何万年も繰り返しの授業をやっていないか?初等教育から大学まで、変化しなさ過ぎだ。圧倒的に進化するべきなのだが、それに教育者と呼ばれる立場の民が追いつかない。変わらねばならぬ。それを学ぶためにここに来た。そう思う。

新二元論

地方政治の担い手が居ないと言うが、足元の組織も同様ではないか?現状の規則を守る事が目的化されてしまったら、政治など必要ない。未来のビジョンを描き、具体的将来像と工程を描き、それを意見を伺いながら進めていくことが政治だよね。となると、聞かせて頂く意見がドメスティックで意見と言うより我儘だったりすることの内容に、公務員だろうがなんだろうが、常にリスキリングしていく必要がある。特に閉じ籠る民には高速な社会変革を体験して頂く仕組みが必要だ。

人材の流動性と言うより先に「人の流動性」から考えるべきだと思っている。じっと一ヵ所に留まって、同業ではあるけれと、他の事業所がどんな仕組か知りませんよでは済まされまい。勿論、同業他社でライバル同士で交流しろとは言えないけれど、ねじれの位置にあるような企業と国内リスキリング制度とかね、公務員が週一でも良いから、企業体験してくるとかね。そうなると、電子決裁が進んでいないなんてことが、如何に自組織のエゴであったかが分かる筈だ。

自分一人の行動が、組織の可能性を高めることに気付いて欲しいし、逆に、作業の私物化が組織をガラパゴス化させていることを認識して頂きたいのだ。更に、旧態依然の思考回路では、仮想現実ゴーグル活用が当たり前の人達とどのように対峙するのか?そんな社会の流れを獲得する気にもなっていないのでは、支援など出来ようが無い。これは当方も同じであるから、リスキリングせねばならぬ。でも一体それはどうやるのかもチンプンカンプンである。

トランスフォーメーションですよと口では簡単に言えるのだが、それは今行われていることを受け止め、そしてそれを前提に、組織として変容し続ける必要があるということだ。学び続けなければならぬ。従来の学んで働いて老後を迎えるという三段論法はもう通じない。学び続け働き続ける、そして死ぬという二元論の世界だ。学びの質を高めなければならない。それは自らが決めねばならない。そんな時代になっているのだ。